羽生結弦さん×野村萬斎「SEIMEI」で鎮魂の舞い「魂から祈りを込めて」宮城で復興アイスショー開幕― スポニチ Sponichi Annex スポーツ
羽生結弦がアイスショーに込める3・11へのこだわり「希望を届けることは自分が背負った使命」 | 東スポWEB
羽生結弦が魂の滑りで復興を願う 宮城県知事が感謝の言葉「被災地に思いをはせる機会になる」 | 東スポWEB
羽生結弦さん 公開練習で4回転ループ成功 プロの矜持 転向3年目の今も操る4種4回転 - スポーツ報知
羽生結弦さん「希望となれるように」 「notte stellata」2日目 座長として思い代弁 - スポーツ報知 こちらのスポーツ報知より 羽生結弦の2日目の最初の言葉の一部抜粋
「3・11が近づけば近づくほど、たくさん、つらい思い出や悲しい記憶に出会います。そしてまた、大船渡や能登地方や、本当にいつ起こるか分からない災害に対して、今現在、つらい思いをされている方々に対して、僕たちはスケートでしかないけれど、なんとかちょっとでも、希望となれるように、その時のことをちょっとでも忘れられるように、きれいだなと思ってもらえるように、祈り続けます」
羽生結弦さん「幸せの輪が広がっていってくれたら」 「notte stellata」2日目 - スポーツ報知 こちらのスポーツ報知より 羽生結弦の2日目の最後の挨拶の一部 (実際にはもっと長く語っています・Huluの見逃し配信でも見られます)
「こうやって今、楽しいこと、幸せなことを、たくさんたくさん、みんなで分かち合えたと思いますが、まだまだ苦しい思いをされてる方も、もちろんこの中にもいらっしゃいます。どうか、ちょっとでもいいので、こんな楽しい記憶、幸せな記憶を、今苦しんでいる方々も共有できるくらい、たくさんたくさん幸せになって、みんなの輪が、幸せの輪が日本中、世界中に広がっていってくれたらうれしいなと思っています」
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羽生結弦は、以下の場面での出演があります。 (間に他の方々の出演があります)
①開演すぐに「Notte Stellata」(白鳥)
②オープニング ラストに登場して加わり、(最初のマイクでのご挨拶)
③第1部(前半)ラストに、野村萬斎さんと、他出演スケーターたちとのコラボで「MANSAIボレロ × Notte Stellata」でボレロの素晴らしい共演
④第2部(後半)最初に、野村萬斎さんとのコラボで「SEIMEI」の本公演用アレンジ版
⑤ 第2部(後半)の大トリで、「春よ、来い」
⑥ フィナーレ (その後に最後のご挨拶)
以下のスポニチ記事から
【羽生結弦さん、語る(1)】野村萬斎との「SEIMEI」は「オリンピックかなと思うぐらい緊張」― スポニチ Sponichi Annex スポーツ
――3回目の公演。終えて今の気持ちは。
「とにかく、今日が千秋楽なのかなっていうぐらい全体力と気力を使い果たしました。それくらい一瞬も気持ちを切らさずに、少しでもこの会場で滑っているメンバーと全員で3.11やいろんな災害に対してできること、何かのきっかけになるようにと願いながら祈りながら滑らせていただきました」
――野村萬斎さんとの共演は。
「とにかく緊張がすごかったです。やっぱりSEIMEIに関しては特に、何か威厳のようなものを常に背後から感じながら。決してミスをすることができないというプレッシャーとともに本当にオリンピックかなと思うぐらい緊張しながら滑りましたし。あとボレロに関しては、僕が使ったことのない曲で、フィギュアスケーターとしては、やっぱ伝説のアイスダンスの演技がやっぱりあるわけで。振り付けをしてくださったシェイも凄く難しいとはおっしゃっていたんですけれども、萬斎さんのボレロとして僕らもいろんなふりと所作を入れて、本当この共演でしかできないボレロになったんではないかなという手応えはありました」
――野村萬斎とは10年ぶりの再会。
