ワッフルな気分

朝の光につつまれて、
甘い香りのワッフルに苺をそえていただきます。

我々に似るように、、、

2011-08-26 19:19:51 | ワッフル旦那のあれこれ

  

冬の準備はおすみでしょうか?何とかスタッドレスタイヤも揃えました。

準備が出来てないなら冬は、あまり来て欲しくないなー。

 

「ヘブル 13:7 神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。」

どの様に生きたかが大事ではない訳ではありませんが、

「彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。」
「彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。

しかし、どの様な終わりを迎えたかは、神の前にも人の前であってもとても大事です。
そしてそれは自分の力で死守するものでは無く、所詮人は一切れのパンで躓く様な者なのですが、そんな者であっても神が守ってくださいます。

「最後まで堅く保ってくださいます。」

ある方が、亡くなったり引退したりした時、それまでの生き方や、その方の考え方、様々な功績や問題を聞いたりしますが、最後がどうであったかは一般でも、そしてキリスト者にとってはとても大切な事です。

キリストの名が何よりも崇められるのは、イエスが、病人を癒したり、お腹の空いている人にパンをあげたり、死人を生き返らせたからでは無く、全ての罪を負われて十字架で死なれたからなのです。

神が人を造った時「我々に似るように、、」との言葉があります。

それは、善行を積んだとか、何かを捧げたとかではなく
キリストの様であったか最後の時まで、それが私に問われると感じています。


衣③ (まとめ)

2011-08-25 06:55:19 | ワッフル旦那のあれこれ

三国志の時代、諸葛亮孔明が「川が荒れているのを鎮めるために人柱を立てて、川の神に人の首を切って捧げなければならない」という当時の風習を改めるため、小麦粉で作った皮に牛と羊の肉を詰めたものを人の頭として捧げたのが饅頭と言われていて、日本では奈良饅頭が最も古いといいます。
頭という漢字が入っているのはその名残とも言われ、自然の怒りを鎮めるにはこれほどの代価を払うべきだという考えだと思います。

日本ではお供えに野菜なども捧げますが、ニンジンに包丁を振り下ろすときには罪悪感を持ちにくいものですが、
それがもし、スズメであっても息のあるものに包丁を振り下ろす時には、野菜の時と違った気持ちになりますし、血も流れます。
神の完全な義は罪に対して「いいよ。それくらい。」とあいまいにする事が出来ません。
完全な神は罪に対して完全な贖いの血を求めておられます。
イエスは神の前に完全な捧げものとしての子羊として呪われたものとして木にかけられました。
その子羊の皮の衣を着せて頂いた者は罪許されるだけでなくイエスを着たのですから「神の子」として父の家に招かれます。

例えば皆さんに、可愛い娘がいたとします。
その娘を下さいという男が現れて「そもそも養っていけるのか。仕事は」と聞くと
「屋です。」と言われたらどうでしょうか?又は自分の息子がその職業を始めると言ったら(もちろん私はOK。自分でもやる気もありますが)。

実際”教えて!goo”にも
「結婚を考えている彼の実家は食肉卸業を営んでおり、と殺から肉屋へ卸すまでを行っています。うちの家族からは ト殺をする人をよりにもよって何で選ぶんだ。と
言われ、絶対別れろと聞く耳をもたれません。彼の人柄はこの際どうでもよく、その行為自体を許せないのです。
正直、私はと殺について、そこまでアレルギーはありませんでした。えたという問題にまでなってしまうとは思いませんでした。
同じような環境にいる人、率直な意見を教えてください。」

その後の返答でも
「悲しいことに私の親族は皆同じ考えだと思います。
母親は特に世間的なイメージを気にしており、有名商社、企業に勤める男性=娘の結婚相手という考えに固執しています。私もできるだけ、偏っている考えのことを両親(兄も含めて)へ伝えたのですが、
「自愛の心があれば、そんな職業を選ぶはずはない」と 全く歩みる気配もありません。
親と彼をどっちを選ぶの。と泣かれて、と殺をやってることを何も思わないなんて感性が狂っている。と散々言われました。
彼の家をそこまで蔑む権利は家には無いはずで、そんな考えの家庭の娘と一緒になることは、彼にとって不幸せになるのでは?と思い始めています。」

