それぞれに思い出があるだろう。追憶と記憶とできごとと、そこには胸くすぐるもの、心あったかにするもの、痛い思いに悔やむことがあるかもしれない。子を育てるための苦労は計り知れない。親から子へ、子から孫へと家族の絆にあることである。絆は、ほだしなど、絆しとなると人情あるがために束縛するもの、そして、枷ともなるから、人馬のことではないが、つなぎとめることになる。家族のきずなは、そこに現れる。
母の日は、父の日、老人の日と、子供の日があって親の日がないから、父か母かと、分かたれるのも理由があるかもしれない。そう思って検索したら、国際親の日というのがあって、6月1日、国際デーのひとつという説明があった。英語表記、Global Day of Parents という。また、なかで、両親の日とでもいう、オボイナル 어버이날があった。
母の日、存命ならば、いや存在するならば、このかた、年齢を数えたことがないが、昭和にならない、大正の時代生まれであったから、ざっと95歳にはなっている。亡くなったのは、いつか。思い出さない。この世を去ったとは思っていないのであるから、そういうことがあった、という、そういう、それを語ることはできない。わたしが父の意向を受けて音楽葬を演出して行い、またみずから墓を作りし、そこには、父を送ったときに母も一緒にしてきたのであるが、阪神大震災を境にして故郷への記憶は一変している。平成4年、1992年のころである。一言でいえば、母への思いとともに、20年を過ごしてきた。
http://excercise.biz/archives/1245
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韓国では5月8日に「父母の日」(両親の日)という日があります。
母の日と父の日が一緒に行われているイメージ。と言えば分かりやすいでしょうか。
韓国語でオボイナル(어버이날)と呼ばれています。
このオボイナル(어버이날)の由来なんですが
3つの単語が合わさって出来た言葉です。
まず
어(オ)
母という意味の어머니(オモニ)の 어(オ)
次に
버(ボ)
父という意味の아버지(アボジ)の 버(ボ)
そして
날(ナル)
〇〇の日。を表す日という意味の 날(ナル)
これらをあわせて
オボイナル(어버이날)
と呼ばれるようになりました。
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なんとなくハズカシ
2007年05月13日22:53
すばらしい青空になった
風が強いので、心地よい
母の日に今はない思いを
かすかに求めて赤い花を買う
お母様にプレゼントですか
と、人工石の輝きを説明しながら
3つの石を縦に過去現在未来と連なって流行です
昼と夜で光を受けて色が変わるのですよ
説明を聞きながら遠くに声を聞いていた
メッセージを書きましょうと促されて
われにかえって何を書けばいいかな
愛の言葉を、若くと、美しくと、健康はまあ普通ですが
そう言われてそういうものなのだと
愛の言葉を添えてプレゼントを、とかなんとか
いつまでも若く美しく!と書いて
子から母への感謝に、みんなより
つい母に孝行をすることなく
不治の病におくったことを
記憶のかなたにしまいこんで
いまなお思い出すまいとする自分に気づく
おやお若いのですねと
急に声がして同世代かと思いましたと
店の人のにこやかな笑いに
いや、まあだてにめがねをかけて
すこし恥ずかしくなって
子供と買いに来ればごまかしたであろう会話に
しばし家をまもる母への
この日の感謝に子供と準備をしたのであった