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羽生結弦Echoes of Life 広島公演再上映!2025年は戦後80年、平和への祈り~日本・アメリカ・中国・韓国のための「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」の写真で知る「原爆投下」の真実と祈り

2025-01-11 | プロアスリート羽生結弦と日本の未来を応援する!
「Believe」「花は咲く」「希望の歌」で使用されたこのオレンジの衣装は、本当のデザイナーで製作者は、永島正さんです!(公式情報)Yuzuru’s costume of ”Believe” designed and created by SEI NAGASHIMA (Official)(※バラード第一番の最初の衣装を作られた方です。)He created also Yuzuru’s costume of "Ballade No.1 in G minor,Op.23 Chopin"in 2014-2015
 
本日は、広島公演の全国の映画館でディレイビューイングで再上映される日です!会場で空きがあるところは、映画館で直接ご購入いただけます!会場はこちらYuzuru Hanyu ICE STORY 3rd “Echoes of Life” TOUR ライブ・ビューイング|1/5(日)、1/11(土)、2/9(日)、2/11(火・祝)映画館で上映! | LIVE VIEWING JAPAN
 
羽生結弦のEchoes of Life 広島公演、たくさんのご来場・全国及び世界各国からのご視聴・どうもありがとうございました!お時間のある方々は、ぜひ広島の大切な場所をいろいろとご覧になっていってください!いつか必ず未来への宝となっていくと思います!(夜のライトアップされた原爆ドーム)

『Echoes of Life』広島公演、 たくさん応援していただき、 そしてたくさん見ていただき、 本当にありがとうございました! 広島で公演できてよかったと、心から思いました。 平和な世界でありますように 皆さんに幸せがたくさんありますように もっと頑張ります! 何も残らないように、全てを祈りに捧げました。 一生懸命をできたかなって思えています。羽生結弦」

 平和記念公園のバラ園から見える原爆ドーム
 この記念碑ではなくなった方は20万人を超えると書かれています
世界遺産でもあります
羽生結弦の2歳の誕生日の時(1996年12月7日)に 世界遺産に登録された原爆ドーム
 
このページは、初公開が2019年の8月15日です。当時からの 羽生結弦の真実と使命が証明されているこのページを再UPします!
 
2024年7月8日:羽生結弦が、国際スポーツプレス協会(AIPS)の過去100年間のベストアスリート投票で、トップ6位に選出され、日本人としても冬季競技でも唯一。www.aipsmedia.com 世界137か国から 913人のスポーツジャーナリストの投票で、大変感謝です!!【過去100年のベストアスリート 】羽生結弦が過去100年のベストアスリートの6位に選出

Costume : Designed and created by Mathieu Caron,Shizuko Orihara, Nao Adachi, and secret person  Caution!   Yuzuru has been threatened by intimidators again,  so that the false name of costume designer is written in his Youtube now.  Please never spread this name who has no right to the world for Yuzuru! Thank you for your cooperation!   

広島・長崎原爆が投下され、第二次世界大戦(太平洋戦争)が終結してから、本日で80年目となります。戦時中の悲劇と痛み、数えきれないほどの被爆者および戦争犠牲者への追悼と未来の平和のために、心よりお祈り申し上げます。

羽生結弦より重大なお知らせ: 「天と地と」の衣装は、2年分ともカナダのマシュー・キャロンさんの衣装です!羽生選手のフリー「天と地と」は、大河ドラマ「天と地と」の楽曲と「新・平家物語」の2つの楽曲を、わざわざ組み合わせて創られています。「新・平家物語」 広島市公式) 

 

脅迫と強要に屈しない、脅迫者たちに絶対に利益を渡さない、明るい社会、希望ある未来へ! 【全文掲載】G7首脳、平和記念公園で「核兵器のない世界」へ決意を綴る 記帳内容公開 首脳らが原爆資料館を視察

これは、初掲載2019年8月15日のページです。羽生選手の25歳の誕生日に、何を出すのかはこの時には既に羽生結弦と決めていました。(羽生選手の25歳の誕生日に公開した記事はこちらです!クリック)

内村航平さんインタビュー2 羽生結弦選手は、自分に与えられている使命を信じ、神(イエス=キリスト)に信頼していた、それに尽きるし、だからこそ、その後の4年間があり、今がある。

イエス=キリストの言葉 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイによる福音書11章28-30節)

犯罪の温床「闇バイト」対策急務  羽生結弦に対しても、2018年の平昌五輪時から露骨な「闇バイト」募集が複数ありましたし、ファンのふりして明らかに違うとわかるものがたくさんいました。 

北京五輪本当のSPは「白鳥」でした。関係者が虚偽告訴までされましたが、羽生結弦側の主張と真実は裁判で認定済(羽生結弦が現役最後に「最も自分らしい曲」としてこだわって選んだ、渾身の本当のSPです)

「死なないで」出撃する特攻隊に少女は伝えた。「一人の人間だった」と今も語り続ける理由   終戦77年、不戦の誓い新た 天皇陛下「深い反省」 コロナで3年連続縮小・戦没者追悼式

 

【池上彰さん解説】突きつけられる“核の脅威”に今こそ伝えたい…戦争と原爆のキオク    

羽生結弦は現在、プロアスリートとして、被爆者や戦争犠牲者の心を傷つける、侮辱と名誉毀損にされた衣装、悪魔や卑猥妄想にされた、黒と紫の2つのOrigin衣装を、自分の作品の一部としては認めていません。脅迫されてきた企業や団体、ライターは、その被害と本当の脅迫者を警察に必ず通報していただけますと幸いです。いつの時代も、嘘と不正と虚偽流布で大勢の人がだまされて真実が伏せられ、その積み重ねの上に戦争は起きる。

 報知新聞社 写真展 矢口さん写真より

北京五輪・EXの 羽生選手の演技「春よ、来い」はこのページと深く関係があります。北京五輪の羽生選手のEX「春よ、来い」の衣装は、2018年の最初からずっと、羽生選手本人の希望を反映させた衣装で、足立奈緒さんがデザイン&製作です。

 

「嘘」でも「虚偽」でも「ねつ造」でもない、「真実」を伝え、「真実」を知る勇気の大事さ…「ウソを守り通す」ことの「恐ろしさ」「罪深さ」 を知らずして、本当の平和など、決して実現できません。

  「神よ、わたしに変えることのできないものは、それをすなおに受け入れるような心の平和を、変えることのできるものは、それを変える勇気を、そして変えられるものと変えられないものとを、見分ける知恵を、このわたしにお与えください。主イエス=キリストの御名によって。アーメン。」(「心の平和の祈り」より)

真理と真実が必ず明らかになっていきますように…! 羽生選手に最高の祝福がありますように、世界中の 御心ある方々で 異常事態を見ながら 共にお祈り下さいました皆様に心より感謝申し上げると共に、前代未聞のこの大問題のために共にお祈り下さる皆様にも、大きな祝福がありますように…!!全てをご存知の 真の天地創造主であられ、羽生選手とプルシェンコさんの主であられるイエス=キリストの御名でお祈りいたします!アーメン。

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初掲載が2019年8月15日だったこのページを、再UPします!

このページの後半には、現在の広島にあるもの、広島原爆により命を落とし、犠牲となった、日本人・アメリカ人・中国人・韓国人の方々のための祈りと、日本語・英語・中国語・韓国語 で説明が書かれている写真が掲載されています。

本当のSPの「白鳥」関係者・楽曲製作者たちの権利も同時に侵害され続け、偽曲を強要北京五輪本番の氷の上でいきなり強要された羽生選手。その証拠に、五輪では本当のショート曲「白鳥」用の衣装を着ていたのです。抗議して本当の曲での「滑り直し」をフリーの前にも希望しましたが無視され、つぶされた事実を世界中の羽生ファンと、全日本国民と有権者の皆様は知っておいてください…!羽生選手は本当のSP「白鳥」を滑る予定で北京五輪の本番、氷の上に立ちましたが、本番で違う曲・違う音源が流され、違う曲だと気がついたのは氷の上で、だったのです!! 

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初掲載が2019年8月15日だったこのページを、再UPします!

このページの後半には、現在の広島にあるもの、広島原爆により命を落とし、犠牲となった、日本人・アメリカ人・中国人・韓国人の方々のために、日本語・英語・中国語・韓国語 で説明が書かれている写真が掲載されています。

このページは、今から約3年半前に初掲載した内容のため、ここのタイトルは最初、「戦後74年」となっていましたが、2025年の今年で、戦後80になるところですので、誤解を招かないために、今回、タイトルを「戦後80年」に変更いたしました。 黙っていたら決していけない被害というものがある。放置したらいつか必ず、その結果に自分も巻き込まれることになるのです。

2020年8月:原爆投下後、当初は「今後75年は草木も生えないであろう」などと言われた広島。その75年目が、今年でした。この75年間、世界中のどこよりも、切実な祈りと嘆き、涙が積まれてきた場所でもあるかと思います。思い出すのも語るのも辛いはずの中、自分の身を切るようにして、この悲劇の真実を伝えようと生きた人たち、そのことに全ての生命力を注いだ人たち、ただそのためにのみ生き抜いた人たちがいます。いずれ、実際に目撃・体験した証言者たちが一人もいなくなる日が来る… 今でなければならないこと、今しかできないこと、今決してしてはならないこと、というのがある。

 ←「もうすぐ春が来る」というタイミングで咲く、「じんちょうげ(沈丁花)」の花です!「春よ、来い」の歌詞の冒頭に出てきます。

12月7日(日本時間では12月8日)は、羽生選手の誕生日ですが、真珠湾攻撃により 日本が太平洋戦争を始めてしまった日でした。それにより日本は、2つの原爆投下がされるまで戦争をやめない状態に突入します。

祈りや信仰は強制されるものではないし強制できるものでもありませんが、本当の天地創造主への祈りは、いつでもどこからでもできるのであって、真に心を込めてその場から祈るならば、神様はもちろん、その祈りと、その人の心をご覧になっています。御心ある方々は 今も国際社会を脅かす闇の力に対して、真の天地創造主たる神様の適切なお取り扱いがありますようにと、真の神・主イエス=キリストの御名で共にお祈りいただけますと幸いです。アーメン。

御心ある方々は、広島・長崎の被爆者・犠牲者の方々、日本側が殺した真珠湾攻撃の犠牲者の方々のことをも、そして全ての戦争犠牲者の方々を思い、共に平和のために 真の天地創造主たる神であり、罪を赦す唯一の権威をもつ主イエス=キリストに お祈りいただけますと幸いです。聖書では、神ではないものを神だとする罪は非常に重いものです。花は心の食べ物  戦時下の千葉で見た2度と戻らなかった若者たち  「なんであんな無駄な戦争をしたのか」 元海軍特攻隊員、98歳千玄室さん涙の訴え

長崎の平和式典で被爆者代表を務めた92歳の岡さんは、76年間沈黙を貫かれましたが、証言を開始されました。映像こちら 証言記事はこちら 

祈りや黙とうというのは、本来は決して他人に強制されてはならないし、強制される類のものではありません。 大事なのは、自発的な想い、本当の心からの祈りであって、ただのポーズは神様も見抜くし、何の意味もありません。神様は、ただのポーズには答えません。何かの善行をすれば罪が帳消しになることはないと、聖書は明確に告げています。 9日は長崎の原爆投下の日。日本の被爆地は広島だけでなく、長崎もなので…!

