村山聖のお墓は広島県安芸郡府中町の水分(みくまり)峡にある。村山家から車で数分の距離で、自然に囲まれた静かな場所にある。
広島に行くとたいてい訪れているが、いつもご両親にお墓まで連れて行ってもらう。お父さんは車を降りてお墓に向かうとき、必ず同じコースを歩くのが癖のようで「これが近道です」。そうでもないといつも思うのだが?誰を案内するときも変わらずに、脇道に入るのだ。
初めに駒形のお墓の話があったとき、村山家らしくていいなと思った。世間の物差しでなく、ご両親の村山君への一途な愛情の深さが感じられる。
村山君が棺に入って、最後のお別れのときお母さんは「聖君。つらかっただろうね。」と言って、体をさすってあげていた。私がご両親の涙を見たのはこのときだけだった。その後どんなときも、毅然としてというより何に対しても自然な目線だった。どんな人をも包み込むような暖かさがあるのだろう。
「お寺のお坊さんにはお布施が要ったのですなあ。うっかりしとりました」お父さんののおおらかさに救われる。
駒形のお墓の表には「大局観 心 村山聖九段 土に還る 平成10年8月8日」と書かれてあり、裏には「座右銘 照葉樹林 昭和44年6月15日生誕」と記されてある。
テレビや新聞に取り上げられてから、全国からお墓にお参りに来る人もいて、そのつど丁重にお墓に案内されているそうだ。
村山聖の激しい情念のようなものを見続けてきたせいだろうか、山間の静かな墓地が、逆にいつ訪れても心が休まる場所に思えてくる。
広島に行くとたいてい訪れているが、いつもご両親にお墓まで連れて行ってもらう。お父さんは車を降りてお墓に向かうとき、必ず同じコースを歩くのが癖のようで「これが近道です」。そうでもないといつも思うのだが?誰を案内するときも変わらずに、脇道に入るのだ。
初めに駒形のお墓の話があったとき、村山家らしくていいなと思った。世間の物差しでなく、ご両親の村山君への一途な愛情の深さが感じられる。
村山君が棺に入って、最後のお別れのときお母さんは「聖君。つらかっただろうね。」と言って、体をさすってあげていた。私がご両親の涙を見たのはこのときだけだった。その後どんなときも、毅然としてというより何に対しても自然な目線だった。どんな人をも包み込むような暖かさがあるのだろう。
「お寺のお坊さんにはお布施が要ったのですなあ。うっかりしとりました」お父さんののおおらかさに救われる。
駒形のお墓の表には「大局観 心 村山聖九段 土に還る 平成10年8月8日」と書かれてあり、裏には「座右銘 照葉樹林 昭和44年6月15日生誕」と記されてある。
テレビや新聞に取り上げられてから、全国からお墓にお参りに来る人もいて、そのつど丁重にお墓に案内されているそうだ。
村山聖の激しい情念のようなものを見続けてきたせいだろうか、山間の静かな墓地が、逆にいつ訪れても心が休まる場所に思えてくる。
一度、福山まで行った時に「お参りさせて貰おう」と考えていたのですが、具体的な場所が分からずに断念しました。
(私のような人間が行って良いのか?とも思いましたので…)
久しぶりに、村山先生の棋譜を並べようと思ってます。
いろんな人が訪れていますので、どうぞお参りしてあげて下さい。
静かないいところです。
今回の2枚目の写真もとても自然体で、親しい間柄であるがゆえに撮れる写真だと思います。
厚かましいお願い!
又紹介してください!
とっても楽しみにしております、、
さて
少しでも、知ることが出来たらと思い
大阪のシンフォニーホールの近辺に村山さんがすんでおられたとの事、周辺をぼちぼち歩いています。
一人でぶらぶら歩いていると、じろじろ見られるのですが、、、、
音楽が好きでよく足繁くシンフォニーホールに行った昔よりどんどん町並みも変貌し、もう既に前田アパートもないかも?と思っています、
といってもあきらめず村山聖さんの足跡をたどろう!と出向いています。
もう既に大きなビルに変わってしまっているのですか?
もともと写真を撮られるのが大嫌いだったので、師匠権限で強引に撮ったり、ふらっと撮ったりなので、また出てくれば掲載します。
コメント遅くなりました。前田アパートはまだ残っています。大淀中の公園の小さな道の向かいにあります。三谷工業の二階です。
お返事嬉しく思いました。
又是非村山聖さんのこと
教えてください!