※ 羽生結弦出演の、この放送の公式動画が16日(金)18時~ 全て公開となりましたので、公式動画3つをページ内に掲載いたしました! (ファンの皆様は、できるだけ 公式動画の視聴利用をお願いします)
tbc東北放送は、希望を受け入れてくださいまして、ありがとうございます。
※ 羽生結弦は、本当はショートでも4回転アクセルをやるつもりでいたと、この番組の中で告白しています。
過去4年間、ショートの衣装でさえ、首回りにわざと過剰な装飾を付けて首が動けなくするような、そして回転軸を妨害させるような、技術妨害のあまりにも酷い衣装が強要され続けたのは、きちんとフィギュアスケートを見てきた方なら、誰でも 明確にわかるはずです!
そんな衣装を強いられ続けたことで、その可能性さえも執拗につぶされてきたのが 真実だということを、どうぞ 世界中の「本当の」ファンの皆様はよくご理解下さい。
そのようなひどい技術妨害衣装で、最高難度の技が披露できる人間など、世界中を探してもどこにもいません。
「自分のことそんなに好きじゃない」そのワケは?“素顔の羽生結弦″が語る、どんな質問にも答えます③ | tbcニュース│tbc東北放送 (1ページ) (tbs.co.jp)
9月13日: 上の記事が新たに追加公開となりましたので、ページ内部にも情報を追加いたしました。
9月12日:インタビューの追加映像が公開されたので、このページ下に さらに インタビュー内容を 追加いたしました。
(このページは一問一答はまだ完全版ではありません。たくさんあるので 情報は日々追加中ですのでご了承ください。)
こちらは、12日に追加で一部公開された
【独占取材】“羽生結弦”が告白「新しいプログラムを作っている」そしてSEIMEIも進化する?! | tbcニュース│tbc東北放送 (tbs.co.jp)
(管理人から一言:「新しいプログラムを作っている」ことに驚く人たちって、引退だと思っている人たちなのでは? なぜ驚くのか不思議です。プロだって、みんな新しい演技を作ります。演技を、今までよりよくしていこうとうするのも、芸術家ならふつうのことです。難易度を上げていくことだけは、ふつうは年齢があがるにつれて、とても難しいことだと思いますが、技術妨害衣装を強要されないことは、何よりも大事です。)
9月10日に、TBC(東北放送)のサタデーウォッチン!に羽生結弦が出演した映像が放送されて、いろいろな質問に答えましたので。
その内容をご紹介していきたいと思います!
羽生結弦本人は、自分が刑事告訴している人間のデザインにされているグッズを一切許可しておりませんので、どうぞご了承ください。
羽生結弦は成人男性なので、親は法定代理人ではありませんし、まして脅迫で強要されたものは取り消せますし、無効ですので、ご注意下さい。
(現在、勝手に強要されてきたもの、いまだに変更も停止もされず、羽生結弦の名前を勝手に使って宣伝に利用されたものなどについては、デザイン変更を検討・要望中ですので ご了承ください。)
「多分昼の番組で生出演は初めてだと思います。いつもだったらこの時間、寝ているのになと。」
「正直、本当に忙しいですね、正直、今基盤を これから頑張っていく活動の基盤を作っているところなので 正直、そのスケート以外でも忙しいですし、ただその中で 練習をしながら さらにレベルアップをしなければいけないなということで、もういっぱいいっぱいの毎日を過ごしています。」
「言ってみれば、ネタ帳を作っているみたいな感じなので。」
「正直ドキドキしています」羽生結弦さんが地元テレビに生出演 プロ転向後初 | TBS NEWS DIG (1ページ) (← 挨拶の映像動画入り記事です)
初告白「ショートでも4回転半をやろうと思っていた」“素顔の羽生結弦”地元仙台だから語れる本音① | TBS
北京五輪のフィギュアスケートで、羽生結弦さんはショートプログラムの冒頭で回転が抜けるハプニング。フリーの演技では4回転半に挑戦するも転倒し惜しくも最終4位となりました。
司会:
「ショートでハプニングがあったから、フリーで、最初から貫いてきた4回転半に挑戦できたのではないのか?」
