しょぼい毎日

いつも理想はでっかいが、結果はしょぼい・・・。そんな日常を綴ってみました

秋風、迷走旅行(1)誤算の久留里線訪問

2012-11-10 23:50:47 | 旅行記

Img_4336 2012年10月20日(土)

早起きして神戸空港から始発の東京便でへ飛んできましたが、羽田から千葉は遠い・・・・。さらに、小さな手違いの積み重ねで、目的地の木更津到着は正午を過ぎてしまいます。キハ30最後の活躍を見ようとここまで来ましたが、今から久留里線の奥に入って撮影するには、日照時間の点から難しいと判断し、木更津寄りの横田駅で下車し、適当な場所を探します。駅から東へ5 分程歩けば田んぼの中の開けたポイントに出ます。上り列車をのんびり待ち続けImg_4411ていると、カラフルな久留里線塗色のキハ38の姿が見えます。後ろには、目的のクリームと朱色の国鉄色キハ30が連なっています。キハ30は木更津方に連結と思い込んでいたので、少々凹みますが、これは仕方無い・・・。

東横田駅までトボトボ歩いて行きます。

10月の日暮れは早く、3時と言うのに陽は早くも傾いています。自分自身の長い影を引きづりながら、早々に引き揚げます。木更津では後継のキハE130がいつでも交代出来ますとばかりにスタンバイ。奥では2両のキハ30が休んでいます。もう少し早くこれたならキハ30だけの編成を見られたのにImg_4346・・・。当初立てたプランがImg_4361_2 少しづつ迷走し始めているのをこの時は気が付いていませんでした。


電動アシストで行く、しまなみ海道(1)行きは絶好調・・・・

2012-10-07 23:58:12 | 旅行記

2012年9月29日(土)

F1001545 早起きしてやって来たのは、愛媛県の今治駅!その高架下の一画にある真新しい店舗<ジャイアントストア今治>に9時の開店を待って入ります。本日はここを起点に、しまなみ海道を自転車で巡ります。参加者は、私、J南高校映画部先輩人間ミサイル氏、そして千葉から帰省中のJ東高校映画部OBで自転車の師匠であるH野氏の3名です。人間ミサイル氏はカーボン製のロード、H野氏はアルミ製ロード。私は電動アシストをそれぞれレンタルします。事務手 続きとバイクの調整を終え出発します。本日は接近する台風の影響で厚い雲が空いっぱい広F1001546がっています。残念ではありますが、気温は上がらず、この点は自転車初心者の私にとっては幸いです。

今治市街を北に走り、いよいよ海を渡ります。地上から橋の上まで通じている自転車専用のループ式の高架道路を登っていきます。眼下に造船所や、行き交う船を見下ろし、ひたすらペダルを漕ぎます。橋のたもとまでたどり着くとそこからは長くて高い橋の 上をひたすら走ります。3つのつり橋が連なる来島海峡大橋は合わせて4㎞。その第一大橋をF1001537渡り終えた地点から直下にある橋脚の島となった馬島へ降りる事にします。原付も乗れる連絡エレベーターで島に降下し、島の小さな港に行ってみます。長閑な眺めに一同一息つきます。私は岸壁下に気持ちよさげに浮かんでいるクラゲに見とれています。が、ここでいつまでも一服している訳にはいきません。まだツーリングは始まったばかりです。港を後に、丘の中 腹にあるエレベーターまで戻り道、電動アシストのテストを兼ねて全力で漕ぎます。すると後ろから見えない誰かがバイクを押しているかのように坂道をすいF1001532すい上がっていきます。今までママチャリタイプの電動アシストは乗った事はありますが、あまりアシストされている実感はありませんでした。が、この自転車は違います。<ザクとはちがうのだよ!ザクとは・・!>のセリフを呟くランバ・ラル大尉の気持ちが分ります。それ(調子をコイているビギナー)を見 たベテランH野氏は後ろから、ベテランの意地を見せるべく、疾風の様に抜いていきます。<さすが、歴戦の勇者・・・。>と感心しましたが、エレベーターの中でH野氏が息を切らせていたのを見てしまいました。思えば電動アシスト付きのアドバンテージは、一般人がサイボーグ化するか、パワードスーツを着けた様なものなのかとの思いを強くF1001530しました。少し他の方々には申し訳無い気がしましたが、それはそれで自分が歴戦の勇者と対等でいられる事に少々嬉しく なります。再びしまなみ海道に戻り、長い来島海峡大橋大橋を渡り切り大島に上陸します。空からは小さな雨粒が降ってきます。以後は、雨足が強くなると休憩。止むと移動を繰り返します。小さな丘を上下しながら一般道で島を貫けます。やがて伯方・大島大橋が見えてきました。海面近くから橋桁上までひたすらスロープを上がっていきます。今では坂道部分では先頭を走らせてもらっています。昨日までは、、途中リタイヤになって足手まといになる悲惨な姿をイメージしてしまい、何か理由をつけて欠席したいという気持ちも少し(いや、本音は・・・)ありました。それなのに、反則技とも言える電動アシストの性能のおかげで、すこぶる快調に坂道を飛ばしています。これは予想外の展開であり、少々痛快でもあり、実に楽しい・・・・。伯方・大島大橋を渡りきり伯方島西部の一般道路をかすめるように走り、大三島橋を渡ります。本州四国連絡橋で唯一のアーチ橋で、いままで吊り橋ばかりだったので新鮮に感じます。ここは本州四国連絡橋の中で最初に完成た橋として知られています。橋を渡って大三島に入ります。東海岸に沿って北上すると、やがて美しい斜張橋が姿を現します。広島F1001527F1001528との県境の橋、多々羅大橋です。が、橋を渡る前にある道の駅多々羅しまなみ公園で遅い昼食をとる事にします。人間ミサイル氏はマハタ(あら)料理、H野氏と私は今治のB級グルメ<焼き豚卵丼>を注文。それぞれ、美味しく頂きます。焼き豚卵丼は名前の 通りの内容でしたが、そのシンプル故に美味しかった。

