2014年3月30日(日)
ホテルで朝食を済ませ、富山の街に出ます。昨日と打って変って気分が滅入りそうな
本格的な雨模様です。長い地下道を通り、JR富山駅北口に出ます。これから岩瀬浜まで富山ライトレールに乗車します。JRが運行していた旧富山港線を引き継ぎ、日本初のLRTとして2006年開業しました。私たちが乗車するのは、おしゃれな赤いラインの入った低床連接車です。
富山駅北駅を出ると奥田中学校前駅の直前までの短い間は自動車と並走しながら単線で路面を走ります。専用軌道からは旧富山港線を改修した区間です。枕木や架線柱は新しくなっています。車庫のある城川原でオレ
ンジラインの電車と交換します。結局、終点まで両側の車窓は住宅や工場ばかりが続き、旅情を誘う景色はほとんどありませんでした。が、このことは、安定した利用者がいるということで経営的にはプラスに働くはずです。旅情に乏しい富山ライトレールですが岩瀬浜の周辺は北前舟で繁栄した港町の風情が残っているようで、街歩きを案内するパネルが旅人を誘っています。が、止み間なく降るこの雨の中、街歩きするのは勇気が要ります。結局、乗ってきた電車で折り返します。
車中でドラえもん氏がこんなことを言います。「宮脇俊三の<時刻表2万キロ>の最初の方でタクシーまで使ったのに東岩瀬浜と岩瀬浜の1.1キロを乗車するのを失敗したんだったよな・・・。今、突然思い出した。」それを聞いて、私は遠い記憶を手繰り寄せます。そのようなシーンがありました。この短い区間を乗車するため、わざわざ出直しています。思えば我々世代の鉄道愛好家で宮脇俊三の影響を受けていないものはほとんどいないでしょう。彼が<鉄道に乗るという行為>を広く世に知らしめ、その影響を受けて今の自分達がいるのです。それを認識した瞬間、殺風景な車窓が別の風景に変わりました。天国におられる先生は嫌がるでしょうが東岩瀬浜の地に<宮脇俊三、受難の区間>の文学碑を建ててあげたくなりました。
JR富山駅前に戻り、引き続き市内電車に乗車します。駅の南側の富山地鉄が運行する区間も2009年開業した新線区間があります。2人とも未乗車ですので、この機会に乗っておきます。電車は富山市中心部を時計と反対回りに循環していきます。新線部分は、富山城の傍を単線で走り、オフィス街や大型店横をくねくねと走っていきます。多かった乗客もループが終わるまでに降車していき、一周して富山駅に戻ってきたのは我々だけでした。未乗区間を乗車し終えた時の高揚感の高まりで、自分が骨の髄まで鉄道好きなのだと自覚します。天気はうっとおしい雨でも、心はハッピーなのですから。
宮脇先生の撒かれた種は、時間も空間も離れた私の心の中でも芽を出して大きく育っています。問題は、少々大きく、いびつに育ってしまった傾向アリという事でしょうか?とはいえ、日本の鉄道完全乗車まで、また一歩近づきました!本日の乗車 富山ライトレール7.6㎞、富山地鉄富山都心線0.9㎞ ほんとに一歩ですが・・・。
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