羽生結弦さん:
「(ショートで)別に失敗してもしなくても(フリーで)4回転半はやっていましたね、間違いなく。
ただ気持ちの入れようが変わったかなとは思います。
正直この時は怖いものがなかったというのは、間違いなくショートプログラムでのミスがあったので、本当に思い切っていけたというのはあると思います」
司会:
「4回転半はまだこの時点でフリー演技に入れる完成度ではなかったと思うが、五輪でのモチベーションがそこにあったのか?」
羽生結弦さん:
「自分の人生プランが(五輪の)2連覇だった。平昌五輪が終わってから競技としてスケートを続けるという考えがなかった。自分自身もフワフワした中でこれからスケートをやっていくにあたってモチベーションなんだろうと考えた時に、小さいころに『おまえ4回転半飛べって』恩師から言われていたので、じゃあ恩師の言葉と自分が飛びたいと思っていた気持ちを叶えてあげるのが自分のモチベーションかなと思ってやっていた。北京五輪に関しては、モチベーションが連覇じゃなくなっている、4回転半しか出る意味がなかった」
羽生結弦さん:
「これは初めて言うのですが、ショートでも4回転半をやろうと思っていた時期があったんですよ、正直。それぐらい4回転半を成功させることが、一番自分にとって大切だったので。だから
(北京)五輪4位って正直、まあ振り返ってみると悔しい気持ちはあるが、しっかり挑戦して公認という形も取れて良かったと思っている」
「やっぱり、個人のアスリートとして出させてもらうには、自分の気持ち、言ってみれば(ソチ五輪・平昌五輪の)金メダル2つだって自分が取りたかったから取りにいけたわけで、だから選手の気持ちが一番だと思います」
プロとして「4回転半は続けます!」“素顔の羽生結弦”地元仙台だから語れる本音② | TBS NEWS DIG (1ページ)
司会:「羽生さんのアイスショーいつ見られるのか、現状は?」
「正直、まだ僕自身がアイスショーとかに関して動き始めたのが(プロ転向の)会見をした後でした。コロナのこともあったり、いろんな方々がイベントを自粛していた後で今、会場を押さえようとしても押さえられないこともあり、なかなか厳しいです。ただ自分でもできる限りアイスショーの活動をしていきたいと思っているし、皆さんに生で見ていただける機会を頑張って作ろうとしている最中です。期待してほしいです。」
司会:
「スケート以外で、映画に出たり本を書いたりなどの活動はしないのか?」
羽生結弦さん:
「いろいろなオファーはあって、でもお断りしているのですが、やっぱりこれからもずっと『スケートに価値のあるスケーター』としていたいと思うので、ぜひ自分のスケートを楽しみにしてもらえたらうれしいです」司会:
「羽生さんの人生プランの中で、プロスケーターについても先々のことを考えていたのですか?」
羽生結弦さん:
「未知数なんですよね。自分の中では五輪で2連覇して、それからプロとして活動して、みたいなことは考えていたが、そもそも2連覇した後に競技を続けたので、もう本当に未知数で、4回転半とかも(その時点では)やる予定もなかった。だからこれからが本当の「戦いの場」が始まるのだと思う。僕自身もワクワクしながら未来をつくっていけたらいいなと思います」
司会:
「ファンの人もアイスショーで4回転半が見たいと言っていますが、4回転半への挑戦は続くのですか?」
羽生結弦さん:
「続けます!もちろんこれからもアスリートとして、やっぱりフィギュアスケートはスポーツなのでそういったところ(4回転半への挑戦)を大切にしながらやっていきたい。アイスショーの場では、リンクのサイズが小さかったり暗かったりするので、なかなか難しいところはあるがしっかり頑張って、いつか(4回転半を)見せていきたいなと思います」
本田大翔選手:「ジャンプというよりも、僕は表現力が苦手なので、演技に感情込めてというのは、どういうふうにやったら良いのですか?」
羽生結弦さん:
「僕は表現しきれないということが基本的に今までないので、感情を込めない方がむしろ難しくてわからないのですけど。どちらかというと、感情が先走ってスケートをやっている方が多いんです。曲がかかったら『わー』ってなる。何でだろうと逆に」
