先日、沖縄のお土産に紫芋のタルトをいただきました~
美味しかったぁ(^^)
そしてまたさつま芋の味が恋しくなり
去年義母が作ってくれた紫芋、家の環境がさつま芋に適しているようで
まだ芽もでず、食べれる状態なので紫芋のタルトを作ってみました。
本当に紫色なさつま芋だこと
甘さ控えめなのでちょこっと生クリームを添えていただきました~恋しかったさつま芋の味
先日、沖縄のお土産に紫芋のタルトをいただきました~
美味しかったぁ(^^)
そしてまたさつま芋の味が恋しくなり
去年義母が作ってくれた紫芋、家の環境がさつま芋に適しているようで
まだ芽もでず、食べれる状態なので紫芋のタルトを作ってみました。
本当に紫色なさつま芋だこと
甘さ控えめなのでちょこっと生クリームを添えていただきました~恋しかったさつま芋の味
今のベッドは、オレゴンのトムさんがプレゼントしてくれたもので15年程はたつだろうか。
いろいろあって、今回マットレスを買ってみました。
同じクィーンサイズだがイタリヤでは規格が違うのか幅が10cm広くて160cmもある、あと30cmでキンぐサイズになる程で縦と横があまり変わらない。
スプリングの入ってない高反発(低反発は私には、、、)で100%天然素材で廃棄時も無公害が売りのマニフレックスです。
サイズが違ったので緊急にベッドフレームを作ってみました。仕事から帰ってきて10時まで頑張りましてほとんど完成。
ノンスプリングタイプは、湿気が溜まりやすく、カビが繁殖しやすいので下はスノコ状にして、時間があればオスモでも塗りたいが、白木のままで設置。
どんなものかは相性もあるらしいので今夜寝てみて、さらに1週間程たってのレポートになります。
ただ、なんだか気分がいい。今まで使わせてもらったベッドは、解体して廃棄ですが、トムさんと彼の気持ちを動かしてくれた神に感謝です。
家の周りの田んぼでは今、田植えまっさかり
ここの地域は、5月連休があけるまで苗を植えない
今年は春先まで雪が降ったり寒さが残っていたので5月連休あけてすぐに苗を植えている様子がなく
我が家もやっと先日から苗と種を植えてみました。
ナスにズッキーニー、トマト、枝豆、ブロッコリー、キューり、にピーマン
つるなしいんげんと小松菜の種もまいて、そして雨がしとしと降ってくれています。
小さな畑と花壇の土手に植えた苗が自然に任せていますのでどれだけの収穫が出来るかはわかりませんが
日の光と雨とに恵まれて実りがあるといいです。
こうやって土に苗を植えれることがどれだけありがたい事なのだろうと苗を眺めています。
子供に頃、年末年始は我が家や、近くの親戚でゲームを楽しんだものだ。
親族20人以上が集まりキャラメルをかけてジャンケンで争奪するもの、スゴロクや将棋、花札、麻雀と進み。
不眠不休で3日以上、若いから出来たがその時、記憶が飛んでしまう事を人生初体験した。
やがて喫茶店でブロック崩し、そしてインベーダーが登場するとそれにのめり込んだ。
その資金調達の為に中学生の時から入り浸り、来客にマッサージをして100円を稼いでいた。
高校の頃にはほとんど閉店のam3時くらいまでいて、マスターと遊んでいた。
卒業後も変わらず、ゲームにのめり込んでいて、喫茶店に入ると
ハマっている機種に陣取りコインを投入、そのうちオーダーを取りに来る
私はといえば目玉を1mmも動かす事無く、一言「カレー」ほどなくカレーがゲームの画面の邪魔にならない所に置かれる。
レバーを動かす度に少しずつカレーが移動する、やがてそれはゲーム機の台から半分程乗りだす形、湯気がまだ騰がっている、しかし無視して続行。
ついには半回転しながら私の右ひざに落下、皿が床に落ちる破壊音と共に熱い流動物がズボンを流れていく感覚。
先ほどカレーを運んできた、彼女が床の散乱物を片付け、私のズボンをおしぼりで拭いていてくれる。
同級生の妹さんだ、とりあえず「アリガト」と声だけかけてそれでも何事も無かった様にゲームを続行していた。
いつのころからだろうか。
ゲームをしなくなったのは、、不思議な事に、今では、全くしたいとも思わない。
