とろろ昆布、義父が好きだったので私も好きになったもの・・・小さい頃から好き嫌いがない私だからともいえる
時々ごはんのおともにまたはおにぎりにまいて食べたくなるとろろ昆布
息子もまたとろろ昆布が好きそして小さな頃から好き嫌いなしのところが私に似てる(^^)
とろろ昆布は義父の葬儀の会葬御礼品でいただいたもの
めいっぱい父を思い出す。
義父の葬儀で20年ぶりくらいに兄と会いました。主人は私と結婚して兄と会ったのは2回目
別に仲たがいしているわけでもないのですが、兄と私の兄妹関係ではなりたっています。
もちろんあの大きな地震の時にはメールで連絡し合い兄妹らしいこともちゃんとします。
3日間ずっと一緒に起きていなくてはならない時間がたんまりあったので、いろいろ話ができて兄と私の関係性がなりたつ理由がちょっとわかりました。
兄と私は私が3,4歳で兄は6、7歳くらいのあいだ兄は父と私は母と暮らしていたため1,2年別々であったので
その間兄がどう暮らしていたか、最近とっても気になっていたので聞いて見たら
昔は良き時代であり、友達の家で食べてく~といわれ夕飯をご馳走になってたとか、後は6,7歳にして自分の分だけ自分で作って食べてたとのこと・・・・友達はいたけど、基本一人がいい
なるほど、私はおさなかったから母が仕事から帰ってくるのをひたすら待っていて、ご近所のお姉さんなど母が遅くて心配そうにしてると声をかけてくれたりした経験があり、やさいいお姉さんがいてくれて嬉しかった思い出があったりする、かならず母は帰ってくるってことも分かってた。それで一人でいれるというか家にいるのが好きになったのか、そんな人格ができてきのかな
それで改めて兄妹として一つ屋根のしたで暮らす事になっても、個人個人生きてた感じがあるのだと納得
兄もほとんど話してないんじゃない~といわれそうだね・・・母に会いに行くにしても別々だったし
「俺、中学の時から朝はパンとコーヒー、あの頃パン屋さん結構あったろう」
なるほど、テレビみながらスイカやお菓子を食べたことはあったけど確かに朝ご飯も、夕ご飯一緒に食べてなかった。
そんなことも気にならない私ってあまり物事を深く考えるタイプじゃないんだ、繊細じゃない(笑)
兄と母もいろいろ話していたようで、再婚するときも兄に相談したらしい、兄が「父に俺結構いいもんかってもらってたよね」確かに
私は私でテニスをしていたためユニホームやシューズなど金銭的に裕福でなのは知ってはいたけど、文句もいわずにそろえてくれてたし
なんといっても育ててもらったのだぁ、結婚し家庭をもつとそのありがたみがわかります。
その他もろもろと知らなかった兄と父と母の関係を聞いて
兄は兄で私は私で父と母との関係性があり大事にしてもらってたことも確認できたし、小さい頃の1、2年離れてた時間がちょっと縮まった感じがする。
主人も兄とよーく話してて、一般的には変わった人かもしれないけどまともな人だと話してくれました。
主人は人が聞かないところも聞きましたが、それにもちゃんと答えてくれてましたから、大人な関係です。
兄はいつも穏やかな笑みがあったなぁ~
帰りは東京まで帰るのに石川だと不便だし、長野まで車で一緒にそこでもいろいろ話ができて良かった。駅まで送ってバイバイって手を振ったら、バイバイと手を振ってくれた。嬉しかった~
私がこんな環境で育ったってできた人格
不安と心配症、恐がり屋、集団は苦手、自分の居場所をみつけるまで時間がかかる、家にいるのがすき・・・ぽーっとしてれる、急がない、興味関心事を見つけない
詩篇139:15 私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
139:16 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに
と神様がわたしのためにつくられた日々の中で私がいて育ってる、人格ができあがっているのだからすごい
主人と結婚したことで、ぽわんとした考えなしの私が少しばかり考えることやいやいろいろ考える人になったことは確かで、離婚ってやっぱり子どもながらに寂しさや不安も味わっており早く結婚したかった。離婚はしたくないと心ひそかに思っていましたが、父方も母方も幸せそうな結婚生活でしたから結婚じたいにいいなぁと一人は寂しいですから
一人が寂しい早く結婚したい、そんなことから主人と出会い結婚しそこから私の人生が変わっていって、キリストと出会える人生となるのだから
主人と結婚してまた人格も練られてる、これがなかなかでございます。神様のなさることはすばらしい