Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

Casta Divaをバレエで(坐禅的に)

2024-12-17 | バレエ

この前の土曜、ポワントでソローを踊りました。

普段冬の発表会では子供たちの見せ場だけで大人クラスは参加しないのですが、

先生が私に舞台経験させる意図もあるらしく、

1幕の最後のパートで大人は私だけでした。

恐らく、あの会場で私が一番歳っとっていたでしょう。

 

坐禅訓練のおかげか、自分と役割を分離できたので、

緊張感や不安感に振り回されなかったです。

落ち着いて、自分が見せたい物語に集中できたのは、

坐禅の基本が知らずのうちに身についたからかもしれません。

 

ヘルニア手術後、バレエに再復帰してから、

私は基本だけを正確にしようと心に決めていました。

坐禅も自我はこうだ、いや自我の本質はあれだとか、

全く分析、定義などしないで、

坐りたい時に坐って、坐れない時も

坐禅が教えていることは何なのかだけを考えていました。

 

その姿勢はバレエでも同じく一貫していて、

バレエのテクニックを追うよりは

バレエの基本原理を理解することをメインにしていました。

 

しかし、上に言及したのは全部理論に過ぎず、

その心構えが如何に徹底していても、

体の運動神経を鍛錬しない限り、

空の雲にすぎません。

 

完璧に理解した理論はそれを土台に

更に踏み込んでいける踏み台にはなれます。

理論家がスランプに落ちるのは、

理論の整理が完成した後、次の段階に飛び移る時に

飛べる筋力が無いからでもあるのでしょう。

 

理論は数学問題を解く公式に似ています。

公式を理解しても問題を解く算術がわからなければ、

正しい答えを得られないのと通じています。

 

坐禅の究極の目的地は解脱でしょうか、

無我に至る境地でしょうか。

いずれにせよ、坐禅で得られたい利得に縛れている間は、

坐禅をしている自分が偉いという感覚に

縛れていることになるでしょう。

 

バレエもバレエをやっている自分が好きだとか、

難しい踊りをしている自分が偉いと思っている間は、

自分を自分が束縛していることに気付けないと思います。

 

私はまだ自分の踊りを撮ったビデオや写真を観ていないのですが、

観なくても観客の反応で分かります。

観客の反応だけではなく、自分の身体の角度、ジャンプの高さ、

私に見えた角度から私の体がどこに位置していたのが分かるから、

実際観て確認する必要も無いです。

 

発表会があった日、夫に写真一枚だけ撮ってくれることを頼んで、

急いで帰宅しました。

帰って夫と記念写真だけ何枚か撮って、夕飯支度をして

土曜に定期的に観ているNetflixシリーズを観て

バレエについては何も話さなかったです。

 

一つびっくりしたのはバレエを観ること自体

もううんざりになっていたことでした。

そんなに観ることさえ嫌な気分を感じたのは初めてでした。

寝ようとしたら、自分が足りていなかったことや

正しくできなかったステップが爆弾のように爆発してきました。

 

激しく自分が嫌になる感情、

その瞬間は坐禅の訓練も役に立たないくらいでした。

しかもクラスメートの一人が

私の舞台写真一枚を親切に送ってくれたのです。

あの間違ったポーズの写真をわざわざ、

あの人にはそれが見た目良かったでしょう。

 

撮ってしかも送ってくれたことに感謝いっぱいでしたが、

あの間違ったポーズは、

私がその瞬間に感じていた不安感や練習不足を全面的に写していました。

 

心では坐禅のおかげで私は偉く落ち着いていたとか、

表現に集中できたとか自分の都合よく考えていたのに、

その写真一枚は現実を残酷に見せていたのです。

そんな訳で、日曜は何もしないで家事だけに集中しました。

 

今日は月曜、音楽の解釈にお世話になったフェイスブックの友たちと

教えてくれた先生、応援してくれる夫をタグして

属している音楽グループで感謝の投稿をしておきました。

 

そして、今はブログ友の皆さんに

今思っていることを報告兼ねて書いているのです。

今回は日本語を分かる人たちの中で

私が感じていることを真っ先に共有したいがために

和文だけを投稿しておきます。

この自己嫌悪の感情の波が過ぎてくれば、

坐禅の概念が表れている部分だけ編集、通訳して

改めて投稿する腹つもりです。

 

見せてもいい写真があれば写真もアップしますね。

ビデオは無理でしょうね、きっと。

 

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透明な音

2024-11-25 | バレエ

 

 

『音楽は人を変える』と『音楽家は人を変えられる』

これら2つの文は根本的に違うようで根は一つであろう。

 

私は音に極めて敏感である。

なのに、音痴である。

音痴になった背景には小学生だった頃、

音符を読めず、テストでゼロ点を取ったり、

合唱発表会で音程を外して恥をかいたりしたのが原因であろう。

 

しかし、何故かクラシック音楽の中の

ヴァイオリンやチェロは好きだったので好んでよく聴いた。

なのに、ピアノの音は極端に嫌いだった。

 

ピアノを聴いていると

ある領域の音が私の脳を振動させて

針のように刺すような感覚があったからである。

だから、ピアノの音は苦痛感と直結していた。

 

バレエレッスンではピアノの音がメインである。

レッスンの度に、苦痛なピアノを聴かなければならなく、

防衛的に音を聴かないようにした。

 

だが、ある日!

