ワッフルな気分

朝の光につつまれて、
甘い香りのワッフルに苺をそえていただきます。

私とオートバイ

2011-08-05 08:09:53 | ワッフル旦那のあれこれ

 

              

今朝の戸隠です。

台風以後、とっても涼しく朝夕は小寒いほどですが、快適であります。このままお盆になったら秋風が吹くようになる事必死ですので少しでも暑い日が続いてくれることを願っています。

 

私にとってバイクに乗る事は楽しい。
でもバイクに乗せられているのは楽しくない。
別にタンデムシートに乗る事ではありません。
自分の技量以上にバイクがまさっているとそのバイク本来の味や高性能を引き出せないのです。
もちろん、まだ自分が未熟なのは事実なのですが、サイズ、パワー、重さにしても扱えてこそと思っています。
ゴリアテのサイズどころかサウルの鎧でさえ少年ダビデには負担にしかならなかった(サウルは長身ではありましたが)。
高校の時読んだバイクの本にオフロードでは体重の2倍、舗装路でも体重の3倍までが扱える限界に近いと書いてありました。
時代は変わってより早くより安全により快適により経済的に商品が変わっていっても私は私でしか無く
自分の身の丈以上のバイクは負担にこそなれ楽しみにはならないと実感しつつある今日この頃です。


小さい時からバイクが好きで将来バイクに乗る仕事に付く事などを考えていた。
バイクに乗って飯が食える仕事ってそれほどあるもんじゃない。
高校の友人はホンダの開発テストライダーになったけど、いつまでも乗れるものでは無いから大体レーサーになるか郵便配達となる(当時はバイク便などなかった)。

家でバイクを弄っていると郵便配達の方から声を掛けられる。
憧れの郵便配達のお誘いだ、今は、他の予定もあるからと後ろ髪引かれる思いもありながらお断りしたが「冬だけでも、」と何度か声を掛けて下さった。
また昨日は、やはり別の配達の方が、今度スクーターのタイヤを前後とも交換してくれないかと声をかけられた。
戸隠の「バイク屋さん」を紹介したが、そこのオジサンが手が痛くて交換出来ないらしい。
「私はプロじゃないから、、」と言っているのだが、「これだけ弄れれば大丈夫と」こんどもってくるらしい。
戸隠の知り合いも「今度、僕のバイクのエンジン直して」って言ってるし、失業率はあがっているが仕事は選ばなければ十分あるなーと思いました。


一人だけでは、、

2011-08-04 05:52:12 | ワッフル旦那のあれこれ

 

                

先日お邪魔した御宅の庭先にムベが屋根のてっぺんまで昇っていた。。
そのムベの木の根元は力こぶの様にボコボコしていて何年物なのだろうかと思える太さ。
ムベはアケビと違ってある程度成長しないと実を付けない。
でも、太いからといって必ずしも実を付けてくれるわけでもないという。
そこのご主人は、自慢するでも無く、当たり前の様に
「前は1本だけだったんですよ。そんときゃ実を付ける事もなかったけど後でもう一本脇に植えたんです。
それからは実を付けてくれる様になったんです。」
神の造られた自然の中でお仕事してこられて、様々な話や経験を無駄になさらない、小さい事に忠実な事は本当に素晴らしい。

”人が一人でいるのは良くない。””二人は一人より勝っている。”
と御言葉にある、結婚に良く例えられるが、究極的には私とイエスの関係、そして父なる神が一人子イエスを見て思う事でもあると受け取っている。

アケビやムベも神の真理のある部分を顕してくれている声なきメッセンジャー。
ムベはツルである。自分では満足に立つ事すらおぼつかない。
多くの人は大木を見上げて感心したり褒め称えたり観光スポットにもなったりする。

でもエゼキエル31章を読む時、高きがゆえに貴い訳ではない事がわかる。
ツルでも何か掴まる事が出来れば、縋り付くべきモノにすがりつけたなら
どんな高い木の梢の先まで伸びて誇らしげにその赤紫の実をたわわに実らせることも出来るだろう。
私も一人だけだったら、地面に這い蹲っているツルの様に、人に踏まれ実を付ける事も無く枯れていくしか無かっただろうと思うと、

