Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

鍛えの進行形

2024-10-30 | 生き方

進行形は文法用語であるが、

私はこの何々進行形ということばが好きた。

 

過去進行形・現在進行形・未来進行形は、

各時間ゾーンにある行動、行為が進んでおこなっているとのことだ。

鍛える意味の英語をグーグルしたら

Exercise, training, practice, workout, drill, toughenなど、

行動を伴う動詞や動名詞が出てきた。

 

鍛える行動は、修行の行動とも似ている。

鍛えるのは、ある状態を強化させることに向けて

段階的に上っていく感じがするが、

修業は、行き先やなりたい状態が予め決まっていて

自分をそこに持っていく感じがする。

 

鍛えと修行、どちらも好きな言葉ではあるが、

最近私は修行から鍛えに趣が変わってきた。

 

後、2年くらいで私は60代に入る。

だが、今まで持てなかった強い身体になった。

 

50代に入った頃、私は不健康そのもので、

あらゆる身体異常があり、寝て過ごす時間が多かった。

病院に診察に行ったことも多く、

薬を山程もらって、薬だけを入れる箱はいっぱいだった。

 

自分が病気だと思っていたからか

顔色も悪く、風邪になっても長引いた。

 

しかしある日、薬箱を開け、今日飲む量を数えている時に、

「これらの薬の副作用で死ぬかも」と思った。

 

病気で死ぬか、薬の副作用で死ぬか、

どちらかでどうせ死ぬのなら

私は病気と戦いながら死ぬことが

死んでも悔いがないと思った。

 

もちろん、死んだら悔いなど感じることはできない。

だが、残された夫に、

“私のワイフは病気と戦いながら死んだ”

と思わせたほうが良いと思った。

 

その決心をした日から、

薬を入れた箱をクロゼットに中に入れた。

それからバレエのレッスンを受け始めた。

 

その日から、私の修業が始まった。

修業はまだ進行形だが、その修業の過程で

鍛えることはこういうことかと毎日実感している。

 

60代を鍛えた体で入っていくために!

 

 

 

ブログ友のみなさんへ

家庭内のイザゴザがあって、ブログ投稿がままならなかったです。

今は多少余裕ができて、来る冬支度をしています。

アップした写真は2週間前に撮ったから

紅葉が始まってますが、今はもう大分葉っぱが落ちています。

英語訳は、後でゆっくりつけていきますね。

 

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合法的な国籍

2024-02-06 | 生き方

今日から合法的にアメリカ国籍になりました。

韓国籍を放棄したので、

取り返せない過ちをしてしまった感が少しあります。

でも、死んでも骨を埋める資格を得られたから、

半々する感じていうか、相反する気持ちっていうか、

思ったより複雑です。

 

宣言式から帰り道に、家から近いスーパーに寄って、

普段では絶対買わないケーキとか

アイスクリームなど結構買いました。

レストランとかに行くと余計な時間や費用が重なるので、

簡単で安いお祝いにしました。

 

今日は国籍が合法的に変わった日なので、

報告兼ねた投稿だけにしますね。

 

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アメリカ人になりました。

2024-01-12 | 生き方

今日アメリカ市民権テスト受かりました。

宣言式は後から知らせるらしいです。

宣言式後、韓国籍を放棄してアメリカ国籍になります。

 

テストは歴史、政治経済、法律制度の口述試験とReadingとWriting、

それから身分、思想確認のような審査質問が約30問くらいあって、

その場で合格を知らせてもらいました。

 

これで、今年の大統領選挙に投票できます。

アメリカ人パスポートになります。

刻々個人的な知らせだけの記事ですが、

死んでも骨を埋める国が決まったので

すっきりしてます。

 

英語バージョンは後でアップしますね。

 

 

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時間に体を運ぶ

2023-11-28 | 生き方

365日で制限された2023年も

間もなく終わろうとしている。

新たな365日の2024年もすぐくる。

 

年を取ってみると一年の感じが

少しずつ短くなってくることに毎年驚く。

人は11月になると

今年やったことを振り向いて

焦ってくるように見える。

12月になると

今年やれなかったことを来年に託したりする。

 

私はやっと、今年やれなかったことは

来年もやれないと分かってきた。

いくら現実的な目標を設定しても、

目的地周辺でクルクル回ってしまいがちである。

 

毎年、年末的な反省、振り返ることを延々と反復しているが、

実際その反省が効いた試しが無い。

ここまで目的を全うしなくなると、

そもそも目的をどう設定したかが間違っていたかもと思えてくる。

 

人のこころはどこかに向いて動くように設計されている。

過去に囚われている人は

現在に生きていながら、過去を見て過去を感じる。

未来に逃げている人は

現在に生きていながら、未来を視て未来への期待を感じる。

過去に生きている人は

その過去から自由になることを期待するかもしれない。

未来に期待する人は、

自分が希求することが未来にあると思っているかもしれない。

 

体が現在にいるのに、こころが過去か未来に向いていると

自分がどこにいるか分からなくなる。

正しく目標を設定できることは、

未来のある時点に身体とこころの状態が

同時にいられるようにさせることである。

ある時刻に、望む体の状態が

望んだ現実に中にいると目標は達成されたと言える。

 

私が去年の11月末に思っていた

来年への11月末までの期待は、合っていない。

容易く設定したことは容易く失敗する。

容易く期待したことは容易く失望される。

 

来年の11月末に期待した状態に

自分の体の状態を一緒に運ぶこと、

それが来年への期待ではあるのだが。

 

 

補足など:

『ブログ友さん達へ』

去年掲げた目標を今月末まで達成させるために

結構忙しくいていましたが、

もう間に合わなくなって

反省兼ねて記事でアップしました。

私は自分がやったことしか書かないモットに軸しています。

よって、やれていないと書くことも無くなります。

記事アップできないことは、

やっていることが遅延しているか、

思う方向にいけていないことと同じ脈略です。

皆さんの今年の11月末は去年の11月末とどう違うのですか?

 

因みに、今回の記事の英語訳は

後でゆっくりつけていきますね。

記事アップを大部やっていなかったので

今回は和文だけ先に

(とりあえず)投稿しておきますね。

 

 

補足の追加

添付した写真は今年の春頃、

近所の公園にピニックに行った時

韓国風の海苔巻き(ギムバップ)を作って

食べる前に撮っておいたものです。

 

 

 

 

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自信感の背景Settings of confidence

2023-11-01 | 生き方

 

 

 

魅力的な人になる条件の一つに

自信感を持つことがある。

One of the conditions for being attractive

is to have confidence.

