禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

「総務省の行政文書がねつ造である」と当時の所管大臣が平然と言ってのける奇妙さ

2023-03-10 06:13:30 | 政治・社会
 放送法が定める「政治的公平」の解釈 をめぐって国会が紛糾している。高市早苗総務相(当時)は2015年、放送番組が放送法の求めるとおり政治的に公平な内容かどうか、ひとつの番組だけを見て判断する場合があると答弁した。そのいきさつについて記してある総務省の行政文書が暴露されたのだ。その文書には当時の安倍総理の補佐官である磯崎氏が総理や高市氏に根回ししたことが記されていた。その内容は前述の高市氏の答弁と一致しており、そう言ったやりとりがあった蓋然性は非常に高いという印象を受けた。高市氏は答弁は自分自身の考えであり、その文書に書かれていることは真実ではないと主張する。

 彼女の主張によれば、その文書はねつ造でありその挙証責任はその文書をとりあげた野党側にある、と言っているように聞こえる。なにやら森友問題の文書偽造を想い起させられる。公式文書を官僚が恣意的にねつ造するなどということがあったのなら、政治家は「挙証責任はそちらにある」などと他人事で済ましていいものなのか? 当時の所管大臣であった高市氏は厳しくねつ造した担当者の責任を追及しなければならないはずである。なのに、それはやろうとしない、なぜ? 現在の松本総務大臣は「『総務省にねつ造する者はいないと信じたい』と局長が申し上げたとおりだ」 と言ってすましている。あえて「馬鹿なのか?」と口汚く罵りたくなってくる。

 しかし、それにもまして、問題はそこか? とも言いたくなってくる。

 そもそも、放送番組が政治的公平であるかどうかを政府が判断する、ということこそが先ず問題にされなければならないのではないか、当時の高市総務大臣は放送局の停波ということにまで言及している。TBS内部では「出演者の選び方を変えるよう社内で指示が出た」「揚げ足を取られないようにしようという雰囲気になった」というような話も出たらしい。すでに報道機関の上層部が政府の顔色を気にしていることが問題である。報道番組において政治家が問題にできるのは真実かどうかだけである、ということを明確にしておくべきだろう。その他は一切介入してはならない。報道が政治から自由であることはとても重要である。現在のロシアを見ればそのことはよく分かるはずだ。
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ダイバーシティとは掛け声ばかりか?

2023-02-05 06:51:49 | 政治・社会
 性的少数者について「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ。」と発言した首相秘書官が更迭されるらしい。岸田首相は「内閣の考え方にそぐわない、言語道断の発言だ」と述べたらしい。またかという感じである。政権中枢部の人がなぜこうもたやすく失言してしまうのだろう。正直と言えば正直な人なのだろうが、いわれない差別を公職にあるものが公然と口に出して良いわけはない。なぜそれが差別になるのか? その理由は簡単、性的嗜好(志向)はその人の責任ではないからである。首相秘書官になるほどの人だから頭が良いはずなのにこんな単純なことも分からないのか。
 
 首相は「言語道断の発言」と断じたが、その発言が出たいきさつを聞くとどうも釈然としないものを感じる。岸田首相は2月1日の衆議院予算委で、同性婚の法制化について聞かれ「家族観や価値観、そして社会が変わってしまう課題」 と答弁した。荒井秘書官の「暴言」は、その首相答弁についてオフレコの前提で、記者団の質問に答えている中で飛び出したのである。荒井氏は「秘書官室は(同性婚に)全員反対で、私の身の回りも反対だ」と語ったとされている。この言葉を真に受けるなら彼の言っていることは「言語道断の発言」などではなく、内閣全体の雰囲気を代弁していることになる。

 岸田首相は「同性婚は社会を変えてしまう」と言うが、どのように社会が変わるのか、そして変わることがどうして良くないのかということについて説明しなくてはならないだろう。そもそも自民党はダーウィンの進化論を援用(曲解)して「変化することが大事」であると訴えていたのではなかったか?(参照==>「教えて!もやウィン第一話 進化論」

 自分の主観で政策を決定してはならない。十分考えてきちんと説明すること、それは政治家にとって最も重要な仕事である。
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どんなくだらない平和であっても戦争よりまし

2022-12-18 18:52:24 | 政治・社会
 一昨日(12/16)国家安全保障戦略などの安保3文書の改訂が閣議決定された。中国や北朝鮮を名指しでその脅威を謳っている。そして、解釈次第で「反撃能力」という名の先制攻撃を敵基地に与えることもできるようになったらしい。明らかな憲法違反である。言うまでもなく憲法は政権への歯止めとしてあるのである。その歯止めを無視して政策を推し進めようとするそんな政府を大半の日本国民は許容しているように見える。悲しいことだが、現在の日本の立憲主義とか民主主義というのは単なる空念仏以上のものではないらしい。