以上抜粋させていただきましたが、、
人は理論的な生き物と言うより感情的な生き物といえるかもしれません。
確かに屋はインパクトのある職業です。
ナイフ作りの時一緒だったお兄ちゃんは名前より「屋のあんちゃん」という呼び名になってました。


「復讐は私がする」と言われる神はある意味では屋とも言えます(生かし屋でもありますが)。
アメリカでは者は報酬とは別にその皮の権利を得ます。
歴史上初めてをおこなったのは神であり、その皮の衣ををアダムとエバに着せました。
どの様な衣だったのかは詳しく書いてありませんが、私はいわゆる”原始人”的なモノでは無いと思います。
野の花にさえ必要以上と言ってもよいほど装われる主には、手抜きはありません。

オートバイのレースなどでは今でも皮の衣を着ます。箱の中に入っている車と違ってバイクでは転倒が避けられないからです。

(去年の春、家の前で撮った写真です。懐かし~)
強度、耐摩耗性、しなやかさ、撥水性、操作性、など一つ一つでは人口の素材は天然の皮を凌ぎますがトータルでの安全性では皮が一番優れているからです。
皮には大体、牛、馬、豚、羊、鹿などありますが子羊が最も着心地が良いと言われます。
私たちは気をつけていても間違いをおかす事やなんでもないモノに躓いたり、十分準備していても足りない時もあります。
「正しい人は7回転んでもまた起き上がる。」
起き上がる事が出来るのは、”正しい人”いう衣を着ているから、転ぶ時何よりも先に衣が打たれ傷ついていく、私以上に私の着ている子羊の衣はボロボロです。でも私を守る事それが衣の役目でもあるので一度も「何故、転んだのだ!」と言われた事はありません。

「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」とあります。
神が与えてくださる衣は完全で私たちの恥を覆ってくれる完全なモノです。


衣②

2011-08-22 07:02:25 | ワッフル旦那のあれこれ

ちょっと寒い日が続きます。衣替えもしたいほどの感じです。

8月に薪ストーブの火を入れたのは戸隠来て初めてだったように思っています。

さて衣①の続きです。


さらに神は地上での日々で私たちにも永遠の為にも益になる働きを用意して下さいました。それが亜麻布の衣を織り上げるという事です。
「裸をおおう亜麻布のももひき(又は下着)を作れ」
と神は仰いました。それはエポデの主原料で祭司の服。

箴言31章を読む時、イエスの花嫁であるクリスチャンがこの地上での過ごし方を見ます。
真珠、羊毛、亜麻、食事、ぶどう畑、腰帯、ともしび、長老、パン。
アダムが土から造られた様に、私たちも土から出たもので、ある意味それは畑とも言えます。そこに蒔かれた種から亜麻は伸び育ち花をつけますまた種 をつけるなら油が採れます。
のびた亜麻もそのままでは枯れてまた土にかえりますが、畑をよく調べてそれを手に入れた者によって刈取られ、手塩にかけ織り上げられ仕上げられます。

旧約の幕屋では垂れ幕がありました。垂れ幕は青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚
り糸で織った亜麻布の4色の色がありました。最初の3つの色は神を表わしています。

青色は神の御座である天の蒼さ、そこにいます父、緋色は子なる神の十字架の
血、紫は聖霊なる神の高貴さ。
ところで幕屋の庭の入口には、青色・紫色・緋色の3色しかありません。
神の定められた罪の赦しには、人の努力を織り込める所が無い事を示しています。

しかし、救いを得た後、血さえ携えていれば神の御前にさえ大胆に近づける様にさせていただきました。
救いを得た後、神との語らいの日々の中で、この地上で織り上げ、天にも着て入る事の出来る衣は天においても残るキリストの妻の嫁入り道具の様なものであり、見える形での証です。

しかしその神の前に出ても耐えうる衣は自分の力や知恵や勤勉さによるものではありません。
青色・紫色・緋色の撚り糸とその撚り糸で織った亜麻布なのです。

特に箴言31章22節を読む時、花嫁の着物は私たちという土から生えた素材である亜麻布と紫色の撚糸で出来ている、とあります。
イエスが父の栄光を地上に栄光を表わす為に昼夜働きを続けたように、
今日も聖霊はイエスの栄光を地 上に表わすために眠ることなく働き続けています。
この働きが無ければ縦糸の無い機織りの様に意味の無いものとなります。

