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人気投票で北米で圧勝1位となった、羽生選手のレッツゴー・クレイジー!と現代世界情勢・聖書預言の関係

2017-05-09 | 羽生選手の素晴らしさ

 

アイスネットワーク(アメリカ)が、このほどアンケートを行い、

今シーズンの男子シングルのショートとフリーのプログラムの人気投票の結果が発表されました。

 

…といっても、ショートの候補は、

羽生選手の「レッツゴー・クレイジー」に加え、ハビエル選手、

ボーヤン・ジン選手と、パトリック・チャン選手のSPの、4択の中から、一つという選択肢。

 

フリーの候補は、

羽生選手、宇野選手、ジェイソン・ブラウン選手、ネイサン・チェン選手、の

日本とアメリカのトップ選手4人の候補の中から、一つを選ぶ形でした。

 

フリーは、(当然かと思いますけど)世界選手権で、史上最高難度のプログラムで、なおかつ、

世界歴代最高得点をまたもや更新した、

羽生選手の「Hope&Legacy」がぶっちぎりのトップ人気になりました。

結果はこちらのice network のツイッター記事をどうぞ。← クリック    

そのことに触れた日本の記事はこちら。

 

このアンケートでは、フリーではパトリック・チャン選手と、ハビエル・フェルナンデス選手が選択肢に入っていないのですが、(おそらく、世界選手権でフリーで二人は順位を大きく落としてしまったから外したのでしょう)

あの羽生選手の演技は本当に本当に素晴らしかったですし、まさに記憶にも歴史にも残るほどの演技だったと思うので、

出されているスコア以上の価値があったと私は思いますし

何度見ても感動するだの癒されるだのという声が多いのは、当然かと思います。

 

第一滑走者だったから、GOEを始めとして、むしろ得点は抑えられていたくらいですし、2015のGPFの時のジャッジ(「SEIMEI」の史上最高評価が出た大会)がこの演技を評価したら、このスコアを、さらにはるかに上回ったスコアが出されただろうと、私は思います。

羽生選手の得点は、それでもなお、優勝するほどだった、ということです。

そして、なおかつ、このアンケート結果によれば、人気でも1位だったということです。

 

一部の人たちが、あれは世界から評価されにくいだの、理解されにくいだのと言っていて、羽生選手まで(評価されにくい)と感じた時もあったようでしたけど、

そんなことは全然ないと私はずっと思っていましたし、(もちろん、何をどう表現するのかが一番重要になりますので、そのポイントを外すと全然ダメになりえますが)

ノーミスではない演技に出された演技構成点を、ノーミス・パーフェクトだった過去の演技の演技構成点と比較してあれこれ言うこと自体、意味がないですし、

「きちんとあるべき形で滑れたら、評価されないなんてことが絶対にあるわけない」と私は思っていましたから、本当にとても嬉しい結果です。

羽生選手は、このフリーの曲を選んだ理由について、最新の「モニュメント記念式典」の時に、こう答えています。

「この曲を最初に聞いたときに感じたこととして、自然とか、森羅万象とか、何か目では見切れないもの、感じなくてはいけないようなものを音楽から感じとれた、そこを表現したいなと思った」「ピアノ曲だから選んだ」「日本の作曲者:久石さんの曲であること」「長野パラリンピックのテーマ曲だったこと」「自分がスケートを始めるきっかけになった五輪に関連した曲」だという、複数の理由を挙げていました。

 振付師のシェイリーンさんは、「このプログラムは、彼そのもの」だという風にも語っていらっしゃいましたし、

羽生選手が熟考して、(その表面以上に)深い意味や想いを込めて選び、作り上げた、とても羽生選手らしい演技でしたし、

タイトルの通り、「Hope&Legacy」なプログラムになったと思いますし、元は「Asian dream 」な歌で曲ですから、演技構成や衣装を少し変えて、さらに洗練させて五輪シーズンへの持ち越しも可能だと個人的には思います。  

(今シーズンは怪我から始まっているので、試合に出られなくなることも考えて、場合によっては、シーズンを持ち越せるプログラムとして最初から意識して作ってあっただろうと、私は思っています。)

