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羽生選手の凱旋公演「Continues ~With Wings~」初日でジャンプなしで滑った羽生選手とインタビュー一問一答

2018-05-12 | プロアスリート羽生結弦と日本の未来を応援する!

5月12日追記: 二日目の放送も終了。時間がなくてまだ録画の大半を見ることができていないのですが、最後の方だけちょっとみることができましたけど、羽生選手が実際には現地で話したメッセージで、カットされてしまった部分があった感じでしたね。もっと長かったと記憶しています。時間がオーバーしていたからかな?感想はまた後日。

 

5月11日追記: 「Continues ~with Wings~」の初日の放送が終わったので、簡単に感想を追加。

シェイリーンさんのプログラムの時、最終日はラッパ隊に羽生選手がいましたけど、(しかもとても楽しげな様子で) 初日の時は、ラッパ隊にはいなかったようでしたね?! 

羽生選手も、初日は、2日目や3日目と比べるとやや緊張気味に見えました。無良さんの実演コーナーだけは、羽生選手は強気でした。

1回転アクセルの時代から、イーグルから跳ぶ練習をしてきたそうで、自分にとってはそれが標準だった、と。(都築コーチにやらされたんでしたっけ。) 羽生選手は無良さんに、5回転アクセルを跳んでくれてもいいよ、などと嬉しそうにジョークを。無良さんは、4回転アクセルは練習したことありますから、ジョークにならないものね。(笑)

親子席の子供の質問コーナーで登場した男の子、陸上でのジャンプは上手でしたね!!

初日の演技に関していえば、ですけど、羽生選手の憧れのプルシェンコさんの演技は、テレビで見た限りでは、ですけど、先に演技した「ニジンスキーに捧ぐ」が、印象深く残りました。

羽生選手のメドレーについては、あのツィゴイネルワイゼン、高校1年の時の羽生選手の映像が映りましたけど、さすがに衣装はあの頃の方が全く違和感がないですが(笑)、とても懐かしく思い出しました。あれで初めて4回転トウループを決めたのですよね…! 

だけど、あの衣装での「バラード第一番」のステップというのは、なかなか面白かったです。不思議と、3曲の中で一番衣装が気にならなかったのが「バラード第一番」でした。振付が今の羽生選手のレベルにあっているからなのか、それとも、単に3曲目で見慣れたのか…(笑)

「ロシアより愛を込めて」を演技した時の羽生選手は、気持ちが子供時代に戻ったみたいな、嬉しそうな弾けた笑顔でしたね!2003年から2006年までフリーで滑っていたそう。2006年はトリノ五輪で、プルシェンコさんが金メダルをとった年でしたね。

フィナーレの時の、羽生選手のレイバックイナバウアーやハイドロは、曲に合わせて、流れるように雄大な感じでとても良かったですね!

他のスケーターさんたちも、2日目や3日目と比べると、初日はやや緊張気味に見えましたね。プルシェンコさんだけはいつものように、とても堂々としていてさすがの威厳に見えましたが。(笑)

2日目と3日目も終わったら、また色々と感想を追加するかもしれません…

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 4月17日追記:

羽生選手が、15日最終日のアイスショーでの告白によって、衝撃が広がっているようですが、羽生選手のセリフは、「週刊誌の問題や、色々あった時に…」と言っていましたから、週刊誌も確かに色々ありましたし、とても大きかったと思いますけど、決してそれだけではなかったと思います。

ちょっと色々考えて、また別記事でUPしようかと思っていますけど、

羽生選手はその想いを、過去のこととして告白してくれたわけです。(今も色々ありますけどね…) 

それは、今も苦しんでいる人たちや、今いじめなどで悩んでいる子供たちがいたら、メッセージとして届けたかったんだろうと思いますし、その想いは、特に15日のアイスショー全体にわたって、チラホラ垣間見えました。

 

今回のショーで羽生選手が語っているのは、「この世界に生まれてきて幸せだなと思いました」であり、

「何一つって無駄なことはない、ということをこのショーで表現したかった」と初日に語っています。

2日目には、熊本地震から2年が経った日でもあったため、被災地のことを思い、皆さんにも思い出してもらいたいということをも語っていますし、嫌なことを言われて自分も傷つくことが一杯あったことを告白しています。

最終日に、実は「何回も死のうと思った」という状況を経たことまでもを告白し、でも、その先に、今の羽生選手があったことを伝えたかったのだと思います。

 

羽生選手、何も心配ないからね!(笑) 

よく言って下さったと私は感謝しています!!

