ボケを書くことでボケるのはいかがなものかと思いつづる。いずれ木瓜の花が咲く。ぼけは自らのものと、まわりからしからしむるものと、そのふたつを捉え、病的症状をいかに自覚するか、惚けるか、暈けるか、その本来の意味だとするのが、記憶能力が鈍ることであったり、頭の回転が悪くなることであったりする。脳の命令が滞る、身体活動に疲れが残る、胸にある古傷が痛みだすなかで、退休、隠居しての日常は、毎日何をするかという思いから始まっている。終活、断捨離の非日常は先が見えない、終わりがないし、すべてを失っていくことはさきが老い先と見えて、計画にはなりえない。散歩など身体運動を含め、リズムある生活をすることと、趣味やボランティアなどのことが目的化してしまって、それが循環することが始まる。身の置き所を求めるようなことである。こうして書いていて、ああ、嘆息してボケの不足を感じる。
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漣に、さざなみ
2007年02月19日23:14
時間を作って、テレビ塔とオアシス21の水の宇宙船をたずねた
テレビタワーとは言わないで、東京タワーというときと、違いは何か
中国からの友人を案内して、塔かタワーか、の区別が聞かれて説明できない
エレベーターで、3かい、3がい、この言い方はどちらが正しいか、名古屋の方言かとの質問にこれまた答えに窮する
風の強い展望台は地上100メートル、塔の半分超の高さだ
ここでさまざまに思いをめぐらして、案内はそっちのけだった
夕刻、日暮れが近くなって、ずいぶんと日脚が伸びた感じを受けて空中散歩をした
その地上広場は店がどこもしまっていて、月曜かと思いきや、法定点検日とかで休日になってどの店もシャッターを下ろしていた
観光案内所までぴたりと閉じていたものだから、これは特別な日だった
今日は奥さんの誕生日と聞いて春節を異郷で過ごし、家族との大切な日々の時間を久屋大通の散策に費やすのは申し訳なかった
格差の現実はいまさらに始まったことではなかったのだろう
社会に多くの歪んだ事柄を未解決のままに持ち越してきている
それが若年層に影を落として就職氷河期といわれた
その層は10年を経て熟成した現実社会を脅かす
日本人口が総中流社会となって、その数が中国社会の経済活動をささえる人口数と匹敵するとの比較の仕方、要は中国社会と日本社会を同レベルに見ようとの、かなり無理なたとえがある
アバウトと一笑に付すが、13億の10%が社会を支えるとの説明に、ふっと日本の現実を5%社会ととらえるこれからの現実に数字の想像が膨らむ
誇大過ぎてアバウトどころではないが
労働人口3000万とすこし、そして加えて非正規の雇用関係が1700万人、あわせて5000万人弱だが、5%のこの人口が日本社会を支えるとするなら、250万人ぐらいが格差の上層で、周りにいる20人に1人が勝ち組となるのか
いま読んでいる本は、反戦軍事学、という書名だ
反戦を唱えるのに観念だけではだめだと知らされる
シュミレーション風のフィクションが加えられていて読み物になっている
正しい軍事知識を持てば、戦争賛美などできなくなる、との主張は正しい。
自衛隊を国防軍とみなす前提でのイチロー物語、この名前は野球選手ではない、税理士を志望する若者だった