しょぼい毎日

いつも理想はでっかいが、結果はしょぼい・・・。そんな日常を綴ってみました

1円電車と廃墟をみる(3)

2011-06-08 21:35:27 | 旅行記

2011年6月5日(日)

一円電車の運転会場と隣接する明延振興館前にも、明神電車の車両達が展示されています。

064 072 ←役員専用電車として活躍した<しろがね号>。機関車に見えますが、お客を乗せるので電車なのでしょう。扉が開き、内部が覗けますが、すでに朽ち始めており、VIP専用車の面影はありません。ちなみに、先ほど乗車した<くろがね号>は、元々三菱鉱業社長が明延を訪問する際に利用するため急造された車両との事。とにかくユニークな車両が多い!

123 少し離れた<あけのべ自然学校>にも、今まで見てきた車両よりさらに小さい、軌間500㎜のバッテリー機関車と鉱石車が展示されています。こちらは全身さびだらけで、朽ちるに任せています。ここから少し山に入っていくと、踏切跡があると聞いて、山道を登ります。少し開けた場所に500㎜軌道の跡を発見。抗口は鉄扉で閉鎖されています。反対側はすっかり整地されていましたが、何かの施設の跡の様です。少し視線を上の方に向けると木々に隠れていくつかの建物が見えます。そして上方の施設に向かってインクラインの跡が伸びています。ここが、かつて明延鉱山の112116中心だったエリアだったのです。インクラインの伸びている上部エリアに、鉱山の重要施設が立ち並んでいた様です。神子畑に通じていた明神電車(一円電車)はここから発着していたようです。S62年に閉山となり、4半世紀という時間が流れましたが、時の流れは風景を変えてしまったようです。それにしても、かつて4000人が暮らしていた明延ですが、今はそのほとんどがみどりに帰ろうとしている現実が実感できます(現在は人口140人程)

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←上部に大規模な鉄道施設や鉱山施設が集中していた様です。今やそれらの跡は自然に帰ろうとしています。看板がなければ気がつかなかった。


1円電車と廃墟をみる(2)

2011-06-07 20:31:42 | 旅行記

2011年6月5日(日)

039 033 乗り込んだ客車は<くろがね号>。客車は、元々この地で活躍していたものの様です。中に入ってみてナローゲージの車両の狭さに感動を覚えます。ロングシートに腰をかけると、向かいの席にほとんど膝が付いてしまいます。木の床は飛び跳ねると、破れそうな位のペラペラ感。現役時代の明神線は、ほとんどがトンネル区間であった為か、窓は危険防止のため鉄格子がはめられ、囚人護送車の様です。片道70m程の距離を往復するだけとの事ですが、ゆっくり走るので感覚的にはもっと長い距離の様に思えます。平地に新たに線路を引いたので(元々の軌道とは関係ない場所)、乗り心地は予想外に良かったです。客車列車に乗ったのは何年ぶりでしょうか?ほんの数分の乗車ですが、楽しいひと時でした。将来は、山の方に残されている600mの軌道に列車を走らせたいと伺いました。それには費用がまだ足りないとの事。乗車に1円しか出さなかったのが申し訳ない気持ちになりました・・・。私ひとりのために、5名程のスタッフで列車を出してくれたのですから・・・・。運転終了時間の15時が迫っており、私の乗車した列車が最終かと思っていたところ、一組の家族連れがやって来て、あれよあれよと言う間に乗り込んだと思うと列車は出発していきます。乗るのも楽しいですが、外から動くのを見ているのもまた楽しい・・・。客車の中で子供たちがはしゃいでいる様子が見て取れ、外のに居る自分にもその気持ちが伝染してきます。098

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1円電車と廃墟をみる(1)

2011-06-07 00:58:16 | 旅行記

2011年6月5日(日)

002 高速道路(&本四架橋)休日1000円もあと3週を残すのみ。<チャンスは最大限に生かす>はシャア大佐の最終回でのお言葉ですが、私もそれにあやかり、四国から脱出します。鳴門IC から明石大橋を経由し山陽道、播但連絡自動車道路をひた走り終点和田山に近い朝子ICまでひた走ります。ここからカーナビとiPadの地図ソフトを頼りに進路を西にとり、山の中に入っていきます。人家も絶え、周囲が緑に支配されたと思われた頃、突然視界に巨大な人工物が飛び込んできます。神子畑選鉱所跡です。強烈に興味をそそられますが、今こちらで長居をする訳にはいきません。これから、さらに山間に分け入り明延の1円電車を見に行きます。本日、地元のボランティアによって復元された列車が走るとのこと。ところが明延地区への案内表示は看板や幟等もなく(見つけられない程貧弱なのか?)、iPadもドコモも圏外となり、最後の綱のカーナビも山間地のため地図の縮尺が大きくて役に立たず、頼りとするのは当てにならない自分の勘のみ・・・。諦めかけたところで鉱山学習館の案151 025 内板を発見。側道を上がります。行き止まりにたくさんの鉄道車両が展示してあります。とは言え、ここには動いていそうな車両は見えません。みんな博物館の剥製の様に静かに鎮座し016てい006 ます。あまりに個性的な車両ばかりで、時間が経つのを忘れて見入ってしまいます。

