面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

酒は飲んでも飲まれるな。

2011年01月11日 | ニュースから
「大トラ」の女性割合が倍増=泥酔で保護、情勢に変化―酔っ払い防止法50年(時事通信) - goo ニュース


「オヤジギャル」という言葉が登場したのは、まだバブルの頃、1990年代初頭だったか。
男女雇用機会均等法の施行と軌を一にするように女性の社会進出が大いに進み、それに伴って女性の飲酒…というよりも飲食店での女性の飲酒(居酒屋での宴会など)が増加の一途を辿ったことだろう。
いわゆる“大トラ”の女性が増えるのも必定というもの。
ことに昨今の“草食男子”の増加で、“大トラ”になる若年層の男性も減り、酔っ払い全体における女性比率も高まっているのではあるまいか。

男の大トラは見苦しく汚いものだが、女性の泥酔も見るに堪えず、ましてや女性の場合は“身の危険”にもつながりかねず。
女性の皆さまにおかれましては、ゆめゆめ、酒は飲んでも飲まれることのございませんよう…


美意識

2011年01月10日 | ニュースから
増えるモンスター 他人を思いやる美意識欠如(産経新聞) - goo ニュース


「美意識」という概念が、外見・見てくれだけを対象とするものになってしまっているのが昨今の現状ではないか。
精神的な部分での「美意識」を持った人間が激減しているように思うのは、自分だけだろうか?
「品格」という言葉を冠した著作が流行り、次々ベストセラーになったことがあったが、結局日本人の意識の中に「品格」というものが根付いたとは思えない。
本を読んで「なるほど」と思ったが「自分には品格がある」と思っているのか、はたまた「品格なんぞ意識していて金持ちになれるか!」と無視を決め込んでいるのか、その後も日本人の意識から「品格」という概念が消えていく一方ではないだろうか。

「相手を思いやる」ことは人間として非常に高度な精神活動を営むことであるという意識が無いか、そんなことを意識するのは損と思っているのか、何にしても下品な人間が増え続けていることだけは確か。
economyという言葉が持つ概念は、日本語における「経済」が本来持つ意味とは全く異なる下品なものだった、というのは言い過ぎか?



東宝シンデレラ

2011年01月09日 | 映画
10歳の美少女!長澤まさみに続く東宝シンデレラ7代目は史上最年少!姉12歳も審査員特別賞を受賞!! - goo 映画


久しぶりに聞いたと思ったら5年ぶりの復活だったという東宝シンデレラ。
なんと10歳の女の子がグランプリとは、そんな子役を探し出すコンテストだったか!?
水野真紀が「わたしのころに比べて、ずいぶんみんな若くて」と低年齢化に驚いていたというが、こっちもビックリした!
初代の沢口靖子は同い年で同郷で、しかも中学3年時に行ってた塾まで一緒だったというネタも今は昔…


吾唯足知

2011年01月08日 | ニュースから
成長するばかりが人生ではないと気づいた日本(9フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース


我が意を得たり!などと大仰に言うわけではないが、漠然と意識の中にある思いを代弁してもらったような記事だ。
日本が衰退していると嘆く人間には前提となる思い込みが二つあるという。
 ①うまく行っている経済というのは、外国企業が金儲けし易い環境のこと
 ②国家経済の目的とは、ほかの国との競争に勝つこと

経済の成長云々の前に、その国の国民が幸せに暮らすということと、ここに挙げられている「思い込み」とはリンクしない。
どちらも、アングロ・サクソン的な「Winner Takes All」の、自分以外は全て抹殺せよという浅はかで人間的に未熟な発想に基づく「噴飯思想」だ。
この二つの条件を満たしていないからといって、“負け組”として嘆くべきことなのだろうか。
決してそうは思わない。

①の条件は、言い換えれば株主を最優先に考えろということとも同意だろう。
株主の利益のためだけに、それも短期的に投機として儲けたいだけの株主の言うことを聞くために企業が存在しているのではない。
日本が世界に誇るべき偉人・松下幸之助が企業を起こしたときの思想こそ、本来企業という組織体がよすがとすべきものである。
②の条件は、世界に開けた国として発展するためには必要な考え方ではある。
しかし、自国民があまねく安穏に暮らしていくことを最優先すれば、必ずしも必要条件ではありえない。

銭貨を模して「吾唯足知」を書いた看板を掲げる商店を見かけることがある。
先人は良い言葉を多々残している。
日本には美しい思想が多々あったことを、今一度思い起こしてみるべきではないだろうか。


最速5億円

2011年01月07日 | 野球
ダルビッシュ、日本選手最高5億円…到達も最速(読売新聞) - goo ニュース


日本ハムのみならず、日本のエース・ダルビッシュが、史上最速で年俸5億円に達したとのこと。
これまでの実績とあの実力ならば、最近のご時世から言ってももらいすぎということはない。
逆に十分に見合う金額でもあるだろう。