イムユンチャンのピアノ演習を聴いて全てが変わった。

 

イムユンチャンのピアノの音は

私が今まで聴いてきた音と全く別世界で異世界のようだった。

もし、私達人間が4次元を認識できたら

体の感覚でその4次元を実際感じられるようなイメージがあった。

 

その瞬間からイムユンチャンのピアノをほぼ毎日聴いている。

去年の冬、夫と一緒にボストンでひらいた

イムユンチャンのピアノコンサートに行った。

クラシック音楽コンサートに行くのは

私も夫にも全く初めてであった。

 

イムユンチャンのピアノはYouTubeで

数えられないほど聴いていたが、

実際現場で聴く音は

何の機会を媒介にしないからか、

私の心にストレートに伝わった。

 

私は何の音楽の知識が無いので、

その感覚を文字化することはできない。

音符を読めない人が音を語るのは、

文字を読めない人が聞いた文章を

感じだけで判断するのと似ているかもしれない。

 

とにかく、基本の音楽知識がゼロな私にも関わらず

イムユンチャンが奏でる音は美しく感じられた。

彼のピアノを聞いていると、

バッハ、ショパン、モーツァルト、ベートベン、リーストのような

偉大な作曲家意図や語りをそのまま聞くような感じがする。

 

何のエゴのフィルターが無く、

見せようとする演出系のショーメンシップも全く感じられない。

 

天国という次元が存在するなら、

イムユンチャンのピアノの世界だろうなーと思ったりする。

天使とかが存在するなら、

天使の声はイムユンチャンのピアノの音と似ているのだろうと思ったりもする。

 

私の人生はイムユンチャンを知る前と後で経路が変わった。

その折り返し時点の角は微妙であったが、

日によって角度の差が大きく開いてきた。

 

イムユンチャンがアンコール曲で弾いた

『カスターディヴァ』を聴いていたら涙が流れた。

その話を私のバレエ先生に話したら、

その曲でソローヴァリエーションを作ってくれた。

 

来月の2周目の土曜、私はその曲でバレエのソローを発表会で踊る。

 

 

 

 

 

ブログ友の皆様へ

書きたいのが10なら今回のは0.5も書いてない気がしますが、

とりあえず、和文だけ先に投稿しておきます。

英文投稿がいつになるか気まぐれな状態ですが、

今日は2日続いた雨が止んで、前庭でコーヒーを飲んでたら

そうだー新規投稿しようと思いました。

添付した写真は紅葉の時で、

今はその紅葉が全部散って

しかも落ち葉も掃除作業も終わっています。

特に乗せたい写真も無いのでそのままー

 

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鍛えの進行形

2024-10-30 | 生き方

進行形は文法用語であるが、

私はこの何々進行形ということばが好きた。

 

過去進行形・現在進行形・未来進行形は、

各時間ゾーンにある行動、行為が進んでおこなっているとのことだ。

鍛える意味の英語をグーグルしたら

Exercise, training, practice, workout, drill, toughenなど、

行動を伴う動詞や動名詞が出てきた。

 

鍛える行動は、修行の行動とも似ている。

鍛えるのは、ある状態を強化させることに向けて

段階的に上っていく感じがするが、

修業は、行き先やなりたい状態が予め決まっていて

自分をそこに持っていく感じがする。

 

鍛えと修行、どちらも好きな言葉ではあるが、

最近私は修行から鍛えに趣が変わってきた。

 

後、2年くらいで私は60代に入る。

だが、今まで持てなかった強い身体になった。

 

50代に入った頃、私は不健康そのもので、

あらゆる身体異常があり、寝て過ごす時間が多かった。

病院に診察に行ったことも多く、

薬を山程もらって、薬だけを入れる箱はいっぱいだった。

 

自分が病気だと思っていたからか

顔色も悪く、風邪になっても長引いた。

 

しかしある日、薬箱を開け、今日飲む量を数えている時に、

「これらの薬の副作用で死ぬかも」と思った。

 

病気で死ぬか、薬の副作用で死ぬか、

どちらかでどうせ死ぬのなら

私は病気と戦いながら死ぬことが

死んでも悔いがないと思った。

 

もちろん、死んだら悔いなど感じることはできない。

だが、残された夫に、

“私のワイフは病気と戦いながら死んだ”

と思わせたほうが良いと思った。

 

その決心をした日から、

薬を入れた箱をクロゼットに中に入れた。

それからバレエのレッスンを受け始めた。

 

その日から、私の修業が始まった。

修業はまだ進行形だが、その修業の過程で

鍛えることはこういうことかと毎日実感している。

 

60代を鍛えた体で入っていくために!

 

 

 

ブログ友のみなさんへ

家庭内のイザゴザがあって、ブログ投稿がままならなかったです。

今は多少余裕ができて、来る冬支度をしています。

アップした写真は2週間前に撮ったから

紅葉が始まってますが、今はもう大分葉っぱが落ちています。

英語訳は、後でゆっくりつけていきますね。

 

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記憶の箱A memory box

2024-10-09 | 心理学習

人の個性はその人の記憶によって治められる。

Human individuality is governed by their memories.

ある脳科学者は、同じ脳構造を持つ人は一人もいないと言った。

A neuroscientist said that

there is no two people have the same brain structure.

指の指紋のように脳もその人特有の脳紋があるのだろう。

Probably, each person has their own unique brain structure

just like fingerprints.

 

私は、これと言った精神的問題は無いのだが、

ひょっとした切っ掛けに

以前の辛い記憶に襲われ苦しむことが多くある。

I don’t have any particular mental problems,

but often I am struck by painful memories from the past

and it makes me suffer by any chance.

PTSDまでは言えないが、

過去のある記憶が今経験しているかのように、

鮮明にしかも感情も伴って襲ってくるのであった。

It is not enough to say PTSD,

but certain past memories attack me vividly and attach emotions

as if I were experiencing that moment.