まだ青く硬いあの実がサインを出してくれるのを自分の目で見て手の取って、そして味わってみたいもの。
やっぱ暖かい地方の植物なので奈良のムベの実はうまいと思います。

例えどんなに小さくて狭くても(お寄りしたお宅の庭が狭いという意味ではありません)

花が咲き実を付ける自分の庭は、この時代限定のエデンの園

私も自分の庭に主をお迎えするならもうちょっと綺麗な庭にした方がいいだろうな~と

よく手入れされた庭を見て思った。

なにせ「私の父は農夫です。」と仰られた方は

誠の園の管理人なのだから。


走ったどー

2011-08-01 06:29:45 | ワッフル旦那のあれこれ

地元から先輩と同級生がバイクで遊びに来てくれた。

昨日は私の用事が終わった後、上田→菅平→嬬恋→万座→毛無し峠→小布施→飯山→斑尾→野尻→戸隠と

300km強ほど走ってきた。途中ものすごい集中豪雨に見舞われ道が河状態に先も見えずゴアテックスで装備していても全身ずぶ濡れその後気温も18度ほどに下がり歯がガチガチし始める程だったが何故かとっても楽しい(バカだから)。

一晩泊まると聞いていたが二晩になったが今日は気をつけて帰ってほしい。待っている家族がいるのだから


日々の食事

2011-07-30 06:34:41 | ワッフル旦那のあれこれ

先日吉野にお邪魔したあで写真を撮った。

ネットもスカイプも出来る時代にあって、実際に会ってお互いの顔を見ながらのアナログな再会は楽しいです。

この肉の体の中に主がいらっしゃるのだから、声だけとか映像だけではレストランのメニューを見ているだけか匂いを嗅いでるだけの、食べたよ様な気にさせてくれるだけにも思えるほどの集まりだった。
本当に良い時間をいただけたのですが、振り返って思う事は、その時間があまりにいいので、人間的にはまたすぐにあいたくなる気持ちが出る。
割と簡単に集まれる状況なら「では次は何曜日、何時に、どこそこで」となるだろうし。
もし、人が増えてきたら「家に入りきらないから、沢山の人が集まれる所があるといいな」「椅子も人数分あればいいな」
「時間を気にせず話したいから、その人たちの食事も出来たら」「小さい子供達も楽しめる様にそんなクラスもつくろう」
「聞きやすい様に、語る人は前に立って、音響システムも準備しましょう」「今度の賛美はピアノの伴奏も」「他でも学びのクラスを始めました」
「この人にはずいぶん語ってもらっているので金銭的にも少し応援しましょう」と、形がどんどん出来上がってきてしまうかもしれない。
それくらいは誰でも考えつくような人の知恵である

聖書の中で”小さな群れよ”と語られてある。人数が増える程、人と人の距離が離れるような気がするのは私だけだろうか。
イエスも大事な話ほど少人数にしている。大勢の前では例えでしか話さなかった。

多くの方々のイメージする教会とか日曜礼拝という集まりは、ほとんど一方的な話で相互の語らいは少ない。
誰かが時間と手間をかけてその時の為に用意したものを頂くだけのレストランの様なスタイル。
体を成長させてくれるのは時々の美食では無い、普通の家庭の中で出されるその時々の食材。
たまには特別な食事や外食も美味しいけれどそればかりだと食材も偏りがちになるかもしれない。
出来合いのモノばかり買って食べている事が習慣になれば、自分で食材からつくることをしなくなっていまう。

聖書では、何々の家にある教会、という書き方をよく見る。
例外は何にでもあるものだが、教会と名がつくモノにはその例外が多すぎるような気がする。
ある程度、肥大した集まり、世で言う所の成功した教会はそのうち「○○神学校」というモノをもち
卒業した者にはノレン分け、チェーン店、フランチャイズと同じく、そのノウハウやサポートが与えられる。
だからもし誰かが、すでに出来上がった形を見て「あのような教会を、あのような働きを」したいと望むならその学校に行くのがいい。
そして世に認められたその道を進めばよい。あなたは立派な先生または宗教家になれるだろう。