それにしてもプロ野球選手の年俸というのはスゴイとしか言いようがない。
いくら働ける期間が短いとはいえ、1年で我々の生涯賃金以上に稼いでしまうのだから、あまり人のことをうらやましく思うことのない自分でも、さすがにうらやましいと思ってしまう。
0.1%でいいので、くれへんかな(やらしいな)


デフォルトに

2011年01月06日 | ニュースから
子供はあまり見てはいけない3D…ニンテンドー(読売新聞) - goo ニュース


専用メガネ無しで3D映像が見れる画面というのは、確かに発育途中の子供の目に何か影響を及ぼしそうな感じがする。
その点からすると、ニンテンドーDSどころかテレビについても警鐘を鳴らした方がいいのではないか?

というより、ニンテンドーDSもテレビも、3D映像を見るには何らかのアクセス手順が必要なように、デフォルトで機能を組み込んでおくべきではないだろうか?


「トロン:レガシー」

2011年01月05日 | 映画
デジタル業界のカリスマとして名をはせるエンコム社CEOケヴィン・フリン(ジェフ・ブリッジス)の謎の失踪から20年。
27歳に成長した息子のサム(ギャレット・ヘドランド)に、ある日、父・ケヴィンからのメッセージが届く。
消息を追って、ケヴィンのオフィスがある古いゲームセンターに足を踏み入れたサムは、秘密の研究室を発見した。
何も知らずに机を触った彼は、突然閃光に包みこまれる。

視界が開け、サムが一歩足を踏み出すと、そこはコンピューター・システムの中に構築された世界だった。
子供時代、父が夢見てサムに語っていた理想の世界の光景が、現実となって目の前に広がっていた。
なんと父・ケヴィンは、コンピューターの中に新しい世界を創造していたのである!

未知の世界に迷い込んだサムが驚いていると謎の飛行物体が飛来し、搭乗していた連中に捕縛される。
訳も分からないままサムは飛行物体に乗せられ、そのまま“競技場”へと連行された。
そこでサムは、失踪した父そっくりの男で、この世界の支配者であるクルーと出会う。
サムをゲームに参加させ、その命を狙うクルーの魔の手から彼を救ったのは、謎に満ちた美しい女性・クオラ(オリヴィア・ワイルド)だった。

父の手掛かりを握るというクオラの正体は何者なのか?
そして、人類の存亡を脅かす、この美しく危険な世界に隠された秘密とは何か?
クルーが住む街から遠く離れた場所にある隠し砦のような建物へと導かれたサムは、驚愕の真実を目の当たりにしていく…


史上初めて本格的にCGが用いられた作品として、当時大いに話題となった「トロン」が公開されたのは1982年。
その当時とは比べものにならないほどの技術で描かれた本作は、緻密で精巧な映像美で観客を魅了する。
撮影には、「アバター」にも使用された、2台の高画質デジタルシネマ用カメラを組み合わせた「フュージョン・カメラ・システム」が用いられた。
しかし今回使用されたカメラの本体は、「アバター」に用いられたものより更に進化した新世代製品がベースとなっている。
最先端のテクノロジーを駆使して描かれる迫力満点の3D映像は圧巻!
未知なる「コンピューターの世界」が臨場感たっぷりに再現され、観客は正に夢の世界を体感する。
「映像革命の証人となる」という謳い文句は伊達ではない。

また本作は、驚異的で未来的な映像で観る者の度肝を抜くだけでなく、ケヴィンとサムという「父と子の物語」がしっかりと描かれていて、ただの“映像自慢”ではない見応えのある作品に仕上がっている。
コンピューターの中に理想郷を創造し、完璧な世界の構築を自らの分身であるクルーに託したケヴィンだが、クルーが支配する現状は彼が望んだものとはかけ離れた世界となってしまった。
クルーと対峙し、理想が描けなかった原因を明かすとき、それは息子に贈る父からのメッセージとなる。


岸和田にオープンしたIMAXシアターで鑑賞したが、最新のド迫力3D映像を存分に堪能した♪
3DとIMAXシアターにうってつけの映画であり、ジェットコースター感覚で楽しめるアトラクション・ムービー。


トロン:レガシー
2010年/アメリカ  監督:ジョセフ・コジンスキー
出演:ギャレット・ヘドランド、ジェフ・ブリッジス、オリヴィア・ワイルド

「キック・アス」

2011年01月04日 | 映画
ニューヨークに住むデイヴ・リゼウスキ(アーロン・ジョンソン)は、アメコミ好きでスーパーヒーローに憧れるさえない高校生。
「映画やコミックの世界ではこれだけヒーローがいるのに、何で誰もやらないのだろう?」
だったら自分がヒーローになってやる!と、憧れが高じてネット通販で購入した緑と黄色のコスチュームを着て、勝手にヒーロー「キック・アス」となる。