亜麻色は金色に近い色ですが聖書では白亜麻布と表記させている箇所もあります。
肌にやさしく、サラッとして、爽やかな涼感があるのが大きな特性です。
それは、コットンやシルクに比べ、吸水・発散性に優れているため、水分や汗をすばやく吸い取り、かつ発散させるからです。

至聖所に入る時亜麻布の衣を着るように言われているのは、汗に象徴される人の努力が神の前に必要ない事を示します。

亜麻布(リネン)は清潔さを保つものです。
リネンは天然素材の中で、最も汚れが落ちやすく、洗濯にも強い素材です。繰り返し洗うごとに柔らかさはいっそう増し、白いものはさらに白くなります。
世界の一流ホテルがベッド回りやテーブル回り、バス回り等にリネンを使用する理由がここにあります。
キリスト者も何度も転び汚れる事があっても、主に立ち返るなら、そのたび白くされます。

またリネンの繊維にはペクチンが含まれているため、触れてもチクチクせず、つねにソフトなので、お肌にそっと当ててみたくなります。
夏には、汗をすばやく吸い取ってくれるので、身体はいつも爽やかで清涼感に包まれます。さらに防カビ性に優れ、雑菌の繁殖を抑制するため、臭いも 抑えます。
人工的な素材との大きな違いがここにあります(ウール、絹も同じ特性を持ちます)。
また逆に、繊維の中に空気が含まれていて、天然のサーモスタットの役目を果たしてくれるので、寒い季節には暖かく包み込んでくれます。つまり、リネンはオールシーズンに適した繊維ですからこの地上でも天においても私たちの肌(生活)を守ってくれる衣になります。

箴言31章21節 冬を恐れない、とあります。終わりの時代のキリスト者はこの様でありますように。
動物性の絹はサナギが越冬するために神が与えたもの、
植物性の亜麻は私たちがただ冬を越すだけでなく、私たちが日常の中で健やかに過ごす為に主がご用意されたもので、神の御霊と私たちが織りなす衣です


絹という光り輝く天然の繊維は罪を取り除く高貴さを示してくれ
亜麻布という世界最古の繊維は私たちの日々の生活に快適さを与えてくれるモノという点において
イエスキリストの贖いとキリスト者の内にあって働かれる御霊、そしてそれらを計画し用意して下さった父の栄光を示してくれる、昨日も今日もそしてまだ見ぬ明日も変わる事無く私たちを守る尊い衣らなのです。

 

            

近くからフラッシュを焚いたので艶がある様にみえますが、絹に比べるとあでやかさや高貴さには劣りますが、

軽くて、作業性も良く、汗をかきにくい素材で絹とはまた違った快適性があります。

2つの衣は王の王に嫁ぐことになった、超玉の輿物語のような中で結納に収められた高貴な衣と普通の民の一人でも婚礼の日までに出来る見事な織物の衣なのです。


衣①

2011-08-21 07:44:46 | ワッフル旦那のあれこれ

さて、先日Saltさん夫妻と共に夏祭りと言う事で「コスプレして行きません?」と誘った。
以前より買っておいた和服を着てみたかったのですが女性陣にも浴衣を着てもらい楽しみもアップです。(男だけだと、、、)
今回は泥大島とも言われる泥染めの大島紬と能登上布の2着。
動物性の着物と植物性の着物です。
これをそろえたのは、物欲ばかりでは無く、以前から思っていた聖書の言葉を自分の体で体感してみたい気持ちです。

エゼ 16:10 わたしはまた、あや織りの着物をあなたに着せ、じゅごんの皮のは
きものをはかせ、亜麻布をかぶらせ、絹の着物を着せた。

神が私たちに着せてくれる衣には、2つのタイプがあります。

一つは皮の衣に代表される動物性の衣です。
これには、必然的に血や死というものが関わっていて、常に贖いが見え隠れします。

もう一つは亜麻布に代表される植物性の衣です。
それは種によって土から伸びる草であって血はありません。

霊的に見る時順番としては動物性の衣が先にあります。
犠牲という漢字には植物をあらわす草冠などはありません。
牛、羊、その下の自分、生きるという字が読み取れます。
もちろんそれはこの世における陰であって本体は天にいます子羊なるイエスです。
彼の十字架の贖いと言う代価によって私の罪は赦されました。
もしアダムの罪と言う事が無ければ私たちに、衣は必要ありませんでした。