本当に思いのこもった素敵なアイスショーをどうもありがとう!!  

全てが最善へと導かれますよう、神様からの絶大な守りと祝福が羽生選手に注がれていきますよう、

そしてそれが日本中で今苦しんでいる人たちへと広がっていきますよう、主イエス=キリストの御名でお祈りしています…! アーメン。

 

※  5月に、CSテレ朝チャンネル2で、3日間分の放送があります。

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初掲載:2018年4月13日 

 

羽生選手の凱旋&感謝の公演となる、「Continues  ~With Wings~」の初日となった今日、

予定では滑らないはずだった羽生選手が、なんと、ジャンプなしとはいえ、滑りました!

 

 

このアイスショーでの毎日新聞撮影の写真集がこちらから見られます :クリックどうぞ(13日のもの)

羽生選手が、パリ散の黒衣装、ツィゴイネルワイゼンの衣装、このアイスショーのグッズTシャツ、

そして、フィナーレで、「言えないよ」の時の白衣装を着ているところの写真が写っています。

 

 

羽生選手が初日に滑ったのは、「ロシアより愛を込めて」(都築コーチ振付)、「ツィゴイネルワイゼン」(阿部奈々美コーチ振付)、「バラード第一番」(ジェフリーバトルさん振付)、の3つを、

「ツィゴイネルワイゼン」の衣装でジャンプなしでやりました。

この衣装、ジョニーさんのデザインですが、当時、「子供から大人への変化」を衣装で表したと言っていたと思いますが、今でもそこそこ似合っていてビックリ…! あの頃のサイズのままで着られるのですかね?? 凄いですね!

 

二日目は、「ミッション・インポッシブル2のテーマ」(阿部奈々美コーチ振付)、「悲愴」(阿部奈々美コーチ&イゴール・ボブリン夫妻振付)、「パリの散歩道」(ジェフリー・バトルさん振付)を、

「悲愴」の衣装でジャンプなしでやりました。

これも、当時の衣装がまだ着られたということでしょうか?! 

体格はかなり変化したように思っていましたけど、凄いですね! 伸び縮みする素材だからかしら?!

 

 

 

さて、最終日は何になるのでしょう?(笑)

 

 

 

初日については、ショーの最初のほうでは、こんなことも言ったと、こちらの記事から。

「僕、いっつもショーで(ファンや観衆に)ありがとうと言っていますけど、おめでとうと直接言われるとうれしいですね。ありがとうございます」

「この世界に生まれてきて幸せだなと思いました」

 

ショーの最後の方では、こんな発言も。こちらの記事より

「初日、いかがでしたでしょうか? 楽しかった? 本当にうれしいです。とてもね」とほっと胸をなで下ろした。観客から「ありがとう~!」と声が飛ぶと、「こちらこそありがとう。本当にみなさんの前に立てて良かったです。スケーターになれて本当に良かった」と話した。

「2日続きますけど、今日は今日でみんなで全力で演じました。次の日、同じことをやるとは限らないので、みんなの心に残してくれればなと思います。

『何一つって無駄なことはない』ってことをこのショーで表現したかった。たくさん応援してくださる方がいないとショーができなかった。これからもいろんなことをみなさんに継承していきたいと思います。最高の時間をありがとうございました」

 

「ツイッターからの質問コーナー」で答えたのはこちら。

 