 野球の日本代表はサムライ・ジャパンと呼ばれている、サッカーの方はサムライ・ブルーである。そういう所から見てもやはり日本人は武士道精神というものに誇りを持っているのだろう。私自身は武士も武士道もあんまり好きではないが、それなりの敬意を持たれる理由は理解できる。武士は武士道という理念の為には利害得失を考えずに殉じるからである。しかし現実の日本は口先だけの建前をとなえる成り行き任せの国でしかない。軍隊を持つのならば先ず憲法9条を改訂すべきだっただろう。それが憲法はそのままで解釈改憲を積み重ね、とうとう専守防衛の建前までかなぐり捨てているのに、口先ではいまでも専守防衛だと臆面もなく言う。

 以前からこのブログを読んで下さる方はご存じだと思うが、私は護憲論者である。それで若い人たちに「お花畑か」と言われたりもする。はじめはなんのことか分からなかったが、「お花畑で夢想している」という意味らしい。しかし、私は自分では十分リアリストであると思っている。リアリストであればこそ、自分自身の手で人を殺す覚悟が出来ない以上戦争を肯定するわけにはいかないのだ。自由と正義のために命を懸けて戦うというのは崇高な精神だが、どちらも我が方が正義であると思っている。いざ戦闘になれば、どちらも闘争本能のかたまりになって、正義もへったくれもない血なまぐささに覆われる。

 ウクライナの戦争について言えば、戦争はプーチンの邪悪な野心から始まったことには違いないが、プーチン体制が崩壊しない限りロシア側が軍隊を引き揚げることは考えられない。徹底的にウクライナ側が抗戦すれば、ウクライナ国民の苦しみと被害は大きくなるばかりである。言うなれば、この戦争ではいたいけない子供達が人質に取られている。その人質が寒さと恐怖に震えている中で、自由のために徹底的に戦うことが本当に正義なのかと問われているのである。とにかく停戦の為の妥協点を見出すことに全力を注がなくてはならないと思う。

  「どんなくだらない平和であっても戦争よりまし」 

 それが77年前に日本人が骨の髄から学んだ教訓である。平和憲法はアメリカから押し付けられたと考える人が多いようだがそうではない、多くの日本人がそれを受け入れたからこそ日本の国是として今日まで維持されてきたのだ。マッカーサーは「日本を東洋のスイスにする」と確かに言ったが、もともとアメリカ側にそのような強い意向があったわけではない。1950年に朝鮮戦争が勃発してからはむしろ日本の武装化に躍起になっている。それも日本の防衛というよりもアメリカの世界戦略に資するためである。その目的のためにA級戦犯を開放し、統一教会や勝共連合を通じてプロパガンダを行ってきた結果が今回の防衛費の大幅増額として結実したわけである。陰謀論じみていると取られるかもしれないが、日米安保の地位協定、返還されない横田空域、在日米軍における米兵給与以外のほぼ全面的な経費負担など、我々の知らぬ日米関係の秘密がなければ説明できないことが多すぎる。今では岸信介元総理がCIAのエージェントであったことが明らかになっており、1950年代から60年代にかけてCIAから自民党に対して数百万ドルが援助されていたことが、1994年にニューヨークタイムズによってすっぱ抜かれている。 

 なにを言いたいかと言うと、私たちの知らないところで陰謀がうごめいているということである。私たちが自発的に感じていると思っている「外国の脅威」もプロパガンダによって醸成されたものである可能性がある。日本が防衛力を増強すればそれだけアメリカが儲かることは確かであるが、日本が安全になるというのは幻想だと思う。こちらが増強すれば相手も必ず増強する。結局は際限のない軍拡競争になり、より緊張が増すばかりでリスクはさらに大きくなるだろう。

 なんにしても、国是を変更するのならばそれなりの大論議が必要なはず、姑息な解釈改憲を積み上げて憲法をこれ以上ないがしろにするのはやめて欲しい。
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こんなことでええのか?

2022-12-15 11:38:11 | 政治・社会
 NHKの調査によれば防衛費増額に対する賛成は55%、それに対し反対は29%だという。その他の調査でも国民の大半は増額に賛成であるとの結果がでている。しかし、ちょっと理解しがたいのが、その財源としての増税には90%以上の国民が反対だという。(参照~>「夕刊フジ」)  外国の脅威を現実的なものと受け止めているのなら、増税反対どころではないのではなかろうかと思う。防衛力は必要であるが、それに必要な経費の負担を自分はしたくない。まるで他人事である。

 おそらく人々は「自分は外国の脅威を感じている」と言葉の上だけで思っているだけで、そこにはリアリティなどないのだと私は考える。もし、他国のミサイル攻撃にリアリティを感じているなら、それが原子力発電所に命中したらどうなるかを想像しなければならない。そういうことを抜きにして防衛力増強などといくら主張してもその真剣さは疑わしいと私は考える。Jアラートなどとまるで戦時中の空襲警報のような大仰な警報鳴らしても、それはおそらく「日本はいまただならぬ状況下にある」という雰囲気づくりでしかない。要するに戦争ごっこをしているだけで、そこに本当の真剣さを感じられない。
 