司会:「スケーターによって技術的なものが得意な人と、アーティスティックなものが得意な人がいて、技術的な人にとっては(感情表現は)難しい。羽生さんは完成しているからそこを教えるのは難しい?」
羽生結弦さん:
「でも、少しづつ例えば自分の感情が、このプログラムに対して、この曲に対してどういう感情、何だろうというのを書いてみたりとか、言葉にしてみたりするだけでも違うのではと思う。
あとは実際に、僕はやらないけれども、鏡を見て、この手の振り付けが本当に伝わっているのか、どうゆう感情が込められていますか、拳をグーにしたときに『強いものがあるのか』『怒り』なのか、それとも優しく包みたいのだったら、(手の表現が)どうなっていくのかちゃんと見えているのか(確かめる)。感情(の動きに)にちょっとでも意味をつけることができたら、それだけで感情表現になると思います」
七北田中1年 三浦那奈選手:
「ジャンプで足を閉めると怖いってなってしまう。ジャンプで怖さを克服するにはどうしたら良いですか?」
羽生結弦さん:
「僕は今でも練習するのですが、階段で1段でもいいので、ちゃんと足を閉めて片足でおりてくるということをひたすら練習していました。氷上で、ジャンプやります、足を閉めます、おりますという行動を何回やってもできない子はできない。(できない子は)自分でその感覚を知らないんですよ。まずは、感覚を少しづつ、陸上でもいいからやっていく、そうすると自然といつかは体が覚えてくれるし脳みそも覚えてくれるので、いずれできるようになります」
司会:「羽生さんは、怖いという感情自体にはどう向き合ってきたのですか?」
羽生結弦さん:
「僕は怖いなって思うのは、正直4回転半ぐらいしかないんですよ。4回転半は、さすがに前に飛んでいくのでスピードがあると、たまに踵から落っこちてきて後ろにゴーンと(頭から)いくと脳震とうをおこす可能性があるので、身体的にも危ないものにはなっていて、でも2回転とかは怖くなかった。ちっちゃいころからやっていたからなんでしょうかね。でも、怖いっていう感情は、“挑んでる”っていう証でもあると思うので、それはそれで自信を持っていいと思う」
視聴者:「スケートをしていなかったら、どんな仕事をしていましたか?」との質問。
羽生結弦さん:
「仕事というか、やっぱり野球やりたかったんですよね、僕。小さいころすごく野球が好きで今でもお忍びであればバッティングセンター本当に行きたいなーって思って。でも地元のバッティングセンター行くと後輩とか先輩とかに会うのが嫌なので(笑)行けないなーって葛藤しています」
Q:「弾きたい楽器は何ですか?ピアノが似合いそうですがエレキギターをかき鳴らしている羽生さんも見てみたいですが」
羽生結弦さん:
「なるほど。僕基本的にリズム人間なので、ドラム叩きたいなあと思っていて、あと、ベース弾きたいです!」
龍崎孝さん:
「羽生さんは物事に対して完璧にいろいろ考えているんだなと思っていたが、自分自身を見直したときに、
実は自分のこんなところ嫌なんだよねなんて思うことはありますか?」
羽生結弦さん:「基本的に自分のことそんなに好きじゃないので、むしろ嫌いなので、だから嫌なところいっぱいありますよ。ただ、考えるということ、例えば思考実験的なものはやっぱり好きで、自分が今発言している言葉たちにどういう意味があるのかとか、例えば哲学的な生きてるってどういう状態をいうのかとか、スケートっていうものはどういう状態をスケートというのか、演技って何だろう、表現ってなんだろう、いろんなことを考えるのはすごく多いので、それがインタビューされているときに出てくる言葉たちに含まれていたり、逆にそれが“くどくて”好きじゃないっていう自分がいます。伝わればいいなあと思いつつも、自分の中では『お前うるさいからもうちょっと黙っとけ』みたいな自分もいます」
(以上、記事より)
(以下は、管理人の書き起こし抜粋)※ まだ追加していきます
子供のころの話:
Q: 仙台でも頭角をあらわした ということで… 練習、練習 でもう当時の記憶っていってもねえ?