2021年7月16日に、IOCのバッハ会長が広島を訪れて被爆者の方と対談されたときのこちらのスポニチ記事が詳しく。主にスピーチ中心の抜粋です。 こちらのニュース記事へどうぞ こちらのデイリーの記事が詳しいです こちらの記事にも詳しいです

日本の元同盟国だったドイツは、ヒトラーへの反省もあり、戦争に関する教訓の教育が日本よりはるかに熱心です。現地に行ってみないと、決してわからないもの、現地で初めて感じられるもの、というのがあります。

本気で世界に伝えようとされたことがあるなら、必ずわかると思いますけど、被爆や原爆関連の話を、外国人が率先して聴いてくれる、あるいは知ろうとしてくれる機会というのは、ほとんどありません。だけど、実際に広島に行って「見たら」、少なくとも「人間の感性」のある方なら、意識は必ず変わると私は思います。こちらが献花して黙とうしている写真

何がきっかけであったとしても、被爆の実態というのは、世界の多くの人に、少しでも知ってもらう必要のあることで、この点に反対な被爆者はいないことでしょう。「なんとか党」だから、という視野の狭い利益にこだわっていると、大事なものも、大事な機会をも失ってしまいます。

羽生選手と私は、特定のどこかの政党のために何かをやってきたわけではありません。一人の人間として、未来の日本のために、未来の世代・子供たちのために、未来の世界のあるべき姿のために、何が出来るのかーーー ただ その想いで、ここまでやってきました。

私たちに「想い」「真実の証言」を託して下さった方々は、本当に命がけの想いで、身を切るようにしてその事実を伝え、その人生を生き抜いて、後世の私たちのために、私たちが享受している現代の恩恵や、さらにその先の未来のために、真剣に行動した方々だったからこそ、私たちも その想いを無にすることがないようにと、その姿勢を見習って、ここまで本気で、これ以上ないほど真剣に頑張ってきたつもりです。それを、わざわざ侮辱に変えようと躍起になる人たちがいても、真実は全て神様がご存知ですし、本当の神の目を欺くことはできません。

今、大変な困難な中にある日本が、お一人お一人が誠実に「本来与えられている使命」「本当の使命」を、それぞれの場で責任のある人たちが責任を果たし、天地創造主の神が、最善の道だけを開いて、日本と世界を覆う困難を 多くの人たちの祝福へと変えて下さいますように、全てを主の御手に委ねて、主イエス=キリストの御名によってお祈りいたします!アーメン。

フジFOD動画  最終回:世界選手権2021でのドキュメント、他

2021年4月20日:国別対抗戦の番組宣伝での羽生選手の映像とコメントはこちら(UP感謝) 

羽生選手コメント「日本の選手団、そして、観ている方々の想いとかも、全部ひっくるめて、世界に届くような演技になったらいいなというふうに 思います!」

 2021年3月11日:東日本大震災からちょうど10年目の日ですが、なんと広島が、全国でトップを切っての、「桜の開花宣言」の日となりました!こちらの記事より)ちょっと感動ですね!(笑)

朝日新聞がポッドキャストで被爆証言を音声で残す試み開始・こちらから 

2020年7月30日: 「黒い雨」訴訟の原告側の想いや事情を取材した記事と番組。被害地域の線引き問題は、福島の原発問題でも、被災地域の補償問題でも生じていたし、人々を分断させていきます。いつの時代も不正の富を狙う一部の人の影響によって、本当に苦しんできた人が泣き寝入りさせられることが多々起きる。

長い苦しみ、何重に重ねられる無理解や誤解や差別や嫌がらせ、何重にもなされる心の傷に耐えられずに沈黙してきた方々や、必死で耐えて行動してきた方々が、少しでも癒されて支えられて生きていける、せめてもの思いやりのある国、社会になりますように、尽力しながらも、既に天に召された方々が報われますように、主イエス=キリストの御名で祈ります!アーメン

既に散々心に傷を負わされて、精神負担を多大に負っている被害者が声を上げると言う行為が、どれほど当人たちにとって精神負担が重くて大変なことか、どれほどキツイことなのかと言うのは、もっと理解されなければならないと、私は強く思います。こちらの記事を読んで。

2020年7月7日追記: 羽生選手の希望により、Origin衣装に本当は羽生選手が込めたかった想い、紫の意味するところはこちらの記事で公開中! さらにもう一つの、関連記事のこちらもどうぞ。

「4月21日」の意味との関連もわかるかと思います。「花」がなぜ大事だったか、伝わると幸いです。技術妨害となる「立体装飾花」にされた卑怯なやり口が、どれほど残酷なことだったかも、わかるでしょう。大けがを負って体育教師を2度と出来なくなった「星野富弘さん」のことが紹介してあります。素晴らしい絵をお描きになるからこそ紹介した私でしたが、わざと怪我につながる「技術妨害」衣装を仕掛ける人を、もてはやしたり放置することは、私には考えられないほど恐ろしいことですし、信じがたい人権侵害です。

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2020年7月2日追記:2年前の今日、国民栄誉賞受賞した時の羽生選手の一問一答をこちらで再掲載!感謝!内容を読めば、羽生選手の考え方や想いやここまでの背景、何を頑張ってきたか、何を目指したか、平昌五輪前からの真実は何かなど、改めて色々わかると思います。羽生選手も、国民栄誉賞などを狙ってここまで頑張ってきたわけでは全くなかったのでこの展開には驚いたけれども、ここにくるまでの真実の結果としては、深い意味があったと強く思います。その人に担えない使命を、神様は与えない。「品格ある美しき黒」の仙台平(仙臺平)はとても似合っていましたね!同じ色でも、非常に様々な色がありますから。

2020年6月10日追記: ToshIさんがさらに証言。感謝です。 映像・羽生選手ととしさんの膝まづいた丁寧な挨拶は、奇跡の生存被爆者のBさんの最後の姿を思い出し、思わず涙が出ました。羽生選手は深く考えて演技できる優しい人です。

アイスショーでの羽生選手のコラボの時、どれほど細かいところにまでこだわってリハーサルを重ねているかを証言! としさんが「なぜリハーサルなのにそんなに全力なのか」と質問したら、「一生懸命にやることしか能がない」と笑顔で答えた羽生選手の話。 羽生選手、いつもそこまで一生懸命にやって下さって、どうもありがとう…♪ 

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再UPします  

これは、初掲載2019年8月15日のページです。

羽生選手の25歳の誕生日に、何を出すのかはこの時には既に決まっていました。(羽生選手の25歳の誕生日に公開した記事はこちらです!クリック)

Originは、アメリカに抗議するためのプログラムやケンカを売るプログラムでもなければ、日本が間違った優越感に浸るプログラムでもないし、まして、悪魔的なものを喜ぶプログラムでも、羽生選手が妄想対象にされるようなプログラムでもありません。

戦争とは結局、陰湿な犯罪と陰湿な嘘の、積み重ねの上に成り立つもので、「究極の人権侵害」が特徴だと私は思います。でもこの「人権侵害」は、戦争がなくたって行われています。

誰にも証言できないと思って、(「Origin」で 2シーズン連続)羽生選手に対し、衣装による究極の「人権侵害」を強いたのは、他でもない日本側のデザイナーでした。北京五輪シーズンはさらにもっとひどい卑怯なことが繰り返されてきました。

神様が見ているのは、「一人ひとり」の行動ですし、判断が下されるのも、一人一人に対してです。

個人の自由と意思決定が尊重され、保障されますように、闇は徹底して暴かれ、裁かれますように、主イエス=キリストの御名でお祈りいたします!アーメン。

2017年の春に引退表明をしたプルシェンコさんが、直後のアイスショーで、日本のために「Pray for Japan」を演技。プルシェンコさんの、長年の驚異的な活躍とフィギュアスケート界への圧倒的発展と人気への貢献、羽生選手の憧れであり続け、想いを常にくみとって下さった、陰ながらの数えきれない程の配慮に心からの感謝を込めて… ♪

 

2019年11月4日: 広島に続き、同じく原爆投下の被爆地となった、「長崎」の公式サイトへのリンクも追加しておきます。 国立長崎原爆死没者追悼記念館 の公式サイトへのリンクはこちらから  追悼記念館の紹介ビデオへのリンク(公式・約3分間) クリックどうぞ  Nagasaki National Peace Memorial Hall for the Atomic Bomb Victims (official website)

English Video tour for the memorial Hall (Nagasaki) Long Version (3 minutes) Chinese (China)(简体中文)     祈念馆宣传片 长片(3分) Korean (한국어)     기념관 소개 영상 롱버전(3분)

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 初掲載    2019年8月15日

2019年8月15日は、戦後、74回目の「終戦の日」でした。当時の「大日本帝国軍」の間違った「野望」と、「原爆投下」という結果の 最大の被害者となったといってもよい、広島と長崎の被爆者の方々、当時の残酷すぎる被爆地の惨状を想い、止めることのできなかった人々の、すべての深い悔い改めと、計り知れないほど深い悲しみと慟哭とを思いながら、このページを祈りを込めて捧げます。

広島の「平和記念公園」内にある、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」(長い名前ですが…)

Hiroshima National Peace Memorial Hall for the Atomic Bomb Victims  を、今日は写真でご紹介したいと思います。

こちらが、その日本語の公式ホームページです。「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」(クリックどうぞ)

英語による公式ホームページはこちら。Hiroshima National Peace Memorial Hall for the Atomic Bomb Victims(English)

中国語による公式ホームページ(中文)(Chinese)   韓国語による公式ホームぺージ  (한국)(한글)(Korean) (Hangul)  

当時、広島と長崎への原爆投下による、被爆の犠牲となったのは、日本人だけでなく、当時日本の植民地であった朝鮮半島出身の方々も多数いただけでなく、中国出身者・東南アジア出身者・さらには、アメリカ軍の捕虜だった方々、当時 半強制的に徴用された人々も多数含まれていて、(施設内公式説明文より)

それらすべての方々のための、追悼施設となっています。(もう一つの被爆地、長崎にも、同様の施設があります。)

「広島」に観光や「修学旅行」などに行かれるなら、「平和記念資料館」(原爆資料館)   Hiroshima Peace Memorial Museum (Official English Website) には、みなさん必ず行かれるだろうとは思うのですが、広島に行くなら、時間をとってでも、ぜひ同時に立ち寄っていただきたい、広島平和記念公園内にある別の施設が、これです。

追悼施設ですので、写真撮影禁止のものも結構ありましたので、ここに載せられるのは、本当に一部の、限られたもののみですが、行ったことのない方々や、興味もなかった方々、そして諸事情で、動きたくても動くことのできない方々、何よりも、羽生選手を応援している、日本と世界の方々すべてに、少しでも伝わるものがあれば、幸いです…

まず最初に、下の写真。これは、タイトルにある追悼平和祈念館とは関係ありませんが、広島平和記念公園内の、平和記念資料館のすぐそばに建てられている、「マルセル・ジュノー博士」という方の記念碑です。

広島が原爆投下による被爆後、最初に人々を助けるために、広島に薬を持ち込んで治療したといわれる、お医者さんです。何一つ、治療に使えるようなものがなかった「悲惨そのもの」「地獄そのもの」だったといわれる原爆投下後のすぐ後の時期に、本当に多くの人が、この方の勇気と行動力のおかげで助かったり、もはや死を待つだけの状態でも、まともな人間的な扱いをしてもらえ、心救われたり、あるいは、やっと治療のようなものを受けられたのだといいます。

本当に多くの方に感謝されている、偉大な博士だということで、心からの感謝を込めて、建てられています。

 人間を、ただの研究対象としてみなしたり、あるいは、人間をただのモノや奴隷のように扱うのではなく、心があり、人生があり、家族もいて、血が通っていて生きていた、一人の「人として」 接すること、扱うことの大切さは、当たり前のようで、全然当たり前でないのがむしろ当然だった「戦時中」の恐ろしいまでの異常さや、人々の感覚がマヒしていく現実の恐ろしさ、そして、多くの人がそのようなものと命を懸けて闘ってきた、過去の壮大な歴史を思いながら、今日と未来に、少しでも生かしていきたいですね…

 

上のものは、下の写真「原爆の子」の像の建立のきっかけとなりモデルとなった、「禎子さん」(さだこ)についての説明です。説明文を、下に転載してみます。

「原爆の影響と思われる白血病でなくなったのは、禎子さんだけではありません。被爆から何年もたって白血病などの「原爆症」を発症し、子供がなくなることは、当時報道を通じて広く知られていました。このことも「原爆の子の像」建立運動を後押ししました。」 と書かれています。

 上の写真が、「原爆の子の像」と呼ばれるモニュメントです。 折り鶴を掲げている少女の像で、平和への祈りを象徴しています。

広島と原爆について調べるとき、「サダコ」という少女の名前がよく出てきます。佐々木禎子(ささきさだこ)さんは、2さいで被爆(ひばく)し、10年もたってから、白血病(はっけつびょう)で 短い一生を終えたけれども、最後まで生きる希望をもって白血病とたたかった少女のことです。 

このモニュメントのモデルとなった少女「禎子(さだこ)」さんについての情報やアニメが、こちらの、「キッズ広島平和ステーション」という公式HPで公開されています。(日本語版)  「Kids Peace Station Hiroshima」Official website (English)

↑ Hiroshima was the first city in the world to suffer an atomic bombing. That terrible experience gave us a new understanding of the cruelty of war, the terror of nuclear weapons, and the importance of peace. Until the day when all people on Earth can live in peace, we will continuously send messages of peace from Hiroshima to the world.

Anyone who studies Hiroshima and the atomic bombing is likely to encounter
the story of a girl named Sadako.
 Sadako Sasaki experienced the atomic bombing at the age of two. Struck by
leukemia ten years later, her short life ended.
 Through Sadako Sasaki, people around the world have come to understand how
war makes children suffer-in particular, the unhappiness inflicted on them
by the atomic bombing. And they take courage from the image of Sadako battling leukemia
and clinging to her hope for life till the end.
 Sadako was one of the many children who suffered and died because of the atomic bomb. Let us use her short, twelve-year life to learn about the damage the bombing brought.