絹は繭から繭は"蚕"が自分で作った寝袋のような物。この中で"蚕"は"飛び出す日”まで眠りながら成長し続けるため、繭は冬は冷気を、夏は熱気を遮 断して中の蚕を守ります。そして、蚕が呼吸して出した毒素や湿気などはそのまま排出し、外からの毒素は中に入れません。このようなことから、絹は 生きた繊維とも呼ばれます。この繭の効果は私達が絹を身に着けた場合でも同じです。
食物でも衣服でも、人の知恵や努力を積み重ねたものが必ずしも人のためには良いのではありません。

衣を着る事によって人は冬を過ぎ越し春を迎える事が出来るようになりました。
それは神のくださる衣を着る事により裁きを免れ、新しい地に導きいれられる事の
予表です。

            

画像はSaltさんが着てくださった絹で織られた大島です。さらりとした着心地と艶はさすがです。


徒然なるままに

2011-08-19 07:19:33 | ワッフル旦那のあれこれ

流石にお盆も過ぎると涼しいを少し過ぎて今朝は寒い感じです。

ここからは冬に向かって行くだけで決して後戻りすることは無い。

今月オークションで買ったバモスの傷、へこみの所を友人に板金塗装してもらった。

          
出来たというので昨日引き取りに行ってきた。
パール塗装だったし、普通の家の軒先で塗装は雨にも当たりやり直しにもなって、お盆休みを全部使ってもらった。おそらく近所にもシンナーの臭いが流れて、ちょっと大変だったと思う、でも綺麗になりましたお金はいらないと言っていたけど少しは払うからね。ありがとね。

そういえば車検はと気が付いて9月15日までだったので今日の今日だがネットで予約農協へ行って保険支払ついでにガス料金も。
その後市役所で納税証明もらってから検査場へ、行ってきました。
ヘッドライトだけえらく上向きなのはわかっていたので車庫で調整してダメもとでいったのですが、、
スルスルと上手く一発でラインと通り抜けました。

軽自動車(軽貨物)車検料金は以下になります。
◎自賠責保険料\21,970円+重量税\7,600+検査印紙代\1,400=¥29.970円なり
自賠責が4月から値上がったのでしょうがないですね。

家に帰ってきて2年車検を取ったばかりのバモスに解体屋で買ってきたCDプレーヤー(2000円)を付けて(元はカセットが付いていた、、、)
無事ついて中々音もいいじゃないと、脇の庭を見るとだいぶ草が伸びている。
「夕方雨の前にやるか」と大体の草を刈って、上にあがってきたら
家内がズッキーニブレッド焼いていて焼きたてを頂きました。
やっぱ焼き立て、久々の味で旨い!
その後、元気が出たのでもう一台のやはり今月オークションで買った軽トラにもCDを付けようとしたが音は鳴るのだがCDが出てこない。
残念、あす解体屋さん行って変えてもらう事にしよう。13インチのスタッドレスタイヤももうワンセット買うか、明日は明日でやる事があるのだー。
多分、この日本で普通に働いて普通に生活していたら
板金塗装工事、車検、CD取り付け、庭の草刈りなどは今の私と違った形になっていただろうな~
嫌でもないが、これは今のスタイルを続ける為の税金みたいにやるべきことだと納得している。昨日はそんな一日


一度しかない夏

2011-08-18 06:28:47 | ワッフル旦那のあれこれ

裏庭の野菜が実ってきた。でもズッキーニなどはまだ採れない。
そう思っていたら、お野菜を沢山いただいた。ズッキーニも沢山で丸いのもある。
大好きなズッキーニブレッドを作ってもらおう。

       

次女も沢山のトウモロコシを持って来て急遽茹でた。
果物の時期だから桃もコンポートやジャムを作ってくれている。

                  

プルーン、桃、林檎、木イチゴです。(食べかけの写真で失礼しますが、綺麗だったので)

改修前の写真↓

            

改修後の写真↓

屋根裏にあがる階段の所の棚が足りなくなってきたので棚の追加と地震が来ても落ちにくい様にした。

             
手作りのものが並んでいる風景は、なんでだか豊かさを感じる。ついでに片づけも出来た。(スーパーで積み上げられた更に沢山の食品を見ても豊かに感じないのですが)
長野は冬が長く野菜は冬採れない。だから今の有り余る時期に無理しない分だけでいいので蓄えさせてもらう。