 

大学で心理学を専攻したのもあって、

その種のメンタルケアについては

少し専門的な知識はあるのだが、

場合によっては手に余る時もあった。

I majored in psychology at university,

so I have some specialized knowledge of mental care,

but sometimes it is hard for me to handle.

ある記憶はあまりにも辛く再現されるため、

コントロールができないほどであった。

Some memories are replayed so painfully

that I can’t control them.

 

坐禅の訓練のおかげなのか、

何とか日常まで害をもたらすことが

無いようにするのが精一杯であった。

Thankfully, perhaps through the training of Zen meditation,

I have been managing to ensure that

my daily life would not damaged by them.

 

悪い記憶は、引き払おうとすればするほど

頑固にへばりついてくる。

Bad memories, the more you try to get rid of it,

the more stubbornly sticks to you.

忘れようとすればするほど

接着剤のように余計にペッたりと張り付く。

If you try to forget a bad memory,

the more it sticks to you kike glue.

無理に引き払ってもまた戻ってくる。

If you wipe it out by force,

even though it comes back again.

 

今や脳科学について知ろうとすれば、

ほぼ専門家レベルの知識を得ることができる。

Nowadays, if we want to learn about brain science,

we can get almost expert-level knowledge.

YouTube、AI、書籍など知識はありふれているほどだ。

YouTube, AI, books, and so on,

such sources are now overflowing everywhere.

 

でも私のケースでは、その仕組が分かって、

原因と結果を理解しても、

不意に襲われる記憶をコントロールすることはできなかった。

However, in my case, even though I understood

how it systemically worked and the causes & effects,

I was not able to control the memories that suddenly attacked me.

恐らく、私の記憶は種類別に分類されていなく、

ただ過ぎてしまった過去の中にそのまま放置されているのだろう。

Probably, my memories are not classified by type,

but they are neglected as past events that already happened before.

 

昨日あるYouTube脳科学関連動画で、

私が持つ記憶問題を取り上げていたからじっくり観た。

Yesterday, on the YouTube site there was a brain science-related video

 that picked up the problem I had, so I watched it carefully.

 

多くの場合、ある問題の原因と過程、

結果等の知識を知ることは解決の入口にはなれるが、

どうやって解決するかはその人任せのように、

肝要なことは個人責任として残しておしまいになる。

In many cases, knowing a cause, its process, and the result of an issue,

they can be the first step of a solution but the critical way of how to solve,

it is being left to the one’s situation

as a personal responsibility and the case is closed.

 

だが、昨日観たその動画には

どうやるかについて具体的な方法が提案されていた。

However unexpectedly, the video I watched yesterday

suggested a specific method of how to do it.

その方法は悪い記憶を想像の箱に入れることであった。

The method was to put bad memories into a box of imagination.

 

再生されたくない記憶を想像の箱の中に確実に入れる。

The memories that you don’t want to replay,

put in the imaginary box surely.

その記憶を時間順に、どこで、誰が、何をして、

私がどう受け取り感じたかを明確に思い出し、

それらに一つずつ題名をつけて箱に入れていく。

Start remembering clearly the memories you want to put in,

in the order of chronological, where it happened, who did what,

and what feeling you received, and mark them with a title.

 

そのラベルリング作業が終わったら、

その箱をロックする。

Once you’ve finished labeling them,

lock the box.

そして箱にタイトルをつけて、

不要なものを入れる記憶の部屋に置く。

Then give the name on the box

and place it in the memory room

where you store unnecessary things and events.

 

この作業は相当な時間を要する。

This task requires a considerable amount of time.

集中力を維持するのが鍵であろう。

Maintaining concentration is the key.

 

私はその作業を昨日から始めた。

I started the task yesterday.

しかし、一旦始めてみたら、

その意識的に思い出す段階で気分が悪くなって、

次に進められなくなった。

But once I started the beginning,

I felt sick at the stage of consciously,

and I was unable to proceed.

 

この作業は時間が結構かかると実感した。

I actually felt that this task takes quite a lot of time.

でも、その他マシな方法は無いのは分かっているから、

続けていこうと思っている。

But I know there is no better way than that,

so I intended to continue.

 

 

 

 

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不思議な老い

2024-09-10 | 住まい関連

何年後、生物年齢の60代に入る。

なのに、今まで持てなかった健康感がある。

健康に対する私なりの定義は、

日常生活をやっていく過程で身体機能の制限が無く、

やりたいことをやるための身体上の不自由が無いということだ。

 

私は慢性的な疾患があるのだが、それを意識することは無い。

意識するだけ、気が消耗するし、

何より時間の無駄だと思うからだ。

意識して治るなら慢性にもなってないからでもある。

 

例えば、慢性的な睡眠障害は、全く気にしない。

2日も眠れなかったら、さすが3日後には

死んだように眠れるだろうと開き直っている。

 

酷いアレルギー体質も

アレルーゲンを断つことに気をつけて

アレルギー症状を引き起こさないようにしている。

 

24時間鳴り止まない耳鳴りも、

好きな音楽を聞くことで気を正常に保っている。

 

でも高齢による視力の低下や暗記力の低下はさすがで

どう工夫するか分からず、そのまま受け入れることにしている。

 

白髪も白髪と黒髪のコントラストでいいなーと思っているし、

笑う時に深くなるシワも笑いをもっと劇的にしてくれる程度にしか思ってない。

 

54才くらいに始めたバレエはやっと真剣に練習するようになった。

今年6月のスクール発表会で自分の舞を誰かが撮ったビデオでちらっと観て、

基本からやり直す必要を痛感したからだ。

それ以来、家で基本中の基本練習をやり直している。

 

