拝啓、新庄剛志監督。
私は北海道日本ハムファイターズのファンで、あなたのファンでもある白黒茶々と申します。 昨秋、あなたがファイターズの監督に就任すると聞いて、驚きとともに楽しみにもなりました。
あなたは選手の頃から魅せることに長けていて、野球に対する強い想いも感じられる方だったので。
今月(2月)からキャンプがおこなわれる沖縄に、あなたは派手で奇抜な姿で現れ、私たちをアッと言わせました。 しかし後で聞いたら、着ていたコートは役目を終えた野球のグローブを繋ぎ合わせて作った特注品だったそうですね。
それよりも、現在私がなぜファイターズを応援しているのかというと……… 話せば長くなるのですけど、せっかくの機会なのでなるべく簡潔にすることを心がけながら語らせていただきます。
それから、球団や球場はその当時の名前で表記いたします。
あなたもご存知の通り(ご存知でないかも?)、私は以前は親の影響もあって大のG党(読売ジャイアンツのファン)でした。 それは伝統のある優勝することを使命としていて、全国的にも人気のある球団です。
その中で私が最初に覚えた選手は、ホームラン数で世界記録を樹立した王貞治さんでしたし。
私が大学に進学しても、会社に就職しても、その球団を応援し続けました。 平成6年(1994年)のセ・リーグの最終戦で優勝が決まる、いわゆる「10・8」にはチケットが入手できなくても、その空気を少しでも味わいたくて、試合がおこなわれるナゴヤ球場の外に駆けつけました。
さらにその翌年には、現在はジャイアンツの監督をやっている原辰徳さんの引退試合を観たくて、こちらもチケットがないのに東京ドームに走りました。
その際には、球場の外でダフ屋から割高のチケットを買ってでも入場しましたけど。
しかし、その球団は勝つことに執着するあまり、他球団から多数の有望な選手を集めたりするようになりました。 平成12年(2000年)には日本シリーズを制して日本一になった際には私は喜んだのですけど、どこか虚しさを感じていました。
その2年後、原辰徳さんが監督就任1年目にして日本一に。 しかしその翌年は苦戦し、リーグ3位に終わりました。
そこで読売のW会長は、ファンの気持ちに反して原監督を辞任に追い込み、「読売グループ内の人事異動だ」とか言って堀内恒夫氏を新たな監督として任命。
それだけではなく、あからさまに他球団から名だたる選手をあさり出したのです
これにはさすがの私も興ざめし「もうG党は辞める」とまで言い出すまでに。
ジャイアンツが優勝できなかったからではなく、つまらなくなったからファンを辞める決意をしたのでした。
そうなってしまったら、今後はどうしたらいいのでしょうか? プロ野球ファンはやめたくないのですけど、今までの経験からすると、やはりどこか特定の球団を応援したほうが楽しいということはわかっていました。
実は私は読売ジャイアンツの次に、同じ東京ドームを本拠地としていた日本ハムファイターズを応援していました。 ただし、それは「強いて言えば」というレベルでした。当時のパ・リーグの球団の試合はほとんどスタンドが閑古鳥で、当日の飛び込みでも余裕で観戦することができました。
そのような手軽さもあって、私はファイターズと中日ドラゴンズとのオープン戦を観に行ったりもしていました。
私がG党を辞めた直後に、そのファイターズが本拠地を北海道に移転することになり、球団名も「北海道日本ハムファイターズ」と改められました。 札幌ドームは魅力的な球場で、それに合わせて一新したユニフォームもカッコいい
さらに、メジャーで活躍していた新庄剛志選手が日本に戻ってきた際に、彼に最初に手を挙げたのもその球団でした。
あなたはファイターズに入団する決意をされ、その会見で「これからはセ・リーグでもメジャーでもない、パ・リーグです 」と仰いましたね。その言葉は、正直言ってまだジャイアンツから離れることに心細さを感じていた私にとってどんなに励みになったことかと。
新庄選手が加わったファイターズは面白そうで、きっと何かを起こしてくれるに違いない