「基本的に 僕、4歳から始めているので、その時点でずっと練習していましたね。
でも、たまにはやっぱり、友達と遊びに行きたいなとか、外出て遊びたいなとか、当時は思っていました。」
ゲームなどは?
「家の中でゲームはしていましたね。だけど 友達と遊びに行くっていうのは ほとんどなかったと思います。
本当に片手で数えられるぐらいです。」
朝練あって、夜練あって、寝るのも練習ですからね? 練習、学校、練習、寝るの繰り返しなんですよね?
「そうですね。当時は 小学生のスケーターであっても、寝るのが10時で 次の日は(朝)6時から練習、とかでした。」
Q: 好きな お気に入りのスポットとか、好きな場所とかってありますか?
「基本的にリンクしか行かないな!って。 だから、思い出の場所とか お気に入りの場所っていうと … 自分のホームリンクである
アイスリンク仙台 とかになってしまうかなーって考えてました。」
「ホッとする場所でもあり、その緊張する場でもあり、闘う場所でもあり。」
「小学生の時なんて、それこそ、あそこで何時間過ごしたことか。」
Q: 教科は 小学校時代、どの教科が好きですか
「僕、理科大好き。 理科、大好きですね。 中学校になってからは数学とか好きです。完全に、もう理数の頭です。」
Q: 理科は実験で、好きな器具とかは? アルコールランプとか。
「リトマス紙とか、不思議でしょうがないですね。 昔って ピンクと青のリトマス紙しかなかったんですけど、だんだん今は、色んな色に変化するリトマス紙が出ていて、そういうのを見るとわくわくします。どうやって変化しているんだろう?って(笑)」
Q: 宿題はいつやっていたのですか?
「中学生の時とかもそうですけど、テスト勉強しなければならないときは、車の中とか 遠征時の新幹線の中とか そういった中で基本やっていましたね。」
酔わなかったのですか?
「もうしようがないので 単語帳作って こうやってみたりとか(※ 単語帳を開くふり) 例えば小学生だったら 教科書の音読とかもあったじゃないですか。そういうのとかもやっていましたね (車の中で)」
Q: 宮城・仙台の好きなグルメは?
「僕、食べることに興味がなさ過ぎて…グルメってなんだろうって考えたんですけど… あの、でも… 某チェーン店のラーメンとか。しょっちゅう食べてます(笑) 某チェーン店です。(笑)」
※管理人注釈: ラーメンが大好きなのは、羽生結弦の大親友の指田さんもです。(笑)
(ラーメンチェーン店の名の)具体的なことを言っちゃうと影響力がすごいですから… 皆さんで想像してもらえれば。
ホヤはあんまり?
「僕、海鮮物あんまり得意じゃないんですよ…!」 (正面から)「残念!(笑)」(ギャグのポーズ)
Q: お気に入りの場所とかお気に入りのスポットは?
「基本的にリンクしか行かないなって。 想いでの場所とかお気に入りの場所ってなると、自分のホームリンクである、アイスリンク仙台になってしまうかなっとかっていうのを考えていました。」
ホッとする場所ですか?
「ホッとする場所でもあり、その、緊張する場でもあり、闘う場所でもあり。」
「そうですね、それこそ小学生の頃なんて、あそこで何時間過ごしたことかっていう。」
Q: もしスケートをやっていなかったら 何の仕事をしていたと思いますか?