基本の練習を真剣にやり直し始めて

基本を面倒くさいからとスキップしたことが

仇になっていることに気がついた。

 

基本が堅実に根を下ろす前に、

欲張って次の段階に無理して上がったから

結果的には、1段階も、2段階もあやふやになっていた。

 

なので、厳密には期待した1+2=3になっていなく

現実的には1+2=-1になっていたのである。

安易に近道を選んで、結局は遠回りになってしまったのだ。

今は、その-1をゼロ0に戻す作業をしている。

 

不思議な謎に満ちている人生よ。

その結果、健康になったとは。

 

 

ブログ友の皆様

1ヶ月以上記事アップしなかったのに、

読者登録、外していないでキップしてくださいありがとうございました。

本文にも言及したように、基本の筋トレーを頑張っていたら

パソコン開く暇無かったです。

これから、地道に基本の筋トレー作業で分かってきたことと

坐禅の実行で気づいてことを回数を増やしてアップしていきます。

英訳バージョンはまた次回にアップしますね。

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思考の剪定Trimming thoughts

2024-07-30 | 坐禅

 

 

考えを斬る、或いは切り捨てる、

この作業は修業を必要とする。

Executing or discarding thoughts,

these tasks require training.

意思や根性の強さではできない。

It cannot be done no matter how strong

one’s willpower or spirit of the gut is.

 

私が坐禅の勉強を始めた時は

思考を切るのは決心次第で調節できると思った。

When I started to study Zazen meditation,

I assumed if my determination was strong enough,

I can manage to cut thoughts easily.

人間、何でも心次第でできると思ったのだ。

Humans can do anything with their mindset.

 

所詮、気持ち次第だと。

After all, it would depend on one's mindset...

それらが安易な幻想にすぎないと分かったのは、

坐禅を本気でやってからであった。

It was only after I started practicing Zazen meditation seriously

that I realized those were simply illusions.

 

気がつけば思考や記憶の尻を追っていたのだ。

Whenever I returned to myself, 

I found that I was chasing the tails of my thoughts or memories.

ことの尻を追うと事柄の背面しか見えない。

Chasing tails of things,

you can only see the back sides of the matter.

 

考えが何かの袋から漏れてあっちこっちに散らばる。

The thoughts leak out from something

like a bag that holds thoughts and

it scatters here and there.

それに気づくのも散らばって、

あっちこっちに広がって

やっと思考が漏れていたと解る。

We can barely be precise thought-leaking

unless thoughts are scattered and spread out.

 

私は未だに思考に焦点が合わず、ブレている。

My thoughts are still out of focus

and the focus is blurry.

カメラレンズからのブレはカメラマンの集中力の弱さで生じるように

思考がブレるのは思考するその当の本人の集中力が弱いからである。

Just as a camera lens is shaky

due to the cameraman’s concentration being weak,

 blurry thoughts are also caused by one’s weakened concentration.

 

焦点が合うということはどういうことか。

What does it mean to focus?

つまり、一点をどのように、

どのように素早く集められるかだ。

In other words, it’s about how to be done

and how quickly to get to one point.

 

焦点が合わないということは、

多点が多点のままにあることだ。

Not being able to focus means

there are still points to cut out.

つまり存在する点が一点より多いことだ。

In brief, there are more points than one.

 

要らない多点を切り捨てていく、

この作業が坐禅の修業であると私は思うが…

Discarding unnecessary points is

the training of Zazen-meditation, I think…

 

 

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運動神経の鍛えTraining motor nerves

2024-07-17 | 姿勢

 

 

運動神経は自分しか鍛えることができない。

Motor nerves can only be trained by the one,

who owns the body.

運動神経を効果的に鍛える方法を他人から

教えてもらったり、習ったりすることは可能だが、

人の運動神経を他人が動かすことは不可能である。

Motor nerves can be taught or learned from others

how they effectively work,

but others can't control someone’s motor nerves.

 

体を強くしてくださいと神に祈ったり、

強くなりたいと願望することは可能だが、

神も自分の意志も運動神経を鍛えてくれない。

One can pray to God, wishing to make one’s body stronger,

or desire to become stronger,

but neither God nor a person’s willpower

can train the motor nerves.

自分でしか、自分の身体の運動神経を動かせない。

Only the one who owns the body can control motor nerves.

 

運動神経は運動学の知識が如何に全知全能であっても、

頭脳の命令を受けない。

No matter how the knowledge of kinesiology is almighty,

the motor nerves do not receive commands from the brain.

体は以前におこなった経験が無ければ、

脳の司令を直ちに実行させることはできない。

If the body doesn’t have previous experience of movement,

the body will not be able to execute the commands from the brain.

 

 

バレエのための基礎作りをしていると、

運動神経は反復作業が無いと鍛えることができないと

骨まで染みて解るようになる。

When I do the fundamental workout to build my body for ballet,

I get to know that from the bottom of my heart the truth of 

my motor nerves can never be trained without repetitive work.

 

いくら頭で運動の基本を理解しても、

体が覚えてくれないと運動自体ができない。

No matter how much I know the basics of movements in my head,

I cannot perform the movements unless my body remembers them.

 

私は根本的に怠け者で、

体の苦労を避けたがるサガなので、

苦しい反復練習は避ける限り避けてきた。

I am lazy genetically and have a tendency to avoid physical labor,

so I have been avoiding such suffering

through repetitive practice as much as I could.