そうだ、これからは北海道日本ハムファイターズを応援しよう
このようにして、私はあなたに救われたのです。
本格的にファイターズファンとなった私は、その試合も観に行くようになりました。 これは平成17年(2005年)6月頃にナゴヤドームでおこなわれた交流戦の画像です。
あなたはメジャーリーグでのローマ字表記に愛着があったのでしょうか?スコアボードの選手名を「SHINJO」にしてもらっていましたね。それから、ひちょり(森本)やガッツ(小笠原)、それにセギ様(セギノール)といった懐かしい名前が並んでいますね。
あと、全日本の前監督で現在はファイターズのGMの稲葉篤紀氏の名前もありました。
守備位置はセンターでしたね。 捕球してからのレーザービームの返球、素晴らしかったです。
打席に立った姿も、立派でした。 「
メジャーで鍛えた技と熱き鼓動を 打ち鳴らして燃えろ新庄 北の大地の星となれ かっ飛ばせ
新庄」という応援歌を、私は今でも歌えます。
しかし、ファイターズが北海道で始動したその年の夏頃に、球界再編の騒動が巻き起こりましたよね。 経営難から大阪近鉄バファローズがオリックスブルーウェーブに統合されることになり、さらに読売のW会長と西武のT会長がグルになって「実はもう1組、パ・リーグで統合する球団がある」ということに。
それを聞いて「まさか、ファイターズじゃないのか
」私は心中穏やかではありませんでした。
さらに、2球団減らしてチームの数が10になったら、1リーグに再編するという話にも発展しました。
そのような中でもあなたは「プロ野球を盛り上げよう 」と、オールスター戦で意表を突いたホームスチールをして、私たちプロ野球ファンの沈んだ気持ちを救ってくれました。
さらに試合前の練習の際には、被り物をして私たちを楽しませてくださいました。 罰ゲームと仰っていましたけど、最初はカエルだったのがエスカレートしていき、ヘンな新庄食べ食べマスク → 他の選手も巻き込んだゴレンジャーへと発展していきました。
また、天井から登場なんていうのもありましたね。
一方の球界再編劇のほうは、窮地に陥っていたもう1つのパ・リーグ球団は福岡ダイエーホークスだったのですけど、そこはソフトバンクに身請けされて再生。 それから、同リーグには東北楽天ゴールデンイーグルスが新規参入して、一件落着となりました。
結局その年のファイターズは3位だったのですけど、前年までは5位か6位のあたりにいたので、善戦したと言ってもいいでしょう。 そんな球団を1シーズン観てきた私の感想は「すごく面白かった
」私が追い求めてきたものは、このようなところにあったのです。
翌年のファイターズは5位と低迷しました。 そして迎えた2006年のシーズン。
開幕からケガに悩まされ、思い描いていたようなプレーができなかったあなたは、間もなくしてヒーローインタビューの場でそのシーズン限りでの引退を宣言。
「またまた~、いつものウケ狙いでしょ」という声もあったのですけど、私には本気だということがわかりました。
さらに「早い時期に引退を表明しておけば、最後のシーズンとなる僕のプレーを観たいというファンが球場に来てくれるから」と話し、それ以降のあなたは好きな野球に没頭しました。
8月に私が観に行った東京ドームでの試合では、目の前でホームランを打ってくれましたね。
そして、その年はリーグ1位でレギュラーシーズンを終了。 さらにプレーオフも制して、北海道に移転して3年目、チームとしては25年ぶりにリーグ優勝を決めました。
その優勝インタビューでトレイ・ヒルマン監督は「信ジラレナ~イ、北海道ノ皆サンハ世界1デス
」と叫んでいましたね。
中日ドラゴンズとの日本シリーズには、満身創痍だったことから出場を辞退していたと後で聞きました。 それでもヒルマン監督は新庄選手を起用。
その最後の打席ではあなたは泣いていて、その姿をテレビで観ていた私も涙が止まりませんでした。
そして………
その試合に勝ち、4勝1敗でファイターズは日本一に その時、あなたは監督より先に胴上げされましたね。
