しょぼい毎日

いつも理想はでっかいが、結果はしょぼい・・・。そんな日常を綴ってみました

東北 天国と地獄 決戦 中小国へ

2014-07-14 23:55:58 | インポート

2014年7月9日(水)

 ホテルのアラームは3時半に鳴りました。続いてスマホのアラームも3分おきに正常に鳴っています。今日はこれから負けられない闘いが始まります。

Img_0944車を一路北へ向けやって来たのはJR中小国駅前。ようやく明るくなってきました。そして、うれしい事に晴れています。霧は出ていません。駅傍の踏切を渡って細い砂利道をひたすら北に歩くこと10分。先客は2名です。三脚を立てて、これから始まるゴールデンタイムに備えます。

北海道へ向かう北斗星が通過していきます。わたしの後ろの若い方は、年季の入ったナタでしきりと線路際の草を刈っています。写真に懸ける情熱は私とは比べものになりませんが、もし街中で職務質問されたら言い訳に苦労しそうです。

正面に日が当たり始めました。金太郎

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 そして、やって来ました。最後の急行列車<はまなす>が・・・・

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 次は、これまた撮りたかったED79重連貨物

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 同業の年配の方が笑顔で「天気良くて、ほんとよかった・・・。このあたりだけですよ晴れているの!」と上空を指さし、話されます。実際このポイントのみぽっかりと雲が切れています。南側は既に黒雲が出ています。小さいかもしれませんが奇跡です。

それからは次から次へと金太郎の牽く貨物がやって来ます。すでに、同業者の姿はなく私一人がどれも同じような金太郎を嬉々として撮り続けていました。

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東北 天国と地獄 十二湖から十三湖まで

2014-07-13 23:55:34 | インポート

2014年7月8日(火)

 ホテルの朝食を食べています。今、係りの人がバイキングの料理を撤収してもいいか聞いてきました。私は力なく頷きます。今の時間、ホテルに居てノンビリ朝食を食べているこの状態は<あり得ない!あってはいけない>事態です。時刻は9時を回りました。窓の外はよく晴れています。自分はこの日一日、いやこの旅そのものを台無しにしてしまったようです。今朝は5時に津軽線中小国で急行<はまなす>を撮影する予定でした。

 <なぜだっ・・・!>と云う疑問を解決するため、ひとり事故調査委員会を立ち上げます。確か、ホテルに備え付けのアラームと自分のスマホのアラームを3つセットしました。ホテルのアラームは鳴ったのは覚えています。が、スマホのアラームは鳴った記憶がない。スマホの設定を検証すると1つは午前と午後を間違えていました。これを発見した時点で、気持ちはグレーに。でもあと2回はなぜ?と設定を確認していくと<音量が0>となっていました。このことを発見して、心は暗黒面に落ちていきます。どうも最近は何事に対しても細かな詰めが甘くなっています。疲れも溜まり易く、回復力も落ちています。そして気持ちも落ちていきます・・・・。若い時とは違うのです。

認めたくないものだな、自分自身の加齢ゆえの過ちというものを

Img_0808 誰もいない、ホテルのフロアーでシャア少佐のようにつぶやきますが、それが分かったところで今更状況が変わるわけではありません。

10時にホテルを出発。五所川原経由で深浦・十二湖方面を目指します。天気は嫌味なくらい晴れています。<今朝、もし早起き出来ていたならいい写真が撮れただろうなア>と詮無き事を思って時折空を見上げます。鰺ヶ沢でフロントガラス越しに日本海が広がり、そこからはずっと、視界の右側は海が続きます。千畳敷で一休み。太宰治の津軽にも出てくる名勝ですが、江戸期に海岸が隆起したものとの事。実際広いのですが、写真では広さはなかなか伝わりません。そこらじゅうでウミネコが羽を休めています。人間」が近づいてもなかなか逃げようとはしません。かと言って、戯れようとすると、突然飛び上がり遠くのImg_0833 岩場に飛んで行ってしまいます。私の方が遊ばれています。

