Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

幸せの裏面Dorsal Happiness

2022-06-29 | 心の癒し

 

 

幸せの反対は不幸ではない。

The opposite of happiness is not unhappiness.

あえて幸せの反対を定義するなら無感覚かも知れない。

If I were forced to define the contrary of it, it may be put as anesthesia.

 

幸せ感は絶えず変化していくので、

人の置かれた状況や状態の入れ替わりにより

変貌していく。

The feeling of happiness constantly changes

so it transformants depending on

one’s situation or state.

不満足だった状態が満足できるような状況になったとしても、

幸せを判断する尺度が変われば単なる変化にすぎない。

Even though one’s dissatisfied with conditions and situations

turned to be satisfactory,

if the judgmental measurement of happiness changes,

it will become merely variation.

 

先月、2階の部屋で床ストレッチングをしていると

開けていた窓から風が吹いてきた。

Last month, when I was doing exercise stretching

in the room on the second floor,

the wind blew from the opened windows.

風から緑の匂いが香るような、

透明な涼しさであった。

It was like a clear coolness

as if I could smell the scent of green with the wind.

 

その風で純粋に幸せを感じた。

I felt pure happiness with the wind.

何の理屈も要らない幸せ感、

何の裏付けも要らない足りた感覚であった。

The feeling of sense was like,

the reason to be happy or logical backups

is completely unnecessary.

 

私たちは『もし、~~があったら』

『もし、~~が無かったら』のように

もしかしたらの条件が整えれば幸せになるとよく言う。

People often say that they can be happy with an if condition,

such as 『if there is ~~then I’d be happy』

『 If there is no ~~I’d be happy』

しかし、欲しかったものや状態を手に入れたとしても

その満足感は長続きしない

But even if the one gets the desired conditions,

the satisfaction will not last long.

 

幸せが、今に無い『IF』の仮想にある限り、

宙に浮き散乱していく。

As long as the happiness attached to

the image of『if』does not exist in present,

it will float and be distracted.

 

過去の不満足からみて、私は全て満ち足りている。

In the view of frustrations that I had in the past,

I am perfectly satisfied.

満ち足りている状態から

過去の不満足感がどうであったか遡ってみると、

その不満足があってからこそ

今の満足感が持てることに気がつく。

Looking back on how I was dissatisfied in the past

from this view of a well-satisfied situation,

I learned that without those frustrations

this satisfaction never can happen.

 

願望や渇望も、

一旦叶ってしまう呆気なく消えてしまう。

Wishes and desires once fulfilled,

disappear quickly.

叶えない願望や渇望も

何かに切羽詰まってくる急遽な事情ができると、

いつの間にか意識から忘れ去れる。

Unfinish wishes and desires are also can be gone from the conscious

when we are stuck in an urgent emergency situation.

 

踏むべき過程を正しく踏めば

行きたいところに辿り着く。

If we follow the correct process that should be stepped,

it will drive us to the place we want to go.

 

目的地に急ぎ、近道をすれば

早く効率的に目的地に着くかもしれないが、

途中過程で得る体得を失う。

If someone is in a hurry

and wants to take a shortcut,

then may be able to reach the destination faster

but will lose the experience of learning on the way.

 

自分だけ幸せになることは簡単かもしれないけれど、

そこには孤独な幸せしか味わえない。

Being happy alone like only me-happy might be easier to get

but the taste of happiness would be lonely.

 

6月のある日、

窓から吹いてきた風から私は幸せの本質を教わった。

One day in June, the wind blowing from the windows

let me learn the substantial of happiness.

 

 

 

 

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ブログのお知らせと皆様へ

2022-06-14 | 生き方

 

 

 

ブログアップ、暫く休みます。

実は坐骨神経の負傷があって、

治療しているのですが、

もう何ヶ月間、回復できずにいます。

 

皮肉にもその負傷の苦痛によって、

病気や怪我等で苦しむ人の状態が

頭では理解できるようになりました。

 

苦痛の度合いはみんな違うので、

同感とか共感はできないことも知るようになりました。

 

もし、私が負傷しなかったら、

痛みや苦痛は気合で治せると思ったでしょう。

 

怪我や負傷でやるべきことができない、

やりたいことができないことは悔しいです。

だから、苦痛に負けじまいと頑張っています。

 

私は苦痛と並行していくことを選択しました。

ブログを暫く休むのは、

治癒に充てる時間を増やすためです。

 

