嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

世代間

2004年04月02日 17時27分02秒 | 駄文(詩とは呼べない)
たまには世代間の問題の事をそれっぽく書いてみようと思う。

僕の親は団塊の世代と呼ばれているらしい。
画一的な教育を受け 似たような事をしゃべる人達だ。
もちろんそれぞれをよく見ると 様々な個性があるだろうとは思うけど
実際にはそういうものが表に出てくることはあまりない。
個人主義よりも全体主義で育ってきた影響なのか
じつは誰にも語らない本音があるのか
詳しいことはよくわからない。
だから適当に推測させてもらおう。

僕は型にはまった幸せを信じない。
日本語を使っているけど日本的な文化を必ずしも良いとは思っていない。
日本語で考えている限り日本的な幸せの結論に誘導されがちだが、それも疑う事にしている。

僕は時々幸せになりたいと願う。
そのための手段を大人達に時々聞いている。
大人は人生を模索するためのヒントはくれるけれど
幸せになるための手段は教えてくれない。

自信たっぷりに常識を説く事は出来ても
自信たっぷりに自分が幸せだとは言えないのではないだろうか。
ここに社会への疑いが発生せざるを得ない。
僕はどうしても大人の言う事が 一人の個人の意見として素直に聞く事が出来ない。
友達の意見はいつも人によってかなりバラバラなのに
大人の意見は何故かある一定の共通性があるから、
そこにどうしてもうさんくささを感じざるを得ない。

被害者ぶってるわけではない。
大人が悪いと言ってるわけでもない。
全ての言葉が言い訳なのかもしれないが
自分の気持ちに嘘をついているつもりはない。

大人は子供を叱ったり注意したりする事がある。
何かを命令口調で言う事もある。
けれど、それで何が手に入るのかはハッキリ明言しない。
多分、大人の言うとおりにして手に入るのは お金とか生活保障とか延命っぽいものだ。
僕は それらを本気で望んではいない。
既に手に入ってきた時代に生まれ育ってきたからだと思う。
ただただ必死で努力して生きる事に憧れはあまり無い。

彼らが延命して、その先に見ているぼんやりしたヴィジョンは子孫繁栄だろうと思う。
僕らの世代が安心して平和に健康的に暮らせる事を願っているように思う。
それはきっと前の世代から無意識に託されたものが平和だと思うから。
戦争を起こして反省する世代の親達から託されたものだから、きっと平和なんじゃないだろうか。

戦争で後悔して平和を願って、そして人は何を求めるのか。
それはきっと幸せだと思う。
平和な時代に生きる人が次に願うもの、次に必死で求めるものは 人間の幸せだと思う。
少なくとも僕は時折、満たされていない虚しさを感じ、幸せになりたいと願ってしまう。

ぼんやりした頭で おぼろげに周りの景色を見つめながら
次にすべき事を考える。
方法はよくわからないけど、実践していくしかないのか。
どこへ向かうのかはよくわからないけど、前に進むしかないのか。

多分 僕は「人間」を探している。