Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

思考の剪定Trimming thoughts

2024-07-30 | 坐禅

 

 

考えを斬る、或いは切り捨てる、

この作業は修業を必要とする。

Executing or discarding thoughts,

these tasks require training.

意思や根性の強さではできない。

It cannot be done no matter how strong

one’s willpower or spirit of the gut is.

 

私が坐禅の勉強を始めた時は

思考を切るのは決心次第で調節できると思った。

When I started to study Zazen meditation,

I assumed if my determination was strong enough,

I can manage to cut thoughts easily.

人間、何でも心次第でできると思ったのだ。

Humans can do anything with their mindset.

 

所詮、気持ち次第だと。

After all, it would depend on one's mindset...

それらが安易な幻想にすぎないと分かったのは、

坐禅を本気でやってからであった。

It was only after I started practicing Zazen meditation seriously

that I realized those were simply illusions.

 

気がつけば思考や記憶の尻を追っていたのだ。

Whenever I returned to myself, 

I found that I was chasing the tails of my thoughts or memories.

ことの尻を追うと事柄の背面しか見えない。

Chasing tails of things,

you can only see the back sides of the matter.

 

考えが何かの袋から漏れてあっちこっちに散らばる。

The thoughts leak out from something

like a bag that holds thoughts and

it scatters here and there.

それに気づくのも散らばって、

あっちこっちに広がって

やっと思考が漏れていたと解る。

We can barely be precise thought-leaking

unless thoughts are scattered and spread out.

 

私は未だに思考に焦点が合わず、ブレている。

My thoughts are still out of focus

and the focus is blurry.

カメラレンズからのブレはカメラマンの集中力の弱さで生じるように

思考がブレるのは思考するその当の本人の集中力が弱いからである。

Just as a camera lens is shaky

due to the cameraman’s concentration being weak,

 blurry thoughts are also caused by one’s weakened concentration.

 

焦点が合うということはどういうことか。

What does it mean to focus?

つまり、一点をどのように、

どのように素早く集められるかだ。

In other words, it’s about how to be done

and how quickly to get to one point.

 

焦点が合わないということは、

多点が多点のままにあることだ。

Not being able to focus means

there are still points to cut out.

つまり存在する点が一点より多いことだ。

In brief, there are more points than one.

 

要らない多点を切り捨てていく、

この作業が坐禅の修業であると私は思うが…

Discarding unnecessary points is

the training of Zazen-meditation, I think…

 

 


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7 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (柔道)
2024-07-30 07:40:42
闘うのは眼の前の相手。
畳に上がるのは、審判の判定や場外の声援やメディアの評判を聴くためではない。
褒美や賞賛は敗因の素。
国に飼われた競技ほどつまらぬものはない。

ZIP
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Unknown (桂蓮)
2024-07-30 08:06:29
オリンピックの選手になる(なってしまう?)
結果、国のために戦うことになるでしょうね。
前回の中国オリンピックで
アメリカ選手達(中国ハーフ達)が、中国に入って
アメリカ籍を捨てて
中国のために戦ってましたね。
いくらお金や名声のためであっても
自分たちを育って、出してあげた国を
裏切ってましたね。
あれには怒り、理解はできても
絶対に許せないと思ってました。

中国の選手達の多くは国のために勝つみたいな感じありますね。
かれら、表情もつまらないですね。
見るのもいや~な感じ。
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Unknown (fennel)
2024-07-30 08:59:33
Simple is best.と思ってはいるんですが、思考が波紋のように広がる多視点も好きです。だから人は、思考の海を漂うんでしょうかね。思考のトリミング、これもまた勉強になりました。
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Unknown (閑斎)
2024-07-30 09:39:52
禅で「無」になるとか「〇」の掛け軸があったり、考えることを考えさせられました。
が、目を半眼にしても脳が勝手に色んな思いを想起してきますね。

従って、「無」になることは諦めました。
きっと、死んだら何も考えなくなることでしょう。
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Unknown (桂蓮(Fennelさんへ))
2024-07-31 14:35:50
>fennel さんへ
>Simple is best.と思ってはいるんですが、思考が波紋のように広がる多... への返信

波紋に広がる、Fennelさんは精神的にお若いですね。
イメージの世界を楽しむようにみえますしね。
わたしは現実主義者の中でも一番に事実優先なので
波紋となると
疲れますね。
やはり絵を描く人は一点なんてつまらないかも?
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Unknown (桂蓮)
2024-07-31 14:38:08
>閑斎 さんへ
>禅で「無」になるとか「〇」の掛け軸があったり、考えることを考えさせられました。... への返信

無になることは可能らしいですが、
修業に人生かかるので
私も諦めましたよ。
おんなじところです。
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Unknown (剪定)
2024-08-02 18:49:11
もはやアスリートに対する軽視だけに留まらず、競技そのものに対する冒涜、更にはマイノリティーの立場さえ危険に晒らしているということに、全く無関心なdisrespectfulな国際組織

ZIP
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