最近、2歳の女の子が米国における心臓移植に成功したというニュースが流れた。いたいけな少女がやっと人工心臓から解き放たれたと知って、何となく心が軽くなったような気がする。しかし、米国での心臓手術はとてつもなく費用が掛かる。この手術のために、なんと5億3千万円の寄付金が寄せられたという。小さな命の苦しみをわがことのように受け止めた多くの人々の善意である。人ひとりの命がそれほど重いものと、人々が受け止めているからこそだと思う。
一つの命がそれほどいつくしまれている一方で、ガザではいかにも無造作に人々の命が奪われ続けている。イスラエルの自衛戦争の名のもとに、なんら抵抗手段をもたない多くの人々が一方的に殺戮されている。すでに2万人以上の人々の命が失われたという。イスラエル側はテロ組織ハマスの排除の為と言うが、被害者のほとんどはただの一般市民だ。おそらくイスラエル側には「一人のハマスを排除するためには、千人のパレスチナ人を巻き添えにすることも躊躇しない。」というような了解事項があるような気がする。イスラエルにとってパレスチナ人の人口が減ることは望ましいことでもあるからだ。だからイスラエル軍はそこにはマスの気配があるというだけで、病院だろうが学校だろうがミサイルを撃ち込むことをためらわない。すでにそのハマスがほとんど反撃能力をなくしているにもかかわらずである。
これは既に自衛戦争などではなく、行われていることはただの一方的な殺人、ただの犯罪である。
このことについてアメリカ合衆国は重大な責任を負っている。イスラエル建国以来アメリカはイスラエルに対し累計1,580億ドルもの援助を行ってきたし、近年も中東におけるイスラエルの突出した軍事力を維持するために年間38億ドルもの軍事援助を与え続けている。だから本来ならばアメリカの支持なしにイスラエルはいかなる軍事行動も起こせないはずで、アメリカはイスラエルの行き過ぎた作戦行動を制止する義務があるはずなのだ。しかし、アメリカはイスラエルに対して決して強い態度で臨むことはない。常にイスラエルの「自衛戦争」を支持する立場は崩さない。常にアメリカに属国扱いされている日本から見ると信じられないことだが、小国イスラエルに超大国家アメリカが鼻面を引き回されているように見える。
アメリカで反イスラエルの立場を表明しながら政治家を続けることはなかなか困難なことであると言われている。潤沢なユダヤマネーが対立候補の選挙資金につぎ込まれるからである。アメリカの三大ネットワークをはじめとする有力なマスコミは大抵ユダヤの影響下にあると言われている。中東における紛争についての報道はイスラエル=アメリカは正義でアラブ諸国は悪という図式にで報道されやすいが、決してそれほど単純なものではない。映画産業もほとんどがユダヤ資本なので、シオニズム運動も「パレスチナはユダヤ人にとって約束の地」というようなでたらめが肯定的に取り上げらるし、ユダヤ人が味わってきた受難の歴史は映画化されても、パレスチナ難民がイスラエルから受けてきた理不尽な悲哀の歴史はそのまま黙殺である。いつの間にか、「イスラム教徒=凶悪なテロリスト集団もしくはその支持母体」というような粗雑な図式がアメリカ人の頭に叩き込まれてしまった感がある。大体、「民なき土地に土地なき民を」というようなシオニズム運動のスローガンからしてふざけたものとしか思えない。「民なき土地」って一体どこのことか? シオニストからすればパレスチナ人は民でも人でもないらしい。その命も軽いはずだ。
日本では、一人の少女を救うために大勢の人々が5億3千万もの浄財を寄付してくれた。一つの命の尊さ重さを感じていればこそである。命の尊さを知る日本人の政府ならば、イスラエルに即刻停戦を強く呼びかけると同時にアメリカにも強く働きかけるべきではないのだろうか。何でもアメリカの施策に唯々諾々と追随しておればよいというものではない。正義人道に悖る行為を我々の国が公然と見逃すようなことをしてはならないと思うのである。日本の政治家はこういう時に国際舞台で堂々と正論を吐ける人であってほしい。パーティ券問題で汲々としているような御仁には退場していただきたいのである。
腎臓病だがどうしてもカレーが食べたくなった。野菜を思い切り増量して、一個のルーで二皿分の減塩カレーを作った。まあ、それなりに美味かった。満足。