Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

精神力のオリンピックSpirit power of Olympic

2018-03-09 | 坐禅

オリンピックは精神力の闘いだと今回の冬オリンピックを観て思った。

Watching the winter Olympic it made me think that Olympic might be a spiritual battle.

私は今までオリンピックを観たことが無かったのだが、

夫が開会式を観ようと言ったのがきっかけで、

期間中は毎日オリンピックの競技を観た。

I have never watched Olympic games before,

but I was motivated to watch it because my husband told me about watching opening ceremony so,

for two weeks we watched it every day.


日本に住んでいた時は仕事で常に忙しくテレビを観る時間が無かった。

When I lived in Japan I was always busy with work, so I didn’t have time to watch TV.

韓国に住んでいた30年前はオリンピックに興味が無かったので

1988年ソウルオリンピックも観ていなかった。

I didn’t watch Soul Olympic in 1988 held in South Korea

neither even though I lived there 30 years ago,

nor I was not interested in Olympic.

これらの関連無しの無関心からかオリンピックは私と全く関りの無い行事に過ぎなかった。

Those Olympic games were nothing related with me at all at those days and it was just an indifference events.


ところが開会式を観た瞬間、

その特色的なアイデアやIT技術による新しい映像の世界を見て

感動のあまり涙が出そうになった。

However, the moment when I watched opening ceremony,

I was touched enough so I almost cry with tears

by seeing those new features of ideas and new visual world with IT technology.


それにまして、アメリカのメディアは報道の仕方や解説が日本や韓国と全く違って、

オリンピックに取り組む国民的な視点が違っているのも驚きであった。

To add, the media of broad casting in America and commentary ways are different from the ways of Japan or Korea,

surprisingly people’s perspectives on Olympic concepts are also different.


日本や韓国でのTVのスポーツ競技は大概解説する人が落ち着き過ぎて、

劇的な勝負の分かれ目でも冷たく分析ばかりして、

勝ち負けに中点をおいた展開がほとんどであった。

Most of sports games on TV in Japan or Korea the commentators

 who analyses the game they are too much calmly down

so that they do analysis only with cold ways

even when at dramatic turning of match-ups

and mostly put the main meaning on wining or lost.


フィギュアスケートの解説も点数や技術面での判定に趣があり、

成功や失敗などを決めつける範囲に限っているように感じられた。

The commentating of figure skating also has kind of gist to judge scores and technical points,

I felt like they seemed to be limited to the range that determining how succeeded or failed.

決まってメダルの数や自国の順位とかがオリンピックが持つ意味のようなニュアンスもあるようであった。

They seemed to have a typical nuance that meaning of Olympic is how many numbers of medals they get and their nation’s ranking at.


しかし、アメリカでは国籍よりは各選手の個人的な闘いを紹介する放送が根本的な姿勢があり、

解説中にも視聴者と共に興奮し感激を伝えている。

However, in Unite States there is fundamental broadcasting attitude that introducing each player’s individual fighting

 rather than which nationality they have and during commentary they exited with audiences altogether and reporting impressions with them.

アメリカが勝ってもそれは二の次のようでその個人の闘いを唱える。

Even the case US won it seemed like secondary and chanting individual’s fighting.

そのような個人に中点をおいた伝え方は、

オリンピックは人種の差を乗り越えた人類同志の極限の闘いであると思わせるところがある。

Such broadcasting ways that put the main meaning on an individual,

it has some points of make to think that Olympic is human beings the ultimate fighting beyond different races.

オリンピックの報道から国の人間への理解の仕方が異なることも合わせて知ったのだ。

I learned accordantly from the Olympic broadcasting that the ways of understanding human is also different.


オリンピックは国を代表して戦う競技であるが、

最後の決勝戦になると個人の精神力の勝負になる。

Olympic games is the competition of representing their country

 but when it comes to final battle it tuned to become individual’s mental power game.

より完璧な人が頂点に登り、

限界を乗り越えた人だけが難しい技術面で自由になる。

More perfect person climbs up to the top,

the only person who has overcome limitation will be free in technical difficulties.


金メダルを取った人からは完璧な状態にあることですら乗り越えている超越な精神力を見ることができる。

We can see the transcendental spiritual power from the gold medalists which they even overcame the state to being perfect.

人間の身体への限界に挑む精神力を見ると

私が持つ日常の些細な悩みは簡単に解決できるような気にもさせる。

Seeing those spiritual challenge to human body’s limitations

it makes me feel like I will be able to solve easily the trivial problems I would have in daily life.


今回のオリンピックの選手達の目つきから『自我の強さ』を感じたが、

その強さは個人の自我の範囲を超えた何かがあるような感じもした。

I felt “The strength of ego” from Olympic player’s the way of looking with their eyes

and the strength is like something beyond range of personal ego.


坐禅の教えのひとつでは自我から離れ、

自我の束縛から紐解ける術を説いているのだが、

今回のオリンピック選手が見せた自我の強さから、

強くなるには自我を忘れるほどの訓練をすると到達できるのではないかと

その坐禅の事例を確認できたような気もした。

One of teachings of zazen is to be away from self-ego

and preaching a technic that untying the bondage of self-ego,

I felt like confirmed the zazen teaching as I saw Olympic players strength that

they have shown us which I may able to be strong by training

that if I train myself as to be enough forget my ego.


自我を忘れるほど一つのことに集中すると

オリンピック選手のようにそのことで極めることになるのだろう。

It will be possible to be extreme if do concentrate on one thing like Olympic players

as could be enough to forget the self-ego.