休憩で寄った<道の駅ふかうら>の向かいに横たわる小島と紅白の灯台、その横の怪獣の様な奇岩に釘づけになります。地図上は鳥居崎周辺となっていますが、有名スポットではないようです。けれども私の心の穴を埋めてくれる不思議な風景です。ここいらではありふれた光景なのでしょうが・・・・。

JR深浦駅前に来ました。此処へは20年ほど前、列車で訪問しています。東能代から<ノスタルジックビュートレイン>に乗って、長時間停車の間駅前に降り立ちました。駅前の国道を渡ると防潮堤がありそのImg_0836 向こうは海でした。そして駅舎を1枚撮影した思い出があります。でもその時の写真はありません。その時、カメラの中にフィルムは入っていませんでした。装填したつもりで写真を撮り続けていたのです。気が付いたのは36枚の所定枚数を過ぎたのに、まだ撮影出来ていることに気が付いた時・・・。後の祭りでした。それまでにシャッターを切ったノスタルジックビュートレインの形式写真や五能線の風景は消えてしまっていました・・・。いや、最初から無かったんですが・・・。50系改造客車ノスタルジックビュートレインはそのあと数年で引退してしまい今でも返す返す残念です。デジカメ時代になってフィルムの装填ミスは無くなりましたが、バッテリー切れなど違った注意が今でも必要です。今日の朝寝坊の様なヒューマンエラーなど20年経っても繰り返しています。情けないものです。今日は20年目の再履修という形で、以前より観光地チックに改修された深浦駅舎を撮影します。

車をさらに南下させ、秋田県境近くまで来ました。十二湖を目指し内陸をくねくねと登っていきます。実はこの地も個人的に因縁があります。10年ほど前、J南高校映画部先輩<人間ミサイル>氏と秋田を巡った時、十二湖に行こうとしましたが、入口で冬季通行止めの看板に行く手を阻まれました。あれ以来いつかは行ってみたいと思っていましたが、今朝の痛恨の朝寝坊により実現してしまいました。これも縁というものでしょうか・・・。

ある程度自動車で高度を稼ぐと、目的地の手前からは歩きます。信州の別荘地にあるような静かな鶏頭場の池を左に見ながら進むと、十二湖最大の観光スポット?<青池>に到着します。

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 青い・・・。実に青い・・・。それでいて底まで見える透明感・・・。写真で伝わるかどうか・・・・。

Img_0904 さて、帰り道JR十二湖駅に立ち寄ります。ここ限定の青池ソフトを味わう為です。青池以上に毒々しいほど青いそのお味は、濃いヨーグルト味でした。暑さですぐに溶け始Img_0913め、持った手は青く染まります。エイリアンが血まみれ状態です。

帰途につきます。がせっかくですので近くの不老不死温泉に向かいます。10年ほど前に来た時は真冬だった記憶があります。寒さに震えながら、露天の浴槽に入りきれない程の入浴者とともに日本海に陽が沈む様子を眺めていました。実に美しかった。今日、昼間に訪れると、私以外誰もいない・・・。黄金色のお風呂を贅沢にも一人占めします。

このまま青森へ帰る予定でしたが、十三湖に行きたくなりました。日没前に中之島公園に到着。想像以上に荒涼とした風景です。けれど遠くに沈む夕日を見ていると、過ぎた事をくよくよ考えても仕方がないようにも思えます。明日、もう一度津軽線で<はまなす>撮影にチャレンジしようと、心に決めました。明日の天気は午前曇りとなっていますが、小さな奇跡を信じたいと思いました。Img_0927

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東北 天国と地獄 岩手開発鉄道

2014-07-12 23:49:37 | インポート

2014年7月7日(月)

