このリマインダーを見て、同じようなことを書いたりして繰り返すものだ、
季節のめぐりと時間の流れと、そこに年中行事を記録したことのなにがしか、
共通するようなことは、星の動き、月の満ち欠け、陽の傾きで測る日録、日記のことだ。
春夏秋冬を同じような時間の長さで経験するわたしたちの日常は、それをまあるく描いて春の位置をどこに置くか、
周回する季節のように見るか、円を固定して中心の右側に位置させる春は、
時の移ろいを円周上にたどるから、時計方向で右回りとなって夏が下、秋が左、冬が上の位置となる。
それを左から右へと直線を書き、延長して右へと描き続ければ、時の流れは現在から未来へとなる。
左へ直線を伸ばせば過去へ向かうようである。その時間の直線状に、春夏秋冬を繰り返し春夏秋冬と書き重ねて行けば、
それはまた四季をどう意識するかというようなことで、その直線にウエーブをかけて、波の山に夏、谷に冬を置く描き方は、
春と秋が基準線のように位置していく。
この四季の、円周上に捉える時間の経過は、春をみて、その円の始点を上に、
つまり時計文字の12時の位置にすればまた、右回りでぐるりとめぐる。
どうもわたしたちは、その視点をどこにおこうとするか、多くは右に、さきの時計文字の3時の位置に置くようであるが、いずれにしても、その円周のように時間経過を意識するものなのだろうか。
秋が巡ってきて、また同じように、紅葉を見て思うことである。
春は花、秋は葉である。夏は、冬は、と、思ったか、どうだろう。
たしかに、陽が暑く、光の強さを思えば、冬は風雪の寒さ、光の弱さである。
そこには気温の変化があって、海と陸に、太平洋と大陸に挟まれている日本の島に気圧の変化があり風の流れがある。
季節のめぐりと時間の流れと、そこに年中行事を記録したことのなにがしか、
共通するようなことは、星の動き、月の満ち欠け、陽の傾きで測る日録、日記のことだ。
春夏秋冬を同じような時間の長さで経験するわたしたちの日常は、それをまあるく描いて春の位置をどこに置くか、
周回する季節のように見るか、円を固定して中心の右側に位置させる春は、
時の移ろいを円周上にたどるから、時計方向で右回りとなって夏が下、秋が左、冬が上の位置となる。
それを左から右へと直線を書き、延長して右へと描き続ければ、時の流れは現在から未来へとなる。
左へ直線を伸ばせば過去へ向かうようである。その時間の直線状に、春夏秋冬を繰り返し春夏秋冬と書き重ねて行けば、
それはまた四季をどう意識するかというようなことで、その直線にウエーブをかけて、波の山に夏、谷に冬を置く描き方は、
春と秋が基準線のように位置していく。
この四季の、円周上に捉える時間の経過は、春をみて、その円の始点を上に、
つまり時計文字の12時の位置にすればまた、右回りでぐるりとめぐる。
どうもわたしたちは、その視点をどこにおこうとするか、多くは右に、さきの時計文字の3時の位置に置くようであるが、いずれにしても、その円周のように時間経過を意識するものなのだろうか。
秋が巡ってきて、また同じように、紅葉を見て思うことである。
春は花、秋は葉である。夏は、冬は、と、思ったか、どうだろう。
たしかに、陽が暑く、光の強さを思えば、冬は風雪の寒さ、光の弱さである。
そこには気温の変化があって、海と陸に、太平洋と大陸に挟まれている日本の島に気圧の変化があり風の流れがある。