 そもそも「なぜ防衛費がGDPの2%なのか」という根本的な議論が欠けている。現状でも日本の軍備は英仏並みなのである。これで何が足りないのか、それより根本的にはGDPの2%の防衛費で日本は本当に安全と言えるのかということがある。2%を達成したら次は「3%ならより安全になる」と言い出しかねないような気がする。1960年代の終わり頃だと思うが、防衛庁は「日本ハリネズミ論」という防衛理論を標榜していたと記憶している。ハリネズミは小さくて弱い動物だが、それを攻撃しようとすれば攻撃する側も多少痛い思いをする。だから強い動物もあえて針ねずみを襲おうとはしない。日本もハリネズミにならって必要最小限の小さな針としての防衛力を備えようという理論である。防衛費がGNPの1%に到達していない時代の話だ。
 
 それがいつの間にか、「敵に攻撃される前に敵基地をミサイルで攻撃する」というような話になっている。正気か!と言いたい。こちらが先に敵基地を攻撃しても「専守防衛」だなどと無茶苦茶言っている。まじめな議論をしているようにはどうしても見えないのだ。いつの間にか日本ハリネズミ論どころかすでに専守防衛論からもはるかに逸脱してしまっている。この安倍政権が登場してからというもの、今までの自民党政権が積み重ねてきた政府見解さえ一切無視しているように見受けられる。もはや日本政府には原則とかプリンシプルとかいうものは一切ない、ご都合主義もいいところである。

 なぜGNPの2%なのか、その理由は実ははっきりしている。アメリカの兵器を爆買いしているからである。それも近年は、F35戦闘機、オスプレイ、水陸両用車「AAV7」など衛費増額に対する賛成は55%、それに対し反対は29%だという。その他の調査でも国民の大半は増額に賛成であるとの結果がでている。しかし、ちょっと理解しがたいのが、その財源としての増税には90%以上の国民が反対だという。(参照~>「夕刊フジ」) 外国の脅威を現実的なものと受け止めているのなら、増税反対どころではないのではなかろうかと思う。防衛力は必要であるが、それに必要な経費の負担を自分はしたくない。まるで他人事である。

 防衛費は増額するが増税しないとなると結局国債頼みとなるのは間違いない。国債を打ち出の小づちだと考えているようだが、その咎が問われる日はそう遠くないだろう。防衛力を増強しながら凋落していく日本を眺めなくてはならないのが辛い。

 
大量に発行された「大東亜戦争割引国債」は文字通りの紙切れとなってしまった。
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国民の税金使って、そんなことをやってええのか?

2022-12-10 19:46:09 | 政治・社会
 ツイッターの中を覗いたら、共同通信の「防衛省、世論工作の研究に着手 AI活用、SNSで誘導」というニュースが大きな話題になっていた。



 これのなにが問題かという人もいるかもしれないが、本来は番犬であるに過ぎない防衛省が飼い主である国民の税金を使って、国民を無意識のうちに番犬の思い通りに誘導しようとしているということが問題である。
 
 しかし、よくよく考えてみると、こんな研究は以前から実施されていてすでにその効果が表れていると見るべきではなかろうかと思いついた。昔の話をすれば防衛予算がGNPの1%に達する時点で大問題視された。それが今や、なんの根拠も示されず2%という金額目標がまず設定されていることが不思議だ。近年は本当に効果があるかどうかが疑わしいミサイル迎撃システムや1機で100億円以上(いろんな資料を読んでも正確な費用が分からない、一説には一機当たり200億円以上という話もある)もするF35戦闘機を147機も購入するらしい。戦闘機の購入だけで2兆円以上使うという気前の良さ。ひとえに、中国や北朝鮮の軍事的脅威に立ち向かうためには軍備増強は喫緊の課題であるという雰囲気が既に醸成されてしまっている。

 しかし、北朝鮮のミサイル実験に対して、Jアラート鳴らして電車を止める程に現実的脅威とやらを感じているのならば、なぜ原発を止めようとしないのかが理解できない。本当に避難をしなければならないほど現実的脅威を感じているなら、原発にミサイルが着弾するという脅威を先ず排除すべきであることは当たり前の話ではないのか。彼らの言う「現実的脅威」は言葉だけでちっとも現実的ではないような気がする。結局はアメリカの世界戦略にがっちり組み込まれて、その片棒を担がされているだけのことではないのか。しかも、馬鹿高い兵器を言い値で買わされて、アメリカのお財布代わりの存在に成り下がっていることに気がつかないで、「イージス艦を8席、F35を147機も持っているのはアメリカ以外では日本だけだ」とか誇らしげに言っている。

 「防衛省に有利な世論(防衛予算の増額)」、「特定国への敵対心」、「反戦・厭戦気分の払拭」という目的は既にかなり実現しつつあると私は見ている。しかし、いくら軍備を増強しても中国と戦争するという愚は絶対避けなければならない。いずれ中国の国力がアメリカを上回るのは時間の問題だろうし、アメリカには米中全面対決する覚悟があるとは思えないが、万一そういう事態に至ったときにはその時点で日本はもうボロボロになっている。絶対中国と事を構えるというようなことは避けなければならない。反戦・厭戦気分を払しょくしてはならないと思う。
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