こちらが、世界遺産となっている、有名な「原爆ドーム」。原爆投下の 爆心地付近にあって、今もその当時の惨状を伝え続けている、大切な建物です。無残な姿が、原爆の威力と、その同じ威力の下で命を一瞬で奪われた、多くの人の悲しみ、尊い人生を、今日にまで伝えてくれています…

 違う角度から、さらに2枚。

 

 「平和祈念・死没者追悼空間」の入り口前にある説明です。

下の写真は、その空間の一部ですが、360度ぐるっと見渡す限り、当時の原爆投下直後の広島の爆心地付近から見た景色になっていて、その下には、それぞれの方角に存在していた、焼け野原となった 当時の「町の名前」が記されています。細かいタイルでできていますが、この細かいタイルの数すべてが、なんと、犠牲となった被爆者の数を表しているとのことです!! (360度分すべてです) あまりにも細かく、数が多すぎて、わけがわからないほどです…!!見ていて気が遠くなります。

14万人、なんて数を言われてもピンとこない人は多いと思いますので、その犠牲者のあまりの多さに改めて絶句させられます…

この追悼空間の真ん中には、被爆により残酷なまでに無残な姿で、熱く焼けるような苦しみの中、水を求め、欲しがっても飲むことができないまま亡くなっていった、多くの犠牲者を悼み、絶えずキレイな水が湧き出て流れている形になっているのですが、その噴水は、原爆投下の時刻、8時15分を象徴するデザインにしてあります。

こちらが、公式HP内の、より広範囲で見たこの追悼空間の写真です。(←クリックどうぞ)

以下は、4か国語による、原爆投下時の状況の説明文です。

上から、日本語、英語、中国語、韓国語、で書かれています。(写真から、それぞれの言語で読んでいただけるとよいのですが…)

 

原爆投下直後に、爆心地付近となる広島市内を撮影した、当時の写真。

ほかにも、被爆により亡くなった方々すべての名前が、次々と画面に表示されて流れていく追悼スペースや、当時の体験・証言を、映像によりプチ・シアター形式になって 映画のように見ることのできるスペースなど、いろいろあります。 (日本語と英語の両方で説明)

この証言の再現映画は、涙なしでは見ることも聞くこともできない、本当に胸に迫るものでした。当時の方々の生活と、被爆直前・直後がどんなことが起きていて、それぞれ、一人一人がどんな目にあって、どんな恐ろしいほどの悲しみを目の前にさせられたのか、よくわかるものになっています。

そして、この祈念館の中には、膨大な、被爆者たちの証言資料がおいてあり、検索できる図書室のようなスペースがあり、パソコンからも、あるいは、そこにある膨大な数の本・証言集などからも、見ることができるようになっています。

このページの一番最初に載せた、この施設の 公式ホームページ内からも、かなりの情報を検索できるようになっています。 

さらに、広島と長崎の両方の原爆死没者の証言集を合わせた、公式ホームページから、様々な方の証言を読むことができます。(クリック)  このページはここまで…

もっと詳細に当時の現状を克明に記し、被爆の実態と原爆の恐ろしさ、戦争の愚かさ、悲惨さを伝えているのが、 「広島平和記念資料館」(原爆資料館)    Hiroshima Peace Memorial Museum (Official English Website) 

平和を求める祈り

神よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。

人々の身代わりとなって罪を背負い、愛によって赦しを与える、唯一の神であり 真の救世主、主イエス=キリストの御名によって。アーメン。

※ 注釈 :ここでいう「ゆるし」とは、決して、酷いことをした相手の悪行を肯定したり、残虐行為を受け入れたりしなければならない、などという意味ではありません。※ 加害者が被害者に赦しを権力や暴力や脅迫で強制することは決してできませんし、その場合は加害者が神に赦されません。自分がその怒りや悲しみや恨みに囚われ続け、苦しめられ続けることを拒否し、それらとは自分の人生や心をもう切り離して、そのことの裁定は天の神様に全て委ねて、恨みや怒りの中に生き続けることを拒否すること、その選択をする「決断の心」を意味します。

傷が深ければ深いほど、人間の力や思いでは、到底不可能となる この「ゆるし」は、その「ゆるすという決断」をすると、その「選択をした決断」を神様がご覧になり、そこに本当の神様の力が働いて、天来の平安、心の慰めや癒しを、奇跡的な形で経験できるようになっていきます。

苦しみの果てに疲れている方や、怒りや恨みが深い場合、日々この「ゆるし」を選択・決断して、心の中で宣言していくことをお勧めいたします。苦しんでおられる一人でも多くの方に、天からの祝福と癒しがありますように…!歴史上の犠牲者たちの上に、神様からの深い慰めと癒し、長年の苦しみからの解放と名誉の回復、真の救いがありますように…! 主イエス=キリストの御名で祈ります。アーメン。


【公式】2025年 本日感謝の広島公演再上映!次は千葉公演です!「Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd ーEchoes of Life-」 「命」とは、「生きる」とはを問う物語

2025-01-11 | プロアスリート羽生結弦と日本の未来を応援する!
本日は、広島公演の全国の映画館でディレイビューイングで再上映される日です!会場で空きがあるところは、映画館で直接ご購入いただけます!会場はこちらYuzuru Hanyu ICE STORY 3rd “Echoes of Life” TOUR ライブ・ビューイング|1/5(日)、1/11(土)、2/9(日)、2/11(火・祝)映画館で上映! | LIVE VIEWING JAPAN
 
千葉公演のチケット情報 一般販売2次(抽選) 受付本日は1月11日(土)18:00~1月13日(月・祝)23:59となります。
 
「Echoes of Life」 ツアーファイナル千葉公演最終日 #ライブビューイング 開催決定 
生中継 2/9(日)16:00開演  ディレイ中継  2/11(火・祝)12:30開演(2/9公演の再上映) チケット先行受付中! 1/13(月・祝)23:59まで @echoesoflife_jp
 

(次回・ 千葉公演)
2025年2月7日(金)
2025年2月9日(日) 

LaLa arena TOKYO-BAY  ららアリーナ東京ベイ 船橋ららぽーと隣

1月26日(日)テレビ朝日系列にて“Echoes of Life”特別番組【地上波】放送決定! 羽生結弦が紡ぐ究極のストーリー #松岡修造 が羽生結弦の思考と「今」に迫る!動画はこちらからクリックどうぞ♪ “Echoes of Life”特別番組【地上波📺】放送決定! 羽生結弦が紡ぐ究極のストーリー #松岡修造 が羽生結弦の思考と「今」に迫る!

 
 

広島公演で 羽生結弦は最後まで全力で祈りを込めて素晴らしい演技を披露してくれました!広島公演は私たちにとって念願でしたので本当に感謝です! 広島の会場にお越し下さった方々、全国の映画館でライブビューイング&CSテレ朝チャンネル2で生中継、および世界配信をご覧くださった皆様に心より感謝申し上げます!     1月5日の羽生結弦の映像です クリック

『Echoes of Life』広島公演、 たくさん応援していただき、 そしてたくさん見ていただき、 本当にありがとうございました! 広島で公演できてよかったと、心から思いました。 平和な世界でありますように 皆さんに幸せがたくさんありますように もっと頑張ります! 何も残らないように、全てを祈りに捧げました。 一生懸命をできたかなって思えています。羽生結弦」

会員限定動画でもご挨拶を出していますのでご確認ください

 広島公演の看板(夜バージョン)

NOVA君が手に握られている大切な言葉に気づいたシーンですね♪

宮城の東日本放送から特別インタビューが記事にされて公開中!クリック

広島公演初日、羽生結弦は、公演中にも自分と広島の縁と、どれだけ自分が広島を大好きで特別か、とても熱く語ってくれました! 3日羽生結弦の様子の動画はこちらをクリック

テレビ朝日スポーツ公式から、3日の公演後のインタビューがこちら

3日公開の羽生結弦の舞台裏練習映像はこちらからクリック

チケットなしでも広島にお越し下さった方々に、心より感謝申し上げます。少しでも未来につながる大切な宝を得られて帰れますよう、広島を大いに楽しんで過ごせますよう、心よりお祈り申し上げます。

1月4日・宮城ローカル・東日本放送で羽生結弦独占インタビューの公式マスコット・ぐりりちゃんとの動画が公開!ぐりり【公式】こちらをクリックどうぞ♪
 
 
2025年 寒中お見舞い申し上げます。1年前の今日、能登半島地震で大勢の方がお亡くなりになりましたが、ご遺族の皆様と被災地域の皆様に、深き天来の慰めがありますよう、多くの助けと希望がありますよう、心よりお祈り申し上げます。
また、ここをご覧の皆様の本年のご多幸をお祈りいたします。
当サイトは、ご覧になっている方々の中に深い、深すぎるほどの悲しみを体験されている方々が必ずいらっしゃることを踏まえて、毎年、新年のご挨拶は、ずっと寒中見舞いとさせていただいております。 
本年も羽生結弦と羽生結弦公式広報サイトをよろしくお願い申し上げます。
 
(能登半島地震・追悼と現状特集は別ページに独立させましたので是非ご覧ください)
 
広島公演に来られる方々、「平和記念資料館」のチケットはネットで購入できますので混雑防止のためにぜひご活用ください。広島平和記念資料館 電子前売り常設展示チケット - 広島平和記念資料館
 
 
中国のファン向けに羽生結弦からご挨拶動画です! 羽生结弦用中文向粉丝... - @五星体育的微博 - 微博
 
 
千葉公演のチケット、一般販売1次(抽選)受付は2024年12月28日(土)14:00~2025年1月6日(月)23:59 となります。
 
Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd “Echoes of Life” TOUR Hiroshima Global Streaming Ticket Now on Sale Kick off the New Year with Yuzuru Hanyu
LIVE : January 5, 2025 (Sun) 16:00(JST) Archive January 12, 2025 (Sun) 15:00 (JST) ~ https://beyondlive.com/notice/313
 
埼玉公演3日目の12月11日分の公演映像は、テラサTELASA(テレビ朝日系列動画サイト)で演技がマルチアングルで公開中です!
 

notte stellata 2024     日テレプラスで再放送決定!【3/8公演】 2025/2/2(日)21:00~

 

2025年1月1日:ハイアール公式から、羽生結弦のご挨拶動画が公開。音楽も素晴らしく素敵な動画です!  こちらをどうぞクリック(羽生結弦新年ご挨拶動画)#Haier #羽生結弦 #Haier_YUZU

アクア公式からも、羽生結弦の新年ご挨拶動画が公開されました。ぜひご覧下さい こちらをクリックどうぞ #AQUA #羽生結弦 #AQUA_YUZU

「新年あけましておめでとうございます。アクアのアンバサダーの羽生結弦です。皆様の2025年が、本質の愛にあふれた実りある1年になりますように。私はアクアのキーワード・創新の精神で新たな挑戦を心を込めて皆さんにお届けします。」

ディオニシオスコーチから公開された、5回転トウループの挑戦映像は、北京五輪シーズンの2021年に(コロナ禍の外国人入国解禁後に入国して)トロントで練習していた時のものです!

※ 以前公開された、ハーネスつきでの4回転アクセルの挑戦成功動画と同じ時期のものだとのことです(羽生結弦本人のコメント) (公式情報)

以前から公開している通り、羽生結弦は北京五輪シーズンには、トロントのクリケットクラブにいましたので、その時の映像です。(公式情報)

さて、12月24日からCM解禁される、羽生結弦の、ハイアールの新CMと アクアの新CM動画 そして メイキング動画が公開されました!  

公式のメイキング動画、追加です!

どちらも、羽生結弦の特技と良さを最大限に生かした、とてもカッコいいCMですね!

 
Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd -Echoes of Life- 人生の旅路や成長をテーマに「命」とは、そして「生きる」ことの本質を問う物語。

広島公演  会場 広島グリーンアリーナ(広島市総合体育館) 

※ 協力・広島ホームテレビ

■公演日程:2025年

日程       開場    開演   

1月3日(金)  15:30  17:00

1月5日(日)  14:30  16:00

For this performance, English audio guide is available on the "HELLO! MOVIE" app to access at the venue.
本公演では、会場にて「HELLO! MOVIE」アプリを使った英訳音声ガイドをご利用いただけます。日本語ナレーションを英語でお楽しみいただけます。
 
イタリアからのインタビュー内容を東スポが報じて下さいました!羽生結弦 スケートに込めた〝共通の思い〟を伊紙に明かす「もし震災がなかったら」 | 東スポWEB
 
 
※ 羽生結弦に離婚した妻などというものは一切おりませんし、この事実はとっくに検察でも証明済です。元妻詐欺の売名人間と、この人物が属するカルト的宗教組織のために動く売名媒体に御注意下さい。今でも虚偽流布して名誉毀損させ、被爆者からの大事なメッセージがなかったことにさせようとする全ての媒体は、日本の国益にも世界の平和にも反する行動なので、世界中のファンからの、徹底した不買運動を推奨します。
 
オフィシャルグッズが販売中!Echoes of Life OFFICIAL SHOP | AXELSTORE.NET ストーリーブック英語版も販売中!
 
【すべての公演】運営上の都合によりアリーナ席のお客様には本人確認の上、リストバンドをご着用いただくこととなりました。アリーナ席以外も本人確認の抜き打ち実施があり得ますので、チケット購入後に急遽ご来場いただけなくなってしまった場合は、定価でチケットの取引ができる公演公式リセールをご利用ください。 公演情報|Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd “Echoes of Life” TOUR
・チケット券面記載のお名前と本人確認書類を照合いたします。
・本人確認書類は、いずれも原本のみで確認を行います。(写真や紙に印刷したもの等はNG) 本人確認書類(写真つきは1点で可)
 
オフィシャルパートナーに動画配信サービス「TELASA」が協賛・埼玉公演のマルチ配信が決定 12月11日公演分も配信中!
 
