なにを隠そう私はかつてマンガ少年だった。マンガ雑誌がまだ月刊誌しかなかった頃から愛読していた。さすがに最近はマンガから少し遠ざかっているが、50歳台前半までは少年漫画雑誌を毎週自分で買って読んでいた。そんなわけで、私はマンガについてはちょっとうるさい。
最近、「鬼滅の刃」という作品があまりに世間の評判が大きいので、試しに1~5巻を買って読んでみた。たくさんの人に受ける理由は理解できたが、アクション部分の描き方が洗練されてなくて読みづらいきらいがあるように感じた。あくまで(マンガにうるさい私の)個人的感想だが、作品としての完成度は「ジョジョの不思議な冒険」などと比べるとかなり見劣りするような気がする。
正義と勇気がマンガの王道であるが、この作品では特に愛する人への献身と自己犠牲が強調されている。この物語がこれほど人々に受けているのは、今の日本にはそれが欠けているからかもしれない。どうも印象としては、ぬるい日常に浸りながら、清冽な純粋さにあこがれているというような感じがぬぐえない。マンガの中では、愛や正義のために自分の命などは顧みないが、現在の日本で、そのような主人公に自分を重ねることができるのはとても不思議なことだと思う。
正義と勇気がマンガの王道であるが、この作品では特に愛する人への献身と自己犠牲が強調されている。この物語がこれほど人々に受けているのは、今の日本にはそれが欠けているからかもしれない。どうも印象としては、ぬるい日常に浸りながら、清冽な純粋さにあこがれているというような感じがぬぐえない。マンガの中では、愛や正義のために自分の命などは顧みないが、現在の日本で、そのような主人公に自分を重ねることができるのはとても不思議なことだと思う。
考えてみても欲しい。公文書の改ざんをさせられて自殺した人がいるのに、誰も真実を内部告発する人がでてこない。酔いつぶれた女性にわいせつな行為をして逮捕状まで出ていたのに、首相の友達なら無罪放免。私は長い間フリーランスで様々な会社の下請けをしてきたが、小さな権力でも持てば人はやたらそれを振り回したがる、そういう人を沢山見てきた。それが日本の現実だ。マンガの中にだけ過剰な正義がある。
愛や正義を情緒的に受け止めるだけではだめだと思う。現実の中で、自分がどのような態度決定をするのか、そういう哲学が必要なのだと思う。