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思想

2017-08-21 | 日本・日本人

思想は考えることである。漢字文字の思想は心に思い浮かべること、思いをめぐらすことととらえる辞書義がある。白川漢字学に、思字について、人の思惟するはたらきのあるところ、深く思慮することをいう字である。また同じく、想字について、その形容を思いうかべることをいう、その人を慕う意がある、と解説する。考えるのは、彼我の対照に在り、思うのはイメージにつながるから、思想の語を見て、具象があることがわかる。近代思想、戦後思想と言えば、日本の思想をその内容においてとらえることができる。古来、日本民族は思想を生きている。その思想とは、現代になって、思想と良心の自由という概念を与えられ国民のうちに獲得することて、そのより良き実現のために向かっていることである。いま、それをもって、激しく思想の状況を作り出しているのが2017年である。考えを、かむかうとするごとく、国論を2分している。




現代用語の基礎知識 2017
総合目次 > 日本政治 > 憲法 > 人権の保障と「自由」について > 思想および良心の自由
思想および良心の自由
人生観や世界観など心の内面を国から干渉されないこと。外国の憲法で思想の自由を保障する例はほとんどない。ところが日本では、戦前、特高警察などが社会主義思想への取締りや弾圧を行ったあげく、「陛下のための戦争」を批判すれば「不敬罪」(天皇の名誉を傷つける罪)で検挙するなど思想統制を強め、国民を戦争に追い詰めていった。そういう「黒歴史」を消してしまわないように、憲法はあえて19条で思想の自由を保障した。この保障によって、国が思想を強制的に告白させたり、推知することが禁止される。そのため、日の丸・君が代についてどう感じるか、また天皇制の支持について調査することは憲法違反となる。


世界大百科事典
思想および良心の自由
しそうおよびりょうしんのじゆう

思想および良心の自由
ひろく内心の自由をいう。憲法19条は,〈思想及び良心の自由は,これを侵してはならない〉と定めている。旧憲法には,このような規定は存在しなかった。この自由は,とくに,欧米では,信教の自由と結合して発展してきた。近代諸国の人権宣言においては,信教の自由は多くの場合明文化されたが,日本国憲法のように,思想,良心の自由を特別に宣言する例はあまり見られなかった。しかし,この自由は,ポツダム宣言における〈思想の自由〉の確立への要請などを考え合わせると,人権体系のなかで重要な位置を占めるものであることが理解される。

 一般には〈思想の自由〉と〈良心の自由〉を厳密に区別して論ずる必要はなく,思想・良心を一体的なものとして把握すれば足りるとされており,両者は〈内心におけるものの見方ないし考え方〉として包括して理解されている。こうして〈思想および良心の自由〉は内心領域に属する精神的自由権として把握される。この自由の憲法上の保障は,過去に行われた〈踏絵〉のように,国家権力の強制によって人の内心を推知することを禁止することに,その主要な意義を認めることができるが,現在では,その中身につき,これを,世界観,人生観,主義・信条など,人間の尊厳と結合し,人格の中核をなすものとして把握する見解が有力である。思想および良心の自由は,内心領域の保障にその法的意義が認められるから,単なる〈公共の福祉〉を根拠として,制約されるものではなく,その限りでは,その保障は,原則として,無制約であると解される。したがって,その限界は,この自由が前述の,世界観,人生観,主義・信条などの内実を失い,みずから保障上の意義を有しなくなるところに生ずる。このことと関連して,思想および良心の自由は,内心の精神的活動を外部に表現しない自由,すなわち〈沈黙の自由〉を含む,と考えられる。

 最高裁判所が本条について判断を下した例は,名誉毀損事件において謝罪広告を新聞等に掲載するよう裁判所が命ずることは本条に反しないとしたものなど,限られた範囲のものであり,思想および良心の自由は今後の展開をまつ分野といえる。
[種谷 春洋]


日本人の思想性
思想を語ることは思想を実践することであるから、思想家は自らの思想の実践者である。日本人の思想をさまざまと思いめぐらして、そこに思想性をくみ取る。日本人に思想があり、その実践を以て思......



>思想を語ることは思想を実践することであるから、思想家は自らの思想の実践者である。日本人の思想をさまざまと思いめぐらして、そこに思想性をくみ取る。日本人に思想があり、その実践を以て思想性を探ればおのずと明らかなことは、思弁となる論議は近代まで行われてこなかったことである。哲学思想は儒教、仏教の経典をそれぞれに解釈することと、そこに行われて来た原始信仰の神との対話であったため、コトバそのもに論理を見るか、実践行為である遥拝に思想の根本をおいてきたことに、神を体現することがあらわされてきた。日本人の思想性はそこにある。


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