Q「(けがの中、五輪を迎え)不安はなかったか?」

「ネガティブな方向に引っ張られることはなかった。足がやっぱり治らなくて、できなくて、心が不安になることはたくさんあった。ずっとずっとスケートの練習がうまくできなくて、『いつになったらジャンプ跳べるんだろう』って気持ちがあった。でも、不安は不安で抱えたまま、それを乗り越えるしかない。(自分は)精神的にも強くない、でもその精神的な弱さを知っている。(自分は)けがが多いし病気も多いので、(その分)勉強する時間や研究する時間が取れている。環境要因や家庭内要因がうまく作用してくれた」

 

Q「(五輪の)SPで振り付け変えた?」

「練習でも同じ振り付けをやったことがない。そのとき出てきた感情、そのとき音楽を感じた感情が(振り付けに)出てきている。知らない振り付けってできない。色気っていうと僕は好きじゃないから違うけど、音楽を心から感じているフィーリングがあの振り付けになったと思う」

 

 

滑ることになった経緯や、ショー後のインタビューで聞かれたことについては、こちらのインタビュー記事から、一問一答をどうぞ。

 

-初プロデュースのショーを終えて。

 「トーク主体のところもありますけど、(出演した)1人1人のスケーターがとても偉大で、自分のプロデュースさせていただいたショーにきていただいたことがうれしいなと思う。僕が思い入れのあるプログラムを滑ってくださったりもしているし、自分がショーの一員としても、見る側としても、すごく魅力のあるものだなと思いました」

 -足の状態は。

 「まず、3週間、五輪の後に…。五輪期間中も含めたら4週間弱安静にしていて、結果、五輪前よりも状態は良くなり、スピンだとかステップには痛みとしてだけではなく支障が出ないような状態になっているので、リハビリの段階として氷上でステップやスピン、体力トレーニングをしています」

 -いつからリハビリを始めたか。

 「3週間安静にした後なので…。3月の終わりあたりです」

 -ジャンプはいつぐらいからと考えているか。来季の出場は。

 「来シーズンの試合についてですけど、オリンピックが終わった後は達成感とか、幸せという単語がより多く出ていて、どうするか分からないみたいなことを言っていましたが、今は意欲的に試合に出たいと思っています。ジャンプは大きく右足をつかうループ、ルッツ、フリップに関しては、そのジャンプを跳ぶ動作すらしていません。完全にやらないと決めています」

 -今日、滑った決断について。

 「平昌五輪前に滑った時はステップの一つ一つで痛いと思うパートが何カ所かあって。で、今回、安静期間を終えて氷上にたった時に、ステップを確認した時に痛くないというのと、スピンを始めてみて、すべてに痛みが感じられないと分かった時に、このショーでプロデュースさせていただいていたので、幼い頃から演技をしてきて、この時にこういう選手に憧れていたんだなとか、こういったものが受け継がれていたんだなというのを見てもらいたいなと思い、滑ろうと思いました」

 -来季のプログラムは。

 「次のプログラムは、まだ曲も何も決まっていないんですけど、試合に出ることは自分の中でしっかりと決めているので、なるべく早く始動しないといけないなと今、思っています。試合をやるにあたってのモチベーションが、前はどうやって勝てるプログラムをつくれるかも含めて考えていたんですけど、これからは、割と自分の気持ちに正直に、自分がやりたいなと思う曲とか、見せたいなと思うプログラムを考えながら選曲して、振り付けもしていきたいと思います」

 -出場はグランプリシリーズからか。

 「今のところはそういう風に思っています。ただループ、フリップ、ルッツに関してはまったくやっていない状態なので、それをやった時にどういう感覚なのか、痛みが出るのか分からないので、それも含めて再考しなくてはいけないとは思っているんですけど、今の自分の気持ちとしては、なるべくたくさん試合に出て自分の演技をしていきたいなと思っています。それは、多分、今回プロデュースしたショーの中で、出ていただいたスケーターの方々がすごく偉大だと思ったし、自分は未熟だからもっと頑張らないとなと感じました」