更に高揚したデイヴがヒーロー気取りでパトロールに出かけると、自分も脅されることのある不良コンビが車上荒らしをしている現場に遭遇する。
二人をこらしめるべく立ち向かうが、特殊能力も何も無い「キック・アス」はあっけなくナイフで腹を刺されたうえ、車に引かれて入院するハメに。
しかしケガの治療のために背中に金属板を埋め込まれて神経が鈍くなり、痛みに対して鈍感になって退院したデイヴは、懲りずに「キック・アス」として再びパトロールに出かけた。
そこで若い男が複数の男から追われる場面に出会うと、男を守るために“カッコ悪く”奮闘する。
その様子が現場に居合わせた人々によってYouTubeにアップされると、ヒーロー「キック・アス」としてたちまち人気者になり、なんとかわいい彼女までGetする幸運に恵まれる。

一方、マフィアのボスのダミコ(マーク・ストロング)は、最近組織に起きたトラブルを「キック・アス」の仕業と勘違いし、組織を挙げて彼を追い始めた。
しかし実はヒーローは「キック・アス」だけではなかった。
デイヴとは違って、本格的な訓練を受けた父娘の自警団「ビッグ・ダディ&ヒット・ガール」が、ダミコが率いるマフィア組織を壊滅するため、日々トレーニングと武器の調達にいそしみながら、チャンスをうかがっていたのである。

また、フランクの息子でデイヴの同級生でもあるクリス(クリストファー・ミンツ=ブラッセ)も、「レッド・ミスト」としてヒーローの名乗りを上げ、「キック・アス」に近づく。
そして彼らは、ビッグ・ダディ&ヒット・ガールによる壮絶なバトルへと巻き込まれていく…


ヒーローに憧れる気持ちは男の子なら誰もが持つものだが、自分が本当にヒーローになろうとは思わない。
それは自分には特殊能力など無いし、そもそも“夢物語”として現実の世界とは一線を画して考えるのが常識と言えよう。
しかしデイヴは違う。
ヒーローになるべくネット通販でコスチュームと安っぽい武器を購入し、敢然と街中へと繰り出す。
そして悪いやつらに立ち向かうのだが、特殊能力はもとより運動神経も平均的な高校生ほども持ち合わせず、ボコボコにされてしまう。
それでもヒーロー然として立ち上がる彼は、徐々にそれらしくなっていく。

「そんなアホな!」と言うなかれ。
頭から「できない」と諦めてしまっては何も始まらない。
行動を起こし、それを継続していくことで、コトは成し遂げられていく。
人間の脳ミソとはケッコウ“アホ”な作りになっている。
「できない」と思えば、たとえできることであっても「できない」ようにしむける行動をとり、「できる」と思って行動を起こせば、「できる」ようにしむけるもの。
「信じる者は救われる」とは、「できない」と考えようとする脳の活動を制御し、神の力によって望みが叶うのだと脳をだまして、望みを叶えるための行動をとるようにしむけるための言葉である。

デイヴは、神に祈ることなく、念じれば思いは叶うということを実践してみせる。
不思議なもので、自分の望みを叶えるべく行動を起こしていると、それをサポートするような“流れ”とでもいうべき事象が起こったりするもの。
ビッグ・ダディ&ヒット・ガールの父娘ペアとの出会いも実践の延長線上にあるのだ。


ごくフツウの冴えない人間がヒーローへと変身するというシチュエーションで思い出す映画には、三池崇史監督の「ゼブラーマン」がある。
「ゼブラーマン」では、冴えない主人公が次第に特殊能力を身に付けていき、最後には宇宙人に立ち向かうというファンタジーの要素が多分にあったが、本作は非常にリアルな物語展開になっている。
ビッグ・ダディとヒット・ガールの強さの秘密もキチンと理由付けられていて現実味があり、主人公のデイヴも最後まで特殊能力は身に付かない。
(強いてあげれば「痛みに鈍感」という能力くらいか!?)
しかしデイヴが、戦いを通じて正義を守り悪を倒すという信念が研ぎ澄まされ、力強さを身に付けて成長していく姿は、実に爽快・愉快!