「少しだけ打ち解けてくださった気がします。僕自身、約10年前ですかね、やっぱりとてもとても畏れ多くて、ただひたすら緊張しているだけだったような気もしていましたし。まだ乾いたスポンジみたいな、吸収しようとしてもそんな容量がないので吸収できないみたいな。本当にただただひたすらアップセットしてただけだったんですけど。今回は自分もいろんな経験を積んできて、やはりプロとしていろんな活動してきたからこそ、ある意味で頑張って同じ状況に立って同じ目線、またその同じ高さの目線からものを言えるようにしっかり気を張ってプロのスケーターとしてぶつかっていけるようにということを心がけながら、やはり打ち合わせ等もさせていただきました。もちろん今回ボレロ自体は振り付けがこっちに到着してから他のスケーターも到着してから、振りがだんだんと出来上がっていって。萬斎さんに見ていただいた時にはまだ全然出来上がっていない状態で。萬斎さんもどうしたらいいかね、みたいな感じにもなってしまってはいたんですが。この会場で本当に時間をかけて、何回も何回も通してるうちに萬斎さんの方から合わせてくださることもたくさんあったり、僕自身も萬斎さんとどのような所作で合わせにいったらいいのかということをたくさん考えながらあの出来上がったボレロだったなという風には思います」
【羽生結弦さん、語る(2)】野村萬斎とのボレロ「鎮魂と再生の物語、絶対やりたいなと」― スポニチ Sponichi Annex スポーツ
――野村萬斎にとっても10年ぶり。
「僕自身のことで言うと、やはりこのプロの世界、表現の世界というものにしっかり足を踏み入れてからは本当に弱輩ものでしかないと思っていて。この日本の伝統芸能というものを脈々と引き継がれている方。そして、その芸能の中で特に秀でていらっしゃる方とコラボレーションするということはやっぱ恐れ多いということと、やっぱり自分自身がそこに対してふさわしいスケートを、プロとしての芸術をやっぱり持ち合わせないといけないなということをとてもとても強く感じながらリハーサルからこなしていたので。今日の出来はとりあえず50点ぐらいかなと。本当に緊張しました。(野村萬斎は成長がうれしいと言っていたが)いや、ほど遠いので。精進いたします」
――この会場で、このノッテ・ステラータで羽生さんが代表する「SEIMEI」を野村萬斎とやった意味をどう捉えるか。
「これまでノッテ・ステラータでコラボさせていただいた方々ももちろんそうなんですが、やっぱフィギュアスケートでコラボするということだけを考えるわけじゃなくて。どんな方がコラボレーションとして来てくださったら、ゲストとして来てくださったらすごく格のある、どなたが見ても素晴らしいと言ってくれるショーになるだろうということをいつも考えながら、ゲストのことを企画の方と打ち合わせをしていました。このノッテ・ステラータというものを立ち上げる当初から萬斎さんとはいつかコラボレーションしたいということを話していて。その1つであったやっぱりボレロというものが、鎮魂と再生の物語であるということも含めて、絶対やりたいなと思っていたので。本当にこうやって現実になってみると、まだまだ夢のようにふわふわした感覚では正直あるのですが。ちょっとでもその萬斎さん、野村萬斎という存在を受け入れるに値するスケートやショーの構成に近づけたのかなという風に思えてはいます。手応えとしては」
【羽生結弦さん、語る(3)】SEIMEI夢コラボ「安倍晴明本体に使役する従者、式神のイメージ」― スポニチ Sponichi Annex スポーツ
――被災地の故郷で健康でショーを続けられていること、どんな気持ちで前に向かっていきたいか、改めて被災地のへ思いも含めて。
「チケットを購入されて体調を崩してこれなかったっていう方ももしかしたらいるかもしれないですし、新幹線の問題とかでもなかなか難しかった方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれないし。そもそもグランディという利府の地がかなり交通の便が悪いので大変だとは思うんですが。でもそういった中で、まずその僕ら以前に来てくださる方々がやっぱあの健康であって、また体調悪かったとしてもHuluだとかえ配信等でご覧になってくださってる方々がいて。もうそれだけでも僕らは十分幸せだなという気持ちでいっぱいです。本当もちろん僕らも全身のエネルギーがなくなるほど、酷使しながら演技をさせていただいてますし。