一回しかない人生の、一年に一回しかない夏
信州の短い夏を、十分味わいたいと思う。


買戻し

2011-08-17 18:37:31 | ワッフル旦那のあれこれ

友人に去年売ったバイクが返ってきた。というより今の私のバイクと交換した。

             

このバイクかっこはレトロオフロード系でいいのだが、かっこばっかりで、、どうもなんですよね~

私が付けた前後のアルミフェンダーと社外タンクとシートは好きだなー、エンジンの造形も好き

でも、でも、でも なんだよねー

新しいくせにもーカワサキのバ〇ーって叫びたくなる(所が巷では結構な人気なんだこれが、、)
どう考えても頭で考えると俺の方が損とも思ったが、心で考えるとそうでもないから不思議だ。

彼の息子とバイクで海を見に行くという親子の約束を叶えさせたくなったからかな~。
軽自動車協会に行って名義を正式に変えてきた。


彼のを私に私のを彼に、

なーに、簡単な事です。所有者の欄の名前が変わるだけです。
でも、誰の名が記されてあるかは、大きな差があります。


毛虫の嫌いな方は見ないでください。カイコの話かな?

2011-08-16 05:52:20 | ワッフル旦那のあれこれ

        

諏訪市美術館の前に片倉館という千人風呂がありました。
諏訪に製糸業を起こした片倉財閥の2代目、片倉兼太郎氏が1928年に造った温泉だということですが、すごくないですか。たかが虫ですよ、蚕は毛は無いけれど毛虫みたいのがこれを建てたといっても過言ではない。(もちろん経営努力や女工さんのはたらきですが)



       

と、いう訳で蚕ですが、
「カイコは家蚕(かさん)とも呼ばれ、家畜化された昆虫で、野生には生息しない。またカイコは、野生回帰能力を完全に失った唯一の家畜化動物として知られ、人間による管理なしでは生育することができない。カイコを野外の桑にとまらせても、ほぼ一昼夜のうちに捕食されるか、地面に落ち、全滅してしまう。幼虫は腹脚が退化しているため樹木に自力で付着し続けることができず、風が吹いたりすると容易に落下してしまう。繭を作る際も人工的な枠(まぶし)に入れてやらないとうまく繭を作れない。成虫も翅はあるが小さく退化しており、飛ぶことはできない。また、成虫は人間が近付いても逃げようともせず、逆に人間の方に自ら近付いてくる、という習性を有する。」

と、ネットではあります。
古事記にも出てくる程、古来から日本人も関わってきて、家畜だから「一匹、二匹」ではなく牛などと同じように「一頭、二頭」と数えるらしい。
私の実家でも私が生まれる年まで蚕を飼っていて、学校の帰り道、桑の実を食べたり、その白い虫と遊んでいたのを思い出す。そして長野も蚕と長く関わってきた地方です。

ヤママユガはカイコの仲間です。昔から天蚕や野蚕、山蚕などと呼ばれ、この繭から薄黄緑色の絹糸を採っていた。
天の虫ってなかなか素晴らしいネーミングである。
自力で生きていく為に、目立たない様に保護色になっている。(時期によっては明細色)
子供の時は葉の裏に固まっているのでなかなか鳥も啄ばめない。毛があるので飲み込みにくいし!

              (普通は地面に居ないで葉っぱにいます、手で触ると丸くなって自分を守ります)
繭も食べているもので色が違うのでまさに自然に溶け込んでいて秋や冬になると目立つがその時は天敵もいないから大丈夫。時々みかけて、その美しさにハッとする。

               (冬になると目立ちます)
天蚕は家蚕と違い繭は大きいのですが、長さは600m程(家蚕は1500m)でも引っ張り強度も強く艶も一般の絹より上、ハンカチサイズで3500円してましたが、染色されていない上品な薄緑の艶はなんともいい感じでした。

家の近くには白髪太郎(毛が白いからだろう)ともいわれる蚕の仲間、通称すかし俵と言われる繭が沢山ある。

                (もっとスカスカした通気性を優先した繭もあります。)

