アレクシェーヴッチの「戦争は女の顔をしていない」は、第二次世界大戦に参戦したソビエトの500人もの従軍女性へのインタビューの記録である。その中にとても印象深い供述がある。
「戦争に行って一番おそろしかったこと、それは男のパンツを穿かされたことさ。」
第2次世界大戦におけるソビエト連邦の戦死者は2600万人にもおよぶと言われている。その女性兵士もおそらくその惨状の一部に触れていたと思うのだが、一番恐ろしかったのは、銃弾が空気を切り裂く音や爆弾の炸裂する音でもない、また血だらけの死体が散乱する光景でもなく、自分が男のパンツを穿かされたことだという。このことをどういう風に受け止めればよいのだろう。
人間にとっては命にかかわることがなにより一番重要であり、その他のことは二の次であるというのが一般通念である。生きるか死ぬかの状況の中では、パンツが男物であるか女物であるかなど気にしてはいられないはずだ、と私などは考えてしまう。もしかしたらこれはアネクドート(ロシア小話)の一種だろうと私は思った。
しかし、この話を単なるアネクドートとしてしまうのは不謹慎であるような気もする。私は女性でもなければ戦場に出た経験もない。この女性の心情を正確に推し量ることは出来ない。が、何よりもこのことを一番恐ろしいことと彼女は位置付けた、その意義は必ずあるはずだと思う。やはり、それは戦争の非人間性ということに尽きるのではないかと思う。華やかな青春時代を送るはずだった若い女性が戦場に赴く、そこでまず彼女が突き付けられた現実が「男のパンツを穿かされる」ということであった。それまでは友人たちとキャピキャピ男の子の噂話をしていたような彼女に対して、いきなり有無を言わさずその女性性をはぎ取るように男物パンツが支給される。戦争はこともなげに個人の感情を無視して踏み込んでくる。あらためてその時、彼女は冷酷で巨大な戦争の正体を見たのではなかったか。無力な一個人が無慈悲な戦争に引き込まれていく、やはりこれは恐ろしい話であるような気がする。