以前、ゲームでコンビニ経営のモノがあったので、実際にコンビニを経営していた友人に「このゲームどう」と冗談で言ったことがあるし、以前家に泊まってくれたDrは海外医療ドラマ「ER緊急救命室」は見る事も無いと言っていた。
現実にやっているなら、そのドラマやゲームは殆んど意味のない事とわかっているからだ。
私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。
3日の自由時間を費やして「鋼の錬金術師」を全巻読破。
「鋼の錬金術師」のテーマの一つは等価交換であり、いのちの取り扱い、家族、兄弟、仲間。
最後はそのテーマを元に、等価交換の法則をひっくり返す。10受けて10返すのでなく足して返すというもの。
私と言うボロ雑巾の様な、消えゆくしかない肉の命を、神はイエスという永遠のいのちとの「等価」で無い交換をするために、
肉の姿をとって地上に降り立った錬金術師なのだ。
彼は彼の触れた者の人生を神の前においても「金」に変えて下さる正に錬金。
まったく有りえない空想の物語が心理に見える部分を持ち合わせているように見えたり。
どう考えても、現実の世界がまともに見えない様に思えたりする。
私がおかしいのか、世界がおかしいのか。
私の 信じている事はただ一つ「神は常に真実であり、真理は神と共にある」事。
近頃は夏日の時もありますが、車の窓を開けて走れる季節はなんといっても気持ちがいい。
チョット用事があって家内と車で移動だったのですが、ちょっと遠回りして旧三水村の田園風景の道をドライブ。
旧三水村は人口3千人程の小さな所だがリンゴの生産では日本の1%を超える林檎を生産してきた。
途中から、甘い香りが流れていて「これ林檎の花の香りだよね」って、確認し合った程いい香りでした。
梨とちがって花びらに薄ピンクの色が入っていて可愛らしい。
今年は花の開花が遅いのでまだ楽しめた事が得した気分です。
人によっては”死のかおり”とも書いてあるが、イエスといういのちの木に繋がる枝であるキリスト者の香りも
そのソバを通る方々に、その様に香しくありますように願う.
最近パンが柔らかくうまく焼き上がります。
うれしいなぁ調子が良いうちにまた焼こう
いつも適当なので、固めだったり重い感じのパンになったりします。
先日はオートミールパンを焼き、食べてみてなんだかいつもと違うなぁと
材料を入れた順に思い出して頭の中をぐるぐる思い出してみると
大事な塩を入れ忘れていたのでした。たまーに入れ忘れるんです私・・・
パンに塩入れ忘れるといがいに食べにくいパンになるんですよね(^^;)
ただこのオートミールパンの材料に全粒粉やらきび砂糖、バターが入っているのでちょっと味が足りないくらいで
トーストしてバターやジャムをつけると美味しく食べれました
うちの定番でありますこのオートミールパンはちゃんと塩も入って作ってあると
カリカリに焼いてバターで食べても美味しいし、チーズトーストにしても美味しいパンなんです
前にはシナモンロールにも塩を入れ忘れた事あったのですが、シナモンロールもバターにシナモンシュガーが
たんまり使われているしアイシングもたっぷりつけ食べれました。
でもやっぱり小さじ1/2~1なのですが塩を入れ忘れると一味たりません~パンに塩って大事ですね。
庭に忘れな草がさきました。
花言葉は「私を忘れないで」「真実の友情」「誠の愛」
「真実の愛」
私はこどもの頃、あまり物事を深く考えるタイプではなかったと思うしその日その日をただなんとなく過ごしていたように思います。
中学生になった頃、
家にいた90歳近くの祖母が私に「自分が死んでも誰も泣いてくれない」となげいました。
祖母はこどもがいなくて父と母が入り嫁入り婿に入ったので
血がつながっていないことで1人ぽっちに感じていたのかもしれないと今は思えるのですが、中学生13,4歳の私は「そんな事無いよ・・・」とか言っていたと思います。
不思議なもので当時は90歳になった祖母だけどいつかは亡くなるとは思っていてもすぐにとは思っていないし
願わくば100歳まで生きるのではとおもっていたのです。
