日本テレビ系のニュース枠で、羽生選手が、狂言師の野村萬斎さんと対談した様子が、流されました。
羽生選手の希望だったとのことですが、かなり緊張して、照れてうろたえている様子。(笑)
「かなり緊張しているんですけど、大丈夫ですか?」って、野村さんに質問している羽生選手の質問が、そもそもおかしいですね。(笑)自分で何言っているかわからなくなっている? 野村さん、ダメです、っていうわけないし!(笑)
反対のベクトルを使う、虚を突く、というのは、「和」の動きによくある特徴的なパターンだと思います。
全国各地である、よさこい祭りあるいは、よさこいソーラン祭りなどでも、とてもよく見る動きのような。
野村さんの表現で、「虚をつく」という、相手の予想を裏切りながら見せる動きの素早さと機敏さ、そういう動作の連続が鮮やかに決まると、和の動きはかっこいいですよね。「虚を突く」のは、剣道でも柔道でも頻繁にやっていますよね。こちらはその「虚を突く」目的が違いますが、鮮やかに決まると、見ていてカッコいい点は同じかな。
個人的には、羽生選手のEX「Change」(阿部奈々美・元コーチ振付)にも、この要素は取り入れられていると思います。
だからこそ、音楽だけじゃなく、振りでも、あれは「和風」イメージの強いプログラムだと感じます。
最初と最後のポーズは、私も個人的には、できるなら何か変更点が加わるか、完全な変更のほうが良いように思っていましたけど、どうなるのでしょう、楽しみにしておきます。(笑)
ラストは、音を出しているつもりだったようです…(絶対に聞こえないですけど。) 何を表しているのかがよくわからなかったのですけど。
ラストポーズにおいて野村さんの仰っていることは、より良くするためにはすごくヒントになっていると思いましたけど、振付師はみな当然、一つ一つの動作に意味を込めているとは思うので、シェイリーンさんの意志や意図は当然重視されなければならないと思うので…。羽生選手との意思疎通、合意が重要でしょうね。
記憶に残るには、「精神性が重要」と野村さんは仰いました。
これは、「心の向く方向」「心の在り方」とも言えるかと。
日本の伝統の「○○道」の類はすべて、この精神性がもっとも重要だし、必ず「型」というものがあります。
「型」は、余計なものをすべてそぎ落として、真髄だけにしていったものであり、それゆえに正しい「型」には無駄がなく、必ず「美」が体現されてくる。
その「型」の「美」を正確に保ちつつ、我欲とは正反対の「無私」「無我」の「精神」でもって、完全に自分のものにするまで究めていくのが、日本の「○○道」(=和)に共通の「道」のように私には思えます。
フィギュアスケートにも当然、適用できるだろうな、と思いますし、羽生選手は、結構近いんじゃないでしょうか。
それにしても、「ジャッジという邪な」という野村さんの発言に、「よこしまな(笑)」と繰り返して爆笑している羽生選手。 …私も笑っちゃいましたけど、コメントは控えます。(笑)
スポーツに「正しく判定でき、公平なジャッジ」は必要ですけど、それを保つためには、ジャッジにも本当は「高い精神性」が求められると思います。
「場・空気をまとう」というのは、私は羽生選手は、前から結構できていると思っていましたし、その点こそが特別優れているとも思っていたので、「(羽生選手が)今まで意識したことがなかった」かのようにナレーションが語るのを聞いて、(…え?本当に?(笑))と思いましたね。
意識せずにできていたのなら、それこそすごいですね。
羽生ファンでも、この点が、羽生選手は他の選手たちと違うとか、かなり優れている、ということに気が付いている人は大勢いると思います。このブログでも過去にそのようにコメントして下さった方もいらっしゃいます。
以前、高橋大輔さんも、テレビのインタビューで、羽生選手のこの点が他の選手たちとは違っていて、特にすごい点だと思っていたことを、語ってくださっていました。
ただやはり、カナダに行った後の羽生選手のプログラムや演技に一番の欠点があるとしたら、やはりジャッジを意識しすぎて、あるいは、点数を意識しすぎた演技になった時に、伝えるものが特に見えなくなり、「得点稼ぎの演技」に成り下がってしまう危険性を絶えず抱えている点でしょう。
奇しくも、「KENJIの部屋」の第4回で、昨年の中国杯とグランプリ・ファイナルで、「とりあえず基礎点!」の精神で(苦笑)ジャンプを跳んでいたことを告白してくれていて… そう、やっぱりそういう演技は、たとえ技が成功していても、観ていてどこか物足りないですね。少なくとも、私は。(笑)
その思いが、見えちゃうからでしょうね。
でも、羽生選手はそこにも「一生懸命さ」「必死さ」が見えるから、アスリートとしてはそれでも充分感動を与えるのですけれども、表現者として期待すると、ちょっと足りなくなる。 アクセル1個跳べればいい、じゃ、さすがに…。(涙)
…やっぱり、「中国杯」は「忠告杯」になっちゃいますね。(汗)
でもそれは、羽生選手の意識次第で変えられるもの。
最後に、一つ一つジャンプでもスピンでもすべてに意味を持たせて、全部自分の解釈で変えられる、と語った羽生選手は、(今までもそれを目指していることを何度も語ってくれているけれども、)きっと今後、さらに「より良い演技」を見せてくれるんじゃないかな、と思います!