しばしの休憩の後、いよいよ、多々羅大橋へのアプF1001529ローチを開始します。今見えている向こう岸は広島県です。


梅雨の晴れ間の尾道紀行 尾道ラーメンとおみくじ

2012-06-23 23:24:20 | 旅行記

2012年6月17日(日)

Img_1940 Img_1986_2 JRを乗り継ぎ11時前に尾道駅に降り立ちます。まずは、細長いアーケードに覆われた商店街を1kmほど歩きます。街全体が昭和を感じさせ、子供の頃の思い出がふと湧き上がってきます。たどり着いたのは尾道を代表するラーメン店と言われている<朱華園>。まだお昼前なので、すんなりと中に 入れました。外見は少々古びていましたが、中は改装されており、明るく機能的で安心します。間もなく運ばれてきた中華そばをいただきます。一口食べてみて、不思議な気分を味わいます。上品な醤油と鶏がらのスープと平打ちの細麺の組み合わせは今まで食べた事の無い味と食感で、新鮮に感じImg_1944るのですが、それでいてなぜか懐かしい。何故なんだろう・・・・。薄いチャーシューは淡白でありますが、このスープには合うんでしょう。スープの海に大量の麩が浮いています。何故?と考える間もなく食してみると、麩ではない。口の中で溶けてしまいます。Img_1945これは・・・<背脂>!ラードの小粒です。とは言え脂ギッシュ感はあまり感じず、むしろ上品なスープを引き締めている感が・・・。店を出る頃には、<朱華園>目当ての観光客の大行列が出来ていました。早めに来てよかった。店を出て、すぐそばの岸壁に腰掛けて潮風に吹かれていると不意に先ほど<朱華園>で感じた懐かしさの意味が分りました。あの味は、チキンラーメンの味に通じるものがあります。チキンラーメンを磨いて、洗練していけばあのような味になるのか?等と勝手な事を妄想してしまいます。それにしても記憶に残る味です。

Img_1925 Img_2003 Img_1982 お腹も膨れましたが、今回の旅の目的の映画上映時間まで3時間ほどあります。今まで曇っていた天候が、いつの間にか夏空に・・・。予定外ですが、線路際に向かい久しぶりに撮り鉄にいそしみます。細長い市街地と山に挟まれた地形のため、長編成の写真には向きませんが、石段や古寺を入れた写真にチャレンジします。しばらく見ない間に黄色い電車が増殖していますが、時たま湘南色や旧西日本色の115系が通り興味は尽きません。さすがに物流の大動脈<山陽本線>です。貨物列車も多く、楽しいのですがこの時間帯は桃太郎ことEF210ばかりがやってきます。

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Img_2044Img_2130撮影の片手間で八幡神社にお参りをします。すると、すぐ後ろで踏切の警報機が鳴りお参りを中断して線路際 でカメラを構えます。そんな光景を神様はちゃんと見て おいでになったのか、直後にひいたおみくじは<末吉>。内容は《ふらふらした気持ちを改めよ!》とのお言葉でした。戒めとすべきでしょう。傍らの高麗犬様が私を呆れて見下ろしている様に見えます。


南海四国ライン再発見と金沢カレー初体験

2012-04-30 23:05:09 | 旅行記

F10013542012年4月28日(土)

F1001357 今日からGWに。前半3連休の初日は、いくつかの所用をこなすため海を渡ります。いつもなら淡路島経由で車で渡りますが、今回は船で渡ります。港まで原付バイクで行き、早朝5時40分発和歌山港行き南海フェリーに乗船します。驚いた事に船体には萌え系キャラのイラストが描かれ、船内にはキャラクターの実物大?009パネルがでーンと置いてあります。ライバルの高速(本四橋含む)割引やバスに対抗すべく<ゆるキャラ>では 無く<萌え系キャラ(高校2年生の高野きららさんと阿波野まいさんの2人)>で集客・イメージアップを図ろうとしているのでしょうが、その効果は果たして・・・。 乗客の誰一人、このキャラクター達に関心を持った様子が無い事が印象的でした。和歌山港で南海電車に乗り換えなんばへ向かいます。思えば高速千円が始まってからは、関西方面へ行く手段はほとんど自家用車になってしまいました。高速千円が終わってもこの傾向は続いています。南海本線に乗ってなんばへ行くのは数年ぶりで、車窓風景も新鮮に感じます。箱作・鳥取ノ荘間では青い海を望んで走ります。こんなに海の近くを走っていたんだと、驚きます。乗車時間1時間程でなんばに到着。

