学習は日本人にかぎらず、地域と風土によるところ、学習能力として、そこに生き続ける民族の一人一人の遺伝子にある。環境と習慣に支配されるとみるのは個人よりも集団にあるが、日本人の学習にもその現象がある。学習という語を使えばすでにそれには漢字文化圏の影響があった特異性がある。言葉と学びである。もの学びとした祖先は、学ぶことをどう行ったのか。またさらには、習うことをどうとらえていたか。学習という語でとらえるようになるのは、その語の使用場面が学校教育制度を取り入れて始めたころのことと想定して、学習として意識される前にはその学習性というべきは何であったかを考える。学んで思う、思って学ぶ、学んで習う、これを繰り返し、詞に学び、それを実践してきた祖先の知恵である。
論語 為政第二
子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。
子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。
論語 学而第一
子曰。
「学而時習之。不亦説乎。
有朋自遠方来。不亦楽乎。
人不知而不慍。
不亦君子乎。」
子曰く、
「学びて時に之を習ふ。
亦説(よろこ)ばしからずや。
朋有り、遠方より来たる。
亦楽しからずや。
人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。」
と。