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ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

BBCラジオドラマ聞き返しその18

2006年08月25日 | 指輪物語&トールキン
ラジオドラマ、キリス・ウンゴルの階段の場面を聴きました。
スクリプトなしで聴いた時から、原作とは違うな・・・と思っていたのですが、やはり・・・でした。
眠っているフロドとサムのところにゴラムが来ますが、ここでいきなり「あのしと」に二人を食べさせる計画について独り言を言い出します。
その後に、「Poor little hobbits...」と弱々しく言い出し、原作どおりにフロドの膝に触るか何かしてサムを起こすのですが・・・
うーん、ここもう少し原作どおりにはできなかったのでしょうか・・・ラジオドラマでそのまま再現するのが無理としても、ナレーションで地の文を読み上げることもできたと思うのですが・・・
映画での改変に憤っていた私ですが、原作のここが感動的だと思うのは必ずしも一般的ではないのでしょうか。なんだか自信なくなります~
しかし、その後、「何をコソコソしてたんだ」と言われたゴラムが拗ねるのに、「悪かっただよ」と謝るサムの声が・・・なんだかやさしーサムの根っから冷たくはなれない、人の良い素朴な暖かさを感じます。ビル・ナイ素晴らしい!
なんだか声が似ているだけに、映画のサムって冷たいというか偉そうというか・・・と思ってしまいます(汗)
しかし「スメアゴルこそこそやね」という瀬田訳はものすごい名訳だなあと思いました(笑)
その後目覚めたフロドは、ゴラムの訴えに、どちらかというとゴラムの肩を持ってサムをたしなめます。と言っても、とても鷹揚で優しい感じ。フロドが何の邪心もなくゴラムを信じていることと、同時にサムへの信頼も揺るぎはしないことを感じさせます。
ラジオドラマのこのシーンを聞いていて、なんで映画ではあの感動的なシーンがレンバス事件に摩り替わってしまったのかがわかったような気がしました・・・PJはこのシーンから、フロドがサムよりもゴラムの肩を持ったということをクローズアップしたんですねえ・・・
いやあ、私はこの3人の会話なんてほとんど気にもとめてませんでした。さすが目の付け所が違いますね、PJは。(ものすごいイヤミ・・・(汗))
原作では、ゴラムの「善い心」が悪意に取って代わることができなかったのは、別にサムにいじめられたせいじゃないですよね。
もちろんあの階段で目覚めた時にサムがあんなことを言わなければ、というのはあったけれど、あれは本当にわずかなタイミングの差というか運というか・・・「運命のいたずら」とでもいうような、本当に僅かなすれ違いだったと思います。それが悲しくも哀れだったのだけれど・・・
いや、PJはそういう「運命」によって話が動くのは嫌いなんでしたね(汗)だから滅びのき裂でもフロドとゴラムを格闘させたわけですから。
なんか、ラジオドラマのおかげでキリス・ウンゴルの階段のシーンがあんなになった原因が見えて来たように思います。面白いものですね(笑)
それにしても、根が優しいサムと鷹揚なフロドの声を聞いていると、ホッとするというか・・・ちょっと原作どおりでなくて残念な部分もありますが、やっぱりラジオドラマはいいですねえ。
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