やると決めたことは休みません。

好転したら、また再開します。

 

 

『コメントを下さった皆様へ』

 

なんとお礼を言ったらいいか、ずっと考えていましたが、

やはり、ありがとうございます!しか思い浮かばなかったです。

それに尽きますね。

 

負傷の原因と思われるのは、

バレエのターンアウト(足を180度に開く)を

無理にしたからだと思っています。

私は178度くらいはなんとかできるのですが、

欲張ってその2~3度を急いでしまって

バツが当たりましたね。

 

医者からバレエやるなと言われガチンときたので、

YouTubeとか調べ、自分でできることはしています。

夫の仕事が忙しくなくなれば、

New Yorkまで行って針治療を受ける予定です。

 

苦痛に痺れまであるくせに、足は動かせるから、

バツあたりなのか、

マシなのか、もうどっちなの?って感じです。

 

でも舞台終わって、

無理して練習する必要がなくなったので、

レッスン以外は何もしていないのが効いているか、

激痛が少しずつ和らいできています。

 

大げさに負傷とか書いて恥ずかしいですし、

デキも悪いくせに下手な言い訳している気もして

本当に内外的になさけない感じですね。

 

とにかく、筋肉と神経回路が準備できてないのに、

欲張って見栄を張ってはいけないと

神経まで染みて痛感した次第です。

 

先生から無理してターンアウトするなと

何回も注意されたのですが、

なんか簡単にできてしまったから、

つい魔が差したのでしょうね。

だから、レッスンの前は念入りにストレッチをして、

見栄貼らないで質素、素朴、体が許す範囲内でやっています。

 

一ついいことは、舞台終わって

先生からポワントシューズレッスン受ける許可がおりたので、

今週の金曜Fitting(合わせ)にいきます。

バレエでは先生の許可が無いと買うこともできないので、

ポワント昇格しました。

出世、しましたね。

 

この坐骨神経痛を早く直さないとですね。

皆様、私なんかのために

貴重な時間を割いてコメントで応援、激励してくださって

本当に嬉しい限りです。

 

家族の運は最悪なのに、

知人には恵まれた感じです。

本当にありがとうございました。

 

一人一人様宛に書きたかったのでしたが、

予定外に多くの方から便りがあったため、まとめてみました。

少し無礼ですが、了解お願いしたいです。

 

『リアクションを惜しまなく下さった方々にも

 本当に感謝いたします、大きな力になりました』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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About my first onstage(和文と後書きなど)

2022-06-06 | バレエ

Yesterday I performed ballet solo JUNE,

choreographed by Linda Presnyakova,

the great teacher.

 

When I was on the stage,

it was a totally different dimension,

like suddenly I was placed in the 4th dimension.

The three-dimensional thoughts are gone, fragile,

and became pieces in the cubical space.

That is how my three-dimensional experiences

crushed far apart so easily on the stage.

 

After the first onstage experience,

I have become not to judge all the dancers

whether bad or good. 

They do their roles in any conditions,

 and that is why they deserve to have applause.

 

Without my teacher, I would never know

about these dimensional differences,

I am truly thankful for my teacher

who gave me the opportunity to learn,

and my husband Eric Applebaum,

who made all that possible.

 

昨日、私の素晴らしい先生リンダ・プリスニコヴァーさんが

振り付けされたバレエのJUNEをソローで踊りました。

 

ステージに上がってみると、

それは突然4次元の中に置かれたような、

完全に違う次元感覚でした。

3次元の思考は消え失せ、

脆く、立体空間の中で破片になるのです。

だから、私の3次元的な経験は舞台の上で圧し折られ、

簡単に散り去ったのです。

 

その初経験をしてから

私はいかなるダンサー達に向かって、

良くも悪くも裁かないことを決めました。

彼らはどのような状態であろうが、

自分らの役目を果たしたから、

拍手喝采に値いすると思います。

 

私の先生が無くては、私は断じて

これらの次元の違いを解ることはできなかっただろうし、

知り得なかったでしょう。

それらを学べる機会を与えてくれた先生に多大な感謝を贈り、

またその学びを可能にしてくれた

夫のエリック・アップルバウムにも感謝します。

 

 

 