今まで自分がアイスショーに対しての意気込み、このエネルギーの出し切り方みたいなものがなんかどんどん今回は他のスケーターにも伝播していて。こんなにやりきってくれるんだっていうぐらい他のスケーターたちも出し切ってくださって。で、あの野村萬斎を、息を切れるほど走らせる人は多分いないと思うので。本当恐れ多いのですが、本当に萬斎さんも全力でSEIMEIというものを演じ切り切ってくださっていて。本当何て言うんですかね。あの僕らは多分エネルギー量的には体力的にはもう全然健康じゃなくなってきてるんですけど。でも、これを見に来てくださってる方々が、ああやって立って拍手を送ってくださったりとか 声援を送ってくださったりしてる姿を見て、この場で生きてらっしゃるんだなということをなんか改めてこのノッテ・ステラータだからこそ改めて感じられて。僕らがその震災の時に立ち上がっていけたように、その絆みたいなものがどんどんどんどん広がっていってくれたらうれしいなという気持ちでいます。とりあえず、多分、本当に僕リハーサルの時に、野村萬斎さんが息を切らしてらっしゃって、大変なことをしてしまっているなと。本当にSEIMEIの最後のところ、本当ずっとダッシュしてくださってるんですけど、いやなかなか本当に申し訳ないなって思いつつも、でもそれに応えてくださる萬斎さんの力量というか器みたいなものにまた改めて尊敬してます」
――「SEIMEI」をやるにあたり、こだわったった点、代名詞とされる演目を今回どういう風に消化できたか。
「そうですね。いつもはSEIMEIというものを演じる時は、僕自身がその安倍晴明のモチーフになって滑るということが1番多かったんですが、今回はその安倍晴明本体が出てきて。で、それに使役する従者というか、式神のようなイメージで構成を練って、演出もしていただけました。完璧で不思議な存在である安倍晴明がそこにいるからこそ。なんか式神は式神らしく、完璧ではなく、ある意味、力を与えられし者のような立ち振る舞いをしなくてはならないなということを込めて、ずっと力を入れながら。いつものSEIMEIというプログラムで滑っている時よりもずっと本当にフルパワーでずっと滑っているような何か1つ役割を与えられて、その1つの役割をこなして。で、また紙の人形に戻って、で、また死を唱えられて、役割を与えられてというような物語を2人の中で想像しながら構成を練ってきました。なかなか今までのSEIMEIの感覚とは違って。何だろう。その役割というか、それぞれの、ちょっとこじつけかもしれないですけど、その自分が今このノッテステラータというアイスショーに出演させていただいていることとか、自分が生きていることの役割とはなんぞやということをなんか改めて問われているような気もしました」
取材終了で「すいません、語りが長くて本当に申し訳ないです。ありがとうございます。なんかちょっとNHK杯の時にずっと喋ってて“終わりです”というのをちょっと思い出しました。いつも長々とありがとうございます。またお願いします。ありがとうございました」
こちらは、野村萬斎さんのインタビュー記事です
以下のThe Answer の記事から
「職業・羽生結弦はますます成し遂げていく」「本当に陰陽師が好きなんだなと」【野村萬斎さん一問一答】(THE ANSWER)
――アイスショーに参加してどうだったか。
「大きな会場で皆さんの熱気と活気が感じられましたね。本当に生きてる人間がこれだけ集まると、ものすごく盛り上がるというね。(会場のセキスイハイムスーパーアリーナが震災時に)安置場であったっていうことと、我々はいろんなものを一種の遺産、いい意味でも悪い意味でもいろんなことがあると思いますけど、そういう物を受け止めながら、自分たちが生きているという共有できたのは素晴らしい催しだなと思いました」
――「MANSAIボレロ」を演じてみて。
「ちょっと感極まりそうになりましたね、最初ね。何か始まるときに、ちょっと一瞬、霊感ではないですけど、ちょっと皆さんの何か魂を感じるというか、そういう思いが私に乗りかかってくるというかね。そういうものを背負うのも、狂言に携わるものの使命のような気もして、改めてそういう場所と自分の使命みたいなものを再認識させていただきました」