でも、世界選手権での演技が、あの時点での羽生選手にとっては、完璧で完成だったと言っていいほどの素晴らしい演技でしたから、どちらにしても、今後の羽生選手、来シーズンの演技がまた楽しみです。(私は現時点では、新プログラムになる可能性が高いだろうと思っています。じっくり検討して、良いプログラムを選んで作り上げてほしいですね。)

私は今までの全ての羽生選手の試合プログラムの中では、世界選手権での「Hope&Legacy」は、演技構成の難易度はもちろん、あらゆる面でも、文句なしのベスト演技だと思っています。(映像でもっと良いのや、いろんな角度から撮影されたものが沢山あると本当に良かったのですが!)

五輪シーズン前に、こういう演技が既にあるというのは、心強いことですね。

 (宇野選手は、フリーは昨シーズンの「トゥーランドット」の再演を決めたようですが、これは、私の予想通りでした。 昨年末の全日本の後のエキシビションで、気に入っているなどと言って滑っていたから、きっとそうくるだろうと思っていました。)

 

さて、ショートの結果はこちらです。クリックどうぞ。

63%の支持を得て、羽生選手の「レッツゴー・クレイジー!」が圧勝しました!

 

このことについて書かれた記事がこちら。

 

あの歌詞の意味をきちんと理解している北米の人たちからしたら、当然の結果だと私は思いますが…。

日本では、一部の怪しいライターによる、曲そのものや、羽生選手の人格への侮辱に該当するような酷い解釈を、繰り返し書いて載せていた人たちがいました。

 

「皆さんが元気に、笑顔になれるように…」って、シーズン前・怪我の最中からずっと言い続けてきた羽生選手の気持ちを完全に無視しているのみならず、羽生選手が今まで演技で一貫して示してきたことを、ズタズタに踏みにじるような行為と同じですから、

羽生ファンなら、間違ってもそういうことに加担しないで頂きたいと思いますし、その言動の責任は必ず問われるようになるから、そういった文章の拡散にも、ファンは気をつけたいですね。

 

今シーズン、羽生選手は本当に、驚くほど多くの「De-elevator」の攻撃を受けてきました。

そういったことも含めて、聖書では、「終わりの時代には、神が正しくお裁きになる」とハッキリ書かれていますし、何よりも、そのことこそをしっかりと歌って広めている歌ですから、

意地でもこの歌の正しい解釈を多くの人に知られたくないのは、まさしく悪魔の意志そのものです。

 

ではなぜ、プリンスさんは、リスクを承知で、そんな誤解を受けそうな余地のある歌詞を書いたのかと言えば、これもまた聖書に根拠があるのです。

イエス=キリストは、「わたしが来たのは、…(中略)… 罪人を招くためである。」(マルコによる福音書 2章17節)と語っています。

 

だからこそ、卑猥な解釈や悪魔的な解釈でこの歌を喜んでしまうような人たちをも惹きつけておいて、

よくよく調べたら「全然違った」と知った時に、むしろ考えさせられるような、衝撃的な歌を作るという、ある意味、意図的で非常に戦略的な歌だと思います。 

 

羽生選手は、信じがたいほど、本当に本当に良く耐えたと私は思います…!!

私から見たら、もうその1点だけでも尊敬に値しますね。

 

世界選手権での、あの4回転サルコウからの後続ジャンプの「ミス」とされているところは、

あれでこそ、本来の正しい完璧な解釈と表現になってしまったと言えるぐらいでしたから、

あそこで見せた驚異の技術力と併せて、

羽生選手は、世界選手権で、かえってその「特別な天才っぷり」を、世界に示してしまったに過ぎません。(笑)

 

歌詞の意味をきちんと解っている人たちからしたら、かえって、羽生選手の身に起ってきた数々の出来事を見て、さらに熱狂するのはよくわかります。

プリンスさんの出身国であり、このアンケートをとった国のアメリカは、この意味をきちんと正確に解っている人たちの比率が、おそらく、世界中で最も多い国だろうと思います。

 

今や、中国や韓国でも、日本よりはるかに多くの人がこれらの聖書知識を知っていますし、 

この歌詞の意味がベースにしている聖書箇所を、きちんと判っている人は、世界中に沢山いるのですから、

演技中にやっていることの難しさ、その恐れなき挑戦心とも合わせて、これだけの大変なメッセージを世界に送り届ける演技をした羽生選手が、人気No.1になるのは、当然ともいえるし、

現代の世界情勢と合わせて、そのタイミングのあり得なさ(素晴らしさ)、与えられている使命の大きさには、本当にビックリですね!!