奇想天外な設定と微妙に現実的な要素が融合した、真に等身大ヒーローによる胸がすく活躍が楽しい痛快娯楽活劇♪


キック・アス
2010年/アメリカ=イギリス  監督:マシュー・ヴォーン
出演:アーロン・ジョンソン、クロエ・グレース・モレッツ、ニコラス・ケイジ、クリストファー・ミンツ=ブラッセ、マーク・ストロング

「きみがくれた未来」

2011年01月03日 | 映画
ヨットレースでめざましい成績をあげ、名門大学へ進学するチャンスを手に入れたチャーリー・セントクラウド(ザック・エフロン)。
そんな彼をヒーローとして慕う弟のサム(チャーリー・ターハン)。
日没のキャッチボールを日課にする2人は、誰よりも固い絆で結ばれた仲の良い兄弟だった。

ある日、卒業を目前に控えたチャーリーは卒業パーティーに誘われるが、母親が夜勤のために弟と一緒に留守番をするように言われてしまう。
パーティーに出たいチャーリーがサムに話をすると、サムは友達の家で遊ぶという。
そこで車でサムを送ることにしたのだが、あろうことか交通事故に巻き込まれてしまう。

チャーリーが気づくとそこは救急車の中。
もう一方の寝台に、ぐったりと横たわるサムの姿が見えた。
半狂乱になって叫ぶチャーリーだったが、サムは帰らぬ人となってしまった。

サムの葬儀の日。
弟の死を受け入れられないチャーリーは、いよいよサムの棺が地中へと埋められようとした時、その真実に耐え切れず墓地裏の森へと駆け込んでしまう。
しかしそこに彼が見たのは、驚いたことに微笑んでたたずむサムの姿だった。
「遅刻だよ。さあ始めよう。」
微笑むサムとキャッチボールを始めたチャーリー。
以前のように、毎日日没の時間、森の中のこの場所でキャッチボールをしようと約束する。

それ以来、進学もヨットもあきらめて墓地の管理人となって、サムとの約束を守ることだけを胸に生きるチャーリー。
5年の月日が流れたある日、高校の同級生でヨットレースのライバルでもあったテス(アマンダ・クルー)が、ヨットでの単独世界一周に挑戦するためのテスト帆走のために帰郷してきた。
久しぶりの再会を果たした二人は互いに惹かれ合い、チャーリーの心にも変化が起きる。
日課のキャッチボールでの会話にもテスのことが出始め、サムは寂しさを募らせていくが…


生死を分けた仲の良い兄弟が、互いの“世界”を遮る境を超えてキャッチボールに興じ、かつての楽しかった時間を継続させていく。
チャーリーは「弟を殺した」という自責の念を負い続け、サムは「生」に執着し続けて「死」の現実から逃げ続ける。
本来住む“世界”の違う二人は、お互いを縛りつけ、生者の未来を閉ざしてしまう。
それでも、二人だけで過ごす至福の時間が全てであり、チャーリーにはそれさえあれば十分なのだ。

死んだ時のまま姿が替わることの無い、時間が止まってしまっているサムとの交流だけに生き、サム同様に時間が止まってしまっていたチャーリーだが、“生身の人間”であるテスとの出会いによって、再びチャーリーの中で“時間”が動き始める。
かつて自分も打ち込んでいたヨットに、今も変わらず情熱を注いでいるテスに触発されるチャーリー。
ヨットが触媒となり、テスに対して恋愛感情という「化学反応」が生じた彼は、それが起爆剤となって再び生身の人間として呼吸し始めるのである。
そしてテスによって「未来」を取り戻したチャーリーではあるが、それはまたサムの行動によってももたらされたものでもあった…
「きみがくれた未来」を、チャーリーはこれから精一杯生きていくことだろう。


世界各国で高い評価を得て、15カ国語に翻訳されているベン・シャーウッド原作の小説「The Death and Life of Charlie St. Cloud」の映画化。
「ハイスクール・ミュージカル」や「ヘアスプレー」などの出演で、歌って踊れる陽気で元気なキャラクターのイメージが強いザック・エフロンだが、心に大きな傷を持つ若者の姿を繊細に演じ、少年から“オトナの階段”を上り始めたH2O映画(何やそれ!?)
アイドルから脱却し、いわゆる“性格俳優”として飛躍する転機となるであろう、心に響く佳作。


きみがくれた未来
2010年/アメリカ  監督:バー・スティアーズ
出演:ザック・エフロン、アマンダ・クルー、キム・ベイシンガー、レイ・リオッタ、チャーリー・ターハン

一定の負

2011年01月02日 | よもやま
所在不明の小中生326人 ずさんな調査「ゼロ回答」も(産経新聞) - goo ニュース


調査とは言えないほど杜撰な話ではあるが、確かに一定数の所在不明の小中学生は昔からいるだろう。
行旅死亡人が増え続けているという話もあり、この所在不明学童も実は増え続けている可能性は大きい。

ただ、一定数の“負”は必ず発生するもので、やみくもに完璧を求めることは得策ではない。
ただし公務員の多くの方々には、もう少し作業効率を上げるなり、仕事への取り組みにもう少しご尽力いただくべきところ。
それだけでもかなり調査結果の正確性は増すのではなかろうか。

あくまでも私見ですので念のため。