 
※世界中のファンにお知らせの要注意情報: 以前からずっと告知している通り、「カルミナ・ブラーナ」の衣装は、足立奈緒さんのデザイン&製作です。同姓同名詐欺の偽デザイナー(羽生結弦にねつ造虚偽告訴した者たち)たちに、世界中のファンはどうぞご注意下さい。
 
※ 羽生結弦が 元妻詐欺でいまだに売名続ける人物と結婚していた事実も離婚した事実も一切ありません。(公式声明) 元妻詐欺の売名人間に御注意下さい。この人間が結婚と離婚した相手というのは、羽生結弦では全くなく、このような酷い虚偽の流布を続ける媒体には、徹底した不買運動を推奨いたします。
元妻詐欺の売名人間と、羽生結弦には誰とも結婚させないで虐待を続けるために監禁までさせて続けてきた長年の虐待者が共謀し、羽生結弦のサインを偽造して 勝手に婚姻届けと離婚届けまで作成して、 羽生結弦が知らないところで 勝手に両方を提出して、捏造記録が作られていた事実が発覚したため、羽生結弦の本当の弁護士(ねつ造離婚報道の時に名前が出ていた裏切りの弁護士ではありません)から、このような偽造文書は、羽生結弦のものでも意思でもないため、役所が騙されて間違ってつけられた記録は、すでに抹消請求で完全に取り消しされて抹消されています。
 
もちろん、羽生結弦本人の意思または承諾による本当の婚姻届けではない、このようなねつ造の偽造文書は 最初から無効です。 現在、羽生結弦の本当の弁護士からの抹消請求で 羽生結弦の戸籍に、この元妻詐欺者たちによる事実無根の捏造記録は一切存在せず、完全抹消されています。  事実としても、羽生結弦の戸籍上も、羽生結弦がこの人物と結婚していた事実も離婚した事実も、一切ありませんし、 羽生結弦が 2023年8月4日結婚予定発表した結婚相手は、全く別の人物で、以前から公表しているように、公式広報サイト管理人ですので(もちろん一般人です)、公式に公表いたします。
 
 
 
チーム羽生結弦は、詐欺被害撲滅に真剣に取り組んでおります。過去5年間、羽生結弦は徹底してバイオリン曲は拒否して、ことごとくピアノ曲かピアノ曲編曲させた曲で演技してきたことで明らかにしてきたように、元妻詐欺の売名者と、結婚も離婚もした事実は一切ありません。
 
※公式広報よりお知らせ:羽生結弦は、自分の意思で、母親を、羽生結弦のすべてのマネジメントから外していますし、関係を切っていますので羽生結弦の希望で公表中。今後も一切代理権限がありませんので関係各社は十分にご注意下さい。

羽生結弦はキリスト教の洗礼を受けております。実態は反キリストで有名な 旧統一教会の信者とは、お付き合いさえ絶対にあり得ない関係で、徹底拒否してきましたので世界中に向けて公表いたします。

 

 
「ラスト・アンビエント」の衣装は、折原志津子さんのデザイン&製作の作品です!
自分の衣装だと主張する詐欺に十分に御注意下さい。
 
羽生結弦の公式YouTubeでは、羽生結弦に対して、殺すぞ脅迫が続けられているため、本当のことはすべては羽生結弦本人からは公表できておりません。羽生結弦はトラウマを抱えた長年の虐待被害者として、現在カウンセリングで対応中ですのでどうぞご了承ください。(ラスト・アンビエントの歌詞の中に、被害の一部が示唆されていますので、どうぞご承知おきください。)

スラップ訴訟(SLAPP訴訟・恫喝訴訟)というのは、言論や活動への威圧目的、経済や時間や労力を消耗させるためや見せしめ目的、嘘を根拠に訴訟を仕掛けて威迫や圧力とするようなもので、羽生結弦と関係者はやられてきたものの典型ですが、厳罰化すべきものとして別ページで特集中です!

脅迫や圧力を使って相手に性的関係強要しようとするのは、ジャニーズ問題で明らかになったように、それが男性から男性はもちろん、女性から男性へでも不同意わいせつ罪 不同意性交等罪となるのは当然の常識として知っておかなければなりません。
脅迫下や圧力による強要はすべて「不同意」ですので、女性からの脅迫利用や強迫・脅迫・圧力下での強要などでも当然、犯罪になります。
 

 

キリスト教徒の羽生結弦への悪魔イメージの強要やねつ造・及び悪魔イメージの流布等は、すべて完全に名誉毀損罪となります。当然のこととしてご了承ください。悪魔崇拝シンボルとなるものが意図的につけられたすべてのものは、羽生結弦の意思ではないため、公式広報サイトからは宣伝いたしませんのでご了承ください。)

 

< 世界中のファンの皆様にお知らせとお願い >

本公演は、公式リセール以外の、外部の転売サイトなどでの転売等は認めておりません。アリーナ以外の席も 身分証明書の提示等お願いする可能性があります。転売で暴利を得る方々と、関わらないようご注意下さい。

羽生結弦と羽生ファンは、この手のものに10年以上前から狙われていて、転売によって反社会的勢力や脅迫者たちが不正な形で不当利得や暴利を得ることに対して、当サイトでは徹底して反対の声をあげてまいりました。チーム羽生のその方針になんら変化はありませんので、どうぞご了承ください。

なお、同姓同名詐欺の偽デザイナーも同じように不正な暴利を得てきた者たちですので、それらと関わっている方々には十分ご注意下さい。

 

日本原水爆(原爆・水爆)被害者団体協議会(被団協)の長年の活動にノーベル平和賞 100歳の被爆者涙 - 長崎の被爆者「核兵器使用止めるために欲しかった」ノーベル平和賞    世界により注目され、知れ渡るきっかけになったらいいですね!

私たちにも意義深い、ノーベル平和賞の受賞理由は別ページにて特集中です!!

※「いつか終わる夢」の衣装は、今までフィギュアスケートの衣装は作ったことのないオートクチュールのデザイナーさんの作品です!(同姓同名詐欺の偽デザイナーと脅迫者たちからの嫌がらせがすごいので現在非公表です。)

脅迫罪の時効撤廃と、対象の親族以外への拡大は、日本の明るい未来のために必須となる法改正ですので、ぜひ皆様も声あげてご賛同下さい! 戦争は国家レベルでの脅迫の上で起こるのです。

集英社が、集英社発行の書籍に関する、結弦情報専用アカウントというのまで作って 情報発信してくださっています。 こちらからどうぞ♪Yuzuru@Shueisha_Sportiva(@YUZURU_Shueisha)さん / X (twitter.com)

世界中の羽生ファンの皆様にお知らせ: 「旧統一教会」がキリスト教ではないのは何度も告知してきた通りで、もはや常識として日本人全員が知っていていただきたいです。 また、「エホバの証人」もキリスト教ではありません。むしろ正反対となる新興宗教ですのでご注意ください。

「エホバの証人」は キリスト教は悪魔の支配下だと教えていたり、自分たち独自の翻訳と改変させた「新世界訳聖書」というので教えますが、これは20%くらいが 改変された内容です。何より、「イエス=キリスト」は神ではないと ハッキリ語っているので、キリスト教ではないのです。

プリンスさんは 「Let’s Go Crazy!」の作曲当時は、キリスト教の一派にいましたので、「Let's Go Crazy!」の歌詞は、エホバの証人の教えから造られたものではありませんので 御注意下さい。(※ プリンスさんの母親は「エホバの証人」の信者だったそうですが、母親を助けたいと思っていたとの情報もあります。)

(※ 旧統一教会は、本当のキリスト教ではありませんし、むしろ正反対の新興宗教で、羽生結弦の信念や信仰(キリスト教です)とは むしろ正反対となります。) 

お知らせ:羽生結弦は、今までの衣装については、そのほとんどが私と二人だけで相談のうえで詳細について決めたり修正決定し、技術妨害やプログラム破壊衣装にされないために、脅迫で強要された「同姓同名詐欺の自称デザイナー」ではなく、羽生結弦本人が一人で、当サイトで公開している、実際に頼んで作ってもらってきた「本当に頼みたいデザイナーさんたち」に頼んできたのが真実で、その決定や依頼にご家族は一切関与させていないのが真実ですので、公表中。(唯一の例外が黒と紫のオリジン衣装で、脅迫者たちによる「殺すぞ脅迫での技術妨害とプログラム破壊衣装の強要」が続いたので、プログラムごと却下して変更したのです) 

北京五輪シーズン(2021年)の秋のロシア杯への飛行機のチケット取得や手続きしたのは、怪我していなかった羽生結弦本人だった事実、家族の誰かなどでは全くない事実、それなのに、出場を無理やりつぶされたという事実を新公表中。  外務省MofaJapan×SPORTSより「100周年を迎えた国際スボーツプレス協会が1924年~2024年の100年間におけるベストアスリートを発表。フィギュアスケーター #羽生結弦 さんが男性部門で堂々6位に」

※ 脅迫罪は、時効を完全に撤廃させる必要があると思いますし、証拠隠滅目的や証言阻止目的で、脅迫がかけられた全ての犯罪は、公訴時効を永久停止させる必要があると思います。

憲法改正の議論するなら、何よりまず、日本国民なのに、人権が国民と同等には認められていない天皇家(信教の自由・言論の自由・職業選択の自由なども含めて)とその女性たちの権利への配慮が必要だと思いますし、真剣に議論する必要があるのではないでしょうか。「日本国民の象徴」なのに人権が保障されないなら、日本国民の人権も認められていないことの象徴だともいえるのでは?

実父から「性的虐待」受けた女性、実名・顔出しで活動「子どもたちに手を貸して」(弁護士ドットコムニュース)

転居してしまった母と息子 「密室」の中で何があったのか | ジソウのお仕事 | 青山さくら | 毎日新聞「医療プレミア」 (mainichi.jp)

実父だろうが実母だろうが、子どもへの性的虐待は、対象が男女どちらの子供に対してもありうるし非常に深刻な被害になるので、決して放置されてはなりません。援助者も理解者も全く足りていない現代日本は、社会全体での意識改革が必要です! (虐待利用した脅迫、脅迫利用した虐待、なんていうのも論外です)

性暴力やハラスメントのない社会を 作家らがシンポジウム 東京 | NHK | セクハラ問題

女性作家らが「性加害のない世界を」と宣言(2024年9月8日掲載)|日テレNEWS NNN (ntv.co.jp)

 

「本当は何度も死のうとした」過去があったこと、2018年のアイスショーで堂々と「生中継でカットされない条件で」あえて語った羽生結弦は、普通の人なら耐えられないと思うほどの酷い人権侵害の中も生き抜いてきました。

それらが ある意味 羽生結弦が試合本番で何が起きても 凄まじい妨害の数々にも、動じないように見せながら 試合の演技を成し遂げる力にもつながったかもしれないと思いますが、しかし、人はみな、最低限の権利さえも 認められずに ひたすら耐えなければならない理由はありません。 

脅迫や強要に屈しない 明るい社会、希望ある未来へ!!

※警告: 「破滅への使者」の衣装は、足立奈緒さんのデザイン’製作で、「鶏と蛇と豚」はカナダのキャロンさんのデザイン&製作の衣装です。

 

ファイテン公式インスタグラム ファイテン | 「Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd -Echoes of Life-… | Instagram

羽生結弦のアイスストーリー3rd  のお知らせです

Echoe(エコー)とは 日本語でも エコー(やまびこ)で有名なように 共鳴、共鳴する様や 反響、残響などの意味があります。

Life(ライフ)には 命、生命、人生 の意味がありますが、そのすべてが 含まれています

Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd -Echoes of Life- TOUR | 2024-2025 羽生結弦 ICE STORY 第3弾

Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd -Echoes of Life-
人生の旅路や成長をテーマに「命」とは、そして「生きる」ことの本質を問う物語。

12月7、9、11日埼玉公演
1月3、5日広島公演
2月7、9日千葉公演 

今年は、私たちにとっても 念願の広島公演が可能となりました!

「春よ、来い」「SEIMEI」と「Origin」の証言ーー爆心地付近の奇跡の生存者、その孤独な生涯から羽生結弦に託された「幸せのかけら」と『世界で一番尊い使命』 - プロ・アスリート羽生結弦 公式・広報サイト(Yuzuru Hanyu' s Official Site)花になろうよ!

② (①の続きです) 第8回:羽生結弦と「幸せのかけら」~ 爆心地付近の奇跡の生存被爆者となって生き抜いた方が、私たちに託したものと真実の宝 - プロ・アスリート羽生結弦 公式・広報サイト(Yuzuru Hanyu' s Official Site)花になろうよ!