言い換えれば、自信感がある人は

魅力的に見えるということである。

In other words,

people who have confidence look attractive.

 

だが、私は自信感に溢れている人が

どうも好きになれない。

However, I don’t like fully confident people at any cost.

何故なら、その人が持つ自信感に根拠があるのか

どうかを見てしまうからである。

Because I tend to look at the confidence that

they have shown would have the basis to prove.

 

自信感に溢れている人を見ることは煩わしい。

It is annoying for me to see overly confident people.

その人がどんなに良くできるにせよ、

私とはなんの関係が無い。

No matter how those people are good at something,

it has nothing to do with me.

 

国を代表するオリンピック選手なら、

自信感そのものに見えることは当たり前だが、

日常の人間関係の中では

自信感はその人だけが持つ個人事にすぎない。

An Olympic player who represents one’s country

must show what confidence should be,

but in normal human relationships,

a confident feeling merely belongs in the individual.

 

自信感は極めて個人的な感情である。

Confidence is an extreme personal emotion.

自分があることを間違いなく遂行できる能力でもある。

It also indicates an ability to achieve without fail.

自分ができると信じる感じにすぎず、

バックアップが無くても誰でも持つことは可能である。

It is merely a feeling of believing

that would be able to do it,

and anyone can have the feeling even without backup.

 

そう信じることに根拠が無くても誰も判定しない。

Even though there is no basis

for such a belief, no one will judge.

だが、その自信の度合が行動に表れて、

人の期待にそぐわなかった場合は

自他共にがっかりすることになる。

However, when those confidences appear as an action,

and if it fails to meet expectations,

the person and others who witnessed will be disappointed.

 

自信感に溢れている人は人の感じ方も

操作しようとする傾向があるように見える。

The confident people looked like

they tried to manipulate how others should feel.

人の良し悪しの判断基準を

自分流に変えたがる心構えが

根底にあるからかもしれない。

Perhaps, in their underlying minds

would want to change people’s good or bad judgment favorably.

 

人の判断まで自分が握っていると

錯覚しているようにも見えたりする。

They seem to have illusional perceptions

that they can control people’s way of feeling.

要するに、何が自分の感じであって、

何が人の感じであるか区別できていない。

In short, they can’t classify what is their own feeling

or what feeling is to be other’s.

 

それらのズレをコントロールしないと、

根拠の無い自信感は

煩わしい態度として行動に表れる。

If the disparity is out of control,

the confidence loses basis,

and it appears a lousy attitude.

では、人を裏切らない自信感とは

どのような状態を指すのか。

Then, what components indicate

confidence that will not let others down?

 

絶対失敗しない確実性

The certainty that never fails.

絶対成功させる確信性

The conviction that absolute success.

条件に頼らない能力

The ability that never relies on conditions.

 

それら3つの基本が根底に

土台としてあると自信感は結果としてついてくる。

If someone has the 3-basis as the foundation,

confidence will come as a result.

自信感は探して持つことでなく、

ついてくる結果である。

Confidence is not something one looks to have;

it is a result that comes along.

 

自信感を持つために努力しても

自信感はついてきてくれない。

The confident mind will not come for you

even though you make efforts to have it.

何かができるようになるまで、

項目の能力が必要なら、

10項目をクリアして

次の段階に移行できる準備ができた時に

自信感は自然にきてくれる。

If we define there are 10 kinds of abilities

needed to accomplish something,

when all the optional 10s are cleared

and get ready to step up to the level,

the confidence will come naturally.

 

結果を急ぐ人に自信感は遅くくる。

Confidence comes late to those rushing for it.

過程を長く持つ人に自信感は早くくる。

Confidence comes quickly to those processing longer.

 

信じる、信じないことの裏の背景には、

その感じを裏つける事実の質と量があるのだろう。

Behind believing or unbelievable,

there will be quality and quantities of facts that

can back them up.

 

 

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体を作用させるMake my body working

2023-09-29 | 生き方

 

 

 

ディスク手術後、約4ヶ月が経っだ。

It has been about 4 months

since the herniated disc surgery.

体はほぼ完治した感じだが、

また怪我するかもしれないとの心配は未だに克服できない。

My body seems to have almost healed,

but my mind still can’t get over the fear

that I might get injured again.

 

たまに、ふっと苦痛が無いことに

びっくりすることがある。

Sometimes in a moment,

I’m amazed that I don’t have the pain anymore.

何年間、常に苦痛があって

行動範囲まで制限されていたことが

まるで嘘のように思えてくる。

The constant pain I had for many years

limited my range of movements

but now it seemed like a lie.

 

体の苦痛は割りと簡単に克服できるが、

苦痛に対する恐怖は案外乗り越えられない。

Physical pain is relatively easy to overcome,

but the fear of getting hurt again is

harder to get over unexpectedly.

その怪我への恐怖を克服するのが課題になってきた。

Overcoming the fear of reinjury has become my challenge.

 

 

先月から週4回のソフトシューズのバレエレッスンに

2回のポワントシューズのレッスンを受けている。

Since last month, I have been taking ballet lessons

4 times in soft shoes and 2 times in pointe shoes.

家でストレッチングができるようになったのは約2週間前からだ。

It’s been about 2 weeks since I became

able to do stretching at home.

 

ストレッチングを再開して気づいたことは、

正しくやることは力任せでやることより

何十倍もしんどいことだ。

Restarted stretching made me realize that

doing stretching correctly is

tens of times harder than doing it by brute force.

また、再怪我するのが怖くなって、

気をつけてゆっくりするようになった。

Also, I started moving slowly with carefully

because I was afraid of getting injured again.

 

ストレッチングの時に動作一つ一つに

時間をかけてゆっくりやるようになって、

以前私がやっていたことは

形だけの自己満足的なことであったことが分かった。

While I do stretch, I began to take more time

and move more slowly in every sequence and learn that

what I had been doing before

was just out-frame and done for self-satisfaction.

力任せで反動を利用した

反作用にすぎないことがわかったのだ。

I found that all I did before were

just reactions using brute force.

 

反作用的な運動をすると

やった満足感は得られても

奥の深い内筋肉まで訓練できない。

Reactionary exercise may make you

feel self-satisfied for doing something,

but it will not be able to train your deep inner muscles.

外側の筋肉は瞬時には鍛えられるが、

また瞬時に衰える。

The outer muscles can be strengthened instantly

but weaken as quickly as they are made.

