追想・安倍晋三内閣総理大臣〈「言葉を交わせるかもしれない」淡い期待を抱き、私は奈良の病院に向かった〉
/北村滋――文藝春秋特選記事
【全文公開】
記事提供終了日:2023/8/5(土)
8/10(水) 6:00配信
「文藝春秋」9月号の特選記事を公開します。文/北村滋(前国家安全保障局長)
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2022年7月8日「悲報」―奈良県橿原市 それは普段よりはむしろゆったりとした昼時であった。眼下に芝・虎ノ門の街並みを見下ろす赤坂一丁目、高層ビルの最上階、船橋洋一氏との昼食を待つ最中、その知らせは前触れもなく飛び込んできた。
「NHK速報 安倍元首相 奈良市で演説中に倒れる 出血している模様 銃声のような音」(一一時四四分) 目を覆いたくなるような不吉な知らせだった。
さらに、「背後から散弾銃のようなもので撃たれた模様」「心臓マッサージ中 ヘリで搬送の予定」「銃器は押収済み」「被疑者を確保」といった断片的ではあるが、衝撃的な情報が次々ともたらされる。
正午前に船橋氏が現れると、着席する間もなくこの事態を告げた。
平素は、冷静で論理的な彼には珍しく、「国家にこれ程大きな損失はない。日本は何時(いつ)からこんな恥ずかしい国になってしまったんだ」と一言。
怒気を含んだ声だった。
一二時三七分、盟友、ロバート・オブライエン前米国国家安全保障担当大統領補佐官より電話が入る。
心のこもった見舞いの発言の後、この事態をトランプ前大統領に直接面会して伝えると話していた。
「安倍総理の回復を心から祈っている。
彼は、日本のみならず全インド太平洋地域において屹立(towering)した指導者であり、米国の真の友人だ。神のご加護が彼の回復をもたらしますように」とメッセージにあった。
人づての情報に右往左往し、遠くで為す術を知らない自分が正直言ってもどかしかった。
安倍晋三元内閣総理大臣(「安倍総理」という)の危急存亡の事態に一メートルでも、一センチでも物理的に近づくことが長年お仕えした自らの務めだと悟った。
搬送先の情報を求めたが、なかなか要領をえない。
ようやく橿原(かしはら)市所在の奈良県立医科大学附属病院であることが判明する。
失礼ではあったが、食事もそこそこに「これから病院に行って来ます」と船橋氏に告げた。
「君なら当然そうすべきだ」と背中を押してくれた。
品川駅に向かうタクシーの中で安倍総理の安否を気遣うプロデューサーの残間里江子氏からの電話。
「これから奈良に向かう」
「あなたならそうしなきゃね」。
船橋氏と全く同じ反応だった。
一三時一七分発の「のぞみ35号」に乗り込むと、気持ちが少し落ち着いた。
「この『のぞみ』が安倍総理の強力な磁場に引き寄せられている」。
そんな錯覚のなせる業だった。「ひょっとしたら総理と言葉を交わすことができるかもしれない」などと淡い期待を抱いたこともあったが、そんな期待は現地到着後に裏切られることになる。
新大阪駅から橿原まで車でどの位かかるか見当もつかなかったが、行程は順調だった。
車中、今井尚哉内閣官房参与から連絡が入る。
橿原市に向かっていると告げると、昭恵夫人と菅義偉前総理もまた此方に向かっていることを教えてくれた。
彼は、これから生ずるであろう安倍事務所としての仕事を中核となって引き受ける覚悟でいた。
奈良の病院における事務は、私に委せたということなのであろう。
官邸で勤務していたときから、何時もそうだった。長く話し合わなくとも事態に応じて二人が安倍総理のためにそれぞれ何をすべきかは自ずと分かっていた。それは、今回も同様だ。
一六時三〇分過ぎに橿原市の病院に着くと、既に清和政策研究会(安倍派)から派遣された塩谷立会長代理、西村康稔事務総長は到着して昭恵夫人の到着を迎える態勢にあった。
私も、その列に加わり、夫人が到着すると、安倍総理との対面。そして一七時〇三分、奈良県立医科大学附属病院の総力を挙げた、医師らの懸命の施術にも関わらず死亡が確認された。
安倍総理は、さぞかし無念ではあったであろうが、予想以上に安らかなお顔で、それが唯一の救いだった。
GDP、財政規模、防衛力、こうした「有形資産」では換算できない国の価値を二一世紀を通じて安倍総理は政治家として積み上げてこられた。
その国家が蓄積した莫大な無形資産の多くが卑劣な兇弾とともに消滅した瞬間でもあった。