 

だが、いつだったか、ある日突然、

『そうだ、やろうと決めたことを今日、今やろう』と決心して

今までしなかった基礎筋力作りを始めた。

But then one day, all of a sudden I decided that,

“Yes it is, I’m going to do whatever I decided to do, today right now”

So I started building up muscle strength

which is fundamentally required that I have never done before.

本気で始めた。

It was a serious start.

 

以前では原理が分かればその場でオッケーを自らに下し、

じゃー次の段階に上がろうと難易度を勝手に上げていたのだが、

Previously, I would give myself the Okay

as soon as I understood the principle of movement,

and I‘d raise the difficulty level up with my judgment only.

それらの近道本位の心構えを完全に捨てた。

But at that point, I completely threw away

such a shortcut-oriented mindset.

 

原理の理解や再生できたら完了のような

心構えをパサッと斬り倒した。

I also slashed down my mindset that

all-purpose is to understand principles

and to be able to replay it.

とにかく、基礎の段階でスキップした

筋力トレーニングをやり直し始めた。

Nevertheless, I restarted muscle pieces of training again

that I had skipped which I was supposed to do

when I was at the beginner level.

 

反復の反復をやっているうちに、

やっと今まで何故に

あるステップが正しく出来なかったかが分かった。

As I kept doing repetition after repetition,

I finally understood

why I haven’t been able to execute a step accurately.

 

それら苦しく、つまらない反復作業をやって、

やっと長い間の反復作業が一番の近道であると分かったのだ。

Going through those painful, boring repetitive works,

at last, I realized that long-term repetitive work is the best shortcut.

 

しかし、本当の本気で、人生を掛けてバレエをする人から見れば、

私の反復作業なんて子供の遊びにしか見えないだろう。

However, to someone who is truly serious about ballet

and has dedicated their life to it,

so-called repetitive work I do

it would look like nothing more than kid’s play.

 

本当のバレエを見せられる人は、

きっと毎日自分の怠けさと戦って勝った人に違いない。

Someone who can show what is real ballet,

he or she must’ve fought their own laziness

every day and won for it.

 

彼らは反復作業がいくら面倒でも、つまらなくても、

毎回真剣に向かい合って、謙虚にやり直せただろう。

No matter how tedious or boring the repetitive work would be,

they would have faced it seriously at any moment

and gave tries over and over again.

 

キレイでシャープな動きを見せる人も

自分の限界を乗り越えるために毎日泣いただろう、きっと...

Those who can demonstrate movements fairly and sharply,

they would have cried every day

in order to overcome their own limitations, that I am sure…

 

 

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ブログと自己責任感など

2024-07-12 | 住まい関連

ブログ友の皆様へ

コネチカット州のグランビーでの今年の夏は、

とにかく緑が濃くなりました。

どこに行っても木々が繁ていて、風景が変わって見えます。

 

家の庭も木の葉っぱが凄く豊かになって、

今までとは違った感じがします。

添付の写真は7月11日木曜、午後5時頃に撮ったものです。

 

最近、私のブログアップ回数が少なくなりましたね。

特に変わったことは無いのですが、

パソコンを使う時間が減ったのが大きな変数です。

 

以前は、朝起きるとコーヒーを煎れて、

それからパソコンONにするのが日常でしたが、

最近は家事を先にテキパキ済ますようにしています。

掃除、料理、片付けを優先に終えて、

体のストレッチを少なくても30分はやると決めて

習慣にしようとしているのです。

 

以前では知識や情報を得ることが日常の8割り程度でしたが、

今は得た知識や情報を使うことに

日常の6割以上使おうとしているのです。

それが案外、キツく以外にも難しいのです。

 

頭を使うのは簡単ですが、

体を使うのは気力、体力が要るので

本当に実践難しいのです。

なので、なるべく知識でも情報でも何でも

『使ってみる』ことに

しばらく徹してみようと思っているのです。

 

これらは習慣になるまで時間がかかるので、

気にしなくても自分が決めたことができるようになったら、

ブログ回数も増やそうと思っています。

でもなんか、これは皆さんに報告するに値いする

といったことを成し遂げれば

直ちにブログアップしますね。

 

 

 

 

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本気か・フェイクかReal or Fake

2024-06-07 | バレエ

 

私は何故にバレエ学習に本気だったのだろうか。

Why was I so serious about ballet learning?

発表会が終わった時、

なぜかバレエに真剣だったのが愚かに感じてきた。

When the June recital ended,

I felt stupid about my seriousness in ballet.

 

私は誰が何を言おうとバレエに真正面に向かってきた。

No matter what anyone said,

I have always been confronted with it.

高年齢だろうが、身長が低いだろうが、

体が硬いのも構わなかった。

Whether I was old or with shorter legs,

even though my body was stiff,

I didn’t care about them all.

 

バレエに本気になってから、

3年計画をセットして、

基本の基本から着実にクリアしてきた。

Since I began to take ballet seriously,

I set up my own three-year project

and steadily cleared fundamental basics.

人間の老化過程をまず理解して、

骨組み、筋肉の働き、バレエ理論、美学など、

バレエに関する知識を増やし

体系化にすることがメインの課題だった。

My main aim was to build up a systematical formulation

on the knowledge I multiplied

such as primely understanding human aging processes,

skeletal structure, functions of muscles,

theory of ballet, and aesthetics.

 

正しい知識があれば、正しい判断ができる。

If the knowledge is right, it leads to a right judge.

正しい判断ができれば、正しい行動ができる。

If the judgment is right, it leads to acting righteously.

正しい行動ができれば、正しくいられる。

If the act is right, it makes being right.

 

だが、私ができるバレエはまだ正しくない。

But the ballet I can perform is not yet accurate.