 

骨周りの内筋肉を鍛えるには、

より長い時間と労働をかける必要がある。

Train internal muscles that stick to the bones,

it requires longer time and labor.

だが、一旦内筋を鍛えると、

外筋を鍛えるのも楽になり、筋力もより強力になる。

However once the internal muscle training is done,

outer muscle training will be easier,

and muscle competence will get stronger.

 

内筋を鍛えると内臓についた脂肪も燃えやすくなる。

Train internal muscles makes it easy to burn fat

which is stored inside the body among the organs.

中から筋力を作り上げると

外側の筋力の強化も結果的についてくる。

Building up muscle competencies from the inside,

The outer muscles get stronger as follows result.

 

むやみに筋肉を千回伸ばすより、

集中して正しく1度やることが

より効果的であることが分かったのは

怪我のおかげでもあるのは皮肉なことだ。

Ironically, I became thankful for the disc injury I had,

because it made me learn that doing once correctly with attention

is more effective than doing it thousands of times just moderately.

 

ある動きに1秒早くなるには

その動きを何時間もやらないと

根本的に早くなれないことも分かった。

I also learned that in order to become 1 second faster

for a certain movement, one must do the movement for hours

otherwise, it never makes a faster move fundamentally.

 

なんていう皮肉か。

How ironic it is.

早くなるには遅いことを支配しないと

早くなれないように体はできているのだから…

The body is designed in a way that

to become faster at a move,

one must dominate the slow moves...

 

 

 

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悪運を解釈するInterpreting my bad luck

2023-05-31 | 生き方

 

 

 

今年始めから、私はいわゆる災難に遭った。

Since the beginning of this year,

I have been experiencing so-called disasters.

 

悪性のインフルエンザーとコロナ感染では命の危機を感じ、

椎間板ヘルニア悪化で

未来が閉ざされたような絶望感が長く続いた。

From malignant influenza and Covid positive infection,

I had felt multiple life-threatening.

When my Herniated disc worsened,

I felt despair for an extended period

as if my future opportunities were shutting down for me.

 

それら災難が6月になると半年間、絶え間なく続いたことになる。

Those ongoing misfortunes continued for half a year by June.

その間、続く絶望感を克服するのに精一杯だったのに、

更に慢性のヘルニアが急激に悪化して、

日常生活も困難になっていた。

During those days,

I felt like my neck was hanging on a tree,

so I was desperate to overcome the feeling of hopelessness,

but even more my chronic Herniated disc was rapidly worsening,

those made my daily life distressed.

 

悪化してから3人の異なる分野の医者から違う症状だと診断され、

2回のMRIと2回のコルティーゾル・インジェッションを受けた。

As it was aggravated,

I was diagnosed with different symptoms by three doctors,

underwent two MRIs, and took two cortisol injections.

 

ヘルニア悪化で即手術が必要だと

脊椎医者から診断されたのが、やっと先週の水曜だった。

It was last Wednesday,

finally told that I need immediate surgery

for the worsened Herniation by the spine doctor.

今は医者陣が手配する手術日を待っている。

Now I am waiting for the surgery date

to be arranged by the medical team.

 

これらの災難続きで、気づいたことがいくつかあったので、

それらについて個人経験を少し書いてみようと思う。

In the course of these misfortunes,

I have noticed a few things,

so I’d like to write a little bit about

what I personally came through.

 

悪性のインフルエンザーは

免疫システムが狂ったから酷くなったので、

一般的に起こることである。

The bad, malignant influenza I had,

it commonly occurs among people

when their body's immune system is out of order

and it goes bad, that was it.

 

いわゆる悪運と弱い状態が混じった結果である。

It was the combination of

so-called bad luck and weakened condition.

コロナ感染も避けるようが無かった

社会的な活動の結果であった。

Covid positive infection was also the result of

social activity that could not be avoided.

 

ワクチンで生き延びられたようなものだから、

悪運でながら幸運にも生き延びた。

It was like I was saved by the vaccines I took,

so I could survive with a bit of good luck in the bad luck.

 

椎間板ヘルニアは慢性であったのに、

ストレッチングや姿勢矯正で誤魔化してはきたが、

椎間板がもう元に戻れなくしまったから、

耐える閾値を超えてしまって悪化になった。

My Herniated disc was chronic but somehow,

I managed to cover it up with stretching and correction of spine posture,

but the intervertebral disc no longer returns to its original position,

and it reached the worst peak of endurance.

 

思えば、私が遭った災難は起こるべきで起きたようなものだ。

Come to think of it, those misfortunes I encountered were

something that should have happened.

そのような災難を避けてこられた人たちは

本当に運がいいのだろう。

Those people who can avoid disasters

must be really lucky.

或いは、避ける方法を本能的に感知できる

賢いシステムを持っているから避けられたかもしれない。

Or maybe they can avoid it

because they have a smart system that

knows how to avoid it instinctively.

 

とにかく、半年間、生きるね死ぬねのような

堺を歩いてきたので、皮肉にももう慣れてしまった。

Anyway, for half a year I have been through

the boundary of life or death.

But ironically, I’ve gotten used to it.

だからか、悪運にも絶望感を感じなくなった。

For that reason or not, I no longer feel despair

even though I am still experiencing bad luck.

 

避けられなかった災難に遭った理由を

正当化するのも疲れてしまうほどだ。

I am almost exhausted to find justifying

all the causes of inevitable disasters.

 

この6ヶ月間、一番苦しかったのは、

やりたかったバレエの稽古ができない心的苦労であった。

During these six months, the most painful thing was

the mental struggle that

unable to do the ballet practice that I desired to do.

でも、皮肉にもそれらできない苦労があったからか、

体の状態が少しでも耐えるようになった時のレッスンは、

先生が教えようとしたことに超集中できた。

But how ironic it was, sometimes when my body condition

allowed me to take a lesson even in a short time,

I took the lesson, and I could hyper-focus on

what my ballet teacher tried to teach.

 

明日は受けられないかも知れないと思って、

一回のレッスンが最後になるような思いで受けられた。

I took the lesson as if I might not be able to take it tomorrow,

so I took one lesson that would be the last.

 

悪運は幸運につながる入り口かなと

思われてきたのもつい最近である。

Bad luck can be a gateway to good luck,

this idea came up recently.

夫は私を案じて、忙しい仕事の合間に

私をドライブに連れていっている。

My husband is worried about me,

so he often takes me for a drive

while he is busy with work.