 

でも、こうやって多くの人の投票結果を見ると、やはりこう思います。

羽生選手、本当に 良かったね…!!(笑) 

 

さて、第二次世界大戦以降、戦争とはほぼ無縁で来られた日本人でも、さすがに今日の世界情勢を見て笑っていられる人は少ないことでしょう。

聖書にある数多くの預言(※予言ではありません、神の言葉を「預かる」という意味での「預言」、すなわち、完全に神の言葉であることが前提であって、誰か人間の適当な推測や予想、占い、オカルトもどき、ノストラダムスなどとは全く違うので、混同しないでください)

を知っている人たちの間では、

今がいよいよ、「終末の時代」であり、「今の世界」の終わりへのカウントダウンが始まっているというのは、既に世界共通の認識になってきています。

「レッツゴー・クレイジー!」は、イエス=キリストが、終わりの時代に再び地上に戻ってきて、人々を判定して、天国(神の国)へと招き入れることを歌っています。

 

ラストの言葉「Take me away!」は、「僕を連れて行ってくれ!」という意味ですけれども、

どこに連れて行ってと頼んでいるのかと言えば、

冒頭で歌われている、神様の支配する「天国世界」「終わりなき幸せの世界」へ、連れて行って、と「神様に向けて」お願いしているのです。

 

聖書の預言というのは、人々を怖がらせるためにあるのではなく、

人々に、「心の備えをさせるため」「真理を理解して平安に生き抜くため」「それが本当に神の言葉であることを、人々に証明するため」に与えられていると言われています。

 

いつ、どのようにしてこの世の「終末」が近づいていると知るのか、その「終末の徴(しるし)」について、聖書は次のように説明しています。

 

マタイによる福音書 24章 3節~  (新約聖書 新共同訳より)

 

イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやってきて、ひそかに言った。

「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。

また、あなたが来られて世の終わる時には、どんな徴(しるし)があるのですか。

 

イエスはお答えになった。

人に惑わされないように気をつけなさい。わたし(イエス)の名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。

戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。

そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。

民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。

しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。」 (以上、8節まで)

 

そして、

そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。

偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。

不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」 (以上、10~13節)

 

と、イエス=キリストが語った、と書かれています。

 

今現在起こっていること、方々に飢饉や地震が起こり、戦争のうわさが絶えない状態は、

「産みの苦しみの始まり」に過ぎず、このさらに先、終末の最後の時代には、

悪魔が大活躍する「大艱難時代」(だいかんなんじだい)と呼ばれる、酷く大変な「地上への裁きの時代」が待っていることが聖書では預言されています。

 

では、こんな時代に生きる私たち、生かされている私たちは、どうしたら良いのか。

実はそれを、「レッツゴー・クレイジー!」は、歌っているんですね。

 

 

この災いを逃れ、守られるには、プリンスさんが歌っている、「De-elevator」(悪魔の引き下げ専門エレベーター)が下げようとする方向とは正反対の、

上へ(天へ、神の方向へ)と引き上げて下さる、本物の神様からの力が必要となるのです。

それを得るには、まず、人間の側から、自主的に(助けて!)と、神様に「本気で求める」ことが何よりも大事になります。(具体的には、本気で祈ることですね。場所や状況は問いません。また、神様に頼りつつ、全力で悪魔の支配下から抜け出すことです。)

  

それを、「Go crazy! Punch a higher floor! 」=「無我夢中になって、上の階へと(天の方向、神様の象徴へと)パンチしろ!」という表現で、プリンスさんは歌って奨励しています。

