初回UPは 2017年5月28日ですが、もう一度UPしておきます。
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羽生選手は今シーズン、「Hope&Legacy」という、新記録を樹立するようなすごい演技をしてくれました。
この歴代最高得点をとり、神演技などとも呼ばれた、世界選手権での「Hope&Legacy」の時に羽生選手が語っていた「感覚」というのは、聖書を良く知るクリスチャンや欧米人なら、むしろ、羽生選手があの時どういう状態だったのか、とても良くわかる言葉だっただろうと思いますし、とても納得のいくことを説明してくれていました。
さて、この「Hope&Legacy」より前に、2015年時点での歴代最高得点を獲得した、
羽生選手の名演技「SEIMEI」という和のプログラムの背後を支えた精神について、面白い背景があります。
羽生選手が小さいころ、「ウルトラマン」が大好きで、ウルトラマンに憧れていて、初めて作ってもらったスケートのプログラムも、「ウルトラマン」だったというのは、羽生ファンならほぼ周知の事実かと思います。(ウルトラマン・ガイア世代だそうです。)
(いつか、当時の映像を公開してもらいたいですね!(笑))
羽生選手は子供の頃、いわゆる「戦隊ヒーローもの」が好きで、5人いるようなやつだと、真ん中の「赤」のが好きだったという話。
(これは想像に難くないですね…!)
まあ、羽生選手に限らず、日本人の男性なら、小さいころに、この手のものを観ながら育ったという人は多いのではないでしょうか。
現代日本人の精神性の背後に、こういったものの影響は大きくあるように思いますね。
(私は、近所にいた小さいわんぱく坊主たちに、この手の相手となる、「悪役」「怪獣役」を無理やりやらされた経験なら何度もあります… とりあえず、「ガオー!」っとか、「ふはははは…!」みたいな。)
この「ウルトラマン」は、言わずと知れた「悪と戦う正義の味方」シリーズの典型みたいなものですが、
この「ウルトラマンシリーズ」を作ってきた「円谷プロ」の円谷英二さんという方は、特撮撮影の第一人者とも呼ばれ、結構有名な話ですが、カトリックのクリスチャンでした。
聖書の精神が、いたるところに、この「ウルトラマン」の中には込められていた、と良く言われますし、
聖書の内容を知っている人には、すぐに気が付く点も沢山あることでしょう。
だからこそ、親御さんたちは、安心して子供たちにウルトラマンを見せてきたのでしょうね。
さて、「SEIMEI」を、シーズン最初のスケートカナダで羽生選手が演技した時、
「悪霊を成敗してやるう!」という気持ちで演じたと、羽生選手は語っていました。(GPFの後のインタビューで、スケートカナダの時の気持ちを語ったのです)
日本の繊細さや力強さと言った、「和的な」魅力のほかにも、このプログラムを選んだ羽生選手の意識の中に、「悪霊撃退」があったのは間違いないでしょうし、(※人間じゃないですよ、悪霊です)
あれだけ嫌がらせのようなことも沢山経験していれば、そうしたくなる気持ちは、普通の人間なら、よくわかりますし、
大震災を経験したことなどの影響もあり、他にもきっと、「日本」の未来を思いつつ、様々な思いを込めて作ったんでしょう。
あの「SEIMEI」を作るにあたって、狂言師の野村萬斎さんからアドバイスをもらったことは、多くの人の知るところです。
「野村萬斎さん」のファンだったという羽生選手ですが、その「野村萬斎さん」ご本人は、
「狂言の道を自分は歩む」と最終的に決めるにあたって、とても興味深いことをインタビューで答えていました。
まず、こちらのインタビューをどうぞ。
野村萬斎、50歳を迎えて目指す境地とは?「40、50は鼻垂れ小僧」
以下は、上のインタビューからの抜粋です。
「『才能は人のためにある』というセリフは、僕の心にもとても響くもので。僕には、狂言という特殊な技術というか、特殊な芸能のチップを埋め込まれたサイボーグのような感覚があるんです。3歳からやっていますから、自分の意志にかかわらず、プログラミングされた『サイボーグ009』の島村ジョーのような気持ちですね(笑)。でもそのように生まれてしまったのはもう変えようがないし、戻りようもない。そうなると、狂言師として生きて、いい舞台をすることが自分の存在証明になっていくわけです。そしていい舞台をするためには、自分のためだけにではなく、人のために狂言をやることが大事なんです」
さらに、こちらのインタビュー
「野村萬斎、自らを「サイボーグ009」言ってのける伝統芸能の継承者が追求するもの」
野村萬斎さんは、(ウルトラマンではなくて、)「サイボーグ009」の主人公、「島村ジョー」の気持ちだ、ということを、あちらこちらで公言されていらっしゃいます。
このインタビューで答えられている、「自分のためだけにではなく、人のために」というのは、まさにサイボーグ009のテーマとして、人間のあり方を問う、作品全体を貫いている精神です。