 

その時に二人で感嘆させられるのは、

今まで見てきた景色があまりも違って見えることであった。

緑の色が鮮やかで新鮮極まる。

What makes us feel marvelous at driving is,

the scenery we have seen so far completely looks different.

The green color is so bright and extremely fresh.

 

恐らく、コロナの影響で世界的に車移動が少なく、

排気ガスからの二酸化炭素が少なかったからかもしれない。

Perhaps it is because there was less car traffic worldwide

due to the pandemic, therefore less carbon dioxide from car exhaust gas.

 

もしも何も災難が無かったら、

生き延びったことへの感動を感じることも無かっただろう。

If I had not had any of such disastrous happenings,

I might not have felt moved about surviving.

 

ヘルニアの悪化が無かったら、

一回のバレエレッスンがどんなに大事だったのかにも

気がつけなかっただろう。

If I have not Herniated disc worsened,

I would not have realized

how important one ballet lesson is for me.

 

6ヶ月間、時間を無駄に使っていたと思ったが

今になってみると、

起こるべきことが起こっただけだと思うようになった。

For six months, I thought I was wasting my time,

but now I think back then,

came to think that should happen kinds of stuff just happened.

 

悪運はどう解釈しても都合が悪い。

Bad luck is inconvenient no matter how well interpreted.

潜っていくしかない。

No other choice but to dive.

 

長いトンネルは通っていくしか出る方法が無い。

A long tunnel must go through the way out

and has no other exit.

 

目先の危ない橋も渡らないと先へ行けない。

You also can’t go further without crossing

in front of a dangerous bridge.

 

悪運は人生のスパーンから視ると、

ただ通るべき道のりの一つにすぎないのかも知れない。

From the perspective of life span,

bad luck may be just one of the paths

we have to take aside.

 

 

その他

見出しの写真は先週夫が芝生刈りをした後撮ったものです。

大きい木の右に郵便箱があります。

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死、炭素への還元

2023-01-11 | 生き方

 

 

ワクチンが無かったら、

もうとっくに即死しているはずの者として

死ぬのはどういうことかについて

我流の所見をまとめてみることにした。

 

私は死への恐怖が無い。

恐怖より、死後残った者が背負う手続きなどが

煩わしいだろうと思う程度だ。

 

私が死んだら、夫が真っ先に困る。

私は死、そのものから分離されてしまっているが、

残った夫が私の死100%を背負うことになる。

死体の処理、役所の手続き、

警察の死因調査、遺品の処理、

銀行や各種アカウントの管理など、

全てを終えるまで悲しむ暇も無いだろう。

 

死は生きている間、

恐怖に怯えるだろうが、

ゆっくり構えるだろうが、結果は同じなのである。

お金持ちも貧乏も同じ結果でおしまいになる。

平等そのものなのだ。

 

なんていうか、私は自分に飽きてしまっているから、

自分に疲れを感じる時が多い。

そんな疲れがくる時は、坐禅をして、

バブルのような思案を鎮める。

言えば、死について冷笑的かもしれない。

 

コロナの症状で何十分間、

激しい咳込みをしている時、

死ぬ、死なない境界線があまりにも薄いことに驚いた。

息ができない、コントロール不可能な咳込みの中、

なにかの力で生かされていることに気がついた。

 

私を死なせないその力は、

ワクチンだったかもしれないし、

与えられた寿命だったかもしれない。

逆に、夫には私がまだ必要だったからかもしれない。

 

かと言って、私は、自殺願望や鬱は全く無い。

でも生きようとすがりついたことも無い。

死はただ自分という自我観念が消滅し、

一人の人体が死体になることである。

 

炭素から起因して、炭素に還元する。

炭素から始まり、炭素に帰化する、

それだけのことである。

 

 

補足など:

今回の記事に対する対訳は

コロナ完全回復したらアップする予定です。

英訳を意識しないで、

思ったことを自由に書けるのって

本当に気楽ですね。

今までは、自分が書きたいことも英訳を意識し、

頭の中で編集していたかもしれません。

書きながら母国語の韓国語とのバランスも

全く計算しなかったし、

頭に浮かぶことだけに集中できました。

コロナで皮肉にも

人の温もりを感じたことは予想外でしたね。

また、コロナで死も味わえたし、

生かされていることに感激、感謝することもできました。

不思議な世の中ですね。

 

 

 

 

 

 

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生き方の構造を変えるChange the structure way of life

2022-12-20 | 生き方

 

 

 

生き方を変える、

これは極めて簡単であって、

同時にあり得ないほど不可能のようにも捉える。

Changing the way of one’s life is extremely simple,

but simultaneously it looks impossible to be changed.

 

私は自分の生き方を変えた。

I changed my way of life.

生き方を変えると

与えられた私個人の人生の分量も性質も変わる。

As I changed it, my given portion of life

and my personal innate disposition also changed.

 

変わったことで、慣れている自分への感覚が薄れてきて、

以前に感じたことの無い自分を感じ始めるようになった。

The alteration made me feel fading out of

the familiar sense of myself that I was used to,

and I began to think about myself

in a way, I had never sensed before.

それは、自分は自分なのに、

まるで見知らぬ他人の人生を

代わって生きるような気分なのである。

It is likely that I am still as I was

but as if I am living on behalf of an unknown person’s life.

 

自分を変えることは習慣を変えることである。

Changing oneself is to change habits.

習慣を変えることは慣れてきた行いを

慣れていない別のやり方に変えることである。

Changing habits is changing one’s habitual behavior

into another unfamiliar way.

 

私という自分は、

他人からみて人類の数の一つにすぎない。

I who represents as be me,

it is just one of the numbers of mankind

from the viewpoint of others.

全ての人類は“自分”“私”という

単一の意識を持っている。

All human beings have

the singular consciousness of being

“me myself” and “I”.

 

その単一の意識は、

それ以上分解することができない原素であろう。

That singular consciousness about being me

is like an element that cannot be broken down anymore.

自分を変えることは、

その原素の分子結合を変える過程である。

Changing oneself is the process of

altering the molecular structure of the element.

 

鉛筆の芯の炭素、

ダイヤモンドの炭素、

石炭の炭素

The carbon in pencil lead,

carbon in diamond, and carbon in coal.

 

炭素の分子結合が変わると

石炭がダイヤモンドに化ける。

When the molecular structure of carbon changes,

coal turns into a diamond.

