こんばんは、白黒茶々です。
苗木城は天文年間(1532年~1555年)に、遠山正兼によって築かれました。 その後、武田信玄と織田信長が対立する時代に、遠山氏は双方と縁戚関係を結びました。
本能寺の変後は、豊臣氏によって一時苗木を追われたのですけど、関ヶ原の戦いの前に徳川家康の指示によって、苗木城を奪還
以後、明治に至るまでの260年余りの間、遠山氏は1万521石の大名として苗木領を治めました。
そんな遠山氏が築いた苗木城の主要部に、今から迫りますよ こちらのお城は急峻な地形と自然の巨岩を巧みに利用して造られました。
向こうに見える一角は二の丸跡で、きれいに並んでいるのは御殿の礎石であります。 そのずっと先には、私たちがさっき通ってきた城山大橋が見えます。
本丸の入口には、城内の貴重な水源となっていた千石井戸があります。 その後方の石垣も、見事ですね。
そのあたりから、前回の日記を締めた場所でもある大矢倉跡を臨むと………
このようになります。前回はそこからこちらを眺めたので、逆本丸周辺(?)ということに。 苗木城の特徴でもある、岩山と石垣が融合している姿は見応えがあり、「日本のマチュピチュ」ともいわれています。
頂上の天守台も、巨岩を巧みに取り入れて築かれました。 天守の建物はその上に造られたというか、下が平坦ではなかったこともあって、懸け造りとなっていました。
現在その跡には、木を組んだ展望台が設けられています。
………ということで、その展望台の上まで来ました 波と狛は、抱っこをする必要もなく、木の階段を上ってきてくれました。
すでに木柵の間からも見えているのですけど………
そこからは、遠くに恵那の山々を、眼下には木曽川や、そこに架かる昭和53年に廃止となった北恵那鉄道線の橋梁などを眺めることができます。 このお城の頂上で絶景を眺め、盛り上がったところで次の目的地に向かうと思われた方もいらっしゃるかも知れませんけど………
苗木城の見どころはまだあるので、それらを見ていきながら降りていきます。 城内にはたくさんの巨岩があって、それらの中でも後方の馬洗岩は最大級で、城下から見ても目立っています。
城が攻められた際に水の手を絶たれたら、この岩の上に乗せた馬を米で洗って、敵にまだ水が豊富にあると見せかけるようにしたそうです。
それよりも、私はこの馬洗岩の近くに柳原白蓮さんの歌碑があるということを後になってから知って、後悔しています。 白蓮さんは大正から昭和にかけて活躍した歌人で、NHKの朝ドラ「花子とアン」では仲間由紀恵さんが好演(※ドラマでの名前は葉山蓮子)しましたよね。
大富豪の家に嫁ぎながらも、若い社会運動家と駆け落ちし、夫への絶縁状を新聞に載せた「白蓮事件」は衝撃的でした。
その白蓮さんが苗木城を訪れ、短歌を詠んでいったそうです。
それから、本丸の北側の岩の上には、牢屋が造られていていました。 建物は狭く、日当たりも悪かったみたいです。
明治初期の苗木藩の政争の際には、多くの上層武士たちがここに収監され、処断されたそうです。
高さを感じながら、石垣の縁を歩いていきましょう。
二の丸跡から見た苗木城の姿も、壮観です。 お城自体は小規模なのですけど、1万石ちょっとの大名のものとしては立派で、見学した後の満足度もかなり高いです。
そんな苗木城や遠山氏のことをより知りたかったら………
お城の麓にある、苗木遠山史料館に立ち寄ることをオススメします。 その頃に雨が降り始めたのですけど、私たちが岩村城や苗木城を散策し終えるまでなんとかもってくれたので、ヨシとしておきましょう。
さらにその館内には………
苗木城の風吹門の門扉や、撮影可能のお城の模型などが展示されています。 お城の山頂部にはところ狭しと建物が建っていて、いや、ほとんどがハミ出していて、それらは懸け造りとなっていました。
それとは別に、明治初期に苗木藩のすべての寺院が破壊された廃仏毀釈の歴史に関する展示も、衝撃的でした。 苗木城や史料館を堪能した私たちは、車で恵那市内に入っていき………
明知鉄道の花白温泉駅に行き着きました。 こちらは第三セクターのローカル線の無人駅なのですけど、この駅名からしてもう次の目的地と行動がわかってしまいますよね。
駅から歩いて0分のところには………
日帰り温泉施設で、その名もズバリ花白温泉があるのですよ その昔、天明の大飢饉の時に、このお湯によって多くの人が癒され、命を救われたそうです。
そのため寛政3年(1791年)に感謝を込めて、この地にお薬師様が祀られました。
泉質はフッ化物イオン、総硫黄。湧出量は毎分3.6l。 15.7℃の源泉を薪を燃やして温めています。
建物や浴室は小ぢんまりとしているのですけど、静かで落ち着いた佇まいだったで、ゆったりと汗を流し、疲れを癒すことができました。
ちなみに、大人の入浴料は550円です。
山城登りで費やした体力を、温泉で回復させた私は、再び車に乗って晩ご飯を食べながら宿泊地を目指すようにしたのですけど………
確か、日本大正村の前を通るコースではなかったような……… さらにその先に進んでいったら、みるみる人里離れた寂しいところになっていき、私たちは険しい山道を走っていました。
これは、間違いなく迷っています
軌道修正をして正しいコースに戻るまでに、40分は要したでしょうか?
その頃には私はお腹が空いていたので、適当なところで晩ご飯を食べることにしました。
もう米を食べてもいいとは思っていたのですけど………
瑞浪市内のマクドナルドにしました。 そういえば、私がマックで食べるのは数年ぶりとなりますね。
ちなみに包装紙の中身は、ベーコンレタスバーガーにございます。
そのあとは道順を確かめながら、西に向かっていき………
1時間程で道の駅可児ッテにたどり着きました。 私が先ほど言ってた宿泊地というのは、こちらのことだったのですよ。
はい、これから車中泊をします。
その前に………
少し遅くなってしまいましたけど、波と狛に夜のご飯を食べさせました。 お二方ともこの日はお疲れ様でした。
翌日はよりハードな山城に登るので、覚悟をしつつもしっかりと休んでくださいませ。