その光景は、ずっと私の脳裏に焼き付けられています。
その後のあなたは野球から離れ、バリ島で過ごしていたそうですね。
ファイターズのほうは、ヒルマン氏のあとは梨田昌孝さん、栗山英樹さんが監督を務め、4度のリーグ優勝と2度の日本シリーズ制覇を果たしました。しかし、ここ3年間は5位に低迷。 特に昨年は、中田翔選手が暴力沙汰を起こして無償トレードに出されたり、試合前の声出しで万波中正選手を差別するような発言があったりして、球団へのイメージは悪くなり、風当たりも強くなりました。
「北海道移転以来、最大の危機」と言われる中で………
新たな監督への要請に、あなたは応えてくださいました。 あなたはファイターズだけではなく、ファンの私たちも再び救いの手を差し伸べてくれたのです。
そのファイターズは2023年に、ホームグラウンドを札幌ドームからエスコンフィールド北海道に移すことになっているのですけど、その前年となる今年にユニフォームとプライマリーマーク(球場のロゴ)を一新することを表明
新庄新監督の意見も採り入れて、より派手になると思いきや………
意外とシンプルでした。 私は、初めて見たときには正直言って抵抗があったのですけど、だんだんとカッコよく感じるようになっていき………
その翌日にはオンライン販売をポチってしまいました 包装からして「いかにも」という感じですね。
お値段はホーム用もビジター用も背番号がないタイプで、ともに7300円にございます。 ほら、新庄新監督も「イメージしていたのと違うけど、これを着た選手が活躍したらカッコよく見えてくるだろう」と仰っていましたし。
そうしたら………
まずは私が着てみました 北海道をイメージした青を基調としていて、左右非対称のデザインは前のユニフォームを踏襲しています。
背番号とネームは、監督のものを合成してみました。 「SHINJO」だけではなく、新庄監督の別の呼び名の「BIGBOSS」というのも販売されているみたいですね。
せっかくなので、ビジター用のほうも試着しておきましょう。 今季の開幕戦はビジターなので、新たなファイターズの公式戦はこのユニフォームでもって始まるのですよね。
私の背番号は、これでいいでしょうか? チコちゃんの顔面と一緒で、無地のほうがあとで合成しやすい……… む、むが~
………
※茶々さん、そのことはうすうす気付いていても絶対に言ってはいけませんよ!(編集部顔面蒼白)
そうしたら今度は選手を交代して、波にモデルになってもらいましょう いきなりビジター用なのは、彼女のイメージカラーが水色だからです。
彼女の背番号は「73」で決まりです そういえば、「ONE PIECE」のナミちゃの誕生日は7月3日でしたね。
もちろん、狛にも着てもらいましたよ 波がビジター用だったので、自動的にホーム用のユニフォームとなりました。
ほら、「狛」の字には白が含まれていますし、字そのものもこのユニフォームっぽく見えてきませんか?
そんな彼の背番号は……… 狛、こま、う~む………
「50」でしょうか? そもそも数字に置き換えられる名前は珍しく、波や箔(89)はまったくの偶然だったので、これでお許しくださいませ。
つい新しいレプリカユニフォームを着せ合ってキャッキャしてしまいましたけど、今回は新庄剛志監督がメインでしたね。 「派手でひと味違う」という声もあるのですけど、それは思い付きからではなく、全て計算からの行動だと信じています。
あなたは選手時代は陰で猛練習をしていて、苦労や努力をしているところを人に見られるのを嫌っていましたね。魅せることには長けているだけではなく、野球に対する愛情は人一倍強く、選手やファンのことを大切にするところも素敵です。
「ファンは宝物」という今年のスローガンにも、グッときました。
これからリーグ戦が始まっていろいろと大変なことも起こると思いますけど、私たちが応援しています。どうかお身体を大切にしつつ、一緒にファイターズを盛り上げましょう。
敬具
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