和歌山県有田郡吉備町(現・有田川町)にあった田殿口駅は、紀勢本線の藤並駅と金屋口駅とを結んでいた全線単線非電化のローカル線だった有田鉄道(5.6km)の一般駅として、1914(大正4)年5月28日に開業しました。
しかし、同鉄道が2002(平成14)年12月31日限りで廃止されたことに伴い、廃駅となりました。
廃止時は単式ホーム1面1線のみの無人駅でしたが、駅に隣接してみかんの選果場があり、かつてはみかんを貨車に積んで輸送していたため、数本の側線を有していました。
コンクリート造りの駅舎が、駅の無人化後も解体されずに最後まで健在でした。
和歌山県の有田市とその周辺の各町は全国的に有名な有田みかんの主産地であり、その出荷は主に海上輸送によっていましたが、産地で穫れたみかんを積出港である湯浅港まで運搬する目的で1913(大正2)年2月28日に有田鉄道が設立され、1916(大正5)年7月1日に全線開通しました。 全通後はみかん輸送と旅客輸送のほか、有田川流域で産出された木材の輸送なども行われていました。
有田鉄道が最も賑わっていたのは1965(昭和40)年前後で、旅客は年間160万人を、貨物は3万トンを超えていました。 しかし、それ以降、旅客数は減少し続け、みかんなどの輸送も次第にトラック輸送に切り替わっていき、貨物営業は国鉄の貨物縮小のあおりを受けて1984(昭和59)年2月1日で廃止されましたが、廃止前の貨物輸送量は年間2000トンでした。 大きな収入源を失ったことで、人員の大幅削減、車両保守を近くの自動車整備工場に委託するなどの合理化が図られ、利用者も沿線の高校への通学生にほぼ限られるようになっていたため、1995(平成7)年3月6日から、第2・第4土曜日と日曜・休日(つまり学校の休日)は全列車運休して並行する道路を走る路線バスで代替するようになり、1日の運行本数も次第に減少しました。
2001(平成13)年11月1日からは運転本数が1日2往復(最終列車は藤波12:00発)に減らされ、利用者数は1日平均29人でした。 そして有田鉄道が鉄道廃止の意向を示した時も、地元から廃止反対の声はほとんどなかったため、2002(平成14)年12月31日限りで廃止されました。
<田殿口駅の年表>
・1914(大正4)年5月28日:有田鉄道の一般駅として開業
・1984(昭和59)年2月1日:貨物取扱い廃止。 駅の無人化
・2002(平成14)年12月31日:有田鉄道がこの日限りで廃止されたことに伴い、廃駅となる
(駅 名 標)
(駅舎・ホーム側)
(田殿口駅駅舎)
(駅 舎 内)
撮影年月日:2001(平成13)年7月1日