僕の姉は絵を描いている。
僕は字を書いている。
二人で漫画を書くといいかもしれない(笑)
だけどそれはただの冗談。
本気で漫画を書くなら一人で書きたい。
そもそも僕は漫画を書きたくてたまらないわけじゃない。
ただ、伝えたい事があるのに伝わらないいらだち、
伝わったかどうかがわからない鈍感さ、
そういったつまらないものから解放されたいだけかもしれない。
地に足が着いたら表現者として終わりだと言った人が居る。
そんなこと、自分から願ったって出来るとも思えない。
僕がそんな簡単に大人になってしまうとは、到底思えない。
頭で考える人は苦手だと言った人も居た。
考えるのを止められるもんなら、僕はとっくにやめている。
僕は、未だにこの世界を認めていない。
現実を見て真っ直ぐに歩いていない。
もしも夢や希望や理想や観念や妄想の何もかもを消し去って、
厳しい現実と真っ直ぐに向き合えるならば、僕はこんなにも悩んだりはしない。
しっかりと現実を受け入れる事が出来るなら、僕はもっともっと今だけを見つめて刹那的に生きられる。
僕の意識は常に理想と現実の中間を彷徨う。
そのギャップこそが人としての苦悩であり、
表現を生み出すエネルギーへと転換されるのだと思っている。
描く事しか出来ないと気付いた絵描きは何を描くのだろう?
救われないと確信した罪人は神に何を嘆くだろう?
僕に出来る事は書く事。
何もない世界の何かを書く事。
どうにもならないほどに絶望の世界なら、僕は希望を書きたい。
明るく輝く世界なら、僕は闇を書きたい。
ゆくりゆくりと忍び寄る死の影と共に、死神は僕をせせら笑うだろう。
僕は死神を書く事で彼らと対話する。
あるのでもなく、ないのでもない、あやかしの者たちと僕は戯れたり話したりして遊んでみよう。
退屈は僕を殺そうとするけれど、死ぬ日を決めた僕が死ぬはずはない。
戦っていないのだから、負けるはずもない。
僕の魂は世界を感じるだけ。
今の僕に出来る事は、まだ書く事だけ。