 

アイスショー単体の、公式サイトはこちら

Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd -Echoes of Life- TOUR | 2024-2025 羽生結弦 ICE STORY 第3弾

 

羽生結弦からのご挨拶

私は「生きている」ということについて、物心ついた頃から漠然と考えてきました。そして東日本大震災を経て、また、様々な災害に遭われた方と出会い、記憶や想いに触れ、加えて、近年急増しているように感じる日本各地の天災や世界中の困難を目にする毎に、学んできた「生命倫理」と、考え、感じてきた私が持つ哲学の中で私が「生きている」ということ、「生きている」意味について答えを探しては見失い、また探して見つけて仮定してということを繰り返してきました。
ふと目を外に向ければ、私たち自身を見失ってしまうような、情報に溢れた社会の中、自分の痛みも他人の痛みも感じ続けてしまうような世の中で、「命」とは何か。「わたし」とは何か。そんな途方もない問いへのヒントになりたいと思い、物語とプログラムを綴りました。
きっと、私にしかできないなんてことは、この世には存在しないと思います。AIやテクノロジーが発展している今、人間にしかできないこともどんどんとなくなり始めています。
ただきっと、創り上げていくチームと、公演を観てくださる皆さんと一緒なら、その一瞬は「私たち」にしかできないことに変わると信じています。
世界最高峰のチームと、そして、皆さんと一緒に、最上級の体験をしていただけるよう、心を込めて、魂を込めて、全身全霊で滑り、届けていきます。

 

オフィシャルパートナー

東和薬品  KOSE  ファイテン  TELASA

嘘を吹聴してきた偽デザイナーは自分でそれを作っていないことを認めましたし司法で嘘が認定され、その人間の公式Xは削除されましたので公表中! その名前の衣装デザイナーは羽生結弦の担当者に現在は一切おりませんのでご注意ください。

下の写真の人物は、羽生結弦の衣装など一度も作ったことのない、羽生結弦が依頼さえしたことのない、同姓同名詐欺のニセモノのなりすまし人間でしたので どうぞ世界中のファンは騙されないよう、ご注意下さい。(CLAMP対談のこの相手は、ニセモノです)(※騙し目的のダミー会社まで設立した同姓同名の別人で、そもそもデザイナーではありません。本物は現在40代の「同姓同名だった」完全な別人ですが、この人物も、羽生結弦には、プログラム破壊と技術妨害ばかり繰り返したために、ほとんどの衣装で羽生結弦が却下して、他のデザイナーさんの衣装に変更して試合で着てきたのです!)

 後ろにある、最新の「オペラ座の怪人」の衣裳も、2021年の24時間テレビの「花になれ」の藤バージョンの、どちらの衣装もが、本当はカナダのキャロンさんのデザイン&製作の作品です!

Dear all Yuzuru Hanyu’s fandom

Please be careful with the person in the picture above !!  This person has never designed , created and made any costume of Yuzuru Hanyu, because she is not the designer, but just same name to the person who had made so many program-destroying costumes with technical interfererence decoration intentionally and had annoyed Yuzuru for many years during  his competition days! 

Both of the costume of "Hanani-nare", which means " Be your own Flower!", in 24- hour-TV in2021 , and the costume of "Phantom of the Opera" in Stars on Ice 2022 and GIFT 2022 was designed and created by   Mathieu Caron in Canada, never this woman in the photo. 

From Yuzuru Hanyu and the manager of   Yuzuru Hanyu's official website 


羽生結弦と、日本と世界の平和への想いを広島・長崎と共に継承する~「春よ、来い」「天と地と」他プログラムたちの背景にある、 広島の奇跡の生存被爆者から受け継いだ証言

2025-01-11 | プロアスリート羽生結弦と日本の未来を応援する!

フォトグラファー矢口亨さん(当時スポーツ報知)写真 報道写真展より 矢口亨さん公式X Yuzuru’s costume of "Haruyo Koi" has been designed by NAO ADACHI and YUZURU HANYU, created by NAO ADACHI since the first performance in 2018 「春よ、来い」の衣装は、羽生結弦と足立奈緒さんが本当のデザイナーで、製作者は最初からずっと「足立奈緒さん」のみです。

羽生結弦は、広島公演に特別な思いと特別な祈りを込めて全身全霊で演技してくれました。その背後にある奇跡の生存被爆者の方の証言を本ページではご紹介しています。

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今年2025年は、原爆投下&終戦から、戦後80年目となります!! 

本ページは以下の2つのページの証言を1ページにまとめて再構成させたものです。このページをお読みくださるすべての方々に心から感謝申し上げ、大きな祝福がありますようにと心よりお祈りいたします!

「春よ、来い」「SEIMEI」と「Origin」の証言ーー爆心地付近の奇跡の生存者、その孤独な生涯から羽生結弦に託された「幸せのかけら」と『世界で一番尊い使命』

② (①の続きです) 第8回:羽生結弦と「幸せのかけら」~ 爆心地付近の奇跡の生存被爆者となって生き抜いた方が、私たちに託したものと真実の宝 -

以下、「春よ、来い」の歌詞の一部 Yuzuru Hanyu 羽生結弦 -  YouTube

「淡き光たつ にわか雨  愛し(いとし)面影の 沈丁花(じんちょうげ)溢るる(あふるる)涙の つぼみから 一つ一つ香り始める それは それは 空を超えて やがて やがて 迎えに来る 春よ 遠き春よ まぶた 閉じればそこに  愛をくれし君の なつかしき声がする」 

「君に預けし わが心は  今でも返事を待っています どれほど月日が流れても  ずっと ずっと待っています  それは それは 明日を越えて  いつか いつか きっと届く 春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき  夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く」

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初掲載:2019年12月4日   証言ページの再構成:2025年1月1日

「幸せ」とは、いったい何で、どんなものでしょう。

これから書くことは、私が「ある方」から託されてきた「幸せのかけら」でもあり、私から、羽生選手に託した「幸せのかけら」の一つでもあり、フリーのプログラム「天と地と」「Origin」「SEIMEI」の、まさに「源」の一つとなっている、とても大切な事実です。

羽生選手は、この「幸せのかけら」を とても大切に受け取り、共に、真の神様から与えられている使命として、今までの様々なプログラム 特に「春よ、来い」には深く込められてきましたし、もちろん「SEIMEI」にも、そして「Origin」「天と地と」には特に、何よりも本気で込めてきて、一人でも多くの人に伝わるようにと本気で心から願ってきた、そんな「奇跡の証言」でもあります。

それを伝えていくことが、多くの「一人一人の」幸せにも、そして、たまたま羽生選手の演技を見て下さっただけの人たちの幸せにも、もちろん、ライバルの選手たちの幸せにも、そして世界中の人たちの幸せに、必ず、つながっていくと信じているからです。

その、「奇跡」の「軌跡」を、ここに証言いたします。最初は私の話から始まりますが、必ず最後には、「あなたのもとに」届くはずですので、どうかしばらく我慢して、最後まで、お読みいただければと思います…

私は、自分が10代の時、広島や長崎の被爆者の写真などを 授業で見せられていた時、あまりにも悲惨で、あまりにも辛くて、見るに堪えないものばかりなので、本気で切実に、こう祈ったことがあります。

「神様、もう、ヒロシマの原爆のことはいいです。 もう十分です。もう、こんなにも悲惨で残酷な写真を、これ以上見たくはありません。神様、あなたはよくご存じなように、私は、残酷なものが本当に嫌いです。私はできれば、ただひたすら、美しいものや、優しいものだけを、見て生きていきたいのです…」

ーーー本気で切実に祈ったので、とても よく覚えています。すぐに気づいた方もおられると思いますが、今振り返れば、実はこれこそ、「被爆者の方々には」とても「残酷な」祈りだったと言わざるを得ません。 (もちろん、この祈りは声に出していないので、知っているのは神様だけだったのですが。)

ですから、これをここに書くことも、ある意味、私はとても恥じているし、特に、被爆者の方々、被爆地の方々には、大変申し訳ない気持ちでいます。

でも今、これをわざわざ、ここにこうして書くのは、神様はーーーすなわち、私の主であられる、イエス=キリストは、私のこの「切実だった」祈りを確かに聞かれ、しかし、私のこの時の想像をはるかにはるかに、はるかに超えたものすごい形で、正真正銘、本気で、真摯に祈りに応えて下さったのだと、今の私はよくわかるからです。

ーーーその祈りから、何年も経った、ある日のことでした。私のところに、1本の電話がかかってきました。内容は、「ある被爆者が、外国人の方々に証言したいと願っておられるのだけれども、無償で通訳をしてくれる人を探している。 あなたに、引き受けてもらえないか。」というものでした。

私は、とても価値のあることだと思いましたけれども、自分に果たして務まるのか不安に思い、躊躇しました。私よりはるかに英語に堪能で有能で、原爆にも被爆にも詳しくて、その役目にふさわしい人が、もっと他にいるのではないか。 被爆者の証言という重大な証言だから、被爆の話が得意ではない私より、ずっとベテランでプロな方々に頼んだほうが、ずっと良いのではないか、と思ったからです。 それで、そう伝えたら、電話の相手はこう答えました。

「被爆者の方は、報酬など払えないため、今回の条件は、無償で引き受けてくれることなのです。無償で引き受けて下さる人たちの中で、一番英語力が高いのは、現時点であなたなので、お願いできないかと思ったのですが。」

引き受け手が誰もいなくて見つからず、困っているのだと言われたその時、私の主であり、神であられる イエス=キリストが(厳密にはその分身たる『聖霊』の神ですが) 私にこう、明確に命じられたのです。

「あなたがやりなさい。これは、あなたの仕事です。」

私はそれを聴いて(そうなんですか?!)と驚き、直ちに、(かりました、では私がやります。)と神様に答え、電話の相手には、「わかりました。私で良いのでしたら、引き受けます。」と答えました。

神様が「あなたの仕事だ」と、そうお命じになった以上、(それならば、私にできないはずはない)と思い、最後には、迷いはありませんでした。

当日、その被爆者の方にお会いするまでは、私はとてもドキドキしていました。

その被爆者の方をーーー仮に、Bさんとしておきます。 Bさんは、会ったら、見るからに柔和で、小柄で、とても腰の低い女性でした。 彼女は、「自分は今まで、この年になるまで一度も被爆の証言をしたことがないので、今日が人生で初めての証言になります。上手く話せるかわからないけれども…よろしくお願いします。」と私に言い、私たちは互いに頭を下げあいました。Bさんの証言を聴きに来ていたのは、実に様々な国からの、多国籍の外国人の方々でした。

私が聴いた、Bさんの証言内容は、主に以下の通りでしたーーーー

Bさんは、原爆投下当時、爆心地から非常に近い地域に住んでいた、幼児でした。 近所では、Bさんの他に生き残った人は誰もおらず、自分が唯一の生き残りで、自分が死なずに生きていたことは奇跡だと言われてきた、とのことでした。 被爆当時は、幼児で、見た目の推定3,4歳ーーーしかし、本当の年齢はわからない、とのことでした。

4歳だったことにして今日まで生きてきたが、本当は3歳だったかもしれないし、5歳だったかもしれず、自分の誕生日も、本当の年齢も正確にはわかっておらず、1,2年ずれている可能性は十分ある。家族は、誰一人生き残っておらず、自分の本当の家族構成もわからない。

自分を知っていた可能性のある近所の人たちもみな、全員が一瞬で黒焦げになって、人間の姿さえとどめずに亡くなった地域だったため、生存者は、近所では自分の他に一人もいないはず… とのことでした。

ではなぜ、そんな場所での被爆にも関わらず、Bさんは生きていたのかというと、Bさん自身は、原爆投下の瞬間の記憶は、全くないのだそうです。

わかっていることは、原爆爆発時、何か巨大な四角いものが爆風で跳んできて、一瞬で、彼女の上に覆いかぶさったと思われ、幼児だったために、全身すっぽりとその中に納まった彼女は、その「巨大な四角いもの」がシェルター代わりとなって守った形で、原爆投下3日後に、その巨大な四角い黒焦げのものの下から、意識はないけれども、命はある状態で発見された、とのことでした。

彼女を保護したと思われる「巨大な四角いもの」は、真っ黒こげだったため、元が一体何だったのか、誰にもわかっていない。棚か、あるいはタンスのようなものだったのでは、と思われるが、全然別の頑丈な何かだったのかもしれず、全く不明。 爆心地に近く、さらには3日間飲食もしていないので、本来なら生きていられるはずもないところ、Bさんはその中で、気を失うような形で、生き残っていたそうです。

おかげで今日までこうして生かされてきたが、役所の記録などもすべて焼失して残っていないため、Bさんは、自分の本当の生年月日も、家族構成もわからない。Bさんのお名前は、彼女が自分で自分を呼んでいた呼び方から周囲が判断して、「本名はきっとこういう名前だったのだろう」と推測された名前だそうですが、「お母さんが私につけてくれた、本当の名前で、きっとあっていると思います」と、希望と期待を込めて、少し嬉しそうに、そう語られました。