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18 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (桂蓮)
2018-03-10 13:11:33
最近は何事にも興味が湧かなくなった。
記事も結構な下書きを書いておいたのだが、
いざ、投稿しようとすると
全く面白くなくなり、結局は何もできなかった。

この記事も全く面白くないが、
前回の記事が古すぎて腐り始めたから
最近のイベント記録的な意味合いで投稿した。

書いた当の本人でさえ何も訴えてこない文章を書いて、呆れ果てた気もするが、
凡人の枠組から出られない極普通の人としては
まあ~出来損ないの肯定的な意味を書き記せた面では
辛うじてOKかなと無理矢理思ってみる。

このフラットな状態から
抜けられるかどうか定かではないが、
自分の能力不足の暗いトンネルからは
そう簡単に抜け出ることは容易ではないだろう。
返信する
Unknown (PEN)
2018-03-11 00:04:26
精神力のオリンピック、興味深く読ませていただきました。
「オリンピックの報道から国の人間への理解の仕方が異なる」というところが特に印象深かったです。「国の勝負よりも個人の戦いを唱える」のは、人種の差を超えるという意識が根底にあるからなのでしょうね。

僕は日本でテレビ等でオリンピック(に限りませんが)を見るときに、個人の演技の素晴らしさには思わず魅入りますが、報道等の取り上げられ方があまりにも勝負やメダルの数にこだわっていたり、商業的世間的に話題性のあるところが取り上げられたり、日本の誇りなどと持ち上げられたりすることに、正直興ざめをしてしまいます。「ドラマは勝者だけにあるのではない」と思うからです。

こんなふうに感じる人はごく少数のようですけどね。国民性というものは是非や善し悪しでは決めつけられるようなものではありませんが、国際理解と言わないまでも国内の人々の気づきを高めるためにも、様々な国の多様な考えや背景を知ることが必要で、それがインクルージョンにもつながっていくのだろうと思いました。

感想のみで失礼いたしました。
返信する
今朝の覚書その一 (T)
2018-03-11 01:28:15
多分だが??
中国韓国ロシアなどは【国の威信】を示す道具として国際スポーツを扱い、アマチュアリズムを超えてしまった。
アメリカではアマチュア個人が裕福な故に、自分の趣味が人生そのものになれる。

オリンピックは左様に経済原理に左右されてる。

此れはたぶん、Kさん好物のバレーでも同じ、
T鉱物の囲碁の世界でも同じ事??・・・かと

そ~言えば、いいひといいさん曰く、
Kがオリンピックを見ている様子が、いかにもコリアンレジェンドを引きずってる様に見えるとか書いていたけど、それもまあ汎人間性精神論というよりか、愛国心と言う経済原理にルーツが有るのかもしれない。
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今朝の覚書、その二 (T)
2018-03-11 01:39:27
夢と現実!!
人間機械論から言えば、
闘いに負けない為に相手を打ち負かそうとするが、
本当は(=本当に重要な事は)、
相手を打ち負かす前に先ず自分に勝たねばならぬ。
それが今回記事のKさんの趣旨であろうか??

でも全ての人が勝てる訳では無いので・・・・
自分的には『悔いなくやった!!』という納得で収支をつける(=現実に立ち返る)。
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Unknown (sure_kusa)
2018-03-11 03:09:21
PENさんの「 ドラマは勝者だけにあるのではない 」
とのくだり、そのとおりだなと感心しました。
オリンピックの我々の見かた・・TV放送の姿勢に影響されるんですね。
最近、思うんですがTVニュースの意図的な情報操作みたいのがチョッとだけ感じたりしてます。
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勝者論 (T)
2018-03-11 06:00:13
アメリカ女性も勝ちに拘ると言われている様だが、
韓国女性の勝利への渇望は筋金入りなのだと思う。
現代韓国ではどうなのか知らないが、言い伝えられたケースでは、
たとえば夫婦げんかが起きると、二人は表通りに出て
激しくお互いをののしり合うそうだ。周りには近所の人が寄って来て、裁きを下すんだとか(都市伝説??)。

まあ負けず嫌いの性格はKさんそのものだ。

ところが日本人は、仏教の影響なのか神道観なのか、または過酷な自然への順応法なのか、
負けるに対して共感を感じる様だ。
例、判官びいき(=源義経)。
反転して、勝者に対するうさん臭さを感じたりする。例、徳川家康。平家物語の諸行無常説

現在のKさんの自分の断絶=何時までも居ると思うな勝利の女神!!
勝利拘泥観を脱却して、
水平思考して、
フラットの世界にも、又、トンネル内でも、
いくらでも生きる道は転がっている・・・

ドラマは勝者だけにあるのではない!!
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リンゴピック!! (T)
2018-03-11 06:40:30
風邪がいくらかよく成って来たかも知れない??
なぜなら、又、
精神力のりんごピックが始まった・・・まあそんに上出来な収穫ではなさそうだが・・・・
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軍歌魂みじんも無し!! (T)
2018-03-11 08:42:26
大体が処
わび・さび・演歌なんて、
勝ち組の思考とは対極にある様だから、
アメリカオンナ、コリアンオンナには
『ドラマは勝者だけにあるのではない!!』なんて言っても、全然わかんない筈だよね???(=勝利こそが全て!!)
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鬼の目に涙!! (T)
2018-03-11 09:40:02
今回は、オリンピックを通して、
前代未聞の『鬼の目に涙』が滲んじゃったが・・・

偶には涙もいいもんじゃない?
うんうん、君の心が洗われる!!・・・とかね・・・
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操作された国民的視野はど~なの???? (T)
2018-03-12 03:38:28
オリンピックの放送権はアメリカに握られており、
人気種目もアメリカ人が良く見れる時間帯(=寒い夜間)に設定されてる(のだそ~だ、たしか??)。
やっぱりオリンピックも経済原理(とくにアメリカの経済原理)に操作されてる。
精神力のオリンピックと言うより経済力のオリンピックと言うべきか??

この点はど~なの??
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