一ノ関駅前でレンタカーを借りていざ出発です。出発前に職員さんから沿岸部は震災前のデーターで、迂回路や復興道路が開通していたりして役に立たない事があるので注意してくださいとのアドバイスをいただきます。陸中松川付近を経由で陸前矢作付近で大船渡線に再合流しますが、線路がさびています。気仙沼線や山田線沿岸部は未開通と認識していましたが比較的海岸部が短い大船渡線は復旧しているものと思っていました。でも河口から数キロ以上の地点の鉄橋の橋げたが無くなっているのを見て被害の恐ろしさを感じます。やがて陸前高田市街が見渡せる地点にさしかかり、驚きます。そこには人が生活する街がありませんでした。山の方から土砂を運ぶ巨大なベImg_0447ルトコンベアが引かれています。土砂は鉱山で使うような巨大ダンプで運ばれています。巨大工事の異様な活気がありますが、生活感が無いエリアを通り抜けます。ニュースでは被災地の姿を見る事がありますが、やはり現地の光景とTVの画面では何かが決定的に違うのだなと感じました・・・。それを気付かない私が愚かなのでしょうが・・・。
 

 盛駅前に到着します。駅の東西を結ぶ跨線橋に上がりJRホームを見下ろして驚きます。線路が剥がされてアスファルト舗装されています。この真新しいかつてレールが敷かれていた道の上を赤いバスが走り去っていきます。<これがBRTか!>と、ほんの数年の沿線は激変に立ちすくみます。

Img_0466 Img_0493_2  そんな感慨に浸る間もなく山の方から短い警笛を鳴らしながら石灰石を満載した岩手開発鉄道の鉱石列車が下りてきます。<よかった!今日は鉄道やっている・・・・>と安心すると同時にテンションが一気に上がり、撮影モードに入ります。

とりあえず山元方向に車を走らせます。日頃市駅で交換するだろうと見立てて、駅端で待機します。やがて短いトンネル越しに山元へ向かう列車が見えてきました。

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Img_0559Img_0572  鉱石積み込み駅<岩手石橋>に向かいます。職員の方にあいさつして、旧旅客ホームから撮影します。ここでは先ほど撮影した列車が到着し、鉱石の積み込みが始まろうとしていました。

日頃市と長安時間で

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盛-赤崎にて

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Img_0714 赤崎駅は初めての訪問です。震災では大きな被害を受けましたが、見事に復旧しました。鉱石をものすごい勢いで落としていきます。

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長安時駅南側

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 そして最後は岩手石橋に戻り先ほどの列車をもう一度撮影します。

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こんな車扱いの貨物列車がバンバン走っている場所は日本にはほとんどありません。

実に満足の撮影行でした。

Dsc_0543 宮守から開通して間もない釜石自動車道で花巻南ICに出ます。そこから花巻温泉郷の奥にある山の神温泉<優香苑>に向かいます。想像以上に立派な旅館で入るのを躊躇しましたが、立ち寄り湯を希望すると豊沢川がすぐ下に見下ろせる大きな露天風呂に案内されました。無色透明のお湯ですが、光線の関係か浴槽内は少し緑ががって見えます。やわらかなお湯に身体をあずけて、頭の中も空白にします。時を忘れて、黙って湯に浸かります。この時ばかりは<鉄道を追いかける事もいいけど、本当の旅の幸せとは心も体もリフレッシュすることなのよね・・・。今まで自分がしてきた旅は、自ら難行苦行を求めているようなものだよなア・・・。>と思いました。
 とはいえ、明日もその難行苦行チックでタイとなスケジュールが待っています。

盛岡から新幹線で新青森へ。そこで閉店間際のレンタカー店で車を借ります。トランクに三脚を入れる際、店の方が言います「撮影の旅ですか?」と。そして、次の言葉に驚きます。「列車ですか?七里ケ浜(蟹田・中小国周辺)に朝の5時くらいに来るやつですか?」と・・・・。わたしは、少しうろたえながら、「何故、分かったんですか?」と聞き返します。最近多いんですよ。そこで列車を撮影される方が・・・。でも昨日返却されたお客様は、おととい・昨日の両方とも霧で駄目だったみたいです・・・。でも天候は運次第ですから。がんばってください。」別れ際に、不安と励ましの両方の言葉をいただき、何とも言えぬプレッシャーを抱えながら、夜の青森市街に車を進めます。


