TTT公開以来、この映画に対する評価が二転三転・・・どころかホント見るたびにコロコロ変わってます。
私にとっては、良くも悪くも、映画のおかげで原作への理解が深まった部分があります。ファン歴も浅くて、原作への読み込みがまだまだ甘かったからこそなのでしょうが。
ファラミアを筆頭に(笑)映画での変更で好感度が増した人たちについては、映画の変更のおかげで原作の人物像についても深く考えることになり、前よりも原作の方も好きになったりしました。
そして、映画での変更が「えーっ」というような人たちについても(汗)原作の良さを改めて実感するきっかけになったりもしました。
そして、今回一番理解が進んだ(今までよりも、という意味ですが(汗))のはフロドについてだったかもしれません。もし原作どおりだったら、かえってフロドについては何も考えず、理解度も相変わらずだった可能性が大・・・(汗)
でも、ふと思うのですが、原作を知らずにPJ映画を観た人で、その後原作を読んで、原作の良さを知った人もたくさんいるとは思うのですが、読まずに済んでしまう人も多いだろうなあ、と・・・。そういう人たちにとって、あの映画こそが「指輪物語」なのだと思われてしまうのなら、ちょっと悲しいなあ、なんてことも思ったりもします。
思えば、「指輪物語」って、その後のファンタジーというジャンルに多大な影響を与えながらも、その本質的な部分は意外にコピーされずに、表面的な部分ばかりが後世?に伝えられた感があるなあ、とずっと思っていたのです。(だからこそ、初めて「指輪」を読んであれだけ感動することができたとも言えるのですが)PJ映画のヒットによって似たようなことが繰り返されているのかなあ、なんて思ったりもしています。
実は、FotRのSEEの監督・脚本チームのオーディオコメンタリーを聞いた時点で、「この人たち結構ヤバイ・・・」ということは感じていました(汗)TTTでついにそれが表に表れたかなあ、と・・・(汗)という訳で、実はRotKも期待はしてないのですよ、そういう意味では(汗)
まあ、TTTまででも、原作どおりだったり、原作を良い意味で膨らませていたりする部分もたくさんありますし、美術や映像も素晴らしいし、(もちろん音楽も!)良いところもたくさんあるので、映画化してくれて良かったとは思いますが。映画としては良い映画だと思いますし。(だから15回も通ってるんです(笑))
私にとっては、良くも悪くも、映画のおかげで原作への理解が深まった部分があります。ファン歴も浅くて、原作への読み込みがまだまだ甘かったからこそなのでしょうが。
ファラミアを筆頭に(笑)映画での変更で好感度が増した人たちについては、映画の変更のおかげで原作の人物像についても深く考えることになり、前よりも原作の方も好きになったりしました。
そして、映画での変更が「えーっ」というような人たちについても(汗)原作の良さを改めて実感するきっかけになったりもしました。
そして、今回一番理解が進んだ(今までよりも、という意味ですが(汗))のはフロドについてだったかもしれません。もし原作どおりだったら、かえってフロドについては何も考えず、理解度も相変わらずだった可能性が大・・・(汗)
でも、ふと思うのですが、原作を知らずにPJ映画を観た人で、その後原作を読んで、原作の良さを知った人もたくさんいるとは思うのですが、読まずに済んでしまう人も多いだろうなあ、と・・・。そういう人たちにとって、あの映画こそが「指輪物語」なのだと思われてしまうのなら、ちょっと悲しいなあ、なんてことも思ったりもします。
思えば、「指輪物語」って、その後のファンタジーというジャンルに多大な影響を与えながらも、その本質的な部分は意外にコピーされずに、表面的な部分ばかりが後世?に伝えられた感があるなあ、とずっと思っていたのです。(だからこそ、初めて「指輪」を読んであれだけ感動することができたとも言えるのですが)PJ映画のヒットによって似たようなことが繰り返されているのかなあ、なんて思ったりもしています。
実は、FotRのSEEの監督・脚本チームのオーディオコメンタリーを聞いた時点で、「この人たち結構ヤバイ・・・」ということは感じていました(汗)TTTでついにそれが表に表れたかなあ、と・・・(汗)という訳で、実はRotKも期待はしてないのですよ、そういう意味では(汗)
まあ、TTTまででも、原作どおりだったり、原作を良い意味で膨らませていたりする部分もたくさんありますし、美術や映像も素晴らしいし、(もちろん音楽も!)良いところもたくさんあるので、映画化してくれて良かったとは思いますが。映画としては良い映画だと思いますし。(だから15回も通ってるんです(笑))