だけど祖母が94歳の時老衰で亡くなり、涙がとまらず泣き続け、お葬式の事さえ覚えていないのです。
私が身内の死を初めて経験したのでした。
父が53歳のとき
入退院を繰り返していたのですが患っていた肝臓が悪化し病院んでなくなってしまいました。さっきまで息をしていたのにその瞬間あっという間にどこかにいってしまったような、感じで病室の上を見上げていました。
それも孫2人もでき、喜んでいてまだまだこれから生きて楽しんでもらえるかとの私の思いとは裏腹な早い死でした。
結婚し何の問題もなく長女、長男を出産し3人目を授りました。
何も問題もなく育ってくれると思っていたのですが、妊娠初期に出血し流産となってしまい、まさか自分にこんな出来事が起こるなんて
受け入れる事が当初はできませんでした。病院の若い先生はあまりにショックそうなので「流産は、バッターが三振をするくらいの確率で・・・」と説明してくれてたけどその確率に自分が遭遇していることが受け入れなれないのだからと思いつつそんなにこんなことが起こりうるわけと話を聞いていました・・・
私にとってあかちゃんの姿をみていない状態での別れであるけれど
命があったという事実はしっかりあり、そして亡くなってしまう事実も味わう経験でした。
この後に4人目となる子を授かり、順調に育って8か月近くなった頃
それは主人の証の中にあるように主人が長野に行くと言いだし嵐がきたように家中が、ごったがえしとなりました。
それでも私には主人の絶対に行くという決断が揺るがない事がわかっていたので
こどもと一緒に主人について行くことを私も決心していたのでした。
長野には知り合いは1家族だけいて、その奥さんもちょうど妊娠中という事もあり
産婦人科も紹介してもらい無事に出産することが出来ました。
ただ、私が分娩室で出産し一息ついて良かった~と安堵していると
急に看護婦さんがあわただしく動きだし急患で妊婦さんが隣の分娩室に入っていたようでした。
あまりに何かあったっと感じるような看護婦さんの動きがわかり心配だったので翌日病室にきた看護婦さんに「昨日の方はどうでしたか」と聞くと「もう産み月だったんだけど・・・」と私は無事に命ある子を産む事が出来たのに同じ日に命の鼓動がなくなってしまう、 死とはなんと悲しいものなのか・・・。
私は、生と死など深く考え生きてきてなかったのですが、人間には生まれる事と死があることを深く思うようになったのでした。
長野に来てからは主人が通う教会について行っていました。
主人は私になにも教会に行くことや信仰を持つことに対して強制などしませんでした。ただ長野に来て生活は大変になりましたが家族のために働き、そして楽しそうな生き方をしていただけでした。
長野の山の暮らしは、いままでの付き合いとか嫁の立場としてとか周りがどうなのか思うことより自分がどう思い考えるのかそんな静かな時間がありました。
何かを求めていたわけではないし聖書に興味があたわけでもないけれど
人と知り合える機会がそこにはあり教会に行きバイブルスタディーにも週1回自ら参加していました。
説明や解説をされても私は聞いてもわかならい事ばかりでしたが、聖書のことばにはふれていたのです。
今考えれば、こんな環境の変化がなければ
私が自分から聖書などに耳を傾けるなど考えられません。
静かな時間が流れるある日私は、私が自分でいろいろ人生思い描いていても
病気にもなるし、癌になって死ぬかもしれない、明日事故で亡くなってしまう事もある祖母の死や父、そして赤ちゃん・・・私の計画や思いは空しくはかないもの私の命だって明日どうなるかわからないと不安になり、心細くなり助けてほしいと聖書の神様に祈っていたのです。
詩編139:13
それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
詩編139:16
あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。
私のためにつくられた日々が、しかも、その一日もないうちに。
人間を造られた神様が、私が母の胎にいる時から私をご存じだと書いてあり