「仕事ではないけれども、野球をやっていたと思う。 お忍びで行けるなら バッティングセンター行きたい。」
質問: Q: 初挑戦の金メダル(ソチ五輪)は?
「ここでとらないと人生の設計が合わなくなるので。
幼稚園でスケート始めたときには もう金メダルとると思ってて、優勝した!と想いながらやっていたので」
平昌五輪の時のこと
「自分は素のまんま、優勝した!って思いながら」
「あの時はもう、それは緊張しますよ 人間なんで僕も。(笑) 本当に口から出そうでしたよ いろんなものが。
でも、それでも、なんか やっぱり 応援してくださる人たちの力っていうのは ものすごくあるなっていうのは
なんか震災のことを含めても、いろいろ感じているんで。
やっぱりそこを信じてやっていたところは強いですね。」
「あとはまあ、勝てるって信じ切れるだけの練習をしてきたっていうのも 自信の一つだったかなと。」
Q: やっぱり北京 結果的には4位だったけれども 一番ここがぐっときて。
北京五輪について ショートでハプニングがあったけれども 3連覇がかかる中で 最初のジャンプで溝にはまって 1回転だったと
私はここの1回転が… 8位でした…
「8位なのか… 全然覚えていないんですよ。 記憶から消していたから(笑)」
Q: (8位という)そこがあったから 4回転半チャレンジで来ていたんじゃないかと思っていて…
「いや、ショートが失敗していも失敗してなくても 4回転半は必ず入れたと思います。
~ 北京五輪については モチベーションが2連覇じゃなくなっているので 4回転半しかなかったので (ここら辺の 詳細は上の記事を参考に)」
「これは実際初めていうんですけれども ショートプログラムでも4回転半をやろうって思っていた時期は あったんですよ、正直。 それくらい、4回転半を成功させることが 一番自分にとって大切だったんで。 」
アイスリンク仙台での後輩たちからの 質問
Q: 表現に感情をこめて というのが苦手なので… どうやったらいいのかなと
「僕、表現しきれないっていうことが基本的に今までないので 感情を込めないほうがむしろ難しくて、ちょっとわからないんですけど。(笑)」
「どっちかっていうとむしろ感情を先走ってスケートをやっているほうが多いんですよ。曲かかったら もううわ~ってなるし。
なんでだろうって 逆に。(笑)」
「まあでも 少しずつ、たとえば、自分の感情がこのプログラムに対して、この曲に対して どういう感情なんだろうっていうのを、書いてみたりとか、言葉にしてみたりするだけでも違うかなって思いますね。」
「感情がちょっとでも意味をつけれたら」
Q: ジャンプが怖い克服方法
「僕は今でも練習するんですけど、階段で1段でもいいので それで片足で降りてくるっていうのをやるんですよね。
まずは感覚を 陸上でやっていくと だんだん感覚が覚えてくれるし脳が覚えてくれるので いずれできるようになります。
たとえば最初はふつうの靴で 跳んで降りるっていうのを
Q: 怖いっていう感情自体にはどう向き合ってきた?
「僕が怖いなって思うのは、正直 4回転半ぐらいしかないんですよ。(笑)
4回転半はさすがに、前に跳んでいくのでスピードがあると たまにかかとから落っこちてきて、後ろにごん!っていくと、
脳震盪とか起こす可能性があって、正直 あの…身体的にも危ないことにはなっていて。 でも 2回転とかは怖くなかったので。
まあ、ちっちゃいころからやっているんで。
でも、怖いっていう感情は、挑んでいるっていう証でもあるので、それはそれで自信を持っていいと思いますね」
Q: 朝のルーティンは?