 -今日披露した演技は来季のプログラムにつながるのか。

 「自分はこれまで教わってきた先生たちへの感謝の気持ちを込めて、古いプログラムをさせていただきました。自分が古いプログラムをさせていただく中で、あまりにも今風にはしたくないと気をつけました。表現の仕方は昔とは変わっていて、技術的に成長したとは言えると思うんですけど、あまりにも見せつけたくはななと。古い映像を何回も見て。やはり昔の自分をイメージして踊るというのは、体に入っていたものかもしれないけど、表現の幅が広がるなと、今回やらせていただいて思っていたので、これからの自分にも、自分から自分にと言うのは変だけど、大きな影響を与えていくなと思っています」

 

 

また、こちらの記事より、羽生選手の初プロデュースのショーについて、

初日終了後に行われた囲み取材の、一問一答の全てがこちらになります。

 

── 初めての羽生選手プロデュースのショーです。終わられて、今どのような気持ちですか?

「トーク主体のところもありますけど、本当に(出演した)一人一人のスケーターの方々がとても偉大で、自分のプロデュースさせていただいたショーに来ていただいたことがまずうれしいです。僕が思い入れのあるプログラムを滑ってくださったりもしているので、あらためて見どころがたくさんあるショーだなと。ショーの一員としても、見る側としても、すごく魅力のあるものだと思いました」

── ショーのタイトルは羽生選手が考えたとのことですが、意味を教えていただけますか?

「サブタイトルに、羽生の“羽”という文字から付けさせていただいた『with Wings』を付けたことによって、自分にどういうことが引き継がれているのか、そして、自分のスケートと今日出演してくださった皆さんの演技を見ていただくことによって『こういう気持ちや演技が羽生選手と共通しているんだな』と少しでも感じていただけるようなショーにしたくて、こういうタイトルにさせていただきました。『Continues』は、それに“継承されるもの”という特に強い意味を込めました」

── 真剣勝負だった平昌冬季オリンピックと、こうやって皆さんの前で滑るショーでは違う部分があると思うのですが、あらためてどんな気持ちでしょうか?

「(ファンの)皆さんに『おめでとう』という言葉をいっぱいかけていただきましたし、自分自身も感謝しながら滑ることができました。オリンピックの後は、ショーの内容を詰める毎日で…。実際にプロデュースする側に立ってみて、どれだけこのショーにいろんな物語を込められるかとか、感謝や凱旋報告という気持ちを込められるかをすごく考えた1カ月でしたので、そういった意味でも、自分が考え企画したショーとして完成できて良かったなと。自分が伝えたかったものが少しでも(観客に)伝わっていればいいなと思います」

── 今日、実際に滑るということは、どのように決められたのですか?

「平昌冬季オリンピックの前に滑った時は、ステップの動作の中で(負傷した部分が)痛いと思うパートが何カ所かありました。でも安静期間を経て氷上に立った時に、そのステップを確認した時に痛くなかった、そしてフライングスピンなども含めたスピンを始めてみて、すべてに痛みが感じられなかったので…。また、このショーの中で僕が幼い頃に滑っていた演技をすることによって、『この時にこういう選手に憧れていたんだな』とか『こういったものが受け継がれていたんだな』というのを見てもらいたいなという思いから、滑ろうと決めました」

── 滑ったプログラムの選曲の理由と、実際に滑ってみて成長したなと感じた部分、そして来季のプログラム選びにつながる部分がありましたら教えてください。

「自分がこれまで教わってきた先生たちへの感謝の気持ちを込めて、古いプログラムを披露させていただきましたが、あまりにも“今風”にしないように気をつけました。もちろんステップワークやクロスの仕方、表現方法は昔とは変わっていて、技術的に成長したといえるとは思いますが、あまりにそこを見せつけたくはないなと。だから古い映像を何回も見て、それに近づけるように努力しました。昔の自分をイメージしながら踊ることは、自分の表現の幅をさらに広げることだと、今回やらせていただいてあらためて感じたので、自分の表現したいものや世界観は、これからの自分にも大きな影響を与えてくれると思っています」

── ショーの中でもお話しされていましたが、現在の足の状態はいかがですか?