                (触っても刺しませんが家蚕と違ってあまり遊び相手としては私は、、、)
これが最強の強さをもち、昔は釣り糸に使ったと言われている。
海彦山彦の話を小さい時読んで、ナイロンが無かったのに何を使っていたのだろうと失くした釣り針より気になった覚えがある。これで機織りすると強靭な布が出来るので前掛けとかひざ当てなどに使ったとも聞いてます。
確かにかなり引っ張っても切れない。蜘蛛の糸の儚さとはかなり違いがあります。(それでも重量で換算すると鋼鉄のワイヤーより蜘蛛の糸の方が強度は上らしいが)

天蚕センターでこの虫と聖書の中の言葉の関係を話していた、毛虫が自らのぼっていき、死んだように木に架かる事、その後復活するごとく新しい体で飛び立つ事などだが、Saltさんが「でも蛾って醜いんですよね、なんでやろ」

それを考えていたのですが、傾向的に蝶は光の元を飛び、蛾は闇に羽ばたくからかなとか。

蛾は漢字なら虫に我と書く様に新しく生まれても、なを自分を捨て切れてない所が醜さになっているかもしれない(蛾に聞いた訳ではないが、、)。

片や蝶は虫に木の上に広がる世(界)を思うところが美しいのでないかと誠に勝手ながら片倉館を思い出しながら考えた。


スワ

2011-08-15 07:47:28 | ワッフル旦那のあれこれ

Saltさん夫妻との最終日は、諏訪に行くことにしました。
長野に長くいて諏訪に降りたのは初めて、花火がメチャすごいと娘たちにも聞いてましたが、確かに渋滞を免れない道路で抜け道はなさそうです。
趣ある建物が印象的な諏訪市美術館。昭和31年に長野県初の公立美術館として開館、横の仙人風呂も有名。

http://www.city.suwa.lg.jp/scmart/exhibition.html

初めて私としてはじっくり美術鑑賞、印象はとにかく神様がすごい。
人や動物をここまで造り込み、骨は骨の肉は肉で、髪の毛1本一本に関心しました。
ある事を熱心に求め続ける、情熱と愚かさ、美しさと不気味さ、いのちの眩さと死の闇の深さを感じました。

絵として一番気になったのは同じ女性を何枚か書かれていたデッサンで諏訪さんは女性を書く時あえて無表情が多い感じですが、笑った表情も描かれていて、笑顔の女性は素敵だなとその骨格を作る骨、それを動かしふくよかにさせる肉、それらを包み込み美しく整える肌、それを描こうとする画家、それら全てをお造りになった主。

まあ、全くシロートの私の話ですから、あまり突っ込まないで読んでください。
諏訪さんの画家としての技量は日本より世界で認められつつあるようですが、
失礼にあたるのを承知で書かせてもらえば、日本の漫画もすごいじゃんとも、思いました(もちろん彼の凄さは変わりませんが)。
例えば小池 一夫さんや叶精作さんなどもちろん漫画ですから製作時間など比べ物になりませんが、、その枠の中での凄さも思い返しました。

その後、諏訪湖畔をみた。遠くから見たら綺麗だけど近く行くとフナを飼っている緑色の水槽のにおいがして汚く思った。つぎに、回転ずしを食べた。かっぱ寿司だけど十分美味しかった(小学生の作文みたいだが)
今回のバケーションのテーマは
何処に行くかより 誰と行くか。
何を見るかより、誰とみるか。
何を食べるかより、誰と食べるか。
イエスと一緒で無いならたとえ全世界を手に入れても100歳まで健康に生きても空しいです。
サンキュー で~す。(堀内孝雄風で無く、藤森慎吾風に)


天の虫

2011-08-13 07:15:12 | ワッフル旦那のあれこれ

安曇野に知り合いがギャラリー出店しているとの事でそちらに、、。
家内が以前から吹きガラスでグラスを作ってみたいとのことでそちらにも、、。
対応は事務的だが一つの経験として面白い。

         
息を吹き込んで作り出す事、練ったり転がしたりして形を整える事、炉で熱したり
作品はゆっくり冷やさないと割れるので2日後にまた。
待っている時間で2Fで食べたが安く雰囲気も良く美味しい
その後シュタイナーというギャラリーにあいにくの定休日だったのだがオーナーさんが開けてくれた。感謝

        

