お次の行き先は、チューリヒ湖の反対岸にあるキルヒベルク。トーマス・マンが最後に住んだ家とお墓があります。
エアレンバハから遊覧船で行くこともできますが、時間が合わず、Sバーンで一度チューリヒに戻り、乗り換えて行くことに。
このキルヒベルクがあるチューリヒ湖西岸へ行くSバーン、ホームがものすごーくはずれにあります・・・10分くらいは歩いたような(汗)
あ、キルヒペルクの駅のトイレは無料です。しかも結構綺麗。おススメトイレスポットです(笑)
このキルヒベルクではお墓参りがあるので、花を買いたかったのですが、キュスナハトもエアレンバハも駅の近くにスーパーがあったので、キルヒベルクもあるだろ・・・と高をくくって、お花買わずに行きました。
そしたら、キルヒベルクの駅周辺って何もない・・・しばし呆然(汗)
どうしよう・・・と思っていたら、ひまわりの花束を持った親子が歩いてくるのを目撃。もしかして花屋があっちにある・・・?と行って見ました。
そしたら、しばらく歩いたら八百屋さんの店先にひまわりとバラといくつかの花を売っていたのでした。
選択肢がひまわりかバラしかなく、考えた末にバラを3本だけ買いました。なんか茎を切ってなくてものすごく長いバラ・・・しかもトゲ取ってないし。
それを超適当な白い紙に包んでくれました。
「トゲが危ないから手で持つところに紙二重に巻いといたから」と言われたけど、その前にトゲ取ってください・・・(汗)
まずはトーマス・マンが最後に住んだAlte Landstrasse 39番地の家に向かいます。
キルヒベルクもキュスナハトやエアレンバハのように高級住宅街と言った趣の町ですが、こころなしかキュスナハトやエアレンバハよりも古い家が多かったような。
そして、お店等もあまりなく、静かな雰囲気でした。いやキュスナハトもエアレンバハも静かでしたが・・・
エアレンバハに比べればたいした登りではない・・・とは言え、夏の晴れ空の下を延々と歩き、さすがに疲れが・・・
でもなんとか無事に到着。
角度が違うのでわかりづらいかもしれませんが、Thomas Mann Archiveのサイトに出ている当時の写真を見ると、基本的な建物の構造は変わっていないようで嬉しいですね。
プレートにはトーマス・マンだけでなく、他の家族がいつからいつまで住んでいたのかも書いてありました。
カーチャ夫人は結局亡くなるまでの長い間この家に住んでいたのですね。引越し魔はやはりトーマス・マンだったのか(笑)
でも、トーマス・マンも、この家にはもっと長く住むつもりだったのでしょうけれどね・・・
最初は長女のエーリカが、次いで次男のゴーロがカーチャ夫人と同居していたのもわかって面白かったです。
ゴーロはカーチャ夫人がなくなっも長いことこの家に住んでいたんですね。
ミュンヘンのPoschingerstrasseの家などとくらべるとこじんまりした印象ですが、子供たちがたくさんいたミュンヘン時代と、夫婦二人が暮らせばよかったキルヒベルク時代では状況が違ったでしょうね。
家が門から近くてじっくり観られるせいもあるのか、なんだか歓迎されているような気分になったというか、来て良かった、と思う家でした。
エアレンバハから遊覧船で行くこともできますが、時間が合わず、Sバーンで一度チューリヒに戻り、乗り換えて行くことに。
このキルヒベルクがあるチューリヒ湖西岸へ行くSバーン、ホームがものすごーくはずれにあります・・・10分くらいは歩いたような(汗)
あ、キルヒペルクの駅のトイレは無料です。しかも結構綺麗。おススメトイレスポットです(笑)
このキルヒベルクではお墓参りがあるので、花を買いたかったのですが、キュスナハトもエアレンバハも駅の近くにスーパーがあったので、キルヒベルクもあるだろ・・・と高をくくって、お花買わずに行きました。
そしたら、キルヒベルクの駅周辺って何もない・・・しばし呆然(汗)
どうしよう・・・と思っていたら、ひまわりの花束を持った親子が歩いてくるのを目撃。もしかして花屋があっちにある・・・?と行って見ました。
そしたら、しばらく歩いたら八百屋さんの店先にひまわりとバラといくつかの花を売っていたのでした。
選択肢がひまわりかバラしかなく、考えた末にバラを3本だけ買いました。なんか茎を切ってなくてものすごく長いバラ・・・しかもトゲ取ってないし。
それを超適当な白い紙に包んでくれました。
「トゲが危ないから手で持つところに紙二重に巻いといたから」と言われたけど、その前にトゲ取ってください・・・(汗)
まずはトーマス・マンが最後に住んだAlte Landstrasse 39番地の家に向かいます。
キルヒベルクもキュスナハトやエアレンバハのように高級住宅街と言った趣の町ですが、こころなしかキュスナハトやエアレンバハよりも古い家が多かったような。
そして、お店等もあまりなく、静かな雰囲気でした。いやキュスナハトもエアレンバハも静かでしたが・・・
エアレンバハに比べればたいした登りではない・・・とは言え、夏の晴れ空の下を延々と歩き、さすがに疲れが・・・
でもなんとか無事に到着。
角度が違うのでわかりづらいかもしれませんが、Thomas Mann Archiveのサイトに出ている当時の写真を見ると、基本的な建物の構造は変わっていないようで嬉しいですね。
プレートにはトーマス・マンだけでなく、他の家族がいつからいつまで住んでいたのかも書いてありました。
カーチャ夫人は結局亡くなるまでの長い間この家に住んでいたのですね。引越し魔はやはりトーマス・マンだったのか(笑)
でも、トーマス・マンも、この家にはもっと長く住むつもりだったのでしょうけれどね・・・
最初は長女のエーリカが、次いで次男のゴーロがカーチャ夫人と同居していたのもわかって面白かったです。
ゴーロはカーチャ夫人がなくなっも長いことこの家に住んでいたんですね。
ミュンヘンのPoschingerstrasseの家などとくらべるとこじんまりした印象ですが、子供たちがたくさんいたミュンヘン時代と、夫婦二人が暮らせばよかったキルヒベルク時代では状況が違ったでしょうね。
家が門から近くてじっくり観られるせいもあるのか、なんだか歓迎されているような気分になったというか、来て良かった、と思う家でした。
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