創刊号は、創刊3号までを巻号に付す。1993年No.1 から、1993年No.2 ,1994年 No3までである。いわゆる3号雑誌の弊を打ち破ったと24年前、いや93年だと、もう、25年前である。そのころの、この一つ一つは、なつかしい。国語国文学研究から日本語教育へとシフトしていたのは、工学部にいたからだろう。しかし、それでも言われたのは、国語学国文学担当の講座であって、日本語教育はボランティアに過ぎないだろう、と、その矢面にいたから、専門のシフトを起こすべく、教育と研究の領域が決まったから、日本語とはなにかを解決しなければならないと思っていたころである。
しろん・じろん、これは、わたしの、もつ論、の言いであるか、北原保雄氏のエッセイ、金田一氏が巻頭にあって、それに続く、「日本語」か、「国語」か、述べるところは、名称の意味内容である。国語調査会にみる、国語国字問題におよべば、さらにさかのぼって、国語とは何か、国字とは何かをとらえることになる。国語を国とだけする発想では、わかりにくい。また日本語の呼称は、日本だけを取り出すことができるかどうかである。日本の表記はヤマトについてすでに万葉集に見えるし、日本書紀、日本紀をどう読むかである。国語国字には和語和字が、日本には大和、和また倭が、それぞれにむかえる意味内容がある。
日本語か、国語か、これについて、ヤマト語と和らげの概念であることを思う。和語のとらえ方に漢語にいう外来語の和らげに用いられた,国字、国語がある。