私が思うに、どの振付師でも、振りにはきっと何かの意味をもたせていると思うし、それをちゃんと説明しているだろうとも思うのですけど、その説明の「英語」を羽生選手が理解していなそうに見えたことは、過去にはありましたね。
フィギュアスケートには、スポーツとしての側面もあるため、完全に表現だけの世界とは同じにはならないし、羽生選手に必要なのは双方の「上手な融合」や「両立」であって、高難度技の成功という課題をも同時に抱える難しさがありますが、大変だけど、そこは「課題大好き」羽生選手ですから!
きっと挑戦しがいがあって、楽しいでしょう!
中国のボーヤン選手が、4回転ルッツ+3回転トーループを決めたようです。
羽生選手は絶対にすでに知っていて、きっと燃えているだろうと思いますけど、焦らず落ち着いて、自分の課題の一つ一つを決めていってほしいと思います!
ただ、個人的に思ったのは、最初のポーズへの集中の仕方の説明で
「天と地と人を司っとるのじゃ、という意識」と野村さんが仰った、あれは、僭越ながら、フィギュアスケートでは「害になりうる意識」かも、と私は考えます。
なぜなら、「天と地と人を司る」のは、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教圏ではまさに「天地人を支配する」=「神」のみであり、その「我こそは神」意識を表現してしまうことになり、何者かがその「我こそは神」意識を見せるとき、傲慢の極みとしての、「悪魔の意識」だと理解されてしまうから。
かつて東京にサリンを撒いて日本を震撼させた、麻原○○の当時の発言を思い浮かべれば、よくわかるかと。
陰陽師が、オカルトだと認定されるのは、まさにこの部分。
「オカルト」は、日本では、何か謎なものとか、神秘主義みたいな漠然としたイメージで、たいした深刻さもなく安易に気軽に受け取られていますけど、そうではなくて、定義がしっかりとあって、全てのオカルトは最後には「悪魔礼拝」につながっていくもので、その力は、「悪霊の霊力利用」をしていることになるのです。(やる本人がどういう意識であろうが、知識がどうであろうが関係なく。)
だから、それをそのまま表現しちゃうと、下手したらそこだけが伝わってしまう。 そうなるとマズいし、最高評価を得るのは、無理でしょう。
「役者」として「映画の中で」「そういう設定の」晴明を演じるにおいては、野村さんの仰ることが正解だったとしても、わずか4分半のフィギュアスケートの演技で、役者のように「役になりきる」のがいつも正しいのかというと、そうでもない。
映画と違って、言葉やセリフを伴わないフィギュアスケートでは、伝わるものが違ってきちゃう可能性が出るからです。
「タイトル」と「実際に伝わってきたもの」を見て、演技は評価されます。
グランプリ・ファイナルの会場「スペイン」と、世界選手権の会場「アメリカ」は、キリスト教文化がベースになっている国ですので、「オカルト=悪魔礼拝」だと知っている人は大勢いますし、悪魔礼拝者が実在する国々では、こういうことは強いリアリティをもって受け止められていますので、「お話の世界」「空想世界」としてではなく、重い意味を持ちます。
また、世界的に見れば、どちらの国も、国民の気質が極めて 「陽気」「楽天的」な国ですよね。
暗い陰気なイメージになりすぎないように表現できると良いのかな、という気がします。 曲が曲だけに、なかなか難しい気がしますが、工夫して頑張ってほしいですね。
羽生選手が「SEIMEI」で、本当は何を表したいのか。 注目していきたいと思います。
この対談映像は、1か月前のものだそうです。
8月の、24時間テレビの前後の頃ってことでしょうか。 なんで今頃放送されたのでしょう?
最後に、なぜかロッテのガーナアイスを食べている、「誰これ?(笑)」状態の羽生選手です。
新たな宣伝。→http://www.lotte.co.jp/products/brand/ghanaice/index.html
「ガーナ贅沢仕立て」だそう。
嬉しそうなで楽しそうな表情ではありますけど・・・(笑)