私ができるバレエの動きは

部分的に正しいのもあるが、

大部分はフェイクである。

The ballet movements I can do

are partially correct, but mostly fake.

 

フェイクは人の関心を

瞬時に引けることはできるが、限りを持つ。

Fakes can draw people’s attention instantly,

but they have limits.

バレエを全く分からない人も、

瞬時にフェイクか本物か識別することができる。

Even people who know nothing about ballet

can tell briefly whether it is real or fake.

 

本物は人の心に触れることができる。

Real things can touch one’s mind.

フェイクは瞬間に輝き、

バブルのように瞬時に消える

Fakes shine for a moment and disappear

just as quickly as bubbles.

 

私はどうしてバレエに向き合ってきた

自分が愚かに感じたのだろうか。

Why did I feel stupid for the attitude

that I have been faced with?

 

本気で向き合ったら、

結果も本気で向き合わなければならない。

If I faced honestly on something,

I should take the result earnestly as well.

自分が出せた結果が間抜けに感じてきたら、

それは事実から起因する。

If the result made me feel dumb,

it came from facts.

 

次は決して自分がフェイクをやったと

苦むことが無いようにしなければ...

Next time I will never let myself suffer

 my performance was based on fake…

 

 

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2回目のバレエ発表会

2024-05-29 | バレエ

不可能に『不』の字を消すと可能になる。

その一つの文字を消すために努力をしてきたのだが

何やら6月のバレエリサイタルまで間に合わなくなった。

 

去年7月にヘルニア手術を受けて

8月終わり頃からバレエレッスンを再開した。

再開した時に、今年の6月発表会までの

練習計画をセットして着実に実行してきた。

 

先生からポワントでソロを踊る

ヴァリエーションを指定されたのは1月だった。

あの時は、ポワントシューズでのレッスンを再開したばかりで

ポワントで踊るようになれそうに思えなかった。

 

ポワントで立つ云々より、コア筋肉が弱く脆かった。

足と骨盤の関節がキツく動ける範囲も狭かった。

4月になった時、先生に

4月末まで安定した確実なポワントワークが出来なければ、

舞台参加はできないと伝えた。

先生は、まだ時間があるから様子を見てから決めようと言った。

 

私は畑作りに時間をかけるタイプである。

何かをすると決めたら9割の時間を基礎作りに使う。

なので、筋肉作り、関節の柔軟性を強化させる基礎運動に

90%以上の時間をかける。

筋肉が準備できてないので、テクニック練習まで欲張らない。

 

先週5月の半分が過ぎた時に、ポワントでのソローは無理だと分かった。

先生と相談して、冬の発表会まで延期することにした。

先生は私に自信感が無ければ、無理に踊ることは無いと言ってくれた。

 

なので今は大人のみんな4人と踊るヴァリエーションだけになった。

みんなと踊ると何も言わなくても何となく相手の気持ちが伝わってくる。

誰かが失敗しても、間違っても誰も責めない。

大事なのはみんなと同じテンポで同じ動作を同時にできることである。

 

今週の土曜、大人4人でパキタを踊る。

 

 

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見える顔

2024-04-30 | 姿勢

人は人を見る。

人が人の顔を見て何も感じないことは不可能らしい。

人間の脳には人の顔を認識する部位がきちんとあって、

精神分裂症にならない限り、

人の顔を見ると記憶と感情を司る器官が自動的に働くようだ。

 

バレエのクラスでは、毎回先生から笑って!と言われる。

目的も無く笑うことを強いられる。

何も面白いことが無いのに、

笑えと言われて笑うことは私には難しい。

なので、笑えと言われても笑わない。

 

以前、バレエ関連のYouTube動画を観ていたら、

ある子が本当に25分の映像の間、ずっと笑っていた。

明らかに、作り笑えで顔もつっていて不気味だったが

あの子は先生に言われた通りに必死で笑顔を作っていた。

あの不気味な笑顔をいつ崩せるのだろうかと興味が湧いたので、

最後まであの動画を観た覚えがある。

 

人は人の顔を見る時、自分の顔も見られていることを完全に忘れる。

人の顔を見ている時は、

見られている自分の顔がどうなっているか

自分には絶対に分からない。

自分の顔を鏡で見ることはできるが、

瞬時に変化する反応を観察してキャッチすることはできない。

 

見せたい顔を作れる人がいる。

性格良さそうな顔、可愛く見える顔、

親しみのある顔、格好良く見える顔等など、

こう見えて欲しいと計算した痕跡のある表情を作れる人がいる。

そのような良く見えたいための工夫や努力をする人に向かって、

現実的な冷静な分析はしないのだが、

なぜか愉快な気分にはならない。

 

歳を取るにつれて体の筋肉の弾力性が落ちると

顔の筋肉も下へ落ちてくる。

体と顔についた脂肪組織もゆるんで垂れてしまう。

歳を取った事実、筋肉と脂肪管理をしなかった現実を

他人が常に見ていることになる。

 

それらの事実、現実を変えようとしたら、最低3年はかかる。

それら3年の努力無しで、

その場限りの意識的な笑顔を作ったって、

見ている人は騙されない。

 

筋力を鍛えるのに少なくても2年以上はかかる。

顔の筋肉はその人の生き方も鏡のように映すので、

根本から笑顔を作ることことになるともっと時間が長くかかる。

 

だが、不気味でも作り笑顔を見せることは

社会的な礼儀として洋服をまとうようなことかもしれない。

 

 

 