私が生まれることも死さえもすべてご存じなのだとこの方にすべてをお任せして生きたいと思いました。
神様に命があたえられているんだ生かされえているという事をすっと信じる事ができすごく安心できました。
そして理解できなかったことが何が紐解けたように結びついいて主人が信じたときに私に行った「キリストが神様なんだと」いうことも
聞いたときは何それと思っていた事でしたが心には残っていたことが
ピリピ2:6~8
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、
死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
私はこのピりピの2章からキリストが神様であると信じさせていただきました。
私の罪のためになんにそれもとりえのない私のために死んでくださったのだと
ヨハネ3:16
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
死で終わりではなく永遠のいのちがあたえられているという約束と希望まで与えていただいたのです。
のほほんと生きてきた私だけれど人が生まれそしてかならず死を迎えるということを深く思い、静かな時間の中で死に打ち勝つことのできる方、キリストと出会うことができ主に生かされている命に平安を与えていただいたのでした。
これからも何が起こるかわかりません。
真実な方に目を向けながら、
キリストにある平安と希望を与えていただきながら歩んでいかせていだたこう。
休みの朝はワッフルが多い。
いつもよりゆっくりと用意してゆっくりと食べる。
焼き上がりを大体の感覚でつかんでフタを空けるタイミングが大事。
だから本やパソコンをみたりテレビをつけたりすることはしない。
今朝は、もらった苺とあまっていたパイナップルにリンゴと苺のジャム、ヨーグルト、粉糖、シロップという甘々メニュー。どんどん和食が好きになっていくのですが、なかなかこういうのもいいものです。ご馳走様でした。
ここ2,3年苺ジャムを作りたいと思っているうちに苺の時期も終わり、買いそびれ作らずじまいで
ちょっと苺のジャムがなくてさみしかったんです。
今年は作るぞ~と意気込んでおりましたので苺が出回る時期目をまんまるくして見ておりました。
12月のクリスマスあたりから出始めますがこの時期はケーキ用で、お値段もジャム価格では無く
そこから3月くらいから形も大きさもまばらなジャム用がちらほら
5月ともなれば形も大きさもまばらなジャム用がでてきました。
1パック198円を手に入れまして8パック使いビン5個分できました~
形も大きさもまばらな苺の中にじゃぁーん
ハート型の苺発見
写真にパチリ
大事に眺めていて「かわいいなぁ~」と楽しんでいたら主人がやってきて「ハートの苺いただきまーす」と
パクリと食べてしまった・・・・・な・・にも言えなかった(^_^;)|||||
苺のジャムを作るたびにハート型の苺を主人に食べられた事を思い出すと思う、
そして絶対いう「あの時食べたんだょ」
甘酸っぱいハートの思い出になってしまったぁ
去年中古で買ったKawasakiスーパーシェルパのシートが破れてきた。
メーカー純正シートは意外と高くヤフオクでも11000円からカバーだけって手もあるがそれでも社外品、送料合わせ5000円程はする。
古いもう着なくなった革ジャンを張る事にしました。
以前にXL250Sでも張ったのですが、やっぱり天然はいい感じです。
シート専用のステップルは結構高くなるので丸頭の10mmビスで固定。
コツはもったいながらず、思い切って大き目に切っていく事。
十字の入った私の場所が出来ました。
ああ、また山に入っていきたい。
3日長雨が続いた。 一雨毎に緑が濃くなって来て、いつもなら連休に咲く桜がやっと咲いた。
裏の山桜は、多分樹齢100年程にはなるだろう。 長い冬を過ぎ超して、たった3日めで散り始めました。
今年も梅雨がきて、そして夏を迎える事になります。
主がいつ来られるかは知りませんが、季節ごとにその日が近づいてきます。