かたやもし、自分の家に招いての集まりなら語る人が日ごろどの様な所でどの様な家庭でどの様な家族とどの様な関係性を持って日々を過ごしているかが「礼拝堂」と呼ばれる所より良く見えるだろう。
そこでは偉そうに特別な服を着たりネクタイを締めることも無く、普通の言葉がふさわしい場所。
「神はあなたを祝福してくださる。」と語っている人が案外家庭の中では祝福されてない事も見えたりするかもしれない。「主に従う事の素晴らしさ」を語っていながらその人の家庭では子どもたちが両親を敬って従ってない所を見るかもしれない。妻にも子供達にも敬われていない語り手の話をどれほどの人が聞き耳をたてるだろうか。

神のことばが会堂でなく街道で、神学校で無く真の学校で、集会場でなく出荷場などで、礼拝堂でなくイトーヨーカ堂などで、宗教的な場所では無く、河原で、職場で、カフェで、電車の中で、そして何より家庭の中でもっと語られる事を望んでいます。
確かに、教会に行っているとか行っていない事はその人と神の間に何の問題にもならない。
ある集まりに、行っているから何々派に属しているわけでも無く、団体に付属してないから自由なわけでもない。
それでも毎週行った方がよいだろうからと、習慣の様に行き続けているなら、一度理由なく休んでみてただ神の前にいてみてほしい。テレビやパソコンを消した時の様な静かさと寂しさを感じて自分はどう思うか。神は何と言われているのかを聞いてほしい。また人の反響を見てほしい。全ての事を確信を持っておこなってほしい。
あくまでその人と神様との関係が大事で、他の何かに依存していたり、動機が悪かったなら結果良く見えても、何の意味も無い。
会いたいとか、またこの様な時をという個人的な願いを主にゆだねて、思ってもいない時に思ってもいない形で主のあたえてくださるタイミングでその時を待たせて頂きたいと思う。
神がいつも与え下さるものは、人の思い、考え、知恵をこえているのだから


副産物

2011-07-29 08:04:03 | ワッフル旦那のあれこれ

野苺ジャムを作ると、それのシロップも出来る。
牛乳などで割って飲むととてもおいしい。

大体すべての事柄に副産物はついてくる。
日本がここまで発展してきた副産物
原子力発電の副産物、それにはそれにふさわしいオマケがついている。

クリスチャンが地上で頂く祝福や備えは本来は天で頂くものの副産物の様なものかもしれない。
副産物でさえこの様に素晴らしいのだから、天は考えられないほどのものなのだろう。

下の画像は吉野の道脇の家

河石を積み上げてその石の一つを土台として家を建ててある。

現代の建築基準法では、もう作られる事の無い面白みのある造り方、もうその様な家が建つことも無いだろう。

安全という名のもとに失われたモノも多い。

この家でも子育てが行われそこから巣立っていった方々がいたのだろう。

住めば都とも言いますが、主が共におられればそこは神の国であり、この世にあって園の様に特別な囲いで守られた所なのです。

 


彼のギター、私のオートバイ

2011-07-28 07:22:14 | ワッフル旦那のあれこれ

奈良ではSaltさんと本当に良く話させてもらいった。
日ごろそれほどおしゃべりでは無いという彼(本当だと思う)だが、おしゃべりな私が合いの手を挟むタイミングを待つほどにお互い話しこませてもらった。
それはダンスや少林寺拳法の組手をさせて頂いているような時間でとても楽しかった。
今回は殆んど聖書の話で中心はもちろんイエスキリスト、何度か以前にも話し込んだこともあったのですが、今回が最も脇道にそれず、お互いの家庭や仕事の近況はあいさつ程度で御言葉を分かち合わせて頂いた。

