加藤勝信厚生労働大臣によると、「相談・受診の目安」としてきた「風邪の症状や37.5℃以上の発熱が4日以上続いている」、「強いだるさ(倦怠感)や息苦しさ(呼吸困難)がある」というのは、あくまで目安であって「相談や診療を受ける側の基準ではない」ということらしい。それがPCR検査を受けるための基準であるというのは「誤解」であったというのである。いまさらなにを言っているのだろう。岡江久美子さんが発熱から4日目に病状が急変したことをニュースで把握していなかったのだろうか?
保健所がPCR検査を抑制していたのは今となっては明らかである。それはひとえに医療崩壊を招かないためだろうが、発想が逆転している。たくさん検査すれば陽性者もたくさん出る。指定伝染病に指定されたからには、陽性者は全員隔離しなければならない。たちまち病室は埋まってしまい、即医療崩壊になってしまうからだ。現場としては、重篤な患者に医療資源を集中するということを言い訳に、検査数を少なくするしかなかったわけである。しかし、そのことが市中に多くの感染者を野放しにすることになり、結果として大々的な自粛を長期間続けなければならない事態を招いたのである。
要は、責任を現場に押し付けたことにある。このような事態はあらかじめ予測できたことである。有能な為政者ならば、検査部門と医療部門を切り離し、検査部門にはどんどん検査させるべきだった。重篤な患者に医療資源を集中するのは当然であるが、無症状者や軽症者を収容する施設をあらかじめ確保しておくべきだった。なんならオリンピックの選手村を使えばよい。自衛隊をつかって国立競技場に野営病棟を作っても良いだろう。私権を制限する緊急事態を宣言するからには、出来ることはすべてやったうえでのことでなくてはならない。
テレビカメラに向かって「やってる感」を演じるのが政治家の仕事ではない。現在起きている事態を正確に把握して、有効な施策を打ち出し実行することである。出し遅れた証文を出すように、「目安が基準のように誤解されている」 といまごろになって言い出すのは無責任の極みというものだろう。
もうひとつ、安倍政権には無能無責任だけではない、もう一つの特徴「悪辣さ」もあるということを付け加えたい。この国家的重大事とも言うべきコロナ危機には国民が心を一つにして当たらなければならないのに、どさくさに紛れて検察官定年延長法案を通過させようとしていることである。まさに火事場泥棒という言葉がぴったりである。森友、加計、公文書偽造、桜を見る会とまさに疑惑満載の安倍政権にとって、検察庁を手の内におさめておかなくては枕を高くして眠れないのだろう。戦後最低の宰相のおかげで、日本はずいぶん品位のない国に成り下がってしまったものだ。