後書き

上記の英文と和文通訳はフェイスブックに

今日(発表会の後日)投稿したことをコピーし和文にしたものです。

普段のブログ記事は、

私は浮かぶイメージを文字にして書いています。

イメージは母国語の韓国語でもなければ、

第二国語の日本語でもないです。

強いて言えば、テーマみたいな事柄ですかね。

 

しかし、フェイスブックの投稿になると

大半が英語圏なので、

英語の言い方に着目して書くようになります。

なので、イメージは途切れやすく、

言い方が短編的になってしまいます。

 

自分が書いた英文を和文に訳しながら、

言葉の脆さを感じましたね。

母国語はその国で生まれ、

使い慣れただけのことなのに、

それを他の国の言葉に変換しようとした瞬間、

化け物になってしまいますね。

 

いとも簡単に、教育の影響を受け、

翻訳する人の人格をもろに反映してしまう通訳という過程に、

唖然と驚かされました。

 

私は翻訳家になることを目指し、

日々学んでいるのですが、

偉大な禅師のお言葉を翻訳するには

まだまだ訓練しなければと骨まで染みて痛骨しました。

 

 

 

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初めての舞台を終えて

2022-06-05 | バレエ

皆様、今回はいつもの貴取った、

偉そうな英文付きの散文(或いは乱文)ではなく、

皆様に和文だけで初舞台について報告します。

 

本日、6月4日土曜、

3年通っていたバレエスクールの発表会があって、

私は2幕の中でソローを踊るはめになりました。

音楽はチャイコフスキーの12月中の6月で

5分15秒の振り付けでした。

 

振り付けは私の先生、リンダ・プリスニコヴァーさんで、

ロシアのボルショーバレエ学校で習い、

しかもボルショイバレエ団でプリマバレリーナでした。

 

私はソローを踊れるほどのレベルではないのですが、

コロナの影響で人たちがレッスンに来なくなり、

私一人だけ受けた日が多かったからか、

他に人材が少なく、私まで機会が転んできた訳です。

 

逆に言えば、コロナでなかったら、

私のような素人まで絶対に話がこないということです。

だけど、まあー頑張ってみますと引き受けたからには、

面目もあって、責任重大というか、使命感がありました。

 

先生に泥を塗るにはいかないし、

かといって自分にも恥をかかせるにはいかなかったので、

まあー努力という言葉を実行したわけです。

その間の怪我や苦難などは普通にあるべきことなので、

私もくぐってきましたね。

 

で、今日舞台に上がりました。

昨日リハーサルをやって、

帰る時にもうビデオ撮って自分を自慢(?)するのは

もう無理だと切実に分かりました。

でも、一日で結果は変えるものでないわけですから、

まあー舞台で転んでないだけマシという感じの

舞(舞といっていいかどうか)でした。

 

舞台に上がってみると、

それはそれは別世界で、

観客として観てきた世界とはもう次元が違うのです。

 

観客はお金を払ってダンサー達を

観察、判断、採点する権利をもらうわけですから、

舞台は私から言えば、

まな板に挙がった魚って感じですかね。

人達の厳しい眼つきが刺してくる感じですかね。

 

でもまあー、先生からは常にお客さんを見ろと言われてきたので、

裁くなら裁いてみろという感じで見てやったのです。

その余裕がありましたね。

坐禅やった概があったのですかね。

 

夫がビデオは撮ったようですが、私は観たくないです。

悲惨な思いをするだけですからね。

何故なら、私は上げるべき高さ、持つべき角度、音楽との結合などに

基準値に満たないことを誰よりも分かっているからです。

 

誰も、先生さえ私にその規格に満たすことを

要求したわけではないのですが、

私自信が自らに課題として課してきました。

 

今日舞台に立って、

自分が基準値に最低にも達していないことが分かったのです。

 

慰めのように皆さんが良かったよと言ったのですが、

What the heck?っていう感じですかね。

 

褒め言葉は聞きたくないし、慰めは要らないです。

ということで、全記事でソロー踊るよと勝手に期待させといて、

ビデオ公開しませんとなると皆様裏切りを感じるでしょうね。

 

でも、恥をわざわざかくにはいかないので、

バレエ終わって、自宅に戻り夫と裏庭で取った写真だけアップします。

 

期待を裏切って大変申し訳ないのです。

そう言えば、先生にもでき悪くて申し訳ないとお詫びしないとですね。

 

実は、自慢げにビデオアップできるように頑張りましたけどね。

 

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