お互い趣味は(このいい方はしっくりこないのだが仕方がない)ギターとバイクであまり共通点もないのだが、何かを続けている事、楽しんでいる事、突き詰めて行く事はとても似ていてものすごく共感がある。
道具が全てではないのだが道具がどうでも良いものでは無いことや、体の一部の様に扱えた時の喜び、その男性からみたらセクシーさも同じなのだから面白い(ギターを抱え込んだ形やライン又はバイクにまたがった時のタンクからくびれたシートそしてリヤシートにかけても造形に対する感じ方)、ある意味ただのバカなのだが、、。

何より震えているのは弦であって、鳴っているのはギターなのだが鳴らしているのは弾き手
バイクの場合は、前に進ませる力はエンジンであって、走っているのはバイクなのだが走らせているのは乗り手なのだ。
おそらく人の営みのほとんどの事にそれは当てはまるのでは無いかと思うそれは神が人の為にご自身をあらわすためにそうなされたのだと思う。

「もはや私では無くキリスト」

クリスチャンは皆そうでありたいと思うし、そうなるのだ。

「変身」 トォゥ


キャーリオーキー

2011-07-27 20:25:37 | ワッフル旦那のあれこれ

昨日はヤフオクで買った車が2台到着したので、今日は長野陸運事務所でナンバーをもらいに行ってきた。

2台同時におこなったので連番のナンバーになりました。

同時にユーザー車検の申し込みをしようと思って聞いたら、携帯かパソコンからのみの受付と却下。

窓口に直接行って出来ないって業務の簡略化など理由はあるのだろうが、それではお年寄りやパソコン環境の無い方はどうするのだと思いました。

昨日、次女から明日休みだからとお誘いもあったので新しいナンバーをつけてカラオケに

途中から長女も合流、長男も誘ったのだが(水曜休みですので)彼はギターを弾いていたいようだ。

次女は初めてボーナスを少しだがもらい「食事でも招待しようか」と考えたようだが、一緒に遊んでくれることだけで十分。

私もまだ子供たちに奢ってもらいたくはない。それでもその心は嬉しい。

過去にはかなりバカにしていたカラオケだが、何をするか、よりも、誰とするか、が今の私にとって優先順位が大きい。

娘の事はもちろん小さい時から知っているつもりだが、こんな曲をこんな声でこの様に歌うのかと聴いているとなかなか味わい深い。

今日気づいたのだが、次女はアゴが私の骨格に近く声帯も私と近い、だからHYさんとか太い声の歌が似合う、私が女性ならこうなるのだろう。

 

        長女は家内の声帯で高く細い声だが家内とはまた違う.  

この世界は限りがあるのですが、親から子、子から孫へのいのちのバトンリレーは

過ぎてみれば儚い人生に永遠という花束を少しだけ味あわせてくれます。

 


働くということ

2011-07-27 08:07:30 | ワッフル旦那のあれこれ

今朝、電燈を見上げたら、そこには見事な蜘蛛の巣が張られてあった。

奈良に行っていた間にがんばったのだろう。

その朝の霧が流れるようなラインがあまりに美しいので少しの間楽しませてもらおうと思う。

虫には働き者だと思えるものが多い。

仕事は神が与えた尊い働き

今ではひたいに汗して、労苦してそして見返りはけっして多くは無い。

それは、天の父のなさっている事を少しだけ私達にも味あわせてくれる事。

イエスは「父は今に至るまで働いおられる。」と言われた。

創造の7日目から休まれていないということなら、神はオーバータイムどころか、不眠不休の活動にあたっているともいえる。

そしてそれに対する見返りは少ない。「なぜ酸っぱいブドウしかできなかったのか」「なぜこのイチジクは実をtけないのか」父の働きに足らない所があるのではない。大地が呪われてしまったのだ。