(=悪魔の象徴である、引き下げ専門エレベーター(De-elevator)に乗ってしまったら、その現状を、神様に助けを求めて打破しろ!ということですね。

※ ここで、エレベーターの上階へのボタンを押せばいい、という解釈があるようですが、所詮は悪魔の「引き下げ専門エレベーター」内で、その仕組みに従った行動をやっても無駄で、引き下げ専門エレベーターは何をしても結局、あなたを下に連れていくだけです。現実問題として、それでは悪魔の支配下から抜け出せませんので、ご注意。)  

  詳細な説明は、こちら。→ 歌詞の真意を聖書から読み解く その1 続きのその2

 

そして、このことこそが、実は神様が一番、喜ばれることだと聖書は語っています。

神様の目から見て、人間の側から自主的に「神様に助けを本気で求める瞬間」というのは、

ひたすら反抗していた子供が、反省して、父親の元に来て助けを求めて甘えてくるのと同じで、

とても価値が高く、神様に心から喜ばれることで、何ものにも代えがたいというほどに、非常に価値のあることとして、神様は見ているのだということを、聖書は語っています。

 

このことを知っていると、

ちょうどこの部分を歌っていた、4回転サルコウからのコンビネーションジャンプのところで、羽生選手が、一度膝をつくような形で引き下げられ、

そこからワンテンポ遅れて、天へ向かって飛翔するがごとく跳びあがった、驚くべき後続ジャンプ(両手上げ2回転トウループ)は、

それができるという技術力があるだけでも(羽生選手は)十分に凄いのですが、

さらに、結果的に「点がつかなかった」ことは、

「神様は、この最も尊い瞬間を表現した部分を、決して安易に人間に評価させない」

ことに通じていて、神様の強い意志、深い愛のようなものさえ、私には感じ取れました。

 

この「自らが神に助けを本気で求める」ことの価値は、人間がどう思おうとも、他人がどう思おうとも、神様の視点から見たら、本当に掛け替えのないものなのです。  

そのことは、聖書全体を通して、繰り返し語られています。

 

ですから、「点数がつかなかったこと」を見て、私は逆に大いに畏敬の念に打たれたましたし、

「アメリカ」を始め、キリスト教圏では、このことを知っている人たちは大勢いるので、同じように感じて驚いた人は、数え切れないほど大勢いたことでしょう。

 (注: このアンケートをとったice network は、アメリカにありますね。)

 

これらは聖書に書かれている重大な真理だからこそ、なおさら、あの演技はある意味で「完璧」だったし、誰もが認めるフリーのみならず、あのショートも実は、

「神演技」などと呼ばれても良いような、それにふさわしいものだったと、私は思っています。

 

「レッツゴー・クレイジー!」のテーマでもある、 「神の国(天国)への招き」というのは、聖書の中では、「婚宴」や「祝宴」に招かれることに度々、たとえられています。

 

レッツゴー・クレイジー!が、Celebration (お祝い、祝宴)だと表現され、

おめでたい、ハッピーな雰囲気や、パーティの雰囲気、ノリノリで明るい雰囲気を出しているのは、そういう理由によります。

 

さらに、以前も別のページで書きましたが、聖書では、「神様と人間とのあるべき関係」を、

「花婿」(=天地創造の神)と、「花嫁」(=人間一人一人)のような関係にたとえて、

それこそを、あるべき姿の理想として描いています。(繰り返し、何度も出てきます。)

 

それゆえ、「熱狂」「熱中」「無我夢中」という単語が何度もこの歌で出てくるのです。

 

この「神の国の祝宴」「セレブレーション」には、実はすべての人が招かれているのですが、

(つまり、天国に行けるように、全ての人は、神様に招かれているということ)

それにも関わらず、

なんだかんだと言い訳を言っては、自分から断って、せっかくの恵みを失っていく人が多いこともイエスはご存知で、それを預言していました。

それが、以下の箇所です。

 

 

ルカによる福音書 14章15~24節より  (新約聖書 新共同訳より)

 

゛食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、『神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう』 と言った。 そこで、イエスは言われた。

「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕(しもべ)を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。