「ないですね。 とりあえず 自分が起きているの最近夕方なので それでも 起きて、掃除機かけてお布団片づけて、
そのあとに、若干スケートのことを考えたり、ストレッチしたりですね。」
「皆さんと同じようなご飯、朝ごはんというより、夕ご飯です。」
「基本的に食事で 何かこれは制限しなきゃみたいなものはあまりないですね。だけど例えば、試合に向かっていくときは 砂糖制限したり お菓子制限したりとか、炭酸飲料、すごい好きなんですけど、炭酸飲料は絶対やめる、とか、願掛けみたいなところもありつつ、体にいいことを、みたいなことを考えますね。」
Q:好きという理由以外でここまで続けてこられた理由は?
「それこそ、自分フィギュアスケートの何が好きなのかなとか フィギュアスケート好きなのかなって考えこと、正直、あるんですよね。
好きだな思うときもありつつ 嫌いだなって思うときもあるので。 正直、なんだろうって自分でも考えますけど
続けられる理由は むしろ、あの、『支えてもらえているから』、だけかなって。
好きだから続けているわけでもないし 嫌いだから続けているわけでもないので
皆さんが真摯に向き合ってくださって、支えてくださっていう状況の中で ここで僕が逃げるわけにはいかないだろ、という気持ちで
ここまで 最終的には 続けられているなって思います。」
Q: 思い描く未来について
「スケートに価値を見出してくださっているのは、嬉しいなって思います。」
「一般開放するっていうことは考えてはいないですけれども、アイスショーなんかも仙台でできたらなっていうのは考えています。」
Q: こだわりの編集ポイントは?
「僕はアイドルではないので、ホヤドルでもないので(笑)あははは。 やっぱり、スケーターとして、スケートに魅力を感じてもらえるような演出だったりとか、編集をしようかなっていう風には思いました。
自分、まだ二本しか動画出していないんですけど、その二本目の動画の時に、話が切り替わるポイントみたいなものに、なかなか、ジャンプを見る際って ふつうに引きで撮るんですけど、全体像が見えるように撮るんですけど、ちょっとなんか、足元に撮影するものを置いて、そこに向かって、引かれるぐらいの勢いで ジャンプを跳んでみたら、もっとダイナミックさが伝わるんじゃないかなって思いながら、やってみました。」
「なかなか、足元から見るっていうことが 僕らですらないので、ジャンプってこんなに迫力あるんだっていうこととか、
スピンってこんなに早いんだっていうのとかを、感じてもらえたら嬉しいと思いました。」
Q: 公式のホームページを作る気持ちは?
「公式のホームページ 作るのかどうかは ちょっとわからないですけど (今は当サイトが担当していますので) 公式のSNSは YouTubeだけじゃなくて何かしら作ろうかなと思っています。
みなさんに 自分の口からだけじゃなくて、『自分たちの陣営から』 発信できるうようなもの、発言できるようなものを、何かしら作ろうかなとは思っています。」
Q: プロの 先の計画は?
「未知数なんですよね。
そもそも二連覇したあとにまだ競技を続けたので もう本当に未知数で 4回転半とかもやる予定は全くなかったので
いわゆる 戦いの場がこれから始まるんだっていう風に思いますし 僕自身も わくわくしながら あの未来をいろいろ
造っていけたらいいなと思っています。」
Q: 今後のプロとしてのテーマは?
「僕のスケートが好きな方に対して、僕のスケートをしっかり見てもらえるような場所を作りたいなっていうのは
強く思っていますね。
具体的に、これがっていうのはまだ控えたいんですけど、
まあ 新しいプログラムはもちろん作ってはいますし これからもどんどんどんどん 新しくしていきたいなとは思うんですけど、その過去のその競技プログラム 「SEIMEI」とか
そういうものに関しても あ、こんなにもうまくなったんだなとか
こんなにも情景が変わってきたんだなとか、そういったものを感じてもらいながら
かつ 自分の過去を含めて 何かしらいいものを感じてもらえるように
なんか いろいろ試行錯誤していきたいなとは思います」
ご注意) 上の内容はまだ途中で未完成ですが、部分的にでも公開していきますのでご了承ください。
※ このページは、今後まだまだ追加していきます。