雰囲気のいい建物と周りの穂高らしいロケーション、展示かたともちろん作品も味わい深い。
その後、安曇野アートヒルズで耐熱のコップを買った。

          
他も行きたかった程でしたが、信州リンゴソフトクリームを食べていたら5時を回ってしまった。
天蚕(てんさん)という家畜で無いかいこのお店も見たかったのですが、まあ寄ってみたら本日は閉店しましたの看板が、でもとドアを叩いてみたら「お待ちしておりました。」と入らせてもらいました。
以前から山では時々見ていたのですが、いのちが入っているからだろう、そのまま置いときたくていつもそのまま、
だからここのマユを売ってもらった。山蚕は桑の葉では無くクヌギの葉をたべるって知らなかった。
そう言われてみると時折見かける山蚕は桑の木のある所ではなかったなー。
他にも野蚕が居ます。私の家にも沢山のまゆ(通称、透かし俵)をつける種類のものは栗と柏しの葉しか食べない。だからそれらが無くなると他の葉を食べずに滅んでいく。
進化論という程大げさな話をせずとも、好き嫌いしないでクルミでもキャベツでも食べたら良かろうと思うのだが、彼らは主が与えられた分と役割を超えようとはしない。

元から綺麗な薄緑で外敵が居る間は自然の緑にとけ込んでいて目立たない。さすが家畜の家蚕と違って自分で生きていける種です。また主もその様にして彼らを守っていて下さる。

帰り道、ダメもとで大王わさび農園に寄ってみた。吉永小百合さんもCMしていたあそこです。

      
流水が冷たく足を浸けていると痛くなってきた。水って大切!
川の水がきれいで畑も思っている以上に広い。実は時間ギリで駐車場入ったので空いていた。
その後もさほど慌てることも無く見ながら帰った。
今日は、3つも本来入れないタイミングだったのですが、行ってみた、入ってみた、叩いてみた、で、入らせてもらったそんな安曇野の一日も主が私たちの為に備えて下さった一日でした。


花火

2011-08-12 19:56:48 | ワッフル旦那のあれこれ

夜が遅かったので、必然的に朝も遅い。
ゆっくりと朝食を頂き、まったりと話をしていたら昼をはるかに回った。
化石博物館と鏡池も行きたかったので、昼ご飯を詰め込み2か所を回った。
夕方からは友人のパン屋さんで「タイナイト」と名打ってタイ料理を頂いた。
トムヤムクンがぶるっとするほど酸っぱくてちょっと苦手でも何でも経験ですから。
歩いて飯綱湖の火祭りで花火を楽しんだ。

         

以前はここに住んでいたのだが、10年ぶりくらい。
松ちゃんも来てくれたのだが、私の連絡不足で1時間も外で待たせてしまった(ごめんなさい)。
でも、待ってくれるっていい人だ。


       

夜店の方へ行くとボブスレーが置いてあり、記念写真、


     

Saltさんはスケルトンとリュージュも乗ってみただけであって救護や間違っても死んでいる訳ではありません。
しょぼいと思っていた花火だが意外と楽しめました。
何処に行くかより、誰と行くかが大切だと再確認。
みんなで着物(浴衣)を着た事が何だかうれしい。
オークションで買っておいて良かったと思った。
ちなみにSaltさんのモノは泥大島、私のは能登上布です。
これも聖書的な意味合いがありますが、今日は頭が疲れた。
おやすみなさい。


長い一日

2011-08-11 07:16:19 | ワッフル旦那のあれこれ

毛無し峠の後

万座温泉のプリンスホテルでランチ、ついでに白根山のお鍋も見てから滋賀草津道路を走る。

ここの人の手が入っていない所は本当にエデンの様に美しい(エデンは見た事はありませんが心の深い所に思い出として)。

「奈良も山はあるけど長野の山は一味また違うで しょ」とプチ自慢(長野出身でもないのですが、、)

      

その後山田牧場を抜け、雷滝、何度見ても言葉で説明しなくてもいい凄さがあります。  

      