それでも父は働くことをやめようとはしない。父はあきらめない。来年こそはと日が昇る前に起きて自分の畑を見渡す。

そこには父が蒔いていないのにアザミや茨も勝手にはえてきて、神の手やひたいから血が流れる。

「血と汗と涙の結晶」といういい方は父のなさっている働きにこそふさわしい。

確かに、多くの者が神に祈る。

その時天の窓口に

「誠に申し訳ありませんが、本日は休館となっております。またのお越しをお待ちしております。」と張られていたら、とにかく、ギリギリの事をしでかしておきながら困った時のまさに神頼み的な祈りをする私などはとても困る。

神には控えのベンチプレーヤーや交代要員はいないからである。

仕事はつかえる事と書く、それがとても尊い、神が定められたから。

今朝、目にした所には「まことに、主人はしもべのために食事を用意し整えてくれる。」と書かれてあった。

私は神に仕えているのだろうか、それ以上に神は私につかえるようにして、守り、導き、支え、祝福してくださっている。

聖書では「互いに」とよくある、それは人に求める事では無い。

先月長女の結婚式の直前まで私は働いていた。

でも婚礼の日は、結婚式を味わせてもらった。

そのように天の父にも休んでいただけたらと思う。

父の場合は仕事というより、自分の子供が気になってゆっくりと休んでいられないと、言った方がちかいかもしれない。

蜘蛛の糸は、手で簡単に掃えるものですが、条件を同じにするとワイヤーより強度があると言われています。

神と人との見えない様な細い天上からの絆の糸をうちのリビングの天井の蜘蛛の巣をみて思った朝です。


記録メディア

2011-07-26 07:46:01 | ワッフル旦那のあれこれ

神の記録メディア

”わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。”

初めてカセットテープレコーダーが家に来た日を覚えている。
自分の声を聴いて「俺ってこんな声?」って思ったものだ。

世界初のレコード(音声記録)システムは、1857年、フランスのレオン・スコットが発明した「フォノトグラフ」だが実用させたのはエジソン。
エジソンは発明王というよりそれを商用化ビジネス化することに長けていただけのものが多いまあ、それも才能だが、、。

日本ほど記録メディアがひしめいている所も無いと思う。
東南アジア中国南米アフリカなどではVHSテーブやカセットなどは無いいきなりDVDやCDから始まっているし
アメリカなどはいまだに遅れていてMDさえ知る人もいない。
日本人は世界の記録メディア実験場の様にレコード盤、カセット、βーVHS戦争、CD,MD,ICレコーダー、ブルーレイ、インターネット配信など新しいモノを使いながらもいまだにアナログなレコード針を使ったりする民族だ。

神も人に似て(?)様々な記録メディアを使ってきた。
過去には石の板に自分の言葉を記録したし、聖書という羊皮紙や紙にも記録した。
天使やロバに語らせる事もあれば自然を通じて語らないけど悟らせるという方法も取っている。
でも、最新(最古?)の記録メディアとしても媒体は人なのである。

初めのアダムは神から伝えられた言葉を正確にエバに渡すことが出来なかった。伝言ゲーム(失礼)は始めの所から失敗に終わったのである。


福音と言われる神の良き知らせは、イエスから弟子、弟子が伝え信じた人々を通じて2000年経った私の元に届いた。ここで途切れるか、また次の人にバトンを渡すかは私と神ぞ知ることである。
そして世界の果てまであまねく福音が伝わってもう伝える人が一人もいないとなったとき
この壮大なレコーディング競技(?)計画(うーん、これもしっくりしないが)は終了するわけである。

さて金沢、奈良という古き歴史深い地域を渡り歩いての楽しみは兼六園に行く事でも世界遺産を見る事でもなく、神がレコーディングされた方々と直接会って、自分の心の中の神のことばという記録を引き出すときに、どれほど雑音という混じり物があったり、うまく再生できていないかを再確認する実にオタッキーな交換会なのである。世の人々から見ればペットボトルのふたをコレクターしている人ほどの価値かも知れないがたのしいのだ。
あるかた、たとえその方が実に初心者でキャリアのない方であっても私の開けないページを再生せて下さると、自分の頭の中にはあるのだけれども「あれ?なんだっけ?」という思い出せない言葉を教えて頂いたときに似た、「そうそう」と両手を打ち喜ぶ快感が(時には鳥肌)がある。