しかし、苗字については、しばらく沈黙された後、「本当の苗字はわからないです。だけど、この名前で、ここまで生きてきました。」と、気丈に答えられました。私はこの時まで、自分の本当の年齢も、本当の名前さえわからない被爆者がいらっしゃる、などということは知らなかったので、激しいショックを受け、思わず涙が出てしまいました。  

1945年に、広島で被爆によりお亡くなりになった犠牲者の数は、推定14万人と言われていますが、プラスマイナスで約1万人の誤差がある、と言われています。 よく考えると、プラスマイナスで1万人もの誤差がありうる、ということは、ものすごい人数が、存在したかどうかさえも「不明」になった、ということなのです。

理由は、記録が全て焼失しているため、生きていたか、存在していたかどうかさえ分からない人たちが大勢いるため、そうなってしまったのですが、1万人以上が、いたかいないかさえわからないだなんて、これほどの重い悲劇はありません。

Bさんは、彼女を知る人全員が、原爆により一瞬で亡くなってしまったため、生き残ったとはいえ、原爆投下のあの日あの瞬間から、本当に「天涯孤独」の状態になってしまいました。 さらに、生きていたとはいえ、身体は普通の健康体ではなく、まさに「被爆者」としてしか生きる道が残されていなかった、そんな人生を歩まれてきました。

途中で、外国人の方々から、「なぜ、その状況で生きていられたのだと思いますか?」と質問されました。

Bさんは、「それは自分にも、誰にもわからないです。四角いものが飛んできたおかげで、死ななかったわけですけど…  何か意味があって、奇跡的に生かされたのかなとは思うのですが…」  言葉を慎重に選びながら、そう答えられました。

しかし、奇跡だとはいっても、Bさんには決して嬉しい奇跡ではなかったようで、こう続けました。

「神様はなぜ、自分だけを生かしたのか。なぜ、私を天涯孤独にして、こんなつらい人生を歩ませられたのか。こんなことを本当は言ってはいけないとも思うのですが、あの日あの時に、お母さんや家族と一緒に死なせてくれればよかったのに…と、何度も何度も思ってきました。」

ーーーそう語られたBさんの孤独は、想像を絶するものだったのだと思われ、聴いていて胸が苦しくなりました。

それでも、「あの状況で、たくさんの「本当は生きたかった人たち」が生きられなかった状況の中で、こんな風にでも、生きていたことを感謝しなければならない。」と思い、必死に、自分にそう言い聞かせて、ここまでなんとか生きてきた と語られました。

Bさんは、好きな仕事なんてもちろん出来ない。 それどころか、普通に働くことができず、職にも就けない。

結婚なんて、もちろんできない。 当然、家族も持てない。 だから、一人でずっと暮らし、ただ病院と家とを往復するだけの、何の楽しみも喜びもない、分かち合える友人もいない、そんな人生だったと、Bさんは語られました。病院との往復をするだけの生活は、とてもつらいものだったそうです。

その詳細は、語られませんでしたけれども…。見た目は、一見、普通に見えるBさんでしたが、言葉には出来ないほどのものを、その心と身体の内側には抱えていらしたのです。別の外国人の方から、ある質問が飛びました。

「もし今、何か願いが一つかなうなら、何をお願いしますか。」 Bさんは、少しだけ考えてから、こう答えました。

「自分を産んでくれたはずのお母さんに、一度でいいから、会ってみたいです。 私は、自分があまりにも小さかったから、お母さんの顔さえも、覚えていないので…」そう言って涙を浮かべ、一瞬の間をおいてから、こう続けました。

「死ねば… 自分も死んだら、お母さんに会えるのだろうとは思うのですが、 でも、私は本当は今すぐに、会いたいんです。 お母さん… お母さんに、できるなら今すぐ、会ってみたい。それが私の一番の願いです。」

憧れの「お母さん」を思い浮かべて語っているであろうBさんは、まるで小さい少女のような可愛らしさ、甘えたい盛りの 幼き日に戻ったかのような、そんな表情をしていました。当時の「お母さん」の年齢よりも、既にはるかに上の年齢になっているはずのBさんでしたが、(今までの人生、きっとずっと、お母さんに、甘えたかったんだな…)と、私は強く感じ、その長い、孤独で耐えてきたはずの年月を思うと、気が遠くなるような思いでした。

Bさんは、「兄弟については、もしいたら会いたいし、遊びたかった。一緒に遊んでいた人がいた記憶があるし、それが兄弟かなとも思うけれども、絶対にいたはずのお母さんの顔さえ、私は覚えていないので…」と、寂しそうに語られました。一緒に遊んでた相手がいた記憶はあっても、それが友人だったのか、兄弟だったのか、わからないのだそうです。

別の外国人の方から、「一番つらかったことは何ですか。」との質問が出されて、それに答えようとされたBさんに、ある異変が起きました。

身体が震え始め、呼吸が荒くなり、答えようとするのですが、声は出せても、途中で言葉に詰まり、上手く言葉にならないような状態でした。

「あ… び、病院…  じ、自分の…  か、からだ  じっ… じっ… じっ…」

こんな調子で、何かを、一生懸命説明しようと努力されているのは見ていてよくわかるのですが、全身をわなわなと震わせて、心の中の何かと格闘されて、涙を流され、言葉に出来ずに苦しむ状態が続きました。

私は胸が締め付けられる想いでその様子を見守りつつ、単語か、文章になるのを ひたすら待ち続けました。

Bさんは、手を震わせながら、辛そうに何度も涙を流され、それでも何とか必死に説明しようと、何かの「記憶」と必死に闘っておられるようでした。

悲しそうに辛そうに、何かを説明したいのだという「気持ちだけは」よく伝わってくるのですが、それが何なのか、上手く表現することも、声に出して説明することも出来ませんでした。

外国人の方々が、その様子を見て驚いて、お互いの顔を見合わせたり、首を傾げたりしだしました。何が起きているかわからず、中には待ちくたびれたり、あるいは、見ているのが辛くて、溜息をつかれる方なども何人か出てきて、それがまた、Bさんにはつらい、残酷な現実のようにも思えて、私はその状況に、ますますいたたまれない気持ちで一杯になりました。

およそ5分以上、そんな「証言が出来ない」状態にBさんは陥り、精一杯、何かを話そうと努力されてはいるのですが、涙を流され、嗚咽し、まるで痙攣したように、身体を震わせ続けるだけの、痛々しい状態が続きました。 

私は途中で、何度か止めようとしましたが、そのたびに、Bさんの口から何かの単語が出かかるので、私は思いとどまって、引き続き証言が出るのを待ってみる…しかし、結局言葉にはならない、そんなことを繰り返しているうちに、(ああ、これが被爆者の方々が味わってきた、究極の苦しみなのか…)と、私も見ていて耐え難いほどの気持ちになり、途中から涙が零れてどうしようもありませんでした。

Bさんの口から、出てきかかった単語の一部を、複数つなぎ合わせて推測すると、何を言おうとしていたかの推測が、私にはなんとかできましたが、外国人の方々には、彼女が何を話そうとしているのか、想像さえつかなかっただろうと思います。

単語から察するに、病院で、被爆者として、自分の身体を実験や観察の対象のように見られてたり、扱われたこと、あるいは、それに関わる何かが一番つらかった、と言いたかったのではないかと私は強く感じましたけれども、でも、これは私の推測でしかなく、文章として、彼女の言葉として成立していない以上、通訳することはできませんでした。

それでも、Bさんがして下さった証言の中で、私の胸の中に、最も強烈な印象に残っているのは、言葉ではなく、実は「この時のBさんの様子」なのです。「証言」の枠の中に収まりきらないほどの あまりにも深すぎる苦しみ、底知れないほどの悲しみが、そばにいただけの私にも、圧倒されるほどに、確かに伝わったのです。 

5分以上が経過し、あまりにも辛そうなその様子を見かねて、私は精一杯の気持ちで、耳元でBさんに、小声でできるだけ優しく、こう助言しました。 「あまりにもお辛いようでしたら、無理に証言なさらなくていいと思います。時間もなくなってしまいますし… 話せることに切り替えて、お話しされてみたら どうでしょう…」

Bさんは涙を流しながら、私の言葉に、こくこくと2度うなずき、涙をハンカチで拭いて、深呼吸を何度もし、心を落ち着けてから、別の話に切り替えて話を再開しました。でも、そのあとに出てきた言葉は、本当に無難な、既に聞いたような話に戻ってしまったため、(私のしたアドバイスは、本当にあれで良かったのだろうか… 余計なことをしてしまったのではないのか…)と、その後、何とも言えない後悔と葛藤で、私は悩まされました。

最後に、皆さんに一番伝えたいこととして、Bさんはこう言われました。

戦争も、原爆も、本当に恐ろしいものです。  どうか皆さんで… 平和な世界にしてください。

どうか、戦争や、被爆で、『私のような、こんなにも辛い人生を送る羽目になる人間を、2度と出さないで下さい。』 

聴いていた外国人の方々は、神妙な顔で、頷かれました。もちろん、そこにいたみんな、誰一人、そんなことが「自分一人だけで」可能になるなどとは、思っていないに違いないのですがーーーそれでも、これこそが第一歩なのだと、私も思いながら聴いていました。

制限時間が来て、証言のための時間が終わりました。私は、(もっと上手に時間をつかって、もっと証言させてあげることはできなかったのか…)と、真剣に悩まずにはいられませんでしたが、でも、証言を終えたBさんは、聴いて下さったお礼を皆さんに向けて言った後、それまでには見せなかったような、とても晴れやかな顔に変わられたのです。

私は、いったんトイレに行って、誰にも見られないように隠れて、一人で泣かずにはいられませんでした。 被爆者の方々が味わってきた「地獄の苦しみ」の、その地獄の正体を、少しだけ理解できた気がしました。

人々の無理解や、想像を超えた反応や拒絶などからくる、2重3重に傷つけられてきたであろう実態や、計り知れないほどの孤独・痛みを、Bさんの全身の様子から、このわずかな時間であっても、感じ取ることが出来たからです。

特に、言葉にならなかった5分以上の、「記憶との格闘」で、涙を流され、震えながらも、Bさんが私に見せてくれた「一生懸命な様子」「それでも証言できないほどの深い傷」は、私の今までの「被爆」に対する、甘い認識さえをも、完全に吹き飛ばしました。

私は一人でしばらく泣いて、なんとか気持ちを落ち着けてから、再び会場に戻ったら、私を見つけたBさんが、「一緒に写真を撮ってほしい」と頼んできました。私は、泣いた後だったため、見るからに情けない酷い顔をしていると思ったので、写真を撮るのが嫌で、最初は断ったのですが、「あなたが一緒に写って下さらないと始まらない」と笑顔でBさんに言われ、仕方なく一緒に写真を撮りました。

(あれ、なんでこんなにBさんは元気になったんだろう…?) 私とは完全に逆に、証言前よりも明るい顔になったBさんを見て、私は、そんなことを思いました。 この時はまだ、私はBさんの本当の気持ちをわかっていなかったのです。

その後、証言を聴いていた外国人の一人が、私に話しかけて、質問をしてきました。 「先ほど、非常に長い時間、何も語れなくなったBさんは、なぜ、あんな風になり、本当は何を語ろうとしていたのだと思いますか。」

私は、自分の推測であることを断りつつ、出てきかかった単語から推測できる自分の見解を伝えました。その外国人の方は、やっと納得したような顔で、深くうなずき、「良くわかりました。」と答え、深く何かを思われたようでしたが、引き続きいくつかの質問を私にしてきたので、私たちはそれについての意見をやりとりしました。その中で、やはり、彼にもBさんの「見せた様子」から、確かに伝わったものがあるということがわかり、私は少しだけ安心しました。

私たちが共に過ごした時間は、おそらく、全部合わせても、わずか2時間程度だったかと思うのですが、最後、別れの挨拶をするときに、私はBさんに、こう言ってしまいました。

「被爆の実態も詳しくなかった私のようなものが、通訳を引き受けたばかりに、貴重な証言時間が短くなり、また、泣いてしまった時間ももったいなくて、本当に申し訳ありませんでした。やはり、通訳は、私ではないほうが良かったかと…。もし、私でなければ、もっと多くの証言内容を、効率よく的確に、時間内に伝えることが出来たかもしれないので、本当に実力不足ですみません。」

するとBさんは驚いた顔で、「いいえ、泣いてくださって、私は逆に、嬉しかったんです。」と答えられました。

そして、私の手をご自分の両手で丁寧に優しく包み込むと、真剣な表情に変わられ、まるで土下座でもするかのように、そのまま床に両膝をついて、腰を落として身を低くして、「どうか、どうか聴いて下さい。」と私に真剣に懇願してきたのです。何事かと驚いて、一緒に腰をかがめた私に、Bさんはこう語られました。

