禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

お詫びと愚痴

2021-12-07 09:47:52 | お知らせ
 前回記事の最後に続編として「経験あって個人ある」 という記事を書くという予告をしていましたが、既に2年前に全く同じタイトルで同じ趣旨のことを記事にしていることが分かりました。わざわざ当記事を読んで下さった方にはおわび申し上げます。その上で、なお興味がある方は下記の記事を読んでいただければ幸いです。
   
 
 人間は歳を取ると繰り言が多くなると言われます。私も70歳を超えて知的能力が衰えていることを、はっきりと目に見える形で如実に知らされました。記事の題名まで予告したのですから、本来なら過去記事に新たな知見を付け加えて新たな記事として発表すべきところですが、全然新しいアイデアが浮かんでこない。どうやら私の思考はこの二年間というもの堂々巡りを繰り返していただけのようです。 
 
 本来なら読者の方々の貴重な時間を奪うこのブログを止めてしまうべきなのかもしれませんが、ひょっとしたらまだまだ新しい視点が見つかるかもしれないという思いも捨てきれないのです。できれば、もう少しお付き合いを願います。

≪鎌倉・獅子舞谷の紅葉  獅子舞谷は不思議な場所です。訪れるたびに印象が違う。小さな谷で光の当たり具合で、時には幻想的、時にはただ薄暗いだけの湿っぽい場所に見えたりもします。
コメント
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