今回Saltさんが私とのおそらく延べで22時間程にはなるだろう会話中の1時間程をレコーディングしてくださり配信してくださった(特別編として6名の交わりの少しグズグス気味ですがそちらもあります)。
吉野での時もそれに負けず劣らず素晴らしいモノだったのですが、それは地上には記録されてなく神が天で記録なさっている。
そしてそれは世界の裏側にいる方であっても出来ることで、二人又は三人いれば同じ共有が出来るだろう。
私たちは耳に入ってくる何を信じて、口からどんな言葉をだすかにたいして責任がある。
それは神の前に記録されているからである。

今回の事はその楽しみをまだそれほど味わっていない方々にこんなに楽しいんだよと聞いていただく機会と是非、次はあなたもという期待をこめたものです。Saltさんありがとうございます。またよろしくお願いいたします。


http://saltcanaan.exblog.jp/

2011年7月24日「タツヤとトミオの信仰放談(その1)」


帰宅

2011-07-25 21:19:31 | ワッフル旦那のあれこれ

 

        

 

家から新潟に出て石川の白山市に一泊、そこから京都の近くまで走り新名阪で奈良へ

二日目はSaltさん宅に泊まらせて頂き

そこから3日目は吉野山の宿で泊まった。泊まってみて世界遺産だと初めて知った。

Saltさん達との時間とまた吉野でムベさん達と、良い時間をすごさていただいた。

世界遺産も見学せず神の遺産を分け合わせてもらった。

みんなで、分け合って頂くととても美味しい。

午後は3時少し前に吉野を出て名古屋経由で湾岸→中央道と本州の中央部をぐるりと一周して家に帰ってきた。

今回、走った距離は1200km神の守りと祝福がありました。

 

               

 

               


ふれられたなら

2011-07-22 05:43:12 | ワッフル旦那のあれこれ
  

       

野苺を摘んでいて思う事

「触れなば落ちん」という言葉はあまりいい意味ではつかわれてませんが
丁度採り頃の実は向こうから落ちて来てくれる様に手のひらに乗って来ます。
赤く美味しそうに見えても、まだ熟してないモノは硬く離れたがりません。

さまざまな事の中に神様のタイミングというモノがあります。

今日からの時の中でも神のやさしい御手を認めて過ごしたいとおもいます。


野苺

2011-07-20 18:23:52 | ワッフル旦那のあれこれ

家内が作ってくれるジャムで一番好きなのはベリーベリーと家族では言っている数種のベリーで作ったものです。

道端の(でも車もほとんど通らないから綺麗)野苺、裏庭のブルーベリー、ラズベリーを採って準備です。

あと何度か採って集めてから作ってもらうつもりです。

野生の野苺の種のプツプツ感がブレッドにすごく合いますし、酸っぱいものほどジャムには合っている様にも感じてます。

明日はいよいよ、家の梅も採ってと家内からリクエスト入りました。

本当はグミと桑の実もジャム用に採りたかったのですが、今年は時間切れかもしれません(残念)。

まあ、今あるモノで満足はしています。

 

     

                          野生の野苺です。

 

      ブルーベリーの端の赤いのがラズベリーです。


スワッピング

2011-07-18 07:46:13 | ワッフル旦那のあれこれ

自分でも時々面倒くさいとおもうのですが、、

メーカーが出してくるそのまんまでは中々満足出来ない性格。
特にバイクは始めにエンジンありきと言ってもいいほどエンジンの性格や風貌がバイクの価値にもなる。
マフラーやキャブレターの交換に始まり、中にはエンジンをスワップさせたものがゲテモノチックではあるが面白く感じたりする。
それでも何でもいい訳ではない。一つの流れというか統一性が無いと美しくないと思う。
ホンダにはホンダのエンジン(例え耕運機のエンジンであっても)
タンクもメーカーの顔であるので他社のはしっくりしないと感じる。前に付けた籠でさえも

