昨日、5月13日は、母の日でした。
フィギュアスケートを観ている人たちの中には、美しいものが好きな人は多いだろうと思います。
羽生選手が、怪我で試合に全く出てこられなくなっていて、
氷の上で滑ることさえ出来なくなっていた、昨年の12月のある日、
私はある駅で、切符の券売機を操作していました。
ところが、操作を終える頃、
突然、後ろから誰かに、ドン!と前に突き飛ばされたのです。
危うく券売機に激突しそうになった私は、
あまりにも不意打ちだったので、ビックリして振り返りました。
すると、知らない男性がそこにはいたのですが、すぐさま、別の女性がその横にサッと現れて、
「本当に申し訳ありません。」と深々と私に頭を下げて謝ってきました。
その女性は、その男性が自分の息子だと話し、事情を簡単に私に説明し、何度も頭を下げて、「悪気はありませんので…」と謝ってきました。
つまり、謝ってきたその女性は、その男性のお母様だったのです。
見れば、何かの障害をお持ちの男性だとすぐに解ったのですが、
息子さんの状態を、丁寧に説明してきて謝ってきたその女性は心配そうに、「あの、お怪我は…?」と聞いてきました。
痛かったのは確かだったのですが、特に怪我をしたわけでもなかったので、
「いえ、大丈夫です…」と、こちらも頭を下げたら、その女性はホッとした笑顔を見せました。
その場を離れた私は、ちょっと歩いてから、
ふと気になって振り返ってみたのです。
すると、その男性はまたも、今度は別の人たちに何かをしてしまったらしく、
その女性は再び、同じように 周囲の人たちに平身低頭に頭を下げて謝っていました。
今度は複数の人たちに謝っていました。
(大変だな…)と思って足を止めて見た私は、その後のその親子の光景に、思わず目を見張りました。
母親であるその女性は、周囲に深々と謝り終えると、
にっこりと微笑んで、今度は ゆっくりとその息子さん(成人男性)の手をとって、
券売機の前で、とても優しい穏やかな眼差しで、一つ一つ丁寧に指差ししながら、息子さんに教え始めました。
時間をかけて、操作の仕方を説明しているようでした。
私がハッと息を呑んだのは、その親子の空間と、そのお母様の姿に、
言葉を失うほどに強い、滅多に見ないほどに美しい「光」の存在を、ハッキリと見たからです。
駅では、通勤途中か仕事の途中、あるいは私用で急ぐ、多くの人々が、次々と波のように押し寄せ、
様々な人がせわしなく通り過ぎていて、誰もその親子の存在を気にもかけていませんでした。
多くの人はちょっと疲れたような表情で、あるいは、特に表情もなく急いで通り過ぎていくのですが、
その親子のいる空間だけは、速いスピードで動く周囲とは対照的に、
まるで時間が止まっているかのようにゆっくりと動いていました。
場合によっては、その空間だけが、取り残されているかのようにも見えたかもしれないのですけれども、
でも、この時、私は、確かにこの親子の姿が、
息を呑むほどに美しい光に包まれているのを見て、その光の崇高さに、畏敬の念に打たれました。
そのお母様の忍耐強い、穏やかで優しそうな、偽りなき笑顔は、
暗い空間にパッと咲いた、美しい花のようでした。
そのお母様は、全く化粧っ気もなかったし、
決して美しく着飾っているわけでも、おしゃれしているわけでもありませんでした。
でも、神様は確かに、このお母様の姿を、(その内面を)
「世界で最も美しいもの」の一つと、認定なさっているのだと、私は明確に教えられて、
そのことに胸が震えました。
このお母様は、今までの人生でいったいどれだけ、自分のせいとも言えないはずのことで、
周囲にひたすら、謝り続けてきたのかーーー。
私自身も、自分が突き飛ばされた直後は、ビックリして、
ショックと怒りが半々の気持ちで思わず振り返ってしまったように、
このお母様は、今までどれだけ、「そういう人々の表情」に出会い、何を思い、感じてきたのだろうか、と
そんなことを思わずにはいられませんでした。
そして、どれほどの葛藤や涙を経て、
ここまで平安に満ちた、美しい光が伴うようになったのか、とーーー
神様があえて、私に見せて下さったとわかる、
その「滅多にみないほどに 強くて美しい光」を見て驚きながら、
私はしばらくその親子から目が離せなくなってしまいました。
「神様の基準は何か」 「神様が、この世で、最も美しいと思っていらっしゃるものは何なのか」
それを改めて知らされ、確信させられた、一つの出来事となりました。
でも、そのお母様はきっと、ご自分がそんなにも「光輝いている」とは、
全く気が付いてはいないのではないかと、
なんとなく、私にはそう思えたのです。
「母の日」と言われる日だった昨日、
街中ではそのためのお花が沢山売られているのを見て、
ふと、このことを思い出しました。
でも、このお母様と同じように、
実は光輝いているのだけれども、ご自分では全く気が付いていない方や、
そのように光り輝かせるための、厳しい訓練の途上にいて、
理由も解らず、毎日消耗し、何かに落胆しながら、涙を流している最中の方たちがいらっしゃったらーーー
あるいは、
決して誰からも、「ありがとう」と言われない状態に置かれ続けてきたり、
長いこと、何らかの理由で、お花をもらうことなどできない、そんな環境に置かれ続けてきた人たちがいらっしゃるならーーー
ーーーきっといらっしゃるだろうと思うのですがーーーー
たとえ人に全く知られていなくても、その全てをご存知で、
誰からも感謝されていなくても、そんな状況の全てをもご存知で、
きちんと見ていて、高く評価して下さる神様が 確かにいらっしゃって、
その試練や困難の先に、
あなたに、「世界で最も美しいもの」を贈ろうとしておられ…
あなたを、「世界で最も美しい花の一つ」にして下さろうとしているのかもしれません、と…
そう伝えてみたくて、このページを書いてみました。
このページが、その方々に、花束の代わりに届くことを願ってーーーーー。
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとを
キリスト・イエスによって守るでしょう。」
(フィリピ人への手紙 4章6-7節 新約聖書・新共同訳より)
「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。
貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。
満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、
いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。
わたしを強めて下さる方(=イエス・キリスト)のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」
(フィリピ人への手紙 4章11~13節 新約聖書 新共同訳より)
「神に従う人の道は輝き出る光。
進むほどに光は増し、真昼の輝きとなる。」
(箴言4章18節 旧約聖書 新共同訳より)
「私の与える実りは どのような金、純金にもまさり
私のもたらす収穫は 精錬された銀にまさる。」
注: 私とは、天地創造主の神様のこと
(箴言8章19節 旧約聖書 新共同訳より)
イエスは答えて言われた。
「この(井戸の)水を飲む者は だれでもまた渇く(かわく)。
しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。
私が与える水は その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
(ヨハネによる福音書4章13,14節 新約聖書 新共同訳より)
イエスは立ち上がって大声で言われた。
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書(=旧約聖書)に書いてあるとおり、
その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
(ヨハネによる福音書7章37,38節 新約聖書 新共同訳より)
イエスは再び言われた。
「わたしは世の光である。
わたしに従う者は 暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
(ヨハネによる福音書8章12節 新約聖書 新共同訳より)