東北 天国と地獄 貨物が撮れない日

2014-07-11 23:52:34 | インポート

2014年7月6日(日)

 年1回のまとまった休暇をいただきました。今日から東北・北海道への旅を始めます。 

 神戸空港から仙台に飛びます。機が東に進むにつれ晴れ間が広がります。北関東を横切り猪苗代湖上空で向きを東に変えやがて太平洋上空に出ます。そこで機体を左旋回します。その時、海岸線に経つ四角い建物と煙突が視界に入ります。私はこの建物を知っている。いや、日本中の人が知っています。<福島第一原発>です。実際には20㎞位の距離はあるのでしょうが、見るものを不安にさせます。日ごろ忘れていた厳しい現実を突き付けられた思いがします。こんな時期に自分は物見遊山な旅をしていて良いのだろうか・・・。
 

Img_0413  仙台空港で半日レンタカーを借り、東北の旅をスタートします。目指すは石巻線。高速道路を使えば十分帰ってこれます。高速に入る前に貨物時刻表を確認します。が脚注を見て、目が点になります。<日曜運休>がずらり。非電化のローカル線でありながら貨物列車が数多く設定されている石巻線ですが日曜運転は午前の2本だけ・・・。結構大きな字体で注意書きされています。出鼻をくじかれました・・・。と言ってもこれはオウンゴールです。誰を恨むわけにもいけません。


 目的地を仙台臨海鉄道に切り替えます。貨物時刻表には休日運休の脚注はありません。

 

戦いとは、常に二手三手先を読んで行うものだ。

Img_0358 とシャア少佐のように二段構えの作戦であったと嘯きます。

Img_0319 仙台臨海鉄道仙台港駅に行ってみるとタキは大量に留置されているものの、車両が動いている形跡はありません。時刻表の発着時間になっても、何もやって来ない、起こらない。本日は貨物時刻表に運休の脚注は無いもののウヤの様です。


シャア少佐は次の様なことも行っています・・・

戦いは非情さ・・・。

Img_0308 Img_0342_2 手ぶらで帰るわけにもいかず構内留置のコンテナをチェックします。

目ぼしいものはUG15D電源コンテナと12ftJRコンテナ3個を載せて海上、陸上を輸送できるラックコンテナと言ったところでしょうか。

目ぼしい成果を上げることなく、仙台港付近の大型量販店駐車場で空しく時間を潰します。仙台まで来て、車も借りて<なにも撮れませんでした>とは・・・・

ええい!冗談ではない!

車の中で誰も聞いていないのを良いことに、これまた少佐の様に叫んでみます。

別に貨物列車ばかりが被写体ではありません。ここは近くを走っている仙石線にターゲットを変更します。

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福田町-陸前高砂の七北田川鉄橋わきで撮影開始です。仙台に着いて4時間半、初めて走行する鉄道写真が撮影出来ました。我ながら効率の悪い撮影旅行だと思いますが、残された時間を。楽しみます。一時期、通勤電車の世界を席巻した205系も首都圏からは姿を消しつつあります。いずれは、ここの205系も次世代の電車に置き換わってしまう事でしょう。元気なうちに記録しておくのも悪くはありません。かつての国電区間だけあって本数も多く、撮影する側から言えば待つストレスも無くモチベーションも上がります。

空港へのレンタカー返却の途中、福田町西側の車両基地を覗いて行きます。ステンレスの車体が夕日に映えて実に綺麗です。

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 6時前に車を返却しました。走行距離は68㎞。今日訪問した内容でしたら電車とタクシーを使った方が時間もコストも効率的でした。あす以降はもっと充実した旅になるよう

