三島は学生達に向かって、「君らが一言『天皇』と言ってくれさえすれば、私は君らと一緒に安田講堂に立てこもる。」と述べたことは一般に知られているが、そのロジックは次のようなものらしい。
【 終戦前の昭和初年における天皇親政というものと、現在いわれている直接民主主義というものにはほとんど政治概念上の区別がないのです。これは非常に空疎な政治概念だが、その中には一つの共通要素がある。その共通要素は何かというと、国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結するということを夢見ている。 】
実を言うと、このような考えは三島だけのものではない。私の祖母は明治生まれだが、「天皇陛下には自ら政治の先頭に立ってもらわなあかん。そうせな、政治家や役人の抑えが効かんやないか。」というような趣旨のことをよく口にしていた。政治家や役人は所詮俗人である、放っておいたら自分勝手なことをやりだす。だから、日本の頂点には日本そのものを体現する無垢な精神である天皇がいなくてはならない、というのである。
もちろんそんなことは錯覚である。「国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結する」などと言うのは幻想に過ぎない。三島の言う「国民」には一つひとつの顔がない。あくまで十把一絡げの国民であり大衆でしかないのだ。三島は高い知性を持つ人だとは思うが、残念ながら民主主義を理解していない。民主主義の前提として、個々の人間が自律的であるということは絶対欠かせない要素である。みんなそれぞれ違うのである。だから、とても民主主義は面倒くさいものなのだ。国民全体の意思が天皇を結節点として一つにまとまる、という考え方はある意味とても魅力的だが、最も民主主義からは遠いものであることは間違いない。やはり、三島は民主主義にとっては危険な思想家だと思う。