鉛筆の芯とダイヤモンドの価値を決めるのは

その分量と数量であろう。

What determines the value

between a pencil lead and a diamond

is the amount and quantity.

 

私の自分という意識は

石炭の分子構造に似ているように思える。

I guess the consciousness of being myself

is similar to the molecular structure of coal.

生き方を変えたということは、

石炭の分子構造の運命を変えたということに似ている。

Changing the way we live is like

alternating the fate of the molecular structure of coal.

 

石炭は熱を加えると酸素と結合して燃え出す。

When coal is heated,

it combines with Oxygen and starts to burn.

酸素が二酸化炭素に結合され、

水素と炭素に分解される。

Oxygen is combined with carbon dioxide

and discomposed into Hydrogen and Carbon.

 

炭素に熱が加わると熱量になり、燃え出す。

When coal is heated,

it becomes calories and bursts into flames.

 

石炭が燃えることは

石炭であり続けることを辞めて、

熱そのものになることである。

Flamed coal means it becomes heat itself

and to stop to be being a lump of coal.

 

熱として石炭の一生を全うし、

燃やせるものが無くなるまでひたすら燃え続ける。

Flamed coal finally completes its life a while after

it produces heat until there is nothing left to burn.

 

存在を全うして、灰だけを残す。

It completes its existence, leaving ashes only.

その灰もやがては目に見えなくなる。

The ashes will eventually be invisible.

 

私は石炭として燃えて消えることを断った。

I refused to burn out and off like coal does.

ただそれだけのことである。

It's just that was all about.

 

 

 

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意識を超えるExcel conscience

2022-11-30 | 生き方

 

 

 

私は自分自身をあまり意識したくない。

I do not want to be aware of too much of myself.

だが、生きている以上、

自分が自分を超えることは今のところできていない。

But, as long as I am alive,

going beyond myself is not yet for me to able to.

 

自分が自分を超える境地は、

いわゆる坐禅での悟りであろう。

The state of surpassing oneself,

supposedly says it may be enlightenment

in Zazen-meditation activity.

 

おのれの意識は面倒くさいと

私は自分に対して思っている。

My conscience of myself is annoying as to think.

一々自分が正しいとか、正しくないとか、

これだとかいやあれだとか判断して、

気分を揺らすのは特に面倒極まる。

How am I right or wrong in every moment,

judging this is it or it was that

such a wavering mood is more annoying to me.

 

自分が愚かだ、賢いとかの決めつけも面倒になった。

Judging whether I am stupid or smart

such prejudice also comes to annoy me.

自我、無我とかの状態確認も

時間の無駄のように思えてきた。

Ego or egoless, checking how being myself,

became waste of time.

 

思えば、自分の中に声がうるさくなり、

雑音になったのでそれらを静ませるために

坐禅を始めた覚えがある

Thinking back then, the voices in my mind were noisy

and it became discord,

so I started zazen meditation to quiet them down.

 

声を殺す、声を無音にする、

声に蓋をするなどは一時的には効く。

Killing the voices, muting the voices,

covering the voices, etc. are working temporarily.

だが、それらの声に支配される時が多い。

But mostly those voices control me.

 

それらの声の雑音を根本的に消すことができない。

I cannot delete those noises from its root.

もし、がむしゃらに坐禅の訓練をすれば、

できなくはないけれど、

そこまで徹底するまでの理由を持っていない。

If I practice Zen meditation recklessly,

it would not be impossible,

but I don’t have a reason to go through it.

 

だから、考えに圧倒されそうになると、

立ち上がって家の掃除をするようにしている。

So, when I would be overwhelmed by thoughts,

I get up and try to clean my house to change my mood.

考えは考えで処理することはできないと分かってきたのもあり、

体を使うことで意識変換をしようとしている。

Because I realized that

thought it cannot be settled by thinking about it,

so I have been trying to use my body

to change my way of consciousness.

 

掃除を始めると根拠のある行動ができるわけだから、

目に見える問題に手を打つ直感が持てる。

Once I start cleaning the house,

I also begin to have the reason for my activity

so I can feel the intuition that

I am dealing with the visible problems to be solved.

散らかって、汚くなった状況を

整理してキレイにする作業をすると、

何で悩んだか忘れるようになる。

While working on organizing and cleaning up the mess, dirty,

I forget what I was worried about.

 

自分の声に支配されることは、

他人の目線から自分を判断する癖が

優位になったからかもしれない。

Being dominated by your own voice,

it might be caused by seeing one’s own behavior

with the other’s eyes and judging them prioritized.

他人がどう判断したかは、

その人が下した行動を見ない限り知ることはできない。

Knowing how others' decisions are made,

cannot be confirmed

until their judgmental behaviors turned into actions.

 

なのに、自分が他人にどう見えるかを

先に計算して自らの行動を決める人がいる。

Under such circumstances,

there are people who decide how they act

after calculating firsthand

how their actions are seen by other eyes.

他の人も自らの問題や意識に忙しく、

他人がどう思っているとか

必要で無い限り気にしないはずだ。

The others, by the way, also are busy

dealing with their own problems or consciousness,

so they would not care

what people really think unless it comes to need.

 

自分を他人の中で確認する作業は

やるだけ時間の無駄かもしれない。

The work of checking out

how am I seen in other’s impressions;

it may be a waste of time whether did well or not.

 

どうであれ、私は自分の意識を超えることは

無理なのは分かってきた。

Whatever things to be fact,

I somehow came to know that

going beyond my own consciousness is impossible.

 

では自分が自分に対してできることは何だろうか。

Then what can I do for myself?

 

それが私には自分の体の限界を乗り越える作業なのである。

As for me, that is work to overcome my physical limitations.

超えられるなら超えていく。

If it can go beyond then go through it.

 

今、私は自分の体の限界を超えられるために体を鍛えている。

Now, I am training my body to overcome its limits.

それができれば、精神の限界も超えられる方法が

見つかるかもしれないから…

If I will be able to do it,

I may find a way to transcend the limits of my mind...

 

 

 

*参考までに、写真は先月ロシアバレエ公演を見に行った際に

夫が撮ってくれた写真です。

前から2列目の席が取れたから、

ダンサー達の息、筋肉の動きも見えてダイナミックでした。

To add, the picture I posted was taken by my husband

when we went to see Russian ballet.

My husband bought the second row from the stage,

so I could see the dancers' breathing

and how they used their muscles,

it was a dynamic view.

