wordblowさんの、言葉はナイフのように
砂蜥蜴さんの、どう生きる
に関して自分なりに感じた事を。
これは最近の自分を悩ませる重要な問題でもあります。
僕は自分らしく生きる事を最優先にしていますが
僕の生き方があまりにも深く人を傷つけてしまった時、
「それでも俺は我が道を行く!」とは決意していてもなかなか言えないものです。
そういう時に考えるのは「このまま進んで、果たして自分の目指すヴィジョンに近付いているのか?」
ということです。
僕は時折、(他人の意見など紙屑同然だ。)と思うときがあります。
しかしそれと同時に、(はたして僕は孤高の生き方を貫けるのか?)と思うとよくわからなくなります。
他人の心をないがしろにして突き進むのならば、それは踏み付けた人の心を背負って進まねばなりません。
そうやって進んでいけば、いつしか重みで自分が潰れてしまうような気がしてならないのです。
この問題の迷いの答えはなかなかでません。
刻んだ決意の深さが浅すぎるのかもしれません。
現時点で言える事は、迷いながら我が道を行くスタイルが
盲目で一点に向けて突っ走るスタイルよりも自分に合っている、ということです。
全然参考にならないかもしれませんが、
誰かのヒントになることを祈ります。
たまには真面目な事も書く、はにゃでした。
砂蜥蜴さんの、どう生きる
に関して自分なりに感じた事を。
これは最近の自分を悩ませる重要な問題でもあります。
僕は自分らしく生きる事を最優先にしていますが
僕の生き方があまりにも深く人を傷つけてしまった時、
「それでも俺は我が道を行く!」とは決意していてもなかなか言えないものです。
そういう時に考えるのは「このまま進んで、果たして自分の目指すヴィジョンに近付いているのか?」
ということです。
僕は時折、(他人の意見など紙屑同然だ。)と思うときがあります。
しかしそれと同時に、(はたして僕は孤高の生き方を貫けるのか?)と思うとよくわからなくなります。
他人の心をないがしろにして突き進むのならば、それは踏み付けた人の心を背負って進まねばなりません。
そうやって進んでいけば、いつしか重みで自分が潰れてしまうような気がしてならないのです。
この問題の迷いの答えはなかなかでません。
刻んだ決意の深さが浅すぎるのかもしれません。
現時点で言える事は、迷いながら我が道を行くスタイルが
盲目で一点に向けて突っ走るスタイルよりも自分に合っている、ということです。
全然参考にならないかもしれませんが、
誰かのヒントになることを祈ります。
たまには真面目な事も書く、はにゃでした。