「私は、被爆者としてここまで生かされてきたけれども、自分の命はもう、長くないと思っています。いつまで生きられるかわからないんです。来年まで生きていられるか、正直言って全くわからないし、生きていない可能性さえ高いと思っています。本当は明日にだって、いついきなり死んでもおかしくない、そんな身なのです。今まで一度も証言したことはなかったし、そんな気持ちも勇気さえもなかったけれども、このままでは… このまま死んではいけないと思い、ついにこの歳になって初めて、やっと証言することを決めました。

だけど、いざ決めたら、無償で通訳してくれる人が見つからない、と言われ、落ち込んでいました。

私は、平和のためには、外国の人たちにこそ、原爆と被爆の恐ろしさ、悲しさを、知ってほしかったんです。 日本だけで戦争を止めるのは無理だからです。日本だけで平和は作れないからです。

だから、あなたが見つかった、と聞いたときは、本当に嬉しかったし、有難く思いました。

今日、私がここにこうして来ることが出来たのは、あなたが引き受けて下さったからで、他にそんな人は見つからなかったのです。あなたがいなければ、私は今日、ここで証言することはできませんでした。 だからどうか、『私でなければ良かった』だなんて、それだけは、絶対に言わないでください。」

ーー確かに、無償でやってくれる人がいないからこそ、私に話が回ってきたのだし、神様に『私の仕事だ』と言われたことを思い出した私は、頭を下げて、涙を流しながら、Bさんの言葉を有難く胸に収めました。すると、Bさんは続けて、こう語ったのです。

「先ほども話しましたけど、私は仕事もできず、結婚もできず、ただ、病院と自宅を往復するだけの、何の楽しみも希望もない、そんな人生でした…  天涯孤独の人生、何で自分は生かされたのか、わからなくて 辛くて寂しくて、本当に苦しみ、何度も恨んだりもしました。

だけど、今日、証言し終えた時、本当に わかったんです。

『私には、世界で一番、尊い使命が与えられていたのだ』ということが…!」

 最後のこの言葉を、Bさんは喜びをもって確信している様子で、涙を交えながら、とても大きな声で力強く言ったあと、さらにこう続けました。 

だから、今日は、私の人生で一番うれしい日。私の人生で『一番幸せな日』になりました。

私は、本当に驚いてしまいました。 今日初めて会い、Bさんよりもはるかに年下の若輩者で、わずか2時間程度しか、一緒に過ごした時間はなかったけれども、彼女にとっては、人生で一番うれしくて、幸せな日になったというのです。あれほど、辛そうに、苦しみぬいて証言したにも関わらず、です。

あのBさんの様子を見て、私はむしろ逆に、自分の人生で「最もショックを受けた日」になっていたのですが、Bさんにとってはその日こそが、「人生で一番うれしくて幸せな日になった」だなんて…その言葉、その人生のあまりの重さ、壮絶さに、私は震えてしまいました。

しかし、この証言が出来た日を、「人生で一番うれしい、幸せな日」と呼び、「自分には、『世界で一番尊い使命が与えられていた』とわかった」力強く語ったBさんの顔は、確かに喜びで輝いていました。

私はボロボロと泣きながら頷いて、「どうかこれからも、証言していってください。」とBさんに声を振り絞ってお願いしたら、Bさんは驚いたような顔で私を見つめ、「私はもう…」と言って、静かに首を横に振りました。 (え?)と思った私に、Bさんはこう告げました。

「今日が、最初で最後の証言だと、そう決めて、私はここに来たんです。 そう決めたからこそ、来られたんです。」

Bさんの目は、「そうでなければ、証言はできなかった。辛すぎて、2度と同じことを証言はできない。」と強く訴えておられるようでした。私は、その日、自分が目の前で見たことを思い出し、無理もないと思い、胸が締め付けられるようでした。

「…頼みましたよ。」   Bさんは、泣いている私の手を両手でぐっと握りしめ、ご自分も涙を浮かべながらも、穏やかな、嬉しそうな表情で私に微笑み、笑顔で私にそう託したのです。 私はあまりのことに、涙が溢れて声にならず、頭を深々と下げて、別れました。

もし、Bさんがその後、2度と証言しないというのなら、私は彼女の証言を聴いた、「唯一の日本人」になってしまうのです。 託されたものの、あまりの大きさに押しつぶされそうになりながら、私はその足で、そのまま広島平和記念公園へ向かいました。

 1945年の8月6日に、大勢の命が亡くなったその場所で、私は神様に向かって、心の中で叫びながら祈っていきました。

ーーー神様! あなたの人選ミスです! なんで私なんですか? 私は有名人でも芸能人でもない、政治家になる気も全然ない、もっと他の有名な人だったら、あるいは違う人だったら、大勢に伝えられるかもしれないけれども、なぜ寄りにもよって、被爆の話が苦手だったような私なんですか…!! 彼女は今日を最初で最後の証言と決めていた人です、それをなぜ、私なんかに託されたのですか…?!

ーー自分でも、神様に、祈っているのか、怒っているのか、抗議しているのか、懇願しているのか、泣いているのか、もうめちゃくちゃでわからないような感情でした。

その時、自分がかつて、「美しいものや優しいものをひたすら見ていたいから、被爆の話は聴きたくないです」などと祈ってしまった自分の祈りを、鮮やかに思い出しました。  そして、これは、神様からの、それへの答えの一つだとわかったのです。

神様は、今日お会いしたBさんが、最後に私に見せてくれた姿勢ーーーそれこそが、神様の目には、世界で一番「美しく」「優しい」「尊い」ものとして映っていることーーーが、私にはわかったのです。 私は、激しく泣いて、かつての自分がした祈りを、悔い改めました。

しかし、その結果、「世界で一番尊い使命」を託された一人になってしまった私は、では、いったい誰に、それをまた託せば良いのかーーーいったい誰に伝えれば、Bさんの想いや、その壮絶すぎる、悲しすぎる人生に報いることになるのかーーーそれを思うと、やはり私には荷が重すぎ、人選ミスに思えて仕方がなく、どうしようもない想いで、その後も泣き続けました。

Bさんが生かされた奇跡、その後の孤独な生涯を思い、また、その背後に数えきれないほどの同様の悲劇があることを思うと、涙が止まらず、この日はただひたすら、自分でもわけがわからないほど号泣しながら、約14万人と言われる人たちが命を落とした、その爆心地に近い地域である「広島平和記念公園」の中を、前が見えないくらい泣きながら、祈りながら、神様に質問を沢山ぶつけながら、ひたすらひたすら、歩き回りました。

この日は、今までの私の人生の中で、誰か他人のために、一番泣いた日となりました。この、Bさんとの出会いは、私の人生を、確かに大きく大きく変えてしまいましたけれどもーーーこれこそが、神様のご計画だったのだと、今はわかります。

ーーーこの出来事があった年の、ちょうど同じ頃、私には、神様(主イエス=キリスト)から、ある「使命」が与えられました。それは、ある、「『とんでもない条件に該当する人物』を見つけなさい」 というものでした。その条件はあまりにもとんでもなく、あり得なそうな条件だったので、私は思わず笑ってしまい、(いえ、神様、そんな人はいません!少なくとも私の周りにはいません!)と即座に答えました。 世界中探しても、そんな人は見つからないのでは、と、その時の私は思ったのです。

しかし、神様はそんな私に、ヒントをいくつかくださいました。半信半疑の私は、(あの…その人を見つけて、いったいどうするのでしょうか…?)と聴きました。

「見つけたら、その時に教える」というのが、神様からの答えでした。わかりました、と答えたものの、この使命はとても謎めいていて、しかも、困難を極めることが明らかで、見つかる気が全くしませんでした。

しかし、ヒントに従って行動していった長い年月、何年にもわたる、私の通らされた軌跡・試練・困難・奇跡は、確かにすべて、今日につながったのです。

長い年月を経て、(やっぱりそんな人いないよね…)と思い、その使命をあきらめかけたある日のこと、神様(主イエス=キリスト)から私に、今度は全然別の「新たな使命」が下りました。

それは、「プルシェンコの後継者を見つけなさい」というものでした。ーー今度のこれは逆に、笑っちゃうほど簡単だろう、と私は思いました。あのプルシェンコ選手を初めて見た時の、ものすごい衝撃と感動を思い出せば、それと同じか、それを上回る衝撃があるに決まっている、と私は思ったので、その人が現れたら、すぐにわかるはずで、こんなわかりやすいものはないだろう、と予想したのです。

そしてそれは、実際にそうなりました。

しかし、私が全く予想もしておらず、私が想像だに出来なかったのはーーーこの「プルシェンコの後継者」となる人と、はるか前から与えられていた私の使命であり、私が見つけなければならないと言われていた、「とんでもない条件に該当する人物」というのが、どちらも、実は同じ人だったということです。

そんなことは全く知らされていなかったし予想もできなかったので、「プルシェンコの後継者」を見つけた後も、途中まで、まさか両者が同じ人だとは全く気づきもせず、想像もせず、考えてもいませんでした。

私がかつてBさんから託された、「世界で一番尊い使命」なるものを、私がさらに託すべき相手として、神様がご計画されていた人が、この「とんでもない条件に該当する人物」になるのだということさえも、知りませんでした。

神様が選んだ「プルシェンコの後継者」であり、 この「とんでもない条件に該当した人」---つまり、フィギュアスケーターの「羽生結弦選手」は、私にはあまりに荷が重すぎるとさえ思われた、「世界で最も尊い使命」でもある、Bさんの証言、Bさんの願い・想いという、「幸せのかけら」「宝」を、ひるむことなく、喜んで引き受けて下さる人で、情熱をもってその使命を果たそうと、この上なく頑張って下さる方でもあり、あらゆる妨害や困難にもめげずに、今、ここを読んで下さっている皆様に、そう、あなたに、その「幸せのかけら」を届けたい、伝わるようにと、強く願って、今日まで頑張ってきてくれました。

Bさんが、「世界で一番尊い使命」と呼んだ、この「幸せのかけら」を、世界中の一人でも多くの人が「本当に正しい形で」受け取って下されば、それが必ず、多くの人の本当の「幸せ」につながっていくと信じているからです。

「本当に美しいもの、優しいもの」こそを見続けて生きていきたい、などと祈った、私のかつての、切実な祈りは、私の想像を超えた、驚きの形で、実現してきました。

 

共に深い傷を負い、言葉にできないほどの悲しみと屈辱を感じながらも そしてすさまじい嫌がらせの数々の中を、ここまで不屈の精神で頑張ってきた羽生結弦本人には、とても感謝しています。

「天と地と」に大きく関係する 上杉謙信のゆかりの地は、私が今日まで続いてきたこの使命を、神様から最初に受けた場所でもあります。 また、挿入されている音楽の「新・平家物語」はもちろん、原作の舞台となった「広島」に大きく関係があります。

今日まで 共に担ってきてくれた羽生結弦は それらの真実を含めて、プログラムと演技にわざわざ入れて、衣装で自分の意思でないものを強要されたり、真実と全く違う酷い虚偽を勝手に流布され続けたり、事実を捻じ曲げて侮辱されたまま広められないようにと 非常に考え抜いて 特別な想いを込めて プログラムたちを作り演技を続けてきました。 

 

奇跡の生存被爆者だったBさんが、最後に、私に託して下さったものと その時に聴いた言葉について、さらにもう少しだけ 詳細を お伝えしていきたいと思います。

爆心地付近で被爆したにもかかわらず、奇跡の生存被爆者となって生き延びていたBさんは、推定4歳ぐらいの時に被爆され、天涯孤独の身となった方でした。生きていたこと自体が、奇跡だとしか思えない状況で 生かされた方でしたので、そもそも、その話を信じてくれないということさえあり (普通は信じられませんので)それゆえに、深く沢山傷ついて傷つけられて 生きてこられた方だったと思います。

「神様は、なぜ、私に?」と私自身も当時思った、その時の心境を書きましたけれども、神様が私をここでお選びになった「明確な一つの理由」が一つだけあることは、当時から私にはわかっていました。

Bさんほど、凄まじいものすごい奇跡とまでは言えずとも、私自身も、普通では全くあり得ない、信じれられない状況の中を、奇跡的に生かされて、生き延び、今日まで生かされてきたという経験を持っている人間だったのです。 

わたしよりも はるかに驚異的な状況の中で 奇跡的に生かされたというBさんの話を、たとえ世界中の多くの人が否定しようとも、私はそれをあっさりと信じることが出来ました。

私自身も、今日まで奇跡的に生かされた経験をもつ人間だったからこそ、与えらえた大事なお役目なのだと、すぐにわかったのです。

私がBさんの証言を否定しないで Bさんの話をまじめに聴き続けたことで Bさんはとても喜ばれました。

私自身も、そんな爆心地付近で 被爆しても なお生き延びるなんてまさかと思えて信じられないと最初は思いましたが、実際、Bさん自身は、そうやって何度も疑いの眼差しで何重にも傷つけられてきた、そのような人生を送られていたのです。