と、そこにヘルメットをかぶった一団が現れ、引率者に案内されて地下の坑道に入っていきます。後で聞いたところでは坑道見学会(有料)の参加者であった様です。立ち去ろうとするスタッフの方に、電車の運転は今日は終わったのかと聞いてみると、<ここからもう少し集落に入った地区でやっているが、もう間もなく終了するので急ぐように>と言われました。慌てて言われた場所に行ってみると、小さな機関庫と小さな屋根の下に、小さなバッテリー機関車と小さくてクラッシック(要するにぼろな)客車が連結されて、お客を待っています。

026 <まだ乗れますか?>と声を掛けると大丈夫との事。

スタッフが言うには、この小さな機関車21号機は、明延で使用された機関車ではなく、余所の鉱山で使用されていた同型を入手し、ニチユの子会社で整備してここに持ってきたもので、ここでは機関車は20号機まであったらしいので、それに続く機関車と言う訳で21号機を名乗っているとの事。明延カラーのブルーに塗りなおしてもらっています。

乗車協力金として1円を支払い、小さな車両に乗り込み出発を待ちます。乗客は私ひとり。贅沢な客車列車の(けれど極めて短い)旅が始まります・・・。


秋の九州行(2)シルバーとの出会いとイエローとの別れ

2010-10-23 23:22:22 | 旅行記

10月15日(金)

左舷に九州の街の灯が輝いているのが分ります。急いで朝風呂を浴びて、下船準備をします。定刻5時20分、新門司港着岸。自動車なしで九州まで乗船していたのは、大きな船で7名でした。全員、船内で予約していた乗り合いタクシー2台でJR門司駅へ向かいます(300円也)。ようやく陽が昇り始めます。早速、北九州市内のいくつかの駅で駅撮りを試みたもののいま一つで、気分が乗りません。長い船旅で少し疲れたようです。午前中は、北九州・福岡間で列車撮影するつもりでしたが、撮影地までの長い道のりを歩くのが面倒で、門司駅に戻り駅前のミスドで、コーヒーをお代わりしながら、無為に時間を過ごしていました。いつもなら仕事をしているこの時間、見知らぬ街で何もせずまったりとした時間を過ごしている、ある意味贅沢な気分を味わっています。(そんな過ごし方で幸福を噛みしめること自体、しょぼい休暇なんでしょうが・・・・)

とは言え、いつまでもコーヒーを啜っている場合ではありません。お代りも4杯めでギブアップ・・・。

昼前には気を取り直し、福Img_1819_2岡方面へ出発します。私の乗った快速は、黒崎の手前でゆっくりとコンテナ列車を追い抜きます。カマはなんだろうと、眺めていると、車窓に銀色のコルゲートのボディーが映ります。ステンレスの車体が眩しい、銀ガマことEF81-304です。いままで、何度か撮影にトライしてきて、振られ続けた機関車です。これを撮らずして、何を撮ろうぞとばかり、次の折尾で急遽途中下車。慌ててホームの門司側先端に向かいますが、そこに来て、304号機に出会えた喜びが、失望に変わります。背景のビルは仕方ないとしても、大きな緑の架線柱が画面の真ん中にどうしても入ってしまいます。<慌てて下車せずに、もっと先の見通しの効く駅で降りたら良かったのに・・・・>。今回も、後悔先に立たずの旅の様です。私が、304号機の満足いく写真を撮る日は何時の事になるのでしょう?

さて、急遽決まった今回の旅は<西鉄2000系とお別れする>という大きな目的があります。

私が、国鉄以外の鉄道というものがあることを認識させてくれた、はじめての車両がこの2000系電車です。小学生の自分が、旅先で偶然この車両に出会ったことが、<私鉄電車>とのファーストコンタクトと言えます(大げさすぎますが)。また、このブログで最初に取り上げた話題も西鉄2000系電車でした。

しょぼい毎日第1回 2007年3月12日→http://blog.goo.ne.jp/hally583/d/20070312

あれから、何度か2000系を見に大牟田線沿線を巡りました。そのたびに、これが最後かなと思いながら撮影したり、乗車してきました。わたしにとって、住んでいるところは遠く離れていますが、学生時代、頻繁に乗っていた阪急や京阪の電車より遠くの黄色い電車に思い入れがあります。この栄光ある電車が、遂にラストランを迎える事となりました。このニュースを聞いて心が騒ぎました。でも、行けば、ただの葬式鉄になっちゃう様で・・・・・。でも、最後の姿を見ておきたいという気持ちで、ここまで来ました。