ブログ友のみなさんへ

しばらくですね。

ここコネチカット州はやっと桜が咲きました。

日本で咲く桜や梅はなんとなく粋があるように見えたのですが、

ここは春の風情の一部に過ぎないような感じがあります。

昨日の日曜、近所の小さな公園に夫と散歩に出かけました。

そこで作って持っていったランチをしていたら

雨が降り出したので、1時間くらいで帰宅しました。

そこで流れていた小さな川を見ていたら

そうだ、明日はブログ投稿しようとやる気が湧いたのです。

今度も和文先にアップして英文は後で添付しますね。

 

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体の軸② Axis in the body 2nd

2024-03-08 | バレエ

 

バレエでの基本は

体の中心をコントロールすることである。

要は、自分の体重をコントロールすることである。

 

坐禅は自分の思考をコントロールすることだから、

脳内回路の配線問題になる。

バレエと坐禅では

脳内と体内の管轄領域が異なるように思えるのだが、

神経伝達物質をコントロールする面では

実際その基本は同じである。

 

バレエを習い始めて4年過ぎているが、

私は未だに自分の体重に支配されている。

自分の足一本を上げるにも

重たく、体の軸も崩れがちである。

 

両方、体重に支配されているから、

坐禅の時も時間が経つと

坐りの軸が脆く、崩れてしまう。

 

これらの軸問題に意識できたのは2年も前なのに

未だに克服できていない。

だが、問題が認識できた分、

どうすれば克服できるかを考え直し

あれやこれやとトライできてはいる。

 

軸の安定は、人それぞれ、

生まれ持った遺伝子構造によって

管理システムが異なる。

私は自分の遺伝子構造に合った

身体管理システムを安定させたいのだが、

思ったより簡単ではない。

 

勿論、バレエ教科書や辞書的な教えは、

基本中の基本を教えているが、

頭で理解したのは体で現れない。

 

去年までは頭で理解できれば、

脳がどのように納得したかが

体に自然のように表れると思った。

それが、安易で愚かな考えであったと

分かったのはつい最近である。

 

所見だが、バレエをやっていない人も、

自分の体の中心を見つけ、

コントロールしようとすれば、

その中心が坐っている時と立っている時に

変わることを見つけられると思う。

 

バレエや坐禅だけでなく、

軸を安定させる作業は

体の整列を正しく整え、

体の動作をキレイにさせる。

 

みなさんも気が向いた時に

軸探しに集中するのも

自己開発に良いかもしれない。

 

Axis in the body 2nd

The basis of ballet is how to keep the central axis in the body.

The key point is to control one’s body weight.

Zazen-meditation is how to control one’s thoughts,

so it is about how to wire up the circuit of brain neurons.

 

Both ballet and zazen-meditation look different

in the jurisdiction of the body or brain,

but actually, they are the same in terms of controlling neurotransmitters.

 

It’s been four years since I started taking ballet classes,

but my weight still dominates me.

Even lifting my one leg gets really heavy

and my body's axis often crumbles.

 

In the case of doing zazen-meditation also,

my sitting form often gets fragile and crumbling

when I try to keep the central axis over time

because I was controlled by my own body weight.

 

Two years have passed since I was aware of those problems,

but I still haven’t overcome them.

However, from the moment I recognized it,

I began to rethink ways to overcome the problems by trying this and that.

 

The management system stabilizes one’s axis in different

depending on the genetic structure of each person.

 

I wanted to develop my body management system

to keep stability that matches my genetic structures,

but it was not as easy as I expected.

 

Of course, ballet textbooks and dictionaries

teach us the basics of the very basic,

but what I figured out is

how much I understood with my head

it does not help in manifesting my body.

 

Until last year, I expected that

if I were able to understand with my head,

my body would also understand

as my head experienced naturally.

Finally, I did realize that it was a fool-proof facile thought.

 

If I can give a tip to someone who never tried any ballet practice,

if you focus on where the body axis is in your body

and give it a try to control, you will find that

it can change your posture of sitting and standing to be right.

 

Not only ballet or zazen-meditation,

but also working on stabilizing one’s body axis

and body arrangement make body movements righteous.

 

So when your mood allows you to find

where your body axis is and try to focus on it,

it may help self-develop better.

 

 

その他

添付した写真は2階の部屋から見える裏庭です。

2年か前に撮っておいた古ものですが、

なんだか懐かしく思えてきましたんで...

 

それと、今までは英文と和文を行ことに訳してきましたが、

急に慣れてきたことを変えたくなったので、

和文と英文を分離してみました。

英語は天秤のように、1には1或いは1対1のように

両辺が同じくなるべきものでなく

意味合いが同じなのかが肝要だと思います。

なので、単語や文章を一々計算するよりは

あの国の言語文化ではそう言うのかと

気軽に理解すると脳に負担が少なくなります。

 

 

 

 

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弱点克服トレーニング(編集分)

2024-03-01 | 身体症状

 

目は自分が目であると分からない。

目は見るために作られたのでなく、

結果的に見るようになった身体器官の一つにすぎない。

 

この前、神経構造が知りたくて

その関連のサイトを観ていたら、

ある脳神経医者のケース研究に興味が湧いた。

脳の言語解釈をする領域が損傷された人は、

他の日常の音は聞けるが、

言語だけは聞いても理解できない実例が紹介されていた。

 

左脳にあるその脳部は聞くことと

見る視神経を司る部位に近接しているようで、

自分の視神経はどうなっているかを試してみた。

まず、左目を完全に塞いで見て、

次から右目を塞いで見た。

 

びっくり仰天したことに

私の左目はほぼものが見えないほど悪くなっていた。

濃い煙の中にいるように全てがボヤけて見えた。

今まで見ることができたのは、

何の問題の無い右目が左目の分まで頑張って

左目の弱点を完全にカバーしていたからだった。

 