すると皆、次々に断った。

最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。

ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか失礼させてください』と言った。

また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことが出来ません。』と言った。

僕(しもべ=神に従い仕える人間のこと)は帰って、主人(=祝宴を用意している神様のこと)に報告した。

すると、家の主人は怒って、僕(しもべ)に言った。

『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れてきなさい。』

やがて、僕(しもべ)が、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、主人は言った。

『通りや小道に出ていき、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。

言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない』 ”

 

 

・・・最後の、「わたしの食事を味わう者」というのは、

神様が天にご用意してある、神の国(天国)での、計り知れないほどの大きな恵みを味わうことの出来る祝宴に出られる者、という意味であり、そのたとえです。

 

せっかく招かれているのに、色々な言い訳をして断ってしまう者(=自ら神様を拒否し、悪魔の支配下に留まることを望む者)は、神様の祝宴でのご馳走を味わうことが出来ないよ、お祝いの席につけないよ、と警告されています。

 

この聖句で言う、「通りに出て行って、色々な人々を、神様の用意された祝宴に招き入れること」が、「レッツゴー・クレイジー!」の曲では、

「Come on, baby!」と、

多くの人を祝宴に誘い、大勢を巻き込んで、楽しく夢中になってみんなでお祝いしようぜ!とプリンスさんが誘っている歌の部分に該当します。


つまり、「観客とのコネクト」をテーマにしていた、

羽生選手のラストのステップ部分というのは、聖書から正確に解釈すると、

神の国の宴会(祝宴)へと招いて、一人でも多くの人を誘い込み、神様の計り知れない恵みに預かれるよう、そして天国へ入れるよう、人々(観客・視聴者)を誘い込んでいる状態を表しているのです。

(上の聖書箇所で言うならば、羽生選手は、主人(神様)に頼まれて、人々を神の祝宴に誘い込んでいる、「神の僕(しもべ)」役を担っていることになります。)


さらに言うと、その「神の国の祝宴」には、

貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人」なども招かれていて、一人の例外も差別もないのだ、ということが、イエスご自身の言葉でハッキリと示されています。 

(ここは、パラリンピックのテーマ曲を使った、「Hope&Legacy」に通じる部分です。)


プリンスさんの歌は、実は、そういうことを表現しているのです。

 

(だから、羽生選手の演技の表現面における解釈としては、クールに真面目に声をかけるような演技でも良いし、明るくノリノリに誘い込んでも、どちらでも、どのようであっても良いわけですが、一人でも多くの人を祝宴に連れてこれることが一番主人(=神様)はお喜びになるので、

やはり一番良いのは、羽生選手自らが、喜びをもって、その素晴らしさを体現しながら、神様の祝宴に誘うことになるでしょうね。(笑))


聖書によれば、天国に入れること、神様の祝宴に預かれることは、

究極の幸いであり、(悲しむべきことではなく)

「お祝いすべきこと」「喜ぶべきこと」なのです。


だから、レッツゴー・クレイジー!という曲の本質は、

「Celebration」(お祝い) と言われます。


 

また、いつか、花嫁(=神様を信じて従う人間)を、花婿が(=イエス・キリストが)迎えに来る、ということが、聖書では繰り返し語られています。

その時がいつなのかは秘密であり、だれにも知らされておらず、天地創造の神のみがご存知で、天使たちでさえ知らされていないと、聖書には書かれています。

 

その時に、花婿に、「花嫁」として認めてもらえずに、神様に天に連れて行ってもらえず、地上に置いて行かれてしまう人たちがいることが預言されています。

ですから、プリンスさんは、この曲のラストで、「Take me away!」(天国へ連れて行って!)とお願いする言葉を、人間から神様に向けて叫ばせて、そこでこの歌を終えているのです。

 

 連れていかれる先は、人間にとって、本来のHome (家、故郷)であるはずの、

天地創造主である「神の国」、すなわち、「天国」です。

 

「ユダヤ人とギリシャ人の区別はなく、

すべての人に同じ主(=天地創造の神様、イエス=キリスト)がおられ、

ご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。

『 主の名を呼び求める者は だれでも救われる 』のです。」

(ローマの信徒への手紙 10章12,13節  新約聖書 新共同訳より)