その後、滝の湯で(私の計画では午前中に入る予定だったのだが)露天に浸かっていた。

渓谷沿いで遠くを見渡せる訳ではありませんが、元からそこにあった岩をそのままつかったレイアウトはわるくなく。

何より貸切状態だったので飛び込んだり、もぐったり、写真を取ったりした(ダビデの様に裸踊りは、、無しでしたが)。

その後小布施でジェラート、今日はフルな一日だったなーと思いきや、続きが、、。

オークションに出していたハイエースを欲しいと金曜日以降だと言っていたのに、今夜行くとの事で、夜道を私の家まで来るのは大変だし、長野市のインター近くのカラオケ屋で待ち合わせ、ラフティングをしているという同年代のオッチャン(私もですが、、)は、帰り二台で帰ると言っていたドライバーはやはり同年代の奥さんそそして小5の息子さんも、今から群馬まで帰るという。私も強行軍だけど、濃さそうなこのオッチャン(だから、自分もオッチャン)に、この人で無いとという組み合わせの奥さんで「神はほむべきかな」と思った。

流石Salt氏は音程通りに歌ってないような歌い方ででも聞かせてくれる。

大っ嫌いというカラオケに夫婦で付き合ってくれてありがとうございます。

寝たのはAM3時近く、良い子は真似しないようにしましょうね!


空も飛べるはず

2011-08-10 08:11:42 | ワッフル旦那のあれこれ

      

奈良からSalt夫妻が遊びに来てくれて、昨日は雷滝を見に行こうと軽バンに乗って向かった所あと少しなのに「本日通行できません」との看板が、、アレっ。
まあ、あれは書いてあるだけだからと通れることを願って進むと橋の上で工事中、「あれ、俺の今日の予定が、、」と思ったが万座には抜けれるとあったので人気のない急こう配の九十九折を大人4人乗せたマニュアルのバモスは1600mの高低差をゴーカートの様に登っていく。折角ここを通るならと、先週バイクで行った毛無し峠に寄った。
以外に見渡せる天気を頂いたのだが何やら人だかりが見えた。見るとラジコンのグライダーをオッチャン達は飛ばし合っている。
ここは吹き上げるような風がいつも吹いているので以前も一台見かけたが、まるで大会の様に集まっているのは初めて見た。    
「何かイベントですか?」と聞くとただ、好きものが集まっているらしい。
本来の楽しみは、無理に計画して集まるより、自然な形で好きな者同士が集う形が好きだ。
青い空を時折「シューッ」って風を切る音をたてながらワシの様に旋回して高い所までも昇っていく飛行機を見ていると自分も飛びたくなってくる。
心はあの小さなキャビンの中に乗っている様です。

ガキの様に楽しそうに遊んでいるオッチャンたちを見ながら「男はいつまでたってもバカだ」と思ったそしてそれが微笑ましく見えた。


変化

2011-08-08 07:40:57 | ワッフル旦那のあれこれ

            

どんなにお気に入りの本やモノであってもすぐ飽きてしまう私だが

家から見える風景は

同じ景色の様に見えても日々変化があって神の造られたものは飽きない。

今年は台風以降とても過ごしやすい夏、山の上はマジ寒いだろうとおもえる景色

妻のお腹周りと太ももには妊娠線がある。
いわゆる風船を膨らませて長い間置いておき空気を抜いた時に出来るシワシワなんですが、
それ自体は決して目に麗しいわけでも無く、人様に見て頂くほどの美しさも無い。
しかし私にとってそれは大切な思い出を思い返してくれる傷であり、子供たちを命をかけて産んでくれたしるしなのです。
完全な天においてキリストにはほふられたと見える跡があるとヨハネは書いている。
ただ一つのシミや汚点の無い完全な方がいのちをかけて産んでくれたしるし。
肉の傷は私の魂には麗しく見えないかもしれませんが、その意味を知るものにとっては霊的にも、何よりもいとおしいと思う。

           


ふたりは

2011-08-06 07:00:39 | ワッフル旦那のあれこれ

        

朝からゆっくり時間が流れています。朝食を取りながら見える裏庭はこんな感じ

長女も嫁いで、長男は宮城県菅生でモトクロスの全国大会、次女も友人宅にお泊りで、朝からふたりだけおそらく明日もふたりだけ。
二人だと家が広く感じる、二人だと、朝から静か、二人だとほんと、ふたりなんだ。
結婚した時は私の実家に住んだので、二人だけの生活はしていない。
長野に来た時も2人の子供と家内も身重だったので、結婚28年目にして新婚気分を味わっている。
ふたりっていいなー
今日もいい天気になりそうです。