 

 

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Mental engine心のエンジン

2022-09-09 | 生き方

 

 

 

私の心は車のエンジンのように動く。

My mind runs like a car engine.

 

行きたい目的地が決まるとエンジンを駆動させる。

Once I found a destination,

I let my engine propel me.

私のエンジンの馬力は弱く、故障も多い。

The horsepower of my engine is weak

and causes a lot of breakdowns.

 

だから目的地まで辿るのに

どれくらいの時間がかかるか推定さえできない。

So I can’t even calculate how long it will take

to get to the destination.

けれど、行きたい目的地が決まったから

ノロノロだけど動かしている。

But the destination wants to go already been decided,

so I have been driving sluggishly.

 

人は想いや意思、感情の働きを

『心の働き』として言う。

People often refer as "action of mind"

such thoughts, willpower,

and the mechanism of emotions.

『精神の働き』は哲学に基づいて、

知性の方向性を示すケースが多いので、

心と精神は性質上の識別がある。

“Action of spirit” is based on philosophy,

and it often indicates the directionality of intelligence,

so the mind and spirit have a qualitative distinction.

 

厳密に心の働きを定義しようとするなら、

辞典的な意味と一般的な実用例を提示し、

その違いと類似性を説明する必要がある。

If we need to define “action of mind” rigorously,

it will require representing lexical meaning

and general examples in practice usage

in the ways of differences and similarities.

 

だが、今回は私個人の見解や解釈だけを

取り上げることにする。

But for instance, I will cover it

with my own personal perspective

and interpretation only.

 

 

心は常に動いていない。

The mind is not always in action.

生きているいる以上、

欲望や考えがあるから

心が活動しているかのように見える。

As long as we are alive,

our minds seem like in actions

because we are driven by desires and thoughts.

 

だが、目的地の持たない心は、

行き先が無いから動かす理由も持たない。

But a mind which does not have a destination

has no reason to drive because nowhere to go.

 

動いていない心は燃料も必要としない。

The motionless mind does not need fuel.

心を動かすスキルも持たない。

It does not have the skills to move the mind.

 

エンジン自体がドライバーになり、

ドライバーがエンジンになっている。

The engine itself is the driver

and the driver is the engine.

だからどこか目的地が決まると

エンジンだけが目的地に向かう。

For that reason,

even when the destination has been set,

only the engine heads toward it.

 

エンジン自体は道のりを示す地図も読めなければ、

行く道にあるルールを示す標識も読めない。

The engine itself can neither read a map that shows you the way

nor can see the signs that tell you rules along the way.

 

誰かがそのエンジンを動かしてくれれば、

いつかは目的地に着くかもしれないが、

行けたとしても他力に依存しなければならなくなる。

In that case, if someone helps to run the engine

then may be able to reach the goal someday,

but one always must rely on someone else’s ability.

 

要するに、他力を借りないとどこへも行けないことは

自力ではどこへも行けないことである。

That means cannot go anywhere without help from others

or is unable to go anywhere on one’s own.

 

だが、心をエンジンと運転するドライバーに別け、

分離させるとごっちゃ混ぜしていた

『心』がはっきりと物体化になってくる。

However, one can separate the mind

into the engine part and the driver part,

the jumbled mind becomes clear

as to be an objectification.

 

物体化になると、

エンジンの性能も確認できるし、

壊れた箇所も見えてくる。

When it becomes objectized,

we can confirm the engine efficiency

also can find which part is broken.

 

ドライバーが個体化できるので、

運転スキルも問われるようになる。

It leads the driver can independent

and the driving skill takes a challenge.

 

今の現在点が地図上、

どこに位置しているのかも見えてくる。

It also allows seeing where you are now

and can pinpoint where the location is.

目的地も設定できるようになる。

In the same way, can set the destination.

 

 

恐らく、私の『心』を

エンジンとドライバーに分割できたのは、

坐禅のおかげだったかもしらない。

Possibly, the backed-up potential that

I was able to divide my mind

into engine and driver parts,

it might be rooted in the Zen meditation

I’ve been doing.

 

坐禅を通して、自分の感情や思考の動きが見えたから

識別できたのかもしれない。

Through doing Zen meditation,

I might have found the ways

how the thoughts and emotions move

that made me identify to distinguish them.

 

とにかく、私は自分が決めた目的地に向かって

ノロノロながらも走っている。

In any way, I am slowly but surely

running toward the goal that I‘ve determined.

 

地図もあれば、標識も読めるようになった。

I have the map and am able to read the signs.

標識が読めるようになって、

周囲を見回すと

既に多くの他のドライバーが

性能の優れたエンジンでブイーンブイーンと

私を追い越して行くのが見えた。

Since I become read the signs

and looked around my neighbors,

I now can see there are a lot of drivers

passing me like flying out

with their excellent engines.

 

彼らは私よりずっと先に、

自分のエンジンを磨いていたのだろう。

They probably polished out their engines

long before I did.

 

けれど、私は今出せる最高のスピードが

自転車と同じだろうがなんだろうが、

持っているエンジンで勝負しなければならない。

Although the maximum speed that I can push out currently

maybe the same speed of bicycle does or whatever,

I have to compete with the engine I have.

 

走り続ければいつかは必ず

目的地に着くのだろうから…

As long as I keep running,

I will surely reach my goal someday…

 

 

 

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ブログのお知らせと皆様へ

2022-06-14 | 生き方

 

 

 

ブログアップ、暫く休みます。

実は坐骨神経の負傷があって、

治療しているのですが、

もう何ヶ月間、回復できずにいます。

 

皮肉にもその負傷の苦痛によって、

病気や怪我等で苦しむ人の状態が

頭では理解できるようになりました。

 

苦痛の度合いはみんな違うので、

同感とか共感はできないことも知るようになりました。

 

もし、私が負傷しなかったら、

痛みや苦痛は気合で治せると思ったでしょう。

 

怪我や負傷でやるべきことができない、

やりたいことができないことは悔しいです。

だから、苦痛に負けじまいと頑張っています。

 

私は苦痛と並行していくことを選択しました。

ブログを暫く休むのは、

治癒に充てる時間を増やすためです。

 

やると決めたことは休みません。

好転したら、また再開します。

 

 

『コメントを下さった皆様へ』

 

なんとお礼を言ったらいいか、ずっと考えていましたが、

やはり、ありがとうございます!しか思い浮かばなかったです。

それに尽きますね。

 

