嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

不幸への憧れ

2004年04月08日 13時08分26秒 | 駄文(詩とは呼べない)
僕は時々不幸な気分に浸っている時がある。
<人は誰だってみんな幸せになりたい。>
という言葉を何度も聞いたことがある。
でも僕は簡単には この言葉に頷けない。

自分が自分を肯定しづらくなった時、友人に相談して励ましてもらうのは簡単だ。
落ち込んでいる人を見ると励まそうとするのが普通の人だろう。
だけど僕はそんな当たり前の慰めは要らない。

不幸への欲求、これは思考癌だ。
考えすぎれば考えすぎるほど、悪循環が発生する。
今風に言えば「不幸スパイラル」
けれど全ての癌に効く、決まった特効薬というものは無い。
癌とは変質した個性細胞であり、抗癌剤の効き目は個人によってかなり格差がある。
だから様々な種類の抗癌剤が存在している。

不幸な思考に取り憑かれた人は、周りの人も不幸にしようとしていく。
新興宗教であったり、鬱病患者の嘆きであったり。

僕はそういう人たちの気持ちが解らないわけじゃない。
だけど、解っているわけでもない。
僕が不幸な気分に浸る時は、ほとんどが退屈な時だ。
他の不幸な人たちがどれだけ深刻な悩みを抱えているのかは知らないが、
僕の持つ不幸への欲求は、退屈さが僕を殺そうとする事への、必死の抵抗だ。

僕の感情には波がある。
躁鬱病ではないと思うが、物事がうまくいっている時は気分が良く、
様々な事を楽天的に考え、プラス指向でいられる。
けれどうまくいかない時には悪い方向へ考える癖がある。
大雑把に言えばこれは当たり前の誰にでもある感情の起伏だと思う。

僕が普通の人と少し違うのは
自分が不幸な方向へ進んでいるのを自覚しながら、意識的にそちらへ進んでいる事だと思う。
もちろん逆も出来る。
不幸スパイラルから抜け出すためには、
悲観的な発想を捨てて楽天的な発想を意識的に自分から選択する事だ。
これが出来なければ、僕はとっくの昔に自殺していただろう。

僕が禁断の果実を食べ続けるわけは、
その美味さを知っているからだと思う。
幸福感の正体を、不幸と幸福の状態の落差から生じるものだと仮定すると、
僕は自分自身を下降させる事で、上昇感を実感として体験する事が出来る。
イバラの道と知りながらも突き進むのは、達成の喜びを知っているからだ。

だがこれは、しょせん仮説に過ぎない。
こんな考えを頭から簡単に信じるのはただの馬鹿だと思う。

だから僕は実際に、自分の身を投じて確かめている。
答えはまだ出ない。
答えは簡単には出ない。

けれど僕は、不幸な人を見ればその人が何故不幸なのか知りたくなる。
幸福な人を見れば、その人が何故幸福なのか知りたくなる。

僕は───
悲しみの涙がどこから来るのか知りたい。
笑顔の輝きがどこから来るのか知りたい。

僕は、人間の心が知りたい。
僕は、君の心が知りたい。