――「SEIMEI」を2人で演じた。
「作っていく段階で、本当に羽生さんが陰陽師好きなんだなと思いましたね。ちょっとオタクなのかもしれないですけど、僕より詳しくて(笑)。僕が忘れていることも何となく覚えてらっしゃるぐらい。逆にこうした方がもっとSEIMEIらしいとか。 冗談は置いといて、彼の金字塔というべき、ゴールドメダルを獲った曲ですから。私もその大切な曲に関わらせていただいたことに、大変光栄に思っております。構成がどんな風に皆さんに映ったかもちょっと興味がありますけれども、五芒星をスケートリンクに書くということも、一つの何かあるものに対する思いになったと思いますし、そういう意味で3.11に繋がる曲にもなったかなと。私も2つの作品で関わらせていただき、大変名誉であったなと思います」
――フィギュアスケートとのコラボで発見したこと、思っていたことと違った事、面白い発見はあったか。
「構成をいろいろやってる段階で、僕と羽生さんが入れ違いに交互に演技をするときに、音の切れ目で『バシッ』ってこっちは行きたいんだけど、やっぱりスケートってすぐ演技ではなくて、初速をつけるための準備動作が必要なので、その分の間が必要だっていうことは『なるほど』と。地上だと『スッ』と動けるのが、氷の上だともうひとかきしてから行くっていう、タイムラグがあるのが新鮮でした」
――感覚の溝はどう埋めた?
「こちらも去り際を少しちょっと派手にしたりとか。でも本当に羽生結弦さんと今回仕事して、前に対談させていただいたときに、僕が『天と地と人』を司る、空間と時間を操る、音楽をまとうなんて話したことをすごく思い出しましたし、まさしく羽生さんがこうやってアイスショーをいろいろプロデュース、演出もされていく中で、まさしく天地人を司っていらっしゃるなと。非常に頼もしく、成長されている姿が頼もしく思いました」
――それから10年が経過する。
「あの頃はまだ僕と喋っているときに、彼の中にもちろん内包されているものなんだけど、まだ言語化されていなかった。それが多少私の言葉も含めて、今までの経験などでだんだんに殻が破れて、芽が出て、まさしく今、花開いているなと。そういう思いで素晴らしいなと。 我々は年を取って老いていくわけですよね。次なる人々がいろんな意志を継いでくださるようなことで、とても嬉しく思いますね。僕自身も先人から能や狂言の知識であるとか、経験の中で僕が思っていた想いを、彼が受け取ってくれてこういう形の素晴らしいショー、かつ鎮魂という大きなテーマがあるということが素晴らしい。 僕はつくづく思うんですけれども、『職業・羽生結弦さん』と私は最初にお呼びしたんですけれども、私が『職業・野村萬斎』と名乗ってるもんですから。僕自身も日本の文化、伝統文化を背負って生きているつもりです。彼の場合も彼なりの何か非常に大きなものを背負っている。そういう意味で公人、公の人というか、単なる個人の活動という枠を超えているところが素晴らしいなと思っていますね。彼の何かスケートにとどまらない意志、発想、行動力。そういうものが本当に凝縮された素晴らしいショーであったなと思います。ですから『職業・羽生結弦』はますます彼のできることを成し遂げていくんだろうなと思います。それは本当にありがたいことですね」
――以前羽生さんとの対談で、我々は「省略の文化」だと仰っていた。ボレロに省略の文化を当てはめる際に意識したことは。
「いろんな作り方をしていくうちに、どんどん削ぎ落としていったのは事実ですね。3.11を含めた祈りに変換していくという作業の中で、具体的に『実は子供を抱き上げて助けを求める』とか、『苦しい中にも花は咲くよ』とか『雨も降るよ』『夏も来るよ』と。そういうイメージで、具体的にしながらも抽象的な概念にしていって、最終的に人間の一生が垣間見られる。死からもう1回、次の生に。それが最後のジャンプに繋がるという意味合いを込めている。見ていると非常に抽象的に見えるかもしれませんけど、そういう思いで見ていただくと何か特別に見えてくるものもあると思うので、ぜひまたボレロも続けて共演できるといいですね」
※ このページはどんどん追加していく予定です