毎年綺麗な花を咲かせてくれるネクタリンの木桃の仲間なので桃色の可愛い花が今満開です。
長女が小学校からもってきた苗のチラシのを買ってみたものだから 18年くらい育ってくれています。
梅の木は、全然手をかけなくてもちゃんと実を収穫できるんですが
このネクタリン実もつきある程度大きくなると灰カビ病でせっかくの実が落ちてしまうんです。
農薬は使いたくないし・・・
実がついてもダメになってしまうので切り、別の実のなる木を植えようかという話もでましたが、
実がなるものですから実は収穫したいと思うのがつねなのですが
こんなにきれいな花を楽しませてくれるのだから、観賞用で十分なのです。
灰カビ病をなんとかしたいので、米ぬかがいいとかやってみてます。
もっと手をかけてあげて摘果とかもちゃーとできればいいのですがなんせ自然体というと聞こえはいいのですが
そのままのなりゆき状態(^^;)
図書館でかりた自然農法でリンゴを育てた人がいらっしゃるそうで、自然により近い環境でということなので、
農薬もつかわず雑草とともにうまーく強く育てていらっしゃるそうです。
手間暇かけ愛情いっぱいに育てているということが大事のようですね。
写真では淡い桃色なのですが、実際見るともっとちょっと濃い感じです。
せっかくなので実も楽しめたらと、願いつつ
ネクタリンの木は静かにかわいい桃色の花ををいっぱいにして私たちを楽しませてくれています。
アファンの森のロフト部分はニコルさん個人の部屋です。
ずっと羊毛の断熱材のままになっていたのですが、その部分だけでも板張りにとお願いされたので家内と仕事です。
普通のグラスウールと違い触っていて心地いいですし、寿命も400年と言われる天然素材はノドにも優しいです。
部屋の隅にはサンタクロースの変身セットがひっそりと置かれてありました。実に似合いそうです。
久しぶりの仕事で体がクタクタになりましたが、リハビリにもなり気持ちのいい仕事でした。
昨日は夕方に時間が出来たので、「ちょっと、行ってくる。」と家を出た。
取り敢えず、目的地は無い、ただバイクを走らせるだけ。
いつもの道からバードラインに入る。
マフラーから吐き出される独特の音を聞きながら直線の登りを息の長い加速で距離を稼いでいく。
前の車に追いついたので並走しているとバックミラーにバイクが小さく見えた。
最近のバイクの様だが良くわからない。
直線で見通しを確認して前走車を追い越す、後ろのバイクは追い越してこないみたいだ。
しばらく連休最後の空いた道を流していると、ミラーの隅にヘッドライトの灯りがみえた。
本当はバードラインだけを一周して家に戻るつもりだったのだが、後ろのバイク乗りの乗り方に味がある感じだったので左折せず、真っ直ぐ先を行ってみる。
そこからの2台のバイクの距離もかわらず、つづらおりを昇っていく。
民家やお店の有る所ではスローダウンして走るが車間は変わらない。
奥社を抜けて黒姫までの裏道はとても美しくまた、気持ちのいいカーブが連続している。
スロットルを空ける、新緑の景色が混じり合う様に流れていく。
少し冷えてきたが、今日はまだ暖かい日だ。
後ろのライダーとコンタクトを取ろうか考えながらも止るのがなんだかもったいない気がして信濃町までの交差点まで走った。
信号で止まって初めて後ろのバイクを確認した。
新しいBMWのようだ。横の信号が黄色に変わる。
ここからは田んぼの中の長い直線になる。
交差する道の信号が赤になる。
クラッチを握り、ギヤを確実にローに入れる。
目の前のシグナルが青になった。
スタートするとき、私は彼にちょっと手をあげた。
その後、フルスロットルで加速したから彼が返したかどうかは確認できなかった。
私は右に、彼は左に向かったのでそれがそのバイクを確認した最後だった。
でも、雰囲気があってまた、いつか道のどこかで会えたらそれも楽しいと思う。
まだ暗くなる前に家に帰れるように、オレンジ色の空に向かって思ってもいなかった遠回りを楽しみながら身震いする様なエンジンの鼓動を味あわせもらった。
昨日は写真が撮れなかったので今日のものです。今日は長野は27℃!バイクには最高です。