自転車用だがホンダの自転車のモノです。

朝、冷えた空気の中をズーウェイ(ズーマー+フリーウェイ)で一走り

冷えた体にシャワーが気持ちいい。

ここから見える雪も小さくなってきた。

バッフルを入れてみて音は許せる範囲になったが、キャブのダクト配管に無理がありレスポンスはもう一つ

でも少しづつにつめていく過程も楽しい、そうやって私のお気に入りになっていく。

PS250も好きなのだが意外と250のスクーターはデカくて重い(180kg程もあるのだ)

だから走りも重い、だから50ccのズーマーにPS250と同じだがもう少し軽快に走るフリーウェイのエンジンを乗せる。

当然エンジンのパワーにブレーキが追いつかないのでデュオDXのフロントとリヤも強化

ナンバーはそのままでは違法になるので、ズーマー改で250ccで登録、我ながら面倒臭い

もちろん私の持てる腕が、メーカーの一つの回答である万人向けの性能を全てにおいて上待っているわけではないのだが、ある程度の切れ味と言うか凶暴さも魅力の一つだと思う性格。
扱いきれないような力をその内に抱えているというマシンは止まっていても存在感がある。

見た目は原付、中身は別物という所も

キリスト者につうずるところもあって気に入っている(あくまで私個人的なたわごとと優しく受け止めて下さい)

 


冬の準備

2011-07-17 12:04:04 | ワッフル旦那のあれこれ

 

              

 

今年の冬は寒さが厳しいかもしれないから去年より少し多めに薪があると安心です。

製材所からもらったキレッパシを薪小屋に積んでいく。

 

                   少し離れて花壇では家内がラベンダーを摘んでいる。

 

アダムがあの実を食べなかったら今二人のしている事などはしなくてよかったのだろうと思ったりする。

でも、それはそれで「アダムじいちゃんのせいだ!」などと考えなければ、結構楽しい作業です。

ふたりとも”つみあげていく”事をしているのですが、その様な事は地道だけれど満足が伴いますねー。

冬の凍えるような日にこれを使うのが楽しみです。

信州の風が心地よいです。

 

 


紫蘇ジュース

2011-07-16 08:05:08 | ワッフル旦那のあれこれ

震災後、約2割、結婚を決めた男女が増えているそうです。

これは、今回の震災だけでなく、阪神淡路大震災の後もそうだったし、
外国の例で言うと、アメリカの同時多発テロの後も結婚する男女数が増えたそうです。
平和ボケしていて今までの生活がいつまでも続くと思っていたので結婚などいつでもと思っていたのか、明日の不安からかわかりませんが、審判の日まで嫁いだり娶ったりすることはあるようですから何ら不思議でもないのですが、、、

結婚が素晴らしく感じるのはそれが、イエスとの究極の関係を示しているからで
離婚が素晴らしく感じないのは、イエスとの関係にそんなことがあってはならないからで実際うまくいってもいかなくても、それはひな形の様なものだから(それでも十分素晴らしいが)それから神との関係を見出せたならそれはもっと素晴らしい事です。
家内の作ってくれたシソジュースが今我が家のトレンディです。
水と氷でわってよし、炭酸でわってよし、ミルクでわってよし!

 

ワッフル

赤紫蘇ジュースはですね。母が女性のイライラにいいと遊びにいったときちょっといらっとしてた私

さっさと持ってきて飲ませてくれたんですよね。それで是非作らねばと思った訳で・・私がイラっとしてたら持ってきて~赤紫蘇ジュース

赤紫蘇ジュースの効能

アントシアニンとポリフェノールがとても豊富、なので活性酸素を抑制し美肌にはとても良く

ルテオリンという栄養素が抗アレルギー、抗炎症効果があるそうです。

シソに含まれる ロズマリン酸が血中に糖分が増えるのを阻止して血糖値の上昇を抑えるからだとか。ダイエットにもいいらしい

神様が作られたものは、それぞれに栄養というか体にいいものが備わっているのだと野菜や草など効能を調べたりするとあるので

すごいなぁと思うし、感謝がわきます。