Img_0419  仙台空港から鉄道で仙台方面へ向かいます。これから乗車する仙台空港鉄道仙台空港線は2007年開業の名取 - 仙台空港 7.1kmを結ぶ新しい鉄道です。今回が初乗りとなり、私鉄全線完乗まで少しの距離ですが近づきました。が、初乗りでうかれた気分も次の美田園駅付近の仮設住宅群を見て、震災の傷跡がまだ癒えていない事実を 突き付けられます。


Dsc_0534Dsc_0535                                               仙台に出て牛タンを頂きます。予想以上の硬さですが、おいしく頂きました。小さなグラスにビールを付けてもらいました。ジョッキにしなかったのは、今日の自分への戒めの気持ちと、明日こそは勝利の乾杯をという決意のあらわれのつもりだったのですが、頼んだ後で後悔しました。もっと飲みたい・・・。


吉井川鉄橋で70Dをデビューさせる

2014-07-06 01:23:20 | 中国地方

2014年6月14日(土)

 津山機関区を堪能して車に戻ったのが11時半。これからどうするか迷います。北に向かい鳥取県の若桜鉄道を訪問するか、南へ出て山陽線の貨物列車を撮影してから帰るか・・・。朝から長距離を休むことなく運転してきて疲れを感じます。ここは温泉にでも入って少し疲れをとった後、どちらに向かうか決める事に。

Dsc_0511 姫新線沿いに車を東に走らせます。勝間田駅を過ぎた辺りで進路を南に向け15分ほど走ると湯郷温泉に達します。奥津、湯原とともに美作三湯と呼ばれる1200年の歴史を誇る由緒ある温泉とのこと。温泉街の中心部にある湯郷鷺温泉館で入浴させてもらいます。1時間ほど入浴して、これといった特徴のない入浴施設ではありましたが、少し疲れがとれたかなという感じです。これからどうするか結論を出さなくてはなりません。風呂上がりのふにゃりとした頭で考えました。南へ行こう・・・。

Dsc_0512  実は本日、3月末の消費税率UP前に駆け込み購入したCANONイオス70Dを初めて使用しています。およそ3ヶ月の間箱に入れられた状態でした。午前中は、鉄道写真とはいえ、それ自体は動かないものばかりの撮影でした(転車台回転ショーは除く)。せっかくなので、動いている鉄道をこのカメラで撮影したいという気持ちになりました。できれば貨物列車がよいという事で山陽本線沿線を目指します。
  

 
 車を吉野川(徳島や和歌山のじゃないよ)に沿って南下させます。やがて津山方面から流れてきた本流にあたる吉井川を渡り、旧片上鉄道に沿ってさらに南下しますが、車からは廃線跡を見つける事ができません。そうこうしているうちに国道から離れ、いつの間にかよくわからない道を走っています。なぜか大回りした末に目的地の吉井川鉄橋にたどり着きました。ナビに素直に従っていると、時々もわけのわからない経路を走らされます。

 貨物チャンネルによれば間もなくEF66-0が通過するとの事。あわててスタンバイします。此処へは何度か来ましたが、必ず同業者の姿を見かけたものです。ところが今日は誰もいない・・・。誰もいないとポジション取りに迷いが生じます。右へ左とうろうろしているうちに24号機が牽引するコンテナ列車がやって来ます。とりあえずシャッターを切りました。こうして、うちの70Dの鉄道写真デビューがやって来ました。今日のところは実力を推し量ることはできませんが、近いうちに性能の違いとやらを見せてくれる事でしょう・・・。

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 鉄道趣味界(そのごく一部)ではEF66-0番台のブームが来ているようですが、四国在住の私は蚊帳の外状態にありました。けれども更新機といえども、よき国鉄時代(ノスタルジックな面で)を強烈に伝える機関車だという事を感じた事で、その姿を追いかけて行きたいと思います。