こんばんは、白黒茶々です。
藤枝市の蓮華寺池公園をあとにした私・波・狛の白黒茶々家の1人と2頭は、そこから北東の山側に入っていき………
同じ市内の旧岡部町にやってきました。 こちらはかつて東海道の21番目の宿場町だったところで……… といっても、地元の方には失礼ですけど分かりにくいかも。
そう、とろろ汁で有名な丸子(鞠子)宿からひと山(宇津ノ谷峠)越えたところに位置しています。
それから岡部町といえば、ゴン中山こと中山雅史さんと彼のお父さんの儀助さんの出身地でもありました。
ちなみに波と狛がいるのは、参勤交代の際などに大名の宿泊施設となる本陣というところで………
外側の門構えは復元されたのですけどその内側は跡地のままで、表面の表示というか、だだっ広い広場となっていました。 そう東海道といえば、歌川広重がすべての宿場の風景を描いた「東海道五十三次」が有名ですよね。それと、十返舎一九が弥次さん(弥次郎兵衛)と喜多さん(喜多八)の珍道中の様子を記した「東海道中膝栗毛」を加えた東海道の旅が、昨年日本遺産に指定されました。
そのうちの「東海道中膝栗毛」は旅のガイドブックの走りとなり、江戸時代に旅ブームを巻き起こしたそうです。
そのことを記念して、弥次さん喜多さんの書き割りが設けられていたので………
顔を突っ込んでおきました そんな彼らを「狛郎兵衛さん」「波八さん」とお呼びくださいませ。
それから、その岡部宿には………
江戸時代後期に建てられ現存している旅籠の建物を活用した、大旅籠柏屋(かしばや)があります。
そうしたらせっかくなので、波と狛には駐車場の車の中で待機していてもらって、私が代表してその内部を見学いたしましょう 電子マネーにも対応しているみたいですけど、入場料の300円を払っていざ宿の中へ
そうしたらいきなり、宿に到着したばかりの弥次さんと喜多さん(のマネキン)が足を洗っているところに出くわしました。 その奥にある台所では………
配膳の準備がされていました。 一般の旅人が通される部屋は、旅籠の土間を挟んだ北側で、そちらに敷かれた畳は縁がないうえに質素な材質でした。
一般人向けの客室は2階にもあって………
そちらには、晩酌をしている弥次さんと喜多さんがいました。 しかもセンサーが仕込んであるみたいで、私が通りかかったら彼らの楽しそうな会話が聴こえてきました。
それらの平民宿泊ゾーンを見終わったら………
土間の南側にある、侍を対象にした部屋を見学しますよ こちらは格式がグンと上がっていて、縁付きの畳と欄間、さらには床の間まで設けられていました。
しかも部屋は広くて、日当たり抜群。
さらには、庭に面しているときたもんだ
その庭の向こうには………
明治時代(左)と江戸時代(右)に建てられた倉が並んでいました。 ちなみに明治の倉は「ギャラリーなまこ壁」という名で………
この日は大量の髭天神(?)が飾られていました。 一方の江戸の倉は、「倉cafe & dining coconomi」という名の地場産品を食材にした、創作料理店となっていました。
いわゆる古民家カフェのような感じで、古い建物の柱や梁が現代風の改造とうまくマッチしていて、そのようなお洒落なところで料理をいただくことに。こちらは繁盛していて、予約もいっぱいになっているそうです。
大旅籠柏屋専用の駐車場がほぼ満車になっていたので、「日本遺産効果で旅籠に見学者が殺到しているのか?」と思っていたのですけど、ほとんどの方はcoconomiさん目当てだったみたいです。 私が行ったほうはガラ空き……… いや、静かに自分のペースで見学できる環境となっていました。
さらにスタッフの方が親切丁寧に案内&解説してくださったおかげで、そのありがたみは増しました。
岡部宿の次は藤枝宿となるのですけど、そこは朝ラーメンと蓮華寺池公園の周回を済ませてきたので、すっ飛ばかして、そのまた次の島田宿まで進ませていただきます。
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