異例づくしの北朝鮮、「全能無謬」を否定した金正恩演説の裏事情
『重村智計』 2020/10/21
重村智計(東京通信大教授)
10月10日に行われた朝鮮労働党創建75周年記念式典で、金正恩(キム・ジョンウン)委員長が久しぶりに声を出した。
しかしながら、異例の演説で、まるで人が変わったような内容だった。
米韓の情報機関は、肉声の声紋分析を行っているが、演説は事前録音の放送に口を合わせた「口パク」だった。
これを見るに、やはり北朝鮮は工作国家であり、公開情報の裏を読まなければ、だまされてしまう。
ただ、その北朝鮮も個人崇拝独裁を支えた「唯一領導制」が消え、集団指導体制に変化したようだ。
金委員長は演説で、苦しい生活や経済計画が達成できない状況に「面目ない」、「申し訳ない」と述べた。
彼は「人民と皆さん、本当にありがとうございます」と、国民に向けた「ありがとう」を12回も繰り返した。
「人民」とは労働党員で、「皆さん」は大衆を意味する。
北朝鮮の指導者は、こんなにも人民思いだったのだろうか。
過去の指導者は、このような演説を決してしなかった。
それゆえに北朝鮮の指導体制は「唯一領導体制」と呼ばれたのである。ただ一人の指導者が全権を握り、国民を指導する体制だ。
指導者は全能で無謬(むびゅう)とされ、神のような存在だった。
人民と大衆は指導者のためにある存在で、指導者に常に「ありがとう」を伝えてきた。
そんな「全能で無謬」な指導者が「申し訳ない」と謝り、国民に「ありがとう」を伝えたのでは「指導者無謬説」が完全に否定される。
金委員長は自ら「(自分の)努力と真心が足りないからだ」とまで語った。
自ら「唯一領導体制」を否定してしまった。革命的な変化である。
しかし、元々その予兆はあった。
北朝鮮の指導者には、常に「会議を指導なされた」だとか「人民を指導なされた」、「軍隊を指導なされた」の「指導なされた」の定型句が使われた。
指導者が全てを「指導する国」だからだ。
この「指導なされた」の表現が、今年5月から使われなくなった。
「参加なされた」や「司会なされた」の表現に変わったのだ。これでは指導者といえど、多くの幹部の一人にすぎない。
このため「人が変わったのではないか?」、「唯一指導体制をやめたのではないか?」との臆測が飛んでいた。
そうした中での今回の演説は、まさにこの臆測を裏付けたものだった。
それまで国民を指導するだけの存在が、突然、国民思いの指導者に変身したのだ。
演説は「口パク」と言っても、声は出しているようでマイクが拾わないだけのようだった。
演説最後の「偉大なわが人民万歳」の部分は、声と口が合わなかった。
映像は、原稿を懸命に読み上げる金委員長の姿を映し出した。
読み上げている場所を指で確認しながら、放送に懸命に合わせていた。
もちろん、「口パク」が悪いわけではない。むしろ内容が重要だ。
演説の途中で言い間違えるのを恐れて、事前録音にしたのだろう。
偉大な指導者が言い間違えるわけにはいかないからだ。
そしてこの金委員長の演説は、多くの秘密の意図を隠している。
まず式典の費用を削減し、映像で効果を上げようとした。
式典は異例の深夜の午前0時から行われ、以前のような全面中継はなかった。
テレビでおよそ2時間にわたる75周年式典の「記録映像」を流した。
都合の悪い部分をカットし、国民にアピールする場面を強調している。
では、なぜ深夜に行ったのだろうか。
それは、米国の偵察衛星から隠したいものがあったからだ。
式典パレードには潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)や新型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)が登場し、米軍をまねた戦車や新型武器も登場した。
これらのミサイルや兵器は、まだ完成していない「ハリボテ」の可能性があると、指摘する軍事専門家もいた。
注目されるのは金委員長が核抑止力の強化を強調し、あくまでもそれは防衛のためであると述べた点だ。
背景には、北朝鮮軍兵士の衣食住が劣悪化し、通常兵器は旧式で使えず、約100万人の通常軍隊の維持が限界にきている現実がある。
核戦力を強化すれば北朝鮮の防衛は充分であり、通常兵力を削減できると軍幹部を説得しようとしている。
ゆえに核兵器は放棄しないと金委員長は強調している。100万人の兵士の多くを経済建設の労働力に回さなければ、経済発展はできないからだ。
今回の金委員長の演説は、明らかに来年1月の党大会を念頭に発言している。
自身の足りなさを認め、過去の経済政策の誤りを指摘し、新しい経済政策と目標を発表する。
そのため個人崇拝独裁体制を変化させ、党組織と機関を中心とした集団指導体制に変えようとしている。
これは先にも記したが、北朝鮮支配体制の革命的な変更だ。しかし、これは内部の反発も大きいであろう。まさに、金委員長の力量が問われる。
そして北朝鮮は菅義偉(よしひで)政権発足以来、まだ一度も菅首相を批判していない。
これも大変異例だ。
75周年式典の演説でも日本批判に触れなかった。
日朝関係改善の意向を示唆した。それを裏付ける事実がある。
日本のメディアは全く報じなかったが、金委員長の演説の1カ月前、北朝鮮は日本に関係改善のシグナルを送った。
9月5日の日曜日、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の中央委員会が開かれ、金委員長直筆の指示文書が読み上げられた。
指示文書は、事前に誰も開封できないよう特製の大型封筒に入れ、封印されていた。直筆文書は、次のような内容だった。
「朴久好(パク・クホ)副議長を、第一副議長にし、全ての権限を与える。総連は、朴第一副議長を中心に団結し、その使命を全うせよ」というものだった。
第一副議長は、次の朝鮮総連議長になる。この文書には金委員長直筆のサインがあり、この指示には誰も反抗できない。
朴第一副議長は、反許宗万(ホ・ジョンマン)議長派の中心人物として知られていた。
元々複数の副議長の中で、末席の副議長だった。
いったんは左遷されるも、数年前に平壌の指示で副議長に復帰した。
多くの総連メンバーが改革の旗手として期待をかけ、早期の議長昇進を願った。それがまさについ先日、全権を握ることになったのだ。
朴第一副議長の誕生は、北朝鮮の対日姿勢の変化と受け止められる。
現在の総連議長は日朝関係改善に消極的で、拉致問題解決も妨害した。
健康状態も思わしくなく、議長交代も近いと観測される。新たな日朝関係が、今まさに動き出す。
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