(ウルトラマンもそうですが。)
この島村ジョーも、ウルトラマンと同じくらい、日本では長年、かなり人気のあったキャラだと思いますが、なかなか自分で自分のことを
「島村ジョーだ」などと言える人っていないと思うので… 野村さん… すごいですね…! (笑)
この「サイボーグ009」は、知らない人たちのためにちょっと書きますと、マンガの神様と呼ばれた日本の天才漫画家「手塚治虫」さんに次ぐ、
マンガの天才、マンガの巨匠とも呼ばれた、「石ノ森章太郎」さんの、代表作です。
石ノ森章太郎さんは、サイボーグ009はもちろんですが、「仮面ライダー」の原作者でもあります。
(原作の仮面ライダーは、テレビで特撮化された仮面ライダーより、かなりシリアスで大人向けなマンガですが。)
この「サイボーグ009」は、石ノ森さんの代表作ともいえる傑作として有名ですが、
石ノ森さんご本人が生前にインタビューで語られていたところによれば、彼が20代前半に、世界をぐるぐる回る旅行をしてきて、沢山色々な国を見た後で、聖書を読み、その聖書の内容を参考にして、作り上げたという作品なのです。
(代表作初期、「誕生篇~地下帝国ヨミ篇まで。)
読む人が読めばすぐに解る、聖書の影響のとても色濃い作品になっていて、至る箇所にその重要なエッセンスが散りばめられていることが確認できます。
不朽の名作だの、代表作だのと呼ばれる所以ですね。
簡単な内容説明をすると、「ブラック・ゴースト」と呼ばれる悪の集団と、主人公たちが、自分たちの存在意義を問いつつ、命をかけて闘う内容ですが、マンガは非常に社会派な、濃い内容になっていて、とても子供向けには思えないほどの作品で、マンガの天才と呼ばれた理由がよくわかります。
原爆や戦争の話から始まり、最後は平和への願いで終わります。
(アニメ化も数度されていますが、原作マンガとはまたちょっとだけ違っています。)
この主人公たちは、001から009まで、9人いるのですが、この9人というのは、野球のチームを参考にして、9人にした、と石ノ森さんは答えていらっしゃいました。
野球もそうですが、そもそも、この「チームワークを使って闘う」、というのは、聖書の記述、聖書に書かれている「人間というもの」「人間のあり方」に対する明確な記述や発想から来ています。
キリスト教圏では常識です。
(羽生選手は、野球も好きでしたね~!)
ついでに言うと、石ノ森章太郎さんは、羽生選手の出身の仙台の近くの、宮城県石巻市の出身なのです。
石巻は、羽生選手がソチ五輪で金メダル獲得後に行って、多くの人の励みになったことを知り、再びやる気をもらった場所ですね!
(ちょっと話はそれますが、最近フィギュアスケートで有名な「ネイサン、事件です!」という、
ネイサン・チェン選手に絡んだギャグは、この石ノ森さんの別の有名な作品「HOTEL」というマンガと、そのテレビドラマ化のドラマで、主人公がよく言った決まり文句、「姉さん、事件です!」にかけているのです。
あら~、なぜかここでも、石ノ森さんが御登場…(笑) 知らなかった方は、ご参考までに。)
羽生選手によれば、「生命」という意味も込めたという、和のプログラムの演技「SEIMEI」ですが、
演じたスケーターである羽生選手本人や、アドバイスをくれた野村萬斎さんを、その道に進むのに支えてきたのは、
命のあり方について問い、悪と根本的に戦おうとする、「ウルトラマン」や「サイボーグ009」の精神でもあり、
その「ウルトラマン」と「サイボーグ009」の精神の根幹というのは、
そもそも、それぞれの原作者たちが「聖書を参考にして作った」ところにあるわけですから、
世界にきちんと通用するのも、当たり前ですよね…!!
…ということを、怪獣だの悪役だのを散々やらされた経験のある私が、書いてみましたとさ。(笑)
大事な精神を忘れずに、羽生選手には、これからも不屈の精神で、破竹の勢いで、頑張ってほしいと思います!!
イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。
「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
(ヨハネによる福音書 8章31節 新約聖書 新共同訳より)
「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。
敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」
(イエス=キリストの言葉
ルカによる福音書 6章27~28節 新約聖書 新共同訳より)
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」
(イエス=キリストの言葉
ルカによる福音書 6章31節 新約聖書 新共同訳より)