デイヴィドソンという哲学者が、次のようなことを述べている。
「真理は、我々が持つもっとも明瞭で基本的な概念であるから、より単純で基本的な何かに代替してこれを除去しようと夢見るのは非生産的なことである。」(「デイヴィッドソン」森本浩一著 P.25)
一瞬なんのこっちゃろうと思ったが、よくよく考えてみればまさにその通りだと思った。『真理とは何か?』というのは一見哲学的な大命題のように思えるが、それに先行して、真理というものがいかなるものかが分かっていないと、それを問うことができない。空港に人を迎えに行く場合に、あらかじめ誰を迎えに行くか知らないで行く人はいないのと同じである。
「『雪が白い』が真であるのは雪が白い場合その場合に限る。」ということが了解しあえるのもの同士でなければ、議論する意義がないということは理解できる。「真である」ということが説明なしで分かるということが、コミュニケーションの前提となっている。