私には、もう何十年耳鳴り問題もある。

それも左耳だけ耳鳴りがあって、

医者も原因が分からないと言っているし、

これといった治療法も無いと医者から聞いた。

左目がこんなに悪いのに

左耳も良いはずがないのは明白である。

 

勿論、耳鳴りに関するYouTubeとか医学論文とかは

あるだけ観て読んでいるが、何も効いた試しがない。

耳鳴りの不愉快さに気にしていたら、

私はすでに気が狂っていたかもしれないが、

幸い坐禅をやっているから

心理的な苦しみはなんとかコントロールできている。

 

私は医者の話に依存しない。

ただ医者の見解を参考にして、

自分でできることは無いか

工夫する方式を定着させている。

 

なので、左目に弱点があるならば、

どんなに弱いか問題を明確にして、

どうすれば弱点を克服するかを考えるのが

我流であり、独りよがりでもある。

弱点を弱点のままに放置しないのもあるが、、、

 

方法として右目をほぼ完全にカバーして

左目だけで生活してみることにした。

今も左目だけでこの文字を打っている。

 

左目だけだと全てに焦点が合わず、

ものの境界線もぼやける。

食べる時は箸やスプーンの位置がズレって、

つまみだしたり、

すくいあげたりすることが困難になる。

 

特に面白いのは、

人の顔の特徴が見えづらくなり、

画面に映る人の顔表情が伝わらないことだ。

 

言語を司る脳領域の近くに

人の顔を識別する領域があることを思えば、

そう不思議なことではない。

 

とにかく、私は先週末から

何の問題の無い右目は

極力使わないようにしている。

 

いつまで続けられるか分からないが、

結果で結論を出せるまでやってみようと思う。

 

 

補足など

今回も和文だけ先に投稿します。

気が向いたら、今まで英訳しなかった記事を

訳す作業を始めようと思ってはいます。

しかし、最近家の本棚に飾ってある本を読み始めているのもあって

パソコン開く気に中々なれないですね、言い訳ですが。

 

補足②

記事を書いてた時は、片目で文字がボヤケて見えても

大雑把な感じで文字を打って、

そのまま投稿したのでしたが、

今、両目で記事を読み直したら

誤字脱字があまりも多いので恥ずかしくなりました。

なので、今ちゃんと両目を使って記事を編集しています。

①回目の投稿では、文字にあやふやな感じがあっても

そのまま変換させていたため

『箸』を『橋』で書いても

脳は勝手に『箸』として認識していて

渡る橋を食べる道具の箸として

漢字誤変換したとは全く気がつかなかったです。

しかも、文脈が合わない文章も散乱していたのに、

片目だけの時は、その文脈のズレを自覚することができなかったです。

本来なら、間違った文と改定した文をBefore&Afterで比較すべきですが、

あまりにもミスが多かったので、ミスを直し編集することにしました。

片目だけだと理解力、認識力に支障が出るのですね。

しかも、それを自覚することができない、恐ろしいですね。

 

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体の軸を見つける①

2024-02-13 | バレエ

 

 

私がバレエのポワントレッスンを受け始めたのは

50代の後半からだった。

脊椎版手術前後の半年以上休んでいたことをカウントすれば、

ポワントレッスンは1年も経っていない。

 

ポワントで立つことは

自分の軸の中心を完全にコントロールすることである。

立つためのテクニックも無ければ、技も無い。

 

ポワントで立つことは単にシンプルに

『軸を保つ』ことである。

技や筋力で立つことはできても、瞬間にしか効かない。

 

ポワントレッスンを受け始めてから

バレエは誤魔化しが絶対に効かないことを知った。

少しでも安易に、楽に体を動かすと動きが汚くなる。

 

使う筋肉を間違うと動きが切れる。

動かす筋肉を正しく使わないと

バレエではなくただの踊りになってしまう。

 

今の私の体の軸の安定性は

10割中7~8割しか確保できていない。

その意味は軸安定性に関わっている運動神経の連携が

70%ほど繋がっていることである。

 

意思と運動神経を素早くリンクさせて

イメージと動きを間違いなく調和させるのは5割しかできていない。

今年まで8割以上の軸安定性を目標にしているのだが...

 

一度であったが、ポワント立ちで完全なる軸を保てた瞬間があった。

その瞬間は時間が停止しているような感じが持てた。

 

坐禅に没入できた瞬間と酷似したので、体と心が震えた。

 

 

 

ブログ友のみなさん!

今回は和文だけ先に投稿しておいて

今週か来週に英文訳をアップします。

①と書いたのは軸に関する記事は奥が深くて

シリーズにして分野分けしないと

軸の意味さえ伝わらないからです。

バレエに全く関心の無い方も

体の中心軸について一度は意識を向けても

いいのでは?と思っています...

 

 

 

 

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合法的な国籍

2024-02-06 | 生き方

今日から合法的にアメリカ国籍になりました。

韓国籍を放棄したので、

取り返せない過ちをしてしまった感が少しあります。

でも、死んでも骨を埋める資格を得られたから、

半々する感じていうか、相反する気持ちっていうか、

思ったより複雑です。

 

宣言式から帰り道に、家から近いスーパーに寄って、

普段では絶対買わないケーキとか

アイスクリームなど結構買いました。

レストランとかに行くと余計な時間や費用が重なるので、

簡単で安いお祝いにしました。

 

今日は国籍が合法的に変わった日なので、

報告兼ねた投稿だけにしますね。

 

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