負傷の原因と思われるのは、

バレエのターンアウト(足を180度に開く)を

無理にしたからだと思っています。

私は178度くらいはなんとかできるのですが、

欲張ってその2~3度を急いでしまって

バツが当たりましたね。

 

医者からバレエやるなと言われガチンときたので、

YouTubeとか調べ、自分でできることはしています。

夫の仕事が忙しくなくなれば、

New Yorkまで行って針治療を受ける予定です。

 

苦痛に痺れまであるくせに、足は動かせるから、

バツあたりなのか、

マシなのか、もうどっちなの?って感じです。

 

でも舞台終わって、

無理して練習する必要がなくなったので、

レッスン以外は何もしていないのが効いているか、

激痛が少しずつ和らいできています。

 

大げさに負傷とか書いて恥ずかしいですし、

デキも悪いくせに下手な言い訳している気もして

本当に内外的になさけない感じですね。

 

とにかく、筋肉と神経回路が準備できてないのに、

欲張って見栄を張ってはいけないと

神経まで染みて痛感した次第です。

 

先生から無理してターンアウトするなと

何回も注意されたのですが、

なんか簡単にできてしまったから、

つい魔が差したのでしょうね。

だから、レッスンの前は念入りにストレッチをして、

見栄貼らないで質素、素朴、体が許す範囲内でやっています。

 

一ついいことは、舞台終わって

先生からポワントシューズレッスン受ける許可がおりたので、

今週の金曜Fitting(合わせ)にいきます。

バレエでは先生の許可が無いと買うこともできないので、

ポワント昇格しました。

出世、しましたね。

 

この坐骨神経痛を早く直さないとですね。

皆様、私なんかのために

貴重な時間を割いてコメントで応援、激励してくださって

本当に嬉しい限りです。

 

家族の運は最悪なのに、

知人には恵まれた感じです。

本当にありがとうございました。

 

一人一人様宛に書きたかったのでしたが、

予定外に多くの方から便りがあったため、まとめてみました。

少し無礼ですが、了解お願いしたいです。

 

『リアクションを惜しまなく下さった方々にも

 本当に感謝いたします、大きな力になりました』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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脂肪を燃え尽くすLet the fat burn out

2022-05-21 | 生き方

 

 

 

 

私は体重を量らない。

I do not weigh my weight.

何故なら、総重量は量っても

体重に含まれている内蔵脂肪分や

骨密度は測れていないからだ。

Because it cannot be measured

the internal fat rate and the bone density

which are contained in total body weight.

 

体重計の数値は日々少しずつ変わる。

The numerical value on the scale changes a bit every day.

平均体重ならある程度参考になるのだが、

瞬時的な体重は当てにしない。

It is useful for me

when the weight shows constant average numbers,

but I don’t rely on the instantaneous weight.

 

計画的に体重調整をして約3ヶ月経ったが、

未だに目標にしている平均数値に達していない。

It has been about three months past

since I manage my weight control

but yet far away to reach the target average number.

 

中年太りか、新陳代謝が落ちたからか、

とにかく太ってしまった時期があった。

The middle-aged symptom

or my metabolism has got slow down,

either way, whatever reason it was,

I gained a lot of fat.

40代の平均体重より15キロも増えてしまった時は、

体全てが丸々していて手の指まで太っていた。

When I weighed 15 kilograms (33 pounds)

more than the average weight I had in my 40s,

my whole body was plump even my fingers were chubby.

 

体の脂肪は他の脂肪に連結したがるようだ。

Body fat seems to want to be connected with other fats.

増え出すと加速がつく。

When it starts to increase, it accelerates.

脂肪増殖の速度は時間に比例して更に加速する。

The fat growth speeds up faster in proportion to time.

 

ある日、そうだ、

脂肪を燃やして蒸発させようと決めた。

One day, I decided to burn out my fats

and let them evaporate.

それが今年の1月で、

ダイエットを始めるための

食生活習慣を見直すことを始めた。

That was January of this year,

and I started to review my dieting habits

to start up weight control.

 

食べたいものを食べて、

食べた後の心身の変化を分析し、

体調との相関を計った。

I ate what want to eat and analyzed

how my body and mind changed after eating

and measured the correlation with physical conditions.

それらの見直し作業をしてはっきりわかってきたのは、

食べたいものを食べた満足感、

お腹いっぱいに食べた後の満腹感をコントロールすることだった。

What became clear after reviewing the above was

to control the satisfaction of favors

and satiety of full the stomach.

 

とにかく、食べたいものが何かを考え出したら、

連想する前にイメージすることを止めることにした。

Anyway, when I come up with what I wanted to eat,

I decided to stop imagining it before I engage in it.

食べたい欲望を完全に無視して、

冷蔵庫にある材料だけで作り、

食べる必要があるものを食べるようにした。

I ignored completely what I desire to eat

and then cooked only with the ingredients in the refrigerator,

I tried to eat what I need to eat.

 

だが、それは何の楽しみもないし、

面白くもない。

But such things are no fun,

not entertaining me at all.

けれど、食べたいものを食べて

醜い脂肪を持つよりは少しマシのように思えた。

However, it seems a bit better than

having ugly fats as the result of eaten desired foods.

 

それを2ヶ月くらい何とか辛うじて続けたら、

食べたいものが何なのか分からなくなった。

I have been doing that for about two months

then it made me unsure of what I wanted to eat.

要するに、食べたい、

食べたくないことを考えなくなったのだ。

To explain the unsure desire,

I began not to think of what I wanted to eat

or what I don’t want to eat.

 

腹が減っても水を飲むことで

何とか危機を乗り越えるようになった。

Even when I am starving,

I somehow managed to overcome

the crisis by drinking water.

 

脂肪が燃えると熱を発する。

When fat burns it gives off heat.

水蒸気のように脂肪も蒸発する。

Fat evaporates like water does.

水の沸騰温度が決まっているように、

脂肪も燃焼できる温度があるようだ。

Just as the boiling temperature of the water is set,

there seems to be fat burning temperature also set.

 

脂肪が燃焼し始めると音が聞こえる。

When the fat begins to burn it makes audible.

水が沸騰する時に聞こえる音と少し類似している。

It is a bit similar to the sound of boiling water.

 

やっと、自分の骨が見え始めたが、

まだ設定値に達していない。

At last, my bones came up to visible,

but I am not yet reached the target numbers I set.

 

自分で自分の体の重さを

軽く持ち上げるようになる日は

果たしてくるのだろうか。

Will the day surely come

when I am able to lift up easily

my own body weight?