「平昌冬季オリンピック期間中を含めたら4週間弱安静にしていて、結果、オリンピック前よりも状態は良くなっています。ステップやスピンに関しては、痛みも含めて支障が出ないような状態になっているので、今、リハビリとして氷上でステップやスピン、体力トレーニングなどをしています」

── リハビリはいつ頃から始めましたか?

「3週間安静にした後なので…。計算してみてください、すみません(笑)」

──(笑)。そうすると、3月の終わりぐらいでしょうか?

「そうですね。3月の終わりあたりです」

── ご自身の中で、ジャンプに関してはいつから再開できそうだと考えていますか? 来季に向けての練習など、どのように考えているか教えてください。

「オリンピックが終わった後は、(自分の中から)“達成感”や“幸せ”という単語がより多く出ていて『(今後は)どうするか分からない』と言っていましたが、今は割と意欲的に試合に出たいなと思っています。大きく右足を使うループ、ルッツ、フリップなどのジャンプに関しては、今は跳ぶ動作すらしていません。完全にやらないと決めています」

── 右足をキックで使うジャンプはまだ跳べないということですが、サルコウやトウループ、ご自身が得意なアクセルはいかがでしょうか?

「着氷に関しては、スピンなどもやっていますし、今のところ問題は出ていないので少しずつ始めています。ただ、大きなジャンプはまだ跳べていないですし、本当に少しずつですけれどもリハビリの範囲として、ある程度着氷や4回転ジャンプに耐えられる筋力を付けなくてはいけないので、そういった意味で少しずつ練習をしています」

── 試合への出場はグランプリシリーズからと考えてよろしいでしょうか?

「今のところはそう思っています。ただ先ほども言ったように、ループ、フリップ、ルッツに関しては全くやっていない状態なので、それを跳んだ時にどういう感覚なのか、痛みが出るのかが分からないので、それも含めて再考しなくてはいけないのですが……。今の自分の気持ちとしては、なるべくたくさん試合に出て自分の演技をしていきたいなと思っています。それは、たぶん、今回プロデュースしたショーに出ていただいたスケーターの方々がすごく偉大だなと思ったし、だからこそ、未熟な自分はもっと頑張らなくてはいけないなと感じたからでもあります」

── ショーをプロデュースしてみて考えるところもあったかと思います。来季はどんなプログラムのイメージがありますか?

「次のプログラムは、まだ曲も何も決まっていないのですが、“試合に出る”と自分の中でしっかりと決めているので、なるべく早く始動しないといけないなと、今、思っています。ただ、試合をやるにあたってのモチベーションが、前はどうやって勝てるプログラムを作れるかを含めて考えていましたが、これからは、割と自分の気持ちに正直に、“自分がやりたいな”と思う曲や見せたいプログラムを考えながら選曲して、振り付けもしていきたいです」

── 最後に、応援してくれているファンにどんなことを伝えたいですか?

「やっぱり、僕がいちばん伝えられるものは“スケート”だと思っているんです。だから、少しでも早くケガから復帰して、元気に滑っている姿をこうやって皆さんに見ていただきホッとしてもらうことがまず一番かなと。来週の(仙台での)パレードでも、ケガというマイナスなイメージを少しでもプラスの方に持っていけるようにしたいです」

 

2日目の最後には、羽生選手はこんなことをコメント。

「ジョニーとも今日話したけど、僕を応援する事で色んな事を言われると思う。嫌なことを言われて僕が傷つくと一緒に、応援してくださっている皆さんも傷ついていると思う。声を上げてくれてありがとう。僕を愛してくれてありがとう。」

 

 3日目(最終日)のものについては、また別ページで。