 

 

レッツゴー・クレイジー!の歌の先に表現されているものは、

悪魔の引き下げエレベーターに引き下げられずに、その試練を乗り越えていった先に見えてくる「希望」です。

 

ですから、羽生選手のフリーの「Hope&Legacy」に、そのテーマは、ショートから、そのまま引き継がれていくことが判ります。

 

この二つのプログラムに共通するキーワードを含む聖書の言葉に、次のようなものがあります。

 

 

神は豊かな憐みにより、わたしたちを新たに生まれさせ、

死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、(=Hope)

また、あなたがたのために天に蓄えられている、(=天国にある)

朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。(=Legacy)

あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、

神の力により、信仰によって守られています。

それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。

(ペトロの手紙第一 1章3~6節    新約聖書 新共同訳より)

 

最後に、聖書の言葉に関する、重大な聖句をご紹介して、このページを終わりにします。

誰か人間が、勝手にこの書物の言葉を変えてしまうことに対しては、重大で恐ろしい警告がなされているのです。

 

「そして天使はわたし(=ヨハネ)にこう言った。

『これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、ご自分の僕(=しもべ)たちに示されたのである。

見よ、わたしはすぐに来る。(と、イエスは言った。) 

この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。』 」

   (ヨハネの黙示録 22章6,7節  新約聖書 新共同訳より)



「この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証する。

これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。

また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、

神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都(=天国)から、その者が受ける分を取り除かれる。

以上すべてを証しする方が、言われる。

「然り、わたし(※)はすぐに来る。」  アーメン、主イエスよ、来てください。

主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。」

(ヨハネの黙示録 22章18~21節   新約聖書 新共同訳より)

※ わたしとは、イエス=キリストのこと

 

上の二つの聖書箇所の英語版はこちらです。

レッツゴー・クレイジー!の中で歌われている、「He's coming!」の「He」が、一体だれを指すのか、英語で見ると、明確に解ります。(下線部分を参考にして下さい。)

 

Then the angel said to me, " Those words are true and can be trusted. 

And the Lord God, who gives his Spirit to the prophets, has sent his angels to

show his servants what must happen very soon."

"Listen!"  says Jesus. 

" I am coming soon !  

Happy are those who obey the prophetic words in this book!"

(Revalation 22:6-7    Today's English Version)

 

 

   I, John , solemnly warn everyone who hears the prophetic words of this book,

God will add to their punishment the plagues described in this book.

   And if any take anything away from the prophetic words of this book, 

God will take away from them their share of the fruit of the tree of life

and of the Holy City, which are described in this book.

   He who gives his testimony to all this says,

"Yes indeed!  I am coming soon! "

   So be it.   Come, Lord Jesus!

   May the grace of the Lord Jesus be with everyone.

(Revalation 22:18-21     Today's English Version)

 

 

新シーズンにむけて、羽生選手に、絶大な守りと、大いなる祝福がありますように…♪

 

 

※ この聖書解釈は、プリンスさんが、この歌を作った当時、キリスト教プロテスタントの信者であったことから、その立場で説明してあります。(アメリカ人の大半は、プロテスタント系キリスト教です。)

聖書の文言を一部、「教祖」が信じたくないがゆえに勝手に変えてしまった「新興宗教」である、「モルモン教」(=末日聖徒イエスキリスト教会)と「エホバの証人」(=ものみの塔)は、アメリカではキリスト教とは認められていません。

それらの組織では、似ているようでも「終末」や「神」に関する聖書解釈が一部異なってきて、最終的には大きな違いをもたらし、似て非なるものになりますので、そこはどうぞご注意・ご理解ください。

 

※ 聖書の日本語訳は、日本のカトリックとプロテスタントが共通で使っている、「新共同訳」を使わせてもらいました。

英語訳については、日本人にも分かりやすい英語である、「Today's English Version」を使わせてもらいました。(アメリカで主流に使われている訳のバージョンは、英語を母語としていない日本人や外国人にはちょっと難しい、格式ばった英語表現が多いので。)