 

 

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1% of endeavor 1%の努力

2022-04-08 | 生き方

 

 

 

一日24時間の1%は約14.4分らしい。

It seems that 1% of 24 hours a day

is about 14.4 minutes.

1日の1%を毎日頑張れば、

一年後には37~38倍の努力ができるようだ。

If I do my best 1% of every day,

it’d be made 37 to 38 times more effort in a year.

 

14.4をわかりやすく15分にして、

15分間何らかの努力をする。

To simplify 14,4 as 15 minutes

and make some kinds of efforts for 15 minutes.

その15分、努力の内容によっては果てしなく長くも感じ、

あっという間に終わってしまった感じにもなる。

During the 15 minutes,

depending on the content of the effort will be,

it brings feelings that are endlessly long

or has over in a blink of an eye.

 

私は今、努力していることが結構多い。

I have been doing pretty many efforts so far.

通訳訓練、つまり頭の中に

同時通訳ソフトをインストールさせること。

Translation training that

installing translating software into my brain.

苦手を克服すること。

Overcome my weaknesses.

弱点を強化すること。

Strengthen the weakness.

現地英語を身につけること。

Cultivate the native English.

坐禅を毎日行うこと。

Do Zazen meditation every day.

毎日一冊以上の本を読むこと。

Read more than one book every day.

筋トレーをやること。

Do muscle training.

 

上記の大まかな努力以外に、

不定期的におこなっている努力も

結構な数あるので、一日が短い。

Above all the efforts I listed,

I have pretty more irregular basis efforts,

so a day is short for me.

それらの中で一番、

最もキツイのが、筋トレーである。

The toughest, the hardest is muscle training.

 

身体の中で、一箇所の部位に狙いを定め

強化させることを練習すると

1分が本当に長く感じてくる。

While I’m doing the training that

targets a certain part of the muscles to strengthen it,

one minute is really getting longer.

腕立ては5分もできないし、

腹筋運動は1分も辛い。

Such like push-ups can’t be done for 5 minutes

and the abdominal sit-ups just for 1 minute are painful.

 

それなのに、腕立てを15分、

腹筋を15分やることになると、

並の精神力では、到底無理になる。

For those reasons,

push-ups and abdominal sit-ups for 15 minutes

are not possibly able to do with an ordinary mindset.

 

努力という文字は

どんな国の言葉であろうが、重い。

The word effort or endeavor comes to feel heavy,

no matter what the language of the country.

ドリョク、ノリョック、エフォート...

聞いただけでもうしんどい感じがする。

Doryoku, Noryock, effort...

they sounded exhausting for me to just heard.

 

最近、背中や体の背面筋肉を強化させるために

トレーニングしているのだが、

孤独という味はこのことだろうなーと思ったりする。

Recently, I have been training myself

to strengthen my back and dorsal muscles,

it brought up an image of tasting loneliness

 

他人と全く関わっていない時、

私たちは孤独を感じる。

We feel aloneness

when we are not connected with others at all.

他人との関わりが遮断された時も孤独を感じる。

Also, we feel isolated

when the connection with others is shut off.

 

孤独について良いか悪いか、

望ましいか望ましくないかの判断を下す前に、

孤独がどんな味か味わいたい人がいれば、

一人で黙々と筋トレーをすれば、わかるようになる。

If someone wants to taste solitude,

just before deciding

whether the aloneness is good or not,

willing to be or not,

it can be understood by doing muscle training silently.

努力の味は苦い。

The taste of effort is bitter.

 

だが、最終てきには甘い結果をもたらす。

But it brings us sweet results in the end.

 

毎日15分間の真に孤独な努力、

来年の春頃には甘い果実を手に入れるだろうけれど...

I would be able to get sweet fruits around next spring

if I do the truly lonely effort for 15 minutes each day...

 

 

 

 

 

 

 

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考えの鎖を切るUnknot the chain of thought

2022-01-04 | 生き方

 

 

 

2022年のタイムラインがスタートされた。

The timeline of 2022 has started.

同じ時間なのに区切られただけで、

全く新鮮な感覚になる。

The time is the same but comes to feel completely fresh

when it is divided as a new year.

 

2021年の間に蓄積された精神的な疲れも

さっぱり消えてしまった感じだ。

The nervous strain that has been built up during the last year 2021,

somehow the new year made it gone altogether.

 

新年になると決まって、新たな計画をたてる。

When a new year comes,

I am in the habit of making some plans to be renewed.

何十年間、何かの儀式のように

新年になると一年の目標をセットし

年末まで実行しようと決心する。

For decades, on new years day,

I always set a yearly goal and make up my mind

to carry it out until the end of the year.

 

思い返すと、今まで一度も

年始の決心を実行した覚えがない。

Looking back, I never complete

the yearly goals I set up on the new year day.

しかし、できた実績が無くても

計画とか目標が無いと

心構えに中心軸が無いような感じがするので、

持てないよりはマシだと思う。

But even though I don’t have the track record,

it’s better for me to have a plan than not have one

because without it I feel like

I cannot pull up my mental axis.

 

 

去年は、眠っていた体を覚醒させた。

In last year, I was able to wake my body

which was sleeping.

体の脂肪で縛られていた筋肉繊維を解し始めた。

I started to disentangle muscle fibers that knotted up fats.

 

今年は覚醒した筋肉繊維を鍛えて、

運動神経とリンクさせていこうと思っている。

This year, I am going to build up muscles that

I let them awake and

connected the nervous system to motor nerves.

 

冬までに連結作業をして、

春には運動神経とイメージをつなぐ。

Workout to have a linking system by winter

and string up motor nervous

to carry out an imagination during spring.

秋にはイメージと意志を合体させる。

In the fall, I will unite the image and the will.

 

それらが上手くいけば、来年の冬には

『考えの鎖を切る』ことができるようになる。

If those go well in the course,

I assume that I will be able to

“unknot the chain of thinking” next winter.

 

私のゴールは考えの鎖を切ることだ。

My goal is to cut the chain of thought.

 

考えの鎖を切るためには、

鎖にどう縛られているかを知らなければならない。

To cut out a chain of thought,

we have to understand

how the thought is tied up by the chain.

 

だが、まだ鎖のほぐし方が解らない。

But I don’t know how to unknot the chain yet.

 

けれど、縛られている具合が観察できれば、

ほぐし方を試してみることもできるかもしれない...

However, if I will be able to observe how it is tied up,

I will be enabled to find how to unknot...

 

 

 

 

 

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