だからこそ、何度も日本語で確認しないと すぐには訳すことが出来なかったほど、私も最初は、言葉選びにとても慎重になりました。

Bさんが私に出会い、自分の体験を証言できたその日を、「人生で一番幸せな日」となったと私に話してくれた その言葉の重みは、

たった2時間程度しか一緒にいられなかったからこそ 私には、この上なく重いものでもあり、この上なく畏れ多いことでもあり、そう思って下さることは 本当にとてもありがたい一方で 

でも、それが一番の幸せだなんて、本当に言葉にできないほどの壮絶だった人生がうかがえて、そんな人生があっていいのかと…本当にとても表現しきれないほどの 悲しみをも感じました。

私は Bさんと別れてから、およそ4時間ぐらい、広島の平和記念公園の中を、涙を止められなまま、わーわーと激しく泣きながら、祈りながら、ひらすらひたすら、神様に想いを心の中でぶつけながら 広島の平和記念公園の中を、端から端まで 祈りながら 歩き回ったのです。

なぜこんなことが、なぜこんなにも悲惨で悲しい人生を送る人がいることが 許されるのかーーー

神様はなぜ、彼女をあえて 生かされたのかーーー

よりにもよってなぜ、被爆の話が苦手で、残酷なものが嫌いな私に その証言が託されたのかーーー

私が今まで聴いていた、どんな悲惨な人生よりも、Bさんの人生は、これ以上の悲しみや辛さや寂しさはないだろう、というほどの悲しい人生のように 当時の私には思われたからです。

狂ったように祈りながら、神様に思いをぶつけて 心の中で神様に祈り叫び続け、嘆き祈り続け、心の中で疑問をも何度も訴えたりして 祈り続けた私は、表面的なその姿は、きっと傍から見たら「美しさ」とは、最も程遠かった状態だろうと思います。

鼻水もぐしゃぐしゃ 目はあまりに泣きすぎて腫れあがって 前もまともに見られないくらい瞼が熱くなり、重くはれ上がって 持っていたハンドタオルももちろんぐしゃぐしゃでした。

泣きじゃくりながら歩いていた私を、何人かのすれ違った人たちが、「何があったのか?」と驚いた風に振り返っていかれるのを感じましたけど、そんなことはもはやどうでもいいくらい、私は彼女の人生と、その背後にいたはずの、数えきれないほどの被爆者の方々、犠牲者の方々のことを、他人事ではなくまるで自分のことのように リアルに想像できてしまったために、気が狂いそうな悲しみでいっぱいでしたし、そういった想いを、この日は、止めることが出来ませんでした。

帰りに乗った 路面電車では、泣きすぎて腫れあがった私の顔を見て 驚いて引いていった人たちが 何人かいたのを周囲に感じましたし、自分でも  自分がいったいどんな顔をしているのか、全然わかりませんでしたけれどもーーーーあえていうなら、きっとお化けみたいな顔なんじゃないかとさえ思って、自分で自分を笑えるほど、顔が完全に腫れてしまいました。

その後、顔を洗面所で30分以上 流水で何度も 洗い流し続けなければならないくらい、全く目が開けられなくなるほど 泣いてしまったからです。(それだけ冷やして、その後やっと少しだけ腫れは引きました。)

だけど、ハッキリ言えることは、この時の祈りはーーーーこの「美しさとは程遠い」涙と鼻水まみれで、目も腫れあがった顔で泣き続けて祈ったこの時の祈りーーーーーは、

神様に、この上なく聴かれていたのだ、ということです。

そうでなければ、今日までの羽生結弦との間に起きてきた奇跡の数々は何一つ、そう、何一つあり得なかったし、起こりえなかったことでしょう…!!

私は、自分がずっとこの後にも長く広島に住んでいくような人間ではなかったからこそ、Bさんのことを心配して、誰かと一緒に住んだ方がいいのでは、と提案したり、彼女の日常の様子を尋ねました。

でも、私の心配そうな眼を見て、嬉しそうに微笑みながら、Bさんはきっぱりと言ったのです。

「いいえ、たとえ被爆者同士でも、分かり合えるとは限らないんです。皆一人一人、被爆の状況は違うから、そして抱えているものも違うから、かえって傷つけあってしまうことさえある。そのくらい 被爆は一人一人状況も受けた傷も みんな違っていて、他人には理解できないものがある。」と。

被爆者でさえそうなのだから、普通の人に本当に理解してもらえることは ほとんどないのだと、もう、完全にそう割り切っていて、もはやだれにも 何の期待もできなくなっていたようでした。

「だから、一人が一番いいんです。 それが一番、結局、楽なんです。」とーーーーー。

そうは言いながらも、Bさんは どこか寂しそうなほほえみを浮かべていました。だから 私は、胸が締め付けられる思いで、なおも くい下がろうとしたのです。

そうしたら、「心配してくれてありがとう」と Bさんは私に言いました。

「あなたに会えた日が、今日が、自分の人生で 一番幸せな日でした」 と。

ーーーそれはつまり、それだけ、Bさんは今まで、私には当たり前に思えたような 「優しさ」にも「思いやり」にも、「理解」や「共感」にさえも ほとんど触れてこられなかったであろう彼女のここまでの、あまりにも悲しい壮絶な日々を証明していたと思えました。 

だから、私はそれを聴いて さらに、本当に涙を止めることができなくなってしまったのです。

正直、今こうして書くことさえも、本当に私には辛く思い出すだけでも涙があふれるほどで たったこれだけの量でも 思い出して書くのは 皆さんが想像するよりはるかにずーっと、本当に大変な作業となります。普通の文章とは、全く違うのです。

直接体験者ではない私でさえ、思い出して書くのがこんなにつらいのに、実際に体験した本人が、それを証言することがどれほどにつらくて大変な困難を伴うのかーーー私はここまでの日々で、嫌というほど体験させられましたし、実感させられました。

特に これを頑張って伝えるべく 尋常ならざる努力をしてきた羽生結弦を、悪魔だ魔王だとはやし立てたり、壮絶な嫌がらせをしたり、信じられないような侮辱に変えたり、その心身を平気で傷つけて 喜んだり 踏みにじって 儲けられるような そのような残酷さに触れる時には 本当に言葉にできないほどの 怒りと 言葉にできないほどの深い悲しみがあります。

まさに こういった恐ろしい残酷さ・無神経さ 悪魔を喜ぶ心 こそが、日本に結果的に原爆投下を招いたのではと 今では、心の底から、本気で思わずにはいられません。

だからこそ、私は羽生結弦にこれ以上、一ミリだって傷ついてほしいと思っていません。

そして、その背後で ここまでのことを支えてきた すべての歴史上の名もなき人たちの 涙を想わずにはいられません・・・!!

 

今の自分だったら、Bさんに またもっと別のことをしてあげられたかもと 思うことは今までに何度もありました。

でも まだ 被爆の実態を聴いて、その悲惨すぎる現実を受け止めるだけでも精いっぱいだった当時の 「泣くことしかできなかったような 情けない私」が、その証言の重さと悲しみに震えながらも、Bさんと必死にやりとりしたその言葉たちこそが、彼女に「生きていてよかった」「人生で一番幸せな日になった」と思ってもらえる力となったのだと、よくわかるようになりました。

彼女には「共に泣いてくれる人」こそが、必要だったのです・・・!!

その言葉を否定せず 信じられないほどの奇跡を信じてあげて 生かされていることの意味を認め、誰かにそれを伝えてくれる人を、彼女は必要とし、そして求めていたようだったと、私は話していて わかりました。

Bさんは、「自分が証言するのは、人生で1度きりだと決めたからこそ、今日、こうして話すことができたんです。」と 私に語りました。

2度とできない、1度きりの証言を、今日するつもりでここにきて、そして無事に終えたのだということでした。

私は、その場にいた外国人の方々に自分の証言が伝わったと感じたことで、この日、満足そうにしていたBさんに、「あの… 日本人には証言しなくていいのですか? 日本の人たちにも、というか、『日本の人たちにこそ』知ってもらう必要があると、私は思うのですけど…」とおそるおそる 尋ねてみました。

彼女は 静かに微笑みながら、「私はもう・・・」と言って、首を横に振りました。

そして、私の手をとって握って とても強く握って、「日本人は、今日、あなたが聴いてくれましたから、もういいんです・・・!」と笑顔で言ったのです。

「いいえ、私だけでは・・・ もっと大勢の人に知ってもらわないと・・・!」と真剣に言いかけた私に対して、Bさんは、握っていた手を、握手のように上下に何度も動かして振りながら、

「あなたが聴いてくれたから、私はもう それでいいんです、もう十分です。」と微笑まれました。

そして最後に、とても希望に満ちた笑顔を私に向けながら、そして同時に涙をも流しながら、 

「・・・頼みましたよ。」と、震えた、でも強い想いと力を込めた声で、ハッキリと私にそう言いました。そして、私の手をとても強く握って、私の手が痛くなりすぎて振り払いたくなるほどものすごく強く強く握り続けて、その痛みで私は涙が出たほどでした。そこに込められた想いはなんだったでしょうか。それから頭を下げ続けて、彼女が、『世界で一番尊い使命』だと感じられた、その大切なご自分の証言を託されたのです

ーーーこれが、私がBさんと交わした 最後の言葉となりました。私はその後、涙がどっと出てしまったので、声にならない声で返事をし、うなずいて深く頭を下げました。

その後、その足で まっすぐに広島平和記念公園に向かい、公園の中を、本気で祈りながら、いろんな思いを神様に心の中でぶつけながら、前も見えないほど泣きじゃくりながら、歩き回ったのです。

これを一体どうすればいいのかーーー彼女のこの証言を、いったいどうすれば 私は彼女の想いに答えたことになるのかーーーそんな重すぎる問いは、そしてその「幸せのかけら」は 私から、羽生結弦に伝え、共有し、託された時、神様から、答えをもらったことが、私にはわかりました。

きっと、あの日 Bさんに起こったであろうことと、同じようなことが 私にもその日 起こったからです・・・!!

やるべきことをやったのだ、という、言葉で表現しがたいほどの 強い確信と喜びが 天から降ってきた感じでした。

 

だから、今、あなたがここを読んで下さっているのは、決して偶然ではありません。

そのことはどうか、頭の片隅と心の片隅に、置いておいてほしいと思います。

 

2019年の全日本選手権で、技術妨害&侮辱&悪魔要素入り衣装で 演技をさせられた 羽生選手が試合後に、バックヤードで 涙をこらえながら必死で言葉を探そうとして でも 言い訳にしかならないからと 結局何も答えずに言葉を呑んで涙を流したのを見た時、私は 今日までのことは 必ず私が証言すると、固く心に決めました。

Bさんのためには もちろんですけど ここまで壮絶な勢いで あり得ないほど頑張ってくれた 羽生結弦のためにもそして、元特攻隊で生き残り 後に牧師になった 私の恩師のA牧師のためにも  

その他、数えきれないほどの 悲劇を2度と繰り返させないために頑張って生きた方々のためにも こんな陰湿で 残酷なことは 決して放置してはならないし、決してこのままにして 終わりにしてはならないのだ!と強く思うようになったからですーーーーー。

今日までの すべてのあり得ないほどの  奇跡の数々を 導いてこられました 主イエス=キリストに心から感謝を捧げます。

 

「わたしは世の光である。わたしに従うものは暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(イエス=キリストの言葉 ヨハネによる福音書8章12~20節 新約聖書 新共同訳より)

「だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。(中略)しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者です。」(ローマ人への手紙8:35、37 新約聖書 新改訳2017)

 

羽生選手の2019年の演技と「紫の花」に込められてきた本当の想いは、こちら(薄紫 その1)と こちら(紫全般)その2をぜひ、どうぞクリックして ご覧下さい!嘘をばらまいてわざと人を貶めてきた人たちに御注意下さい。 

羽生選手の「レッツゴー・クレイジー」衣装の薄紫・青紫色と、天国と祝福

紫の花と「命より大切なもの」~理想の先へと「飛翔」する羽生選手へのエール

 

ここまでの軌跡の全てを導き、奇跡の全てを起こしてくださった、全知全能の神であられる、主イエス=キリストに感謝いたします…! 驚異の精神で粘り続けた 羽生結弦にも、心からの感謝を込めてーーー

 

平和を求める祈り

神よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。 憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。 慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。

人々の身代わりとなって罪を背負い、愛によって赦しを与える、唯一の神であり 真の救世主、主イエス=キリストの御名によって。アーメン。

 

※ 御注意!!: ここでいう「ゆるし」とは、決して、酷いことをした相手の悪行を肯定したり、残虐行為を受け入れたりしなければならない、などという意味ではありません。 自分がその怒りや悲しみや恨みに囚われ続け、苦しめられ続けることを拒否し、それらとは自分の人生や心をもう切り離して、そのことの裁定は天の神様に全て委ねて、恨みや怒りの中に生き続けることを拒否すること、その選択をする「決断の心」を意味します。苦しんでおられる一人でも多くの方に、天からの祝福と癒しがありますように…歴史上の犠牲者たちの上に、神様からの深い慰めと癒し、長年の苦しみからの解放と名誉の回復、真の救いがありますように…! 主イエス=キリストの御名で祈ります。アーメン。