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JR天拝山で下車して、徒歩で西鉄朝倉街道駅を目指します。西鉄の駅は細長い通りを東に5分ほどで到着。そこから線路沿いを10分ほど北上した幼稚園の裏手の踏切でスタンバイします。ちょうど学校帰りの幼稚園児や小学生が私の待機している踏切を渡ります。小さな子どもたちが、カメラを抱えている私を指差して「ラッキー・イエロー、ラッキー・イエロー」とはやし立てます。どうやら子供たちの間では2000系の事を<ラッキー・イエロー>と呼んでいるようです。カメラを持った人もラッキー・イエロー目当てだということが分っているので電車と同じ呼び名で言っているみたいです。私の大好きな2000系の事を素敵なニックネームで呼んでくれているみたいで、私の気持ちも和みます。もうすぐお別れの古い黄色い電車の事を、大人になっても子供たちは覚えていてくれるかな・・・・。などと思いを巡らせているうちに、天神方向から懐かしい、<ラッキー・イエロー>君がやってきました。前回撮影した時と違い、前面塗り分けを登場時に直しています。ラッキー・イエローと呼ばれた2000系の最後の編成は、普段と何一つ変わらぬ表情で、駆け抜けていきました。

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秋の九州行(1)船に揺られて

2010-10-22 00:06:13 | 旅行記

10月14日(木)

Img_1738思いがけず休暇が取れました。今回は、九州へ出かけます。今まで九州入りの手段としては、18きっぷの時期は快速<ムーンライト九州>を使い、JR山陽線の夜行列車亡きあとは、香川県発着の夜行バスを利用してきました。が、さすがに夜行バスでの旅は飽きてきました。今回は趣向を変えて、海路九州入りすることにします。出発日の朝、船会社に電話すると、本日は出発30分前にターミナルに来てくれたら予約なしで乗船可とのこと。徳島港[津田]のフ ェリーターミナルまでは、私の実家から何とか歩いて行けます。乗船名簿に氏名・住所を書いて切符を購入します。徳島港から新門司港まで2等寝台で8,950円。

Img_1784築40年に迫ろうかという実用本位古めかしいターミナルビルで乗船待ち。高度成長期に建てられた大きな待合室で乗船を待つのは4名・・・。この航路はトラックトレーラー輸送が主体ですから、無理もありません。いまどき15時間かけて船旅を楽しむなど時代遅れなのでしょうが・・・・。とは言え今夜のお宿となる<おー しゃんさうす>は総トン数11,114トンで全長は166.0mあります。結構大きな船です。が往時の青函連絡船(津軽丸型8000トン、133m)を上回る巨体の割には、旅客定員は、わずか148名(津軽丸型1,200人・・乗船時間は青函の4倍なので単純比較はできませんが )。人間は車両のおまけという位置付けなのでしょう。その証F1000568F1000565F1000573拠に旅客サービスの省力化は予想以上に進んでいました。船室は2等寝台の みのモノクラス。食堂は、自動販売機から冷凍食品を選び、自分で電子レンジで温めます。売店は案内所兼用でありますが乗客サービスは案内所係員ひとりで、すべてをこなしています。すべてにおいて省力化を徹底している印象です。鉄道でいえば14系15形ブルートレインの2段B寝台のみで構成された、国鉄末期の関西-九州ブルートレインの味も素っ気もないスタイルを思いF1000567起こします。とは言え、大型船ゆえの、ゆとりは感じます。供食に関しては自動販売機とは言えメニューは豊富です。カレー、丼物、麺類、パン、おつまみなど。飲料もアルコール、アイスクリーム等あり一晩過ごす分には充分な内容です。値段も陸上の自販機とそう変わりません。そして、私が一番嬉しかったのが、お風呂の存在です。24時間入れる大浴場が設置されています。もちろん、お湯に浸かりながら、大海原を眺めていられまF1000571す。そんなことを思えば、一時期のブルトレより遥かに快適な旅が楽しめます。(鉄道マニアがそんなことを言ってはいけないのでしょうが・・・) 

携行したiPadを操作しながら、昼間からビールを飲みながら、静かで快適な船旅を楽しみます。船は、四国東岸に沿って南下していきます。が、室戸岬を超えたあたりで、iPadの通信が出来なくなり、すこし後でドコモの携帯電波も圏外となりました。いよいよ外洋、土佐湾沖の太平洋を進みます。陸地から遠く離れると、心細く感じたりします。夜遅くなって携帯の通信が可能になりました。どうやら船は足摺岬を回り込み豊後水道に入って行くようです。何よりも、窓から見える陸の小さな灯は人の心を安心させてくれます。