午前中に大阪市内での所用を終え、これからの時間は自分の為に使います。

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梅田貨物駅外周を時計回りに歩きます。塀の外からコンテナをウオッチングしますが、今日は珍しい箱は少ない様で、少々当てが外れてしまいました。とは言えうめ北ヤード一帯の変貌は著しく、西側の建設ラッシュの眺めはある意味壮観です。残された貨物駅も間もなく廃止になるでしょうから、この都心部に貨物列車が乗り入れている光景も、人々の思い出の彼方へと消えていきます・・・・。駅の西側を北に進むと、やがては阪急中津駅に行きあたります。079 090

中津駅から阪急神戸線に乗り、プチ散歩を始めます。

135F1001355  昼食は、今津線甲東園駅下車すぐの「カレーの市民アルバ」で以前から食べてみたかった<金沢カレー>を頂きます。金沢カレーは、ルーが濃厚でドロッとしており、キャベツの千切りが載っており、なぜかステンレスの皿に盛られている等の特徴があるそうですが、実際に食べてみない事には実態は分りません。チキンカツカレーを注文して、待つ事5分。出てきたカレーの外観は正しく<金沢カレー>の定義にピッタリ・・・。濃厚なカレーは家庭のカレーを極限まで煮詰め、漕げる寸前に火を止めて出来たような感じ・・・。とは言 149え、家では真似出来ない感じ。スパイシーでは無いのだけれど、これもカレーなんだと思わせる味。お腹いっぱいになりました。次は、お湯に浸かって心と身体を癒す事にします。今津線を北上し、宝093塚で宝塚線に乗り換え山本駅146に。

駅から無料送迎バス(ハイエース)で5分程走ると目的のスーパー銭湯名湯<宝乃湯>に到着。スーパー銭湯とは言え、37.1度のナトリウム塩化物強塩泉のお風呂が源泉かけ流しであります。小さいけれど、茶色に濁った源泉露天風呂に30分ほど浸かると疲れが取れた気分になります。さらに気分をリフレッシュするためサウナに入ります。が、中の大型TVではドラマの再放送が・・・・。何故かはまってしまい(ちょうどコドモ警察の1話、2話を再放送・・・。こんな感じ→http://www.youtube.com/watch?v=h2XmvKvdOYU名探偵コナンと太陽にほえろと西部警察を3で割っ て実写化したもの。あまりのくだらなさ故、見入ってしまいました・・・)30分以上長居してしまいました。その結果は・・・。見事脱水症状に・・・・。来た時以上にへろへろになって、徳島への帰路につきます。とにかく長い一日でした。


1円電車と廃墟をみる(4)

2011-06-09 23:57:14 | 旅行記

6月5日(日)

トワイライトな旧明延鉱山地区を後にして、帰路につきます。行きと同じ道を通り神子畑まで戻り155ます。天まで届きそうなコンクリートの階段状の遺構は南米ペルーの

マチュピチュか地球防衛軍の基地跡かといったスケールに感じます(両方とも見たことは無いですが)。160

道路脇に建っている洋館「ムーセ旧居」が気になっていましたの、入ってみます。長崎のグラバー亭か神戸の異人館と見まがう程のハイカラな建築物は、廃墟だらけの風景の中に、唯一生命感があり、場違いな感じがします(私が入った時は誰一人居ませんでしたが)。この建物は、かつての鉱山事務所や診療所として使われていた洋館で、かつての神子畑選鉱場の写真や模型等を展示したプチ鉱山資料館となっていました(無料)。ここの展示物を見ていなければ、目の前に広がる巨大なコンクリート遺構と、東洋一と言われた神子畑選鉱場の現役時代の姿とを関連付けて想像することは出来ませんでした・・・・。

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再び外に出て、神子畑選鉱場遺構に向きあいます。向かって左端にインクラインが設けられ、遥か上方の明神電車(明延からの鉱山鉄道)の停車場のエリアとを結んでいました。明延から運ばれた鉱石は列車から降ろされ(落され)下の階層に下って来る間に、巨大なマシンにより、より分けられていた様です。その技術は高かったといいます。明延エリア自体は、鉱床が枯渇して止めたのではなく、昭和最末期の急激な円高により海外との競争力を失ってやめざるおえなくなったもので、最期まで持てる最新の技術を投入していたようです。それでも、力尽きてしまった・・・・。ここが国内金属鉱山の最後の砦だったと言います。この巨大な無人遺構を前にしてみて、日本の国の将来とダブって見えてしまうのでした。

 

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遥か高山の地に栄えたマチュピチュでしたがそこに暮らす169人々が消えてしまった様に、この地にいた大勢